巣鴨子供置き去り事件の真相は?長男の現在は?母親や子供達について 社会

巣鴨子供置き去り事件の真相は?長男の現在は?母親や子供達について

1988年に起きた「巣鴨子供置き去り事件」をご存知でしょうか?母親が5人の子供たちを放置して家を出たため、長男が幼い兄弟の世話をしていました。今回は事件の概要や発覚までの経緯、出生届が出されていなかったことで問題視された「無戸籍者」についてまとめました。

目次

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大人の身勝手で起きてしまった「巣鴨子供置き去り事件」とは

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巣鴨子供置き去り事件は1988年に東京都豊島区で発覚した、幼い子供たちが育児放棄されてマンションの一室に放置されたという虐待事件です。

子供たちよりも恋人を優先させたいという大人の身勝手な理由で、幼い5人の子供たちが地獄の日々を過ごすことになったのです。そんな悲しい事件の概要を説明していきます。

「巣鴨子供置き去り事件」の概要

巣鴨子供置き去り事件は、1988年7月、マンションの大家からの通報で発覚しました。

父親は蒸発したまま行方不明、母親は恋人と暮らすために家を出たきりで、通報のあった部屋の中では子供達だけが暮らしていたのです。

母親は経済的な援助のみはしていたものの、ネグレクト状態にあった子供達の生活は悲惨なもので、育児放棄発覚後には、子供はもともと何人いたのか?という点をめぐって、ある悲劇も明らかになりました。

婚姻届が出されていなかった母親・蒸発した父親

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子供たちを部屋に置き去りにした母親は、好きになった男性と結婚して1973年に長男を出産します。ですが、結婚していたと思い込んでいただけで、実際には婚姻届が提出されていませんでした。

婚姻届の提出を頼まれた父親が、「出した」と嘘をついて隠し持っていたのです。そしてあろうことか、長男が6歳前後の時、そのまま行方をくらまします。

出生届が出されなかった長男

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父親は婚姻届を提出しなかっただけでなく、長男が生まれた時の出生届も未提出であったことがあとから判明します。何故嘘をついてまで隠したのか、その理由は不明です。

長男以降に誕生した子供たちも出生届が出されておらず、この子供達の存在は社会から認知されていませんでした。

それゆえに育児放棄されていても保健師や児童委員などの訪問を受けることもなく、子供達は学校にも行かずに社会から隔絶された生活を送っていたのです。

母親に新しい恋人ができたことが事件のきっかけとなる

父親が蒸発したあとも母親は数人の男性と関係を持ち、長女、次男、次女、三女と出産しています。

父親がいなくなった後も母親には次々と新しい恋人ができたのですが、どの男性とも長くは続きませんでした。

しかし、ある男性と出会った母親は彼との関係にのめり込むようになり、1988年1月に子供達を置いて家を出ていってしまいます。幼い我が子より、恋人と同棲することを選んだ結果でした。

家に残された子供達は5人、長男が兄弟の面倒を見ていた

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母親は長男に「妹たちをよろしく」といった内容の置手紙と多少の現金を残し、出ていきました。家に残されたのは5人の子供たち、当時15歳だった長男が4人の兄弟の世話をしていたといいます。

しかしほんの15歳の少年、それもこれまでも育児放棄ぎみの環境で育てられた少年に、4人の弟や妹の世話ができるはずもありません。

長男は友人を呼び込むようになり、家は不良のたまり場のような状態になってしまいます。そして騒音が原因でマンションの大家が警察に通報、巣鴨子供置き去り事件が発覚したのです。

子供達が取り残されたマンションの場所は?住所は西巣鴨?

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事件現場は、東京都豊島区の西巣鴨という地区にあるマンションだと言われています。鉄筋コンクリート造の4階建てで、JR大塚駅(山手線)から歩いて10分弱くらいの場所に建っています。

巣鴨子供置き去り事件の詳細

さて、巣鴨子供置き去り事件について簡単にご説明してきましたが、ここからはより詳しい経緯についてご説明していきます。

長男の父親である人物とは駆け落ち同然だった

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両親に結婚を猛反対されていた2人が同棲を始めたのは、駆け落ち同然でした。そして2人は婚姻届を書き、役所への提出を男性に頼んだところ、「出しておいた」という返事が返ってきました。

冒頭でも触れましたが、実はこの時、実際には提出されていなかったことが後から明らかになります。

父親の違う5人の子供を産むが、出生届を出さず

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そして1973年に長男を出産します。この時の男の子が、事件時15歳であったとされる長男です。通常なら役所に出生届を提出するのですが、この時も男性に「出した」と騙され、実際には未提出のままでした。

1979年頃、男性が突然蒸発してしまいます。丁度この時期に長男が就学年齢に達していたのですが、役所から何の通知も来ないことを母親が不思議に思い、婚姻届と出生届が提出されていなかったことが判明しました。

また、その後も長女、次男、次女、三女と出産しましたが、長男と同様に出生届は提出しませんでした。さらに長男以外の4人に関しては、病院にも行かず自宅で産んだと言います。

1985年2月に次男が死亡

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次男を出産したのは1984年でしたが、翌年上旬、仕事から帰宅した彼女は哺乳瓶を口にくわえたまま死んでいる次男を発見しました。

彼女は遺体をビニール袋に包んで押し入れに隠し、押し入れを仏壇代わりにお供え物をしていたといいます。

次男の遺体は巣鴨子供置き去り事件が発覚した際にも白骨化したまま押入れにあったことが、後の報道で明らかになっています。

長男に全てを任せ恋人の元へ・子供達を置き去りにした

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1988年、母親は千葉県浦安市で働く50代の男性と愛人関係になり、同棲するために子供たちを置いて家を出てしまいます。長男に「妹たちをよろしくね」と声をかけたといいます。

母親が家を出てから、長男は妹たちのオムツを替えたり、毎日のようにコンビニやスーパーに行って食べ物を買ってあげていました。

お金に関しては、母親が月に2~3万円ほど書き留めで送っていたといいます。

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長男がよく買い物していたというのが、マンションの1階部分にあるコンビニ「ミニストップ」です。そこでお菓子やアイスを買ったり、廃棄弁当をもらったりしていたようです。

当時のミニストップの店長は、学校があるはずの昼間や深夜に買い物に来る男の子に違和感を感じていた、と後から語っています。

母親からたまに電話がかかってきて近くのファストフード店で会ったりしていたようですが、「様子はどう?」と聞くだけで、マンションに立ち寄ったことはなかったといいます。

長男の変貌・弟妹の世話が負担になる

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母親からの少ない仕送りで何とかやり繰りしていた長男でしたが、だんだん兄弟の世話に嫌気がさしてきます。

長男は外出した際にAとBという2人の少年と出会います。Aも同じように学校に通っておらず(不登校)、Bは学校に通っていたものの、攻撃的な性格が原因で孤立していました。

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似たような境遇を持つ3人は仲を深めるようになり、長男達が暮らすマンションに集まるようになりました。

そして仕方のないことですが、初めは真面目に3人の妹たちの世話をしていた長男も、AやBと遊んでいることの方が楽しいと気付いて世話が面倒に感じるようになってしまうのです。

この頃、もとより少なかった母親からの仕送りの額が減ったこともあり、長男は次第に妹や弟にキツく当たるようになっていったとされます。

1988年4月・長男が三女を暴行死させる

妹たちの世話を面倒に思い始めた長男は、AやBと一緒に妹たちに暴力を振るうようになっていました。

そして1988年4月、前の日に友達が買っていたカップラーメンを三女が食べてしまい、それが長男たちの逆鱗に触れてしまいます。

長男と友達2人はまだ2歳だった三女に、折檻という名目で激しい暴行をくわえました。

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一度は収まった暴行ですが、今度は三女がお漏らしをしたことで少年Bが激怒。長男と少年Aが隣の部屋でTVを見ている間に、1人で三女を暴行し始めたのです。

少年Bは三女を押し入れの上の段に立たせ、何度も何度も床に落としました。そして落ちてきた三女の軽い体をボールのように蹴り上げるということを、遊び感覚で何度も行ったのでした。

長男が三女の泣き声がしなくなったことに気づいて隣の部屋を覗くと、そこにはBの足元にぐったりと横たわる三女の姿があったといいます。

秩父の雑木林に三女の遺体を遺棄

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このまま三女を放置しておくと死んでしまうかもしれない。焦った長男は人工呼吸の真似事をしてみたり、毛布で三女を包んで温めたりと様々なことを試したといいます。

しかし翌朝には三女は冷たくなってしまい、死亡が確認されました。長男は母親が次男の遺体を隠していた時のことを思い出しながら、三女の遺体を消臭剤とともにビニールに入れました。

それでも腐敗臭がしたことから、長男は三女の遺体をボストンバッグに詰めて電車に乗り、秩父市の公園の近くにある雑木林に埋めたのです。

1988年7月、マンションの大家が警察へ通報

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三女の死から約3か月後の1988年7月17日、マンションの大家から「子供だけで暮らしているみたい」「不良のたまり場になっている」と警察に通報がありました。

通報を受けた巣鴨署の署員が部屋を訪れると、そこには悲惨な状態で佇む3人の子供がいたのです。

長男・長女・次女・白骨化した次男が発見された

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部屋の中はカーテンが閉め切られていて、衣服はそこら中に散乱し、残飯が腐って強い異臭を放っていたといいます。さらに、ずいぶん前にガスや電気が止められていました。

パジャマ姿の長男は「母親がだいぶ前に家を出た」と話しましたが、長女と次女は栄養失調のため酷く衰弱していました。

また、あとから子供たちの話を聞いて人数が足りないことに気付いた署員が、押し入れに隠されていた次男の遺体を見つけました。すでに白骨化していたといいます。

長男を含む4人の子供達が保護される

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巣鴨子供置き去り事件が発覚した翌日、衰弱しきった長女と次女は、新宿区にある児童相談センターに預けられました。特に当時3歳だった次女は痩せ細り、衰弱が激しかったといいます。

そして7月21日の朝、長男は友達の父親に付き添われ福祉事務所を訪れましたが、たまたま空きがなかったために、八王子にある児童相談所にて保護されました。

長男は健康状態も特に悪くなかったようですが、15歳でありながら、自分の名前を漢字で書くことが出来ませんでした。

白骨化遺体発見により「巣鴨子供置き去り事件」として報道される

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衰弱しきった子供たちと乳児の白骨化遺体が発見されたことにより、マスコミは「巣鴨子供置き去り事件」として大きく報道しました。

ただ、子供たちが全員未成年であったため、実名は伏せられての報道でした。

テレビで報道を見た母親が出頭

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7月23日、愛人の家にいた母親は大々的に報じられたこのニュースを目にして、警察に出頭しました。

彼女は子供たちの実名が伏せられていたため確信はなかったようですが、マンション付近の様子がテレビに映っているのを見て「もしかして」と思い出頭を決意したといいます。

母親が三女がいないことに気づき、三女の殺害・死体遺棄が発覚

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そして出頭した母親は、衝撃の事実を口にするのです。それは、「発見された4人(白骨化遺体含め)以外に、もう1人いるはずだ」ということでした。これにはマスコミも大きく反応して、報道が過熱しました。

1988年7月25日、長男が三女を殺害して秩父市に捨てたことを自白しました。児童相談所の所長は長男に関して、「三女のことを自白してから穏やかな表情になった」と語っています。

母親と長男、少年Aと少年Bが逮捕されることに

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ようやく事件の全貌が明らかになり始め、母親と長男、三女の殺害に加わった友達AとBが逮捕されるに至りました。判決結果などについては次の項で詳しくご説明します。

裁判の結果と子供達のその後

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逮捕された母親と長男、A、Bでしたが、どのような判決結果になったのでしょうか。巣鴨子供置き去り事件発覚後の子供達と裁判での判決についてみていきましょう。

巣鴨子供置き去り事件の裁判結果は?

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巣鴨子供置き去り事件の裁判では、母親に有罪判決が下されました。三女を殺害した長男と2人の友達に関しては、年齢も低く刑事責任を問われることはありませんでした。

また、それぞれに判決が下される前、5人の子供たちの出生届が提出されました。ようやく子供たちに「戸籍」が与えられたのです。

ですが死亡した次男(乳児)と三女に関しては、出生届と同時に死亡届も提出されました。

母親は執行猶予付きの懲役3年

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8月10日、保護責任者遺棄致死罪にて逮捕、起訴されていた母親には、懲役3年執行猶予4年という有罪判決が下されました。執行猶予を付けた理由として、裁判官は以下のように語っています。

「子ども出生を届けず、学校にも通わせないなど母親の自覚がなく、放置が続けば子どもの生命が失われる危険もあった。親の責任を放棄した罪は重いが、同姓相手と結婚してやり直すと誓っていることなどを考慮、今回に限り、自力更生の機会を与えることにした」

(引用:雑学乱文)

長男は養護施設、少年Aと少年Bは教護院へ

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同日、長男を傷害致死と死体遺棄罪で東京家庭裁判所に送致しました。ですが母親がいれば起こり得なかった事件だと判断した東京地検は、「教育的措置が必要」として養護施設へ送ることを決定しました。

このような異例の処遇となったのは、長男の戸籍が存在しなかったことや、学校教育を全く受けていなかったという特別な状況が考慮されてのことでした。

また、友達AとBは刑事責任を問えない年齢だったので、救護院(日常生活を送るのが困難な人が利用する福祉施設)に送られました。また、保護観察処分だったという情報もあります。

長女と次女は母親が引き取っている

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母親は、事件が発覚する前から付き合っていた恋人と結婚してやり直すことを誓い、長女と次女を引き取りました。

その後どこで暮らしているのか、長男はどうなったのか、などという情報は全くありません。子供たちだけでなく母親も実名報道されなかったことが理由でしょう。

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