滝田栄の現在は?仏像彫刻家として活動?死亡説も?妻や子供は?

滝田栄さんは、演劇の「レ・ミゼラブル」の主役を演じて有名になりました。奥さんは滝田さんのマネージャーを務めていますが、子供さんに関する情報はありません。1994年から仏像彫刻を始め、現在では彫刻に専念しているようです。そんな滝田栄さんについてまとめてみました。

滝田栄の現在は?仏像彫刻家?死亡説も?

演劇の「レ・ミゼラブル」からNHKの大河ドラマ「德川家康」まで、主役を務めてきた滝田栄さんは、最近はあまりテレビで見かけなくなりました。

そのため、死亡説まで出ているようですが、仏像彫刻家として活動しているようです。そんな現在の滝田栄さんについて調べてみました。

滝田栄のプロフィールは?

滝田栄さんは、1950年12月5日生まれ、千葉県出身の俳優です。滝田さんは、中央大学文学部仏文学科を中退後に文学座の養成所に入り、劇団四季に入団しています。

劇団四季時代には「王様の耳はロバの耳」や「ジーザス・クライスト・スーパースター」に出演してで有名になりました。

また、1983年のNHKの大河ドラマ「徳川家康」の主役を演じたことで全国的にも知名度があがりました。

滝田栄の現在は、仏像彫刻家として活動?

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現在の滝田栄さんは、テレビ出演は少なくなっていて、1994年から仏像彫刻をはじめられ、仏像彫刻に専念しているそうです。

仏や仏像についての講演会も行っている

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滝田栄さんは、仏や仏像についての講演会も開催しています。平成25年9月22日には、千葉県の長福寿寺で「仏像に祈りを込めて」というテーマで公演されています。会場には250名の参加者があったそうです。

また、2019年6月25日にも、千代田区立日比谷図書館文化館地下1階日比谷コンベンションホールで「私の修行時代」というテーマで公演が予定されています。

俳優業にとどまらず、幅広く仏像制作にも取り組んでいる滝田栄さんにとっての、修行時代とはどんなものなのかを話してくれるそうです。

滝田栄には現在、死亡説も?

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滝田栄さんは、最近はテレビなどのメディアで見かけなくなりました。そのことで、死亡説まで出ていますが、滝田栄さんが死亡したという事実はなく、現在も彫刻活動などをされています。

滝田栄は、現在俳優活動はしていない?

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滝田栄さんは、仏像彫刻をやるようになってからは、俳優としての活動はほとんどしていない状況のようですが、俳優業を完全にやめたわけではないようです。

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滝田栄と仏像彫刻の関係とは?始めたきっかけは?

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滝田栄さんは、1994年から仏像彫刻を始められていますが、仏像彫刻を始めたきっかけは、母親が亡くなったことからだそうです。

その後の滝田栄さんの仏像彫刻の活動や思いなどをまとめてみました。

滝田栄が仏像彫刻を始めたきっかけは母の死?

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滝田栄さんは、1994年頃から仏像の彫刻を始められています。そのため、仏像の彫刻に専念していて、近年は俳優業よりも彫刻の方に力を入れているようです。

滝田栄さんが仏像彫刻を始められたきっかけは、2年前に亡くなった母親を供養するために観音菩薩を彫ったことからだといいます。その後も、家族や親しい人達が亡くなるたびに、仏像を彫っているそうです。

父や兄が亡くなった時も仏像を彫っていた

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滝田栄さんは、父親が亡くなった時には母親の時よりも少し大きな観音菩薩像を彫っています。また、お兄さんが亡くなられた時には、不動明王を彫ったそうです。

滝田さんは、現在では八ヶ岳にアトリエを構えて、そこで仏像を彫り続けているようです。

東日本大震災の直後に供養のため仏像を気仙沼に提供

滝田栄さんは、東日本大震災の直後、自身のアトリエで震災に遭った人達の供養のために、体長約130センチの地蔵菩薩像を4ヶ月という短期間で彫りあげました。

この地蔵菩薩像の開眼法要が長野県の活禅寺というお寺で行われ、宮城県気仙沼市のお堂に安置されています。

薬師寺の副住職からこの仏像を「気仙沼みちびき地蔵」と命名されたそうです。滝田栄さんは「この仏像を見る人が、穏やかな気持ちになってほしい」と語っていました。

仏像を彫るのは自分と向き合うため

滝田栄さんは、東日本大震災の犠牲者のために、地蔵菩薩像を彫っていますが、その前に気仙沼には津波で全てを失った知人が何人もいたから、仲間に呼び掛けて物資や援助金を届けてもらったそうです。

滝田さんは、次に何ができるか考えた時、突然の津波で訳が分からないまま命を失ってしまった霊が安らかな世界に導かれるようにと、地蔵菩薩像を彫ろうと決めたといいます。

すぐに彫りはじめ、完成まで2年ほどかかる予定だったそうですが、驚異の集中力でたった4ヶ月で完成させています。このお地蔵さんを彫ってから、優しい表情の仏像が彫れるようになったそうです。

著書「滝田栄、仏像を彫る」を出版している

滝田栄さんは、2007年には著書「滝田栄、仏像を彫る」を出版されています。Ⅰ「仏を彫る心」、Ⅱ「発心と仏縁」、Ⅲ「みんなそろそろ仏陀になろう」で大きく分けて3つのテーマで書かれています。

滝田栄の家族は?妻や子供はいる?

滝田栄さんにはマネージャーの奥さんがいるようです。またお子さんもいるようですが、その辺の詳しいことを調べてみました。

滝田栄は結婚している?妻はマネージャー?

滝田栄さんは結婚されていますが、奥さんは滝田栄さんのマネージャーをされているそうです。

滝田栄さんと奥さんは、以前NHKの昼の番組で松山に来ていました。

そのとき、夫婦で松山の魚がおいしいと松山をすっかり気に入ってしまい、その後も松山を訪れています。

滝田栄に子供は?息子がいる?画像は?

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滝田栄さんには子供さんがいるようですが、一般の方のようで詳細は分かっていませんし、画像なども公開されていないようです。

滝田栄の兄は成田高校陸上部の元監督?

滝田栄さんの兄である詔生(つぐお)さんは、千葉県成田高等学校陸上部の元監督でした。オリンピックの金メダリストの室伏広治さんや、マラソン選手だった増田明美さんらを育てた有名な監督でした。

滝田栄さんの兄の詔生さんは、残念ながら55歳という若さで癌によって亡くなられています。また、増田明美さんは監督の兄弟でもある滝田栄さんの大ファンだということです。

滝田栄の経歴は?德川家康からレ・ミゼラブルの主役まで務めた!

滝田栄さんは、演劇の「レ・ミゼラブル」からNHKの大河ドラマ「德川家康」まで、主役を務めてきた大物俳優です。

そんな滝田栄さんが、出演した作品についてまとめてみました。

映画「アラビアのロレンス」で感動し俳優を目指すことに

滝田さんは、高校時代山岳部で山登りに熱中していましたが、いつかはフランスの山に登りたいという気持ちから、大学は仏文学科(夜間部)に入学されています。

しかし、1970年の大学1年では「70年安保」もあり、ほとんど授業がないため、銀座をブラブラ歩いていたそうです。

その時、たまたま見た映画「アラビアのロレンス」を見て、演技する俳優達が格好良く憧れるようになりました。

「文学座」の養成所の後に「劇団四季」に入団

映画「アラビアのロレンス」を見て、俳優になる夢を大学の友達に話したところ、その友達から「君は文学座に入って、俳優になるべきだ」と言われたそうです。

滝田さんは友人のアドバイスもあり「文学座」 の養成所の試験を受けたところ、見事に合格したのだそうです。

当時の滝田さんは、全く芝居ができなかったそうですが、そんな中続けることができたのは、役者ひとりひとりがすごく個性があって、この人達を見ているのが刺激的でおもしろかったと話しています。

1983年の大河ドラマ「徳川家康」で主役に大抜擢

1983年の大河ドラマ「徳川家康」では、家康役の選考時点で、なかなか配役が決まりませんでしたが、スタッフから「我々の手で新しい家康像を作りだそう」という意見がありました。

その意見により、30代前半の実力俳優にしぼり、最も家康に似ていない185センチの長身で面長の滝田栄さんが家康に抜擢されました。

徳川家康の役作りで「臨済寺」へ修行に

滝田栄さんは、1983年にNHKの大河ドラマ「徳川家康」の主役を演じていますが、徳川家康役は当初、小柄で丸顔のやや小太りのイメージどおりのキャスティング選考が行われました。

当時の滝田栄さんは、大河の主役など夢にも思っていなかったし、家康についてもまるで知識がなかったから、家康が幼少時代に過ごした、雪斎禅師の臨済寺に寝泊まりして役作りの勉強をさせてもらったといいます。

1982年から2000年まで「料理バンザイ!」の司会を務める

滝田栄さんは、1982年4月4日から2002年3月31日にかけて放送されたテレビ番組「料理バンザイ!」で司会を務めています。

「料理バンザイ!」は、毎週ゲストと料理しながらトークするというスタイルの番組でした。また、滝田さんとアシスタントが雪印企業グループ製品を使った料理をするCMコーナーもありました。

「料理バンザイ!」は20年間という長期間続いた番組でしたが、スポンサーである雪印集団食中毒事件や雪印牛肉偽装事件が発覚し、相次ぐ雪印グループの不祥事によって番組は終了してしまいました。

「レ・ミゼラブル」の主役として14年間務めた

ロンドンで大ヒットしたミュージカル「レ・ミゼラブル」の日本版が公演されることになり、オーディションで滝田栄さんは、みごと主役のジャン・バルジャンに選ばれ、1987年の日本初演の舞台に立ちました。

演出家のジョン・ケアードさんは「あなたは美し過ぎる。ジャン・バルジャンは20年も牢屋にいた男だ。秋までにはその感じを見せてほしい」と言われていました。

滝田さんは八ヶ岳で農業をしながら髭も伸び放題、肌も焼け放題のまま最終審査に挑み合格できたそうです。「レ・ミゼラブル」は大好評となり、2001年に滝田さんが怪我で降板するまで14年間続きました。

「レ・ミゼラブル」の終演後にインドで2年間の修行生活を送っていた

滝田栄さんは、20年間司会を務めてきたテレビ番組「料理バンザイ!」が終了したことや舞台「レ・ミゼラブル」の公演が終わったことなどで、好きだった仕事を一度に失っています。

そんなことも関係したのか、滝田さんは仏教に関することを学びたいと思い、2002年にインドに修行に行かれました。滝田さんがインドに行ったのは、舞台「レ・ミゼラブル」の公演が終わった直後でした。

滝田栄さんは、平成14年2月にひとりでインドに渡り、2年間の修行生活を送ったそうです。滝田さんは、人間としてはまだ未熟だという思いで、自分をゼロから育てるつもりでインドに渡ったそうです。

滝田栄の若い頃の画像は?

滝田栄さんの若い頃の画像がありましたので、紹介しました。

【動画あり】滝田栄は殺陣の達人?迫力ある演技に圧巻!

滝田栄さんは、抜刀術の有段者でもあり、時代劇ドラマでは殺陣シーンに定評がありましたが、そんな滝田栄さんの演技を紹介します。

滝田栄は剣術・武術の居合が達人の域

滝田栄さんは、いつかは侍を演じたいと思っていたそうですが、やるからには誰にも負けたくないと考え、目標としていた俳優は萬屋錦之介さんでした。

錦之介さんは本番では竹光を使っていますが、滝田さんは真剣でもあれくらい動ける身体を作りたいと道場に通い始めたそうです。

「巌流島 小次郎と武蔵」での宮本武蔵の殺陣は圧巻だった

テレビドラマ「巌流島 小次郎と武蔵」は、ジェームス三木さんの脚本のドラマで、滝田栄さん演じる宮本武蔵の殺陣は圧巻でした。

このドラマで、滝田栄さんは「本気で立ち回りやらせてくれるならやるよ」ということで出演されています。

このドラマでは滝田栄さんは、二刀流も大刀と小刀で斬る時の真剣刀法でやり、最後に小次郎に止めをさす船の櫂も、自分で本物の櫂を削って練習したというほどの熱の入れようでした。

その時の動画は?渡辺謙との迫力ある演技に注目!

滝田栄さんと渡辺謙さんによる、テレビドラマ「巌流島 小次郎と武蔵」の迫力ある決闘シーンを紹介しました。

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