
小林亜星とは?数々の名曲・CMソングを生み現在は?息子がいる?
小林亜星は、数々の名曲やCMソングを作曲し、子供から大人まで日本中を楽しませてくれました。また俳優としても活躍して、お茶の間の人気者にもなっています。その小林亜星の辿って来た奇跡や、現在の状況や年齢、家族などについてご紹介いたします。
目次
[表示]小林亜星とは?今現在の活動は?
小林亜星氏は、作詞・作曲で有名な方ですが、30代頃には俳優やタレント活動も行っていました。現在は音楽団体などの要職をつとめる傍らで、音楽に関わる公演活動などを行っています。
現在の年齢や画像は?小林亜星のプロフィール
- 本名:小林 亜星(こばやし あせい)
- 別名:小林 亞星、マーク・HAMA
- 誕生日:1932年8月11日
- 出身地:日本 東京都渋谷区
- 身長:168cm
- 体重:約90kg
- 血液型:O型
- 学歴:慶應義塾大学経済学部卒業
- ジャンル:アニメ 映画音楽
- 職業:作曲家・作詞家・俳優・タレント
- 肩書:日本作詞作曲家協会理事
- 事務所:アストロミュージック
- 公式サイト:小林亜星オフィシャルサイト
母親は築地小劇場で女優をしていた方で、弟と妹がいましたが、弟は3歳という年齢で他界しています。妹は、イラストレーターの「川村みづえ」で、レナウンの宣伝部に在籍しています。
小林 亜星は、東京都渋谷区に生まれ、杉並区在住の根っからの東京人です。「亜星」という名前は、母が尊敬する演出家から名前をもらってつけたと言われます。
音楽界の重鎮でもある小林 亜星は、アストロミュージックに所属しながら、日本作詞作曲家協会(J-scat)の理事もつとめます。また、大日本肥満者連盟(大ピ連)の初代会長でもあります。
CMソングやアニメソングほか、様々なジャンルの楽曲を手掛けている
小さい頃から音楽が好きで、戦争前から洋楽を聞き、大学卒業後は作曲家の服部正氏に師事して本格的な勉強をしています。ジャンルを問わず様々な楽曲を手掛けています。
ヒットしたCMソングも多く、アニメの主題歌も担当すると共に、歌謡曲やポップスなどまで幅広く依頼もあり、権威あるレコード大賞を受賞したこともあるヒットメーカーです。
俳優としても活躍し、マルチタレントとして知られている
昭和49年には、向田邦子のTVドラマ「寺内貫太郎一家」の主演に抜擢され、初めての俳優業でありながら高評価を受けます。ガタイの良い一家の主がピッタリで、はまり役になりました。
これをきっかけに俳優業やクイズ番組のレギュラー回答者なども引き受け、本業とも言える作詞・作曲も行い、自分でも歌手として歌うなど「マルチタレント」として活躍しなどしていました。
2019年5月「武田鉄矢の昭和は輝いていた」に出演
2019年にはBSテレビ東京の「武田鉄矢の昭和は輝いていた」に出演し、昭和の名曲の「ヒットの法則」や「CMソングの秘話」などについて語っています。
2019年4月「開運!なんでも鑑定団」に出演
小林亜星氏は、2019年4月9日に放送されたテレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」に出演し、「オートマタ」というヨーロッパ等で作られた人形を出品しています。
本人の評価額は「55,000円」と控えめでしたが、鑑定結果は『200,000』円と、思わぬ評価に驚いていました。
現在は講演活動も行っている
現在は自身の経験をもとにした講演活動も行っていて、「本当の心の豊かさは何か」、「国民みんなと歌える歌を取り戻したい」、「21世紀的健康の生活の勧め」等と音楽以外の事も取り上げています。
自然と平和と芸術をを愛することの素晴らしさや、老若男女が楽しめるヒット曲の減少の理由、昭和初期からの懐かしい音楽の想い出などを語ったりと、楽しめるトークショーを行っています。
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【動画あり】数多くのヒット曲を生み出した小林亜星の楽曲集
彼のCMソングは現在も使われているようなロングセラーのものが多く、時代に左右されない曲が多いようです。レナウンの「ワンサカ娘」やサントリー「オールド」など、次々とヒットCMを作曲しました。
他では、アニメやドラマの主題歌や挿入歌も手掛けて、これもお茶の間で歌われる人気の曲ばかりとなりました。
歌謡曲でのヒットも連発し、作曲した歌が「レコード大賞」を受賞したり、音楽への功労をたたえる賞も受賞しています。彼の代表作品を画像と共にご紹介します。
レナウンCM「ワンサカ娘」
https://www.youtube.com/watch?v=EvqFvUeDYno
実妹のイラストレーターである「川村みづえ」がレナウンの宣伝部に所属したので、その紹介でこのCMが誕生したと言われています。
もう1つレナウンCM「イエイエ」も小林亜星が作曲していますが、イラストは妹の「川村みづえ」が書いていつそうです。
このレナウンの「ワンサカ娘」は、小林亜星の出世作品となり、これを皮切りにCMソングを中心に、たくさんの楽曲を手がけるようになりました。今までに作った曲は、8000曲を超えると言われます。
日立グループ「日立の樹」(この木なんの木)
このCMソングも長く使われたヒットCMソングです。日立のCMで使われた「この木なんの木」は、時代が変わっても1度は耳にしたことがあるでしょう。伊藤アキラ氏の作詞です。
積水ハウス「夢よ、もう一階。」(ぼくらの街 バラードバージョン)
積水ハウスのCM放送は1970年~1971年に放送されたテレビアニメ「赤き血のイレブン」のコマーシャルタイムに放送されたのが最初です。
それから50年経過した今も歌い続けられている名曲であり、この長い期間でアレンジを変えたり、歌い手も変わったりしています。歌詞も「羽柴秀彦」氏のものから「一倉宏」氏に変わったものもあります。
しかし、原曲は「小林亜星」が作曲したもので、放送される部分がサビの最後の部分だけであったり、メロディーだけ使ったりと工夫がされています。これも時代に流されない偉大な作品です。
サントリースピリッツ「サントリーオールド」(夜がくる)
サントリーは、たくさんのCMを出していますが、サントリーオールドのテレビCMでは、開高健が考えたキャッチコピーである「人間みな兄弟」のタイトルが使われ、後に「夜がくる」という曲名になっています。
この曲は、小林亜星がこのコキャッチピーをもとにインスピレーションによって作曲したと言われます。最初の放送は、男性のスキャットとギター伴奏によるものでした。
スキャットは、当時の上智大学の神学の先生に頼んで歌ってもらったらしく、歌詞は全くのデタラメだということです。後に小林自身が作詞して歌詞がつけられ、「マークHAMA」という名前で小林が歌っています。
ブリヂストンCMソング「どこまでも行こう」
1966年に発表された「どこまでも行こう」は、ブリヂストンタイヤのCMに使われた曲です。最初は「山崎唯」が歌っていましたが、後に「山崎まさよし」や「大黒摩季」も歌っています。
音楽の教科書にも採用された、珍しいCMソングです!
「ファミリーマートのテーマ」
CMで良く耳にする「ファミリーマートのテーマ」ともいう『あなたと コンビニ ファミリーマート!』の曲が、小林亜星作詞作曲というのを知らない人も多いいようです。
あまりにも短く感じるこの曲は、楽譜にするとCMで使用されているのは2小節だけだそうで、曲と感じるよりは「フレーズ」といった方が良いでしょう。
曲の名前も「ファミリーマートのテーマ」と呼ばれたり、「ファミリーマートの歌」とか、歌詞のまま「あなたと コンビニ ファミリーマート」と呼ぶ人もいます。
ガッチャマン オープニング「ガッチャマンの歌」
子門真人氏の声が懐かしい、アニメ主題歌の名曲です!
歌手:子門真人・コロムビアゆりかご会
作詞:竜の子プロダクション文芸部
作曲:小林亜星誰だ 誰だ 誰だ
空のかなたに踊る影
白い翼のガッチャマン
命をかけて飛び出せば
科学忍法 火の鳥だ飛べ 飛べ 飛べ ガッチャマン
行け 行け 行け ガッチャマン
地球はひとつ 地球はひとつ
おお ガッチャマン ガッチャマン(引用:uta-net)
小林亜星は、アニメソングもたくさん手掛けており、この『ガッチャマンの歌』以外にも、『魔法使いサリーのうた』や『ひみつのアッコちゃん』、日本昔ばなしの『にんげんっていいな』なども彼の曲です。
都はるみ「北の宿から」
小林亜星は歌謡曲なども多く作曲していますが、その中の代表作と言えるのが、第18回日本レコード大賞受賞曲である『北の宿から』です。
作詞『阿久悠」氏と、歌手『都はるみ』とで頂点を極めた作品です。
小林亜星はジャンルを選ばず、クラシックからジャズ、ロック、演歌までをこなし、ダ・カーポの『野に咲く花のように』など、有名な楽曲を多数手がけています。
寺内貫太郎一家の劇中歌「リンゴがひとつ」
人気ドラマ「寺内貫太郎一家」の劇中歌であり、曲調からもドラマを超えて視聴者や大衆に親しまれていた歌です。
歌手:小林亜星・いけだももこ
作詞:阿久悠
作曲:小林亜星リンゴがひとつ リンゴがひとつ
照れくさそうに リンゴがひとつ
ゴツゴツしている 指から落ちて
私のてのひら 真赤にそめた
あなたの心が わかったようで
やさしい心が わかったようで
きれいにみがいて 顔をうつしたら
笑顔に涙が光って見えたリンゴがひとつ アップル
リンゴがふたつ アップルプル
リンゴがみっつ アップルプルプル
リンゴがよっつ アップルプルプルプル
リンゴがひとつ 何かをいった
リンゴがひとつ 何かをいった(引用:uta-net)
レコードは、いけだももこと小林亜星のデュエットですが、劇中では西城秀樹が演じる周平と恋人役の「いけだももこ」が、屋根の上でギターの音色に合わせて歌うシーンが多かった思い出の曲です。
向田邦子新春スペシャル メインテーマ「過ぎ去りし日々」
向田邦子のTVドラマの音楽は全て小林亜星に任せていたといいます。その「向田邦子新春スペシャル」のメインテーマである『過ぎ去りし日々』は名曲であり、ピアノを弾く方が好んで演奏します。
小林亜星は、この曲の演奏をしているヴァイオリニスト「天満敦子女史」の大ファンで、彼女こそ彼が望む『ロマンティックな音楽』の表現者だと言い切っています。
ソフトバンクのCM「ホワイト家族」でも使用されていますが、もとは『向田邦子新春スペシャル』のメインテーマとして作られた曲です。
小林亜星は死んだという噂があった?
一時期、「小林亜星が死んだ!」という噂が巷に流れました。俳優として活躍する場面も少なくなった彼は、普段の音楽活動や講演などに専念していたためか表舞台に出る事も少なくなりました。
本当の事のように思った人も多いようですが、噂の根源をたどってみます。
発端は桑田佳祐の勘違い
実は話の大元は、歌手である『桑田佳祐』氏のようで、ラジオ番組の中で小林亜星初期の有名なCMソングである、レナウンの「ワンサカ娘」を生歌で披露したそうです。
自身の番組である「桑田佳祐のやさしい夜遊び」の中で、「小林亜星さんがお亡くなりになって…」と、勘違いして話してしまったそうです。
これを聴いていたリスナーが本気にして噂が拡散したのが原因のようです。あとで指摘があり訂正と謝罪をしたようですが、既に噂が噂を呼んでおり、間に合わなかったようです。
小林亜星は糖尿病を患っているが今も健在
死亡説は本当の勘違いだったのですが、小林亜星は健康な状態ではないようです。35才くらいから「糖尿病」と診断されたようで、治らない病期でもあるので現在も治療中だという事です。
特に太った人がなりやすい病気ですので、現在も90キロくらいある小林は気を使っているようです。
病院に行き食事にも気を付けながら生活している
小林亜星は、重かったときは113kgもあった体重を、妻からの手助けもあり、野菜中心で塩分控えめの健康ダイエット料理と、細かい食事管理のおかげで、90kgにまで体重が戻ったそうです。
現在は、仕事もセーブして食事管理によって原料したことで、糖尿の数値は正常値に近くなったそうですが、通院と薬の服用は継続しているとのことです。
実は、病院通いも嫌いではないようで、病院を4、5軒はしごするのも苦にならないそうです。ですから、小林亜星氏は現在も健康で、存命でいらっしゃいます。
小林亜星には息子がいる?
https://www.youtube.com/watch?v=29nxN7NiLBk
小林亜星には二人の子供がいるようです。一人は「小林朝夫」氏で、芸能界で活躍していたこともある方なので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。
残念ながら、長男の方については情報がありませんでした。但し、朝夫氏が次男ということなので、もうひと方お兄様がいらっしゃったことは間違いないようです。
小林亜星は、現在の奥さんとは再婚であり、次男の「小林朝夫」は前妻の子供だということです。彼は、明治大学文学部卒業後に劇団ひまわりに入団しています。
息子の小林朝夫は元俳優
「小林朝夫」は、父「亜星」の口利きでニッポン放送の「所ジョージの足かけ2日大進撃」という2時間のラジオ番組のアシスタントレギュラーとなり、芸能界にデビューしました。
その後1981年2月からは特撮物の『太陽戦隊サンバルカン』の主役である3戦士の中の「イエロー・バルパンサー」に変身する「豹朝夫」役を演じています。
俳優をやめたあと学習塾の講師となる
「小林朝夫」氏は、1986年頃には俳優を辞めて、学習塾の講師になります。いろんな塾で講師を務めたあとに、自ら学習塾を開業します。その間、、教育関連の著書を多数出版しています。
国語専門の講師をしていた時期もあったようで、自ら「国語の神様」と名乗り、2001年には「国語の神様 バカを一喝!」という本も出版されています。
しかし、朝日新聞朝刊社会面のトップに、『塾の世界で、小林先生を知らない人はいません 「国語の神様」です』という、偽りの投稿を行ったことがバレて物議を醸しました。
2013年に女子高生との淫らな行為が発覚して逮捕されている
「国語の神様」は、その後どんどんとして警察にまでお世話になってしまいます。2013年の4月には、インターネット上で知り合った女子高生と淫らな行為をしたとして、青森県で逮捕されます。
更に彼を追い詰めるように、この女子高生の裸などを撮影していたことから「児童ポルノ製造容疑」でも再逮捕され、罰金60万円の略式命令を受けりこととなりました。
しかし、「小林朝夫」氏は懲りた様子もないようで、現在はツイッターやブログなどで不思議な投稿を行っています。富士山や地震の噴火の予知など、少しオカルト的なものもある恐い内容です。
共演した西城秀樹について小林亜星が語ったエピソードとは?
小林亜星西城秀樹の全盛期ともいえる時に、ドラマで父親役をしており、一緒にいる時間も多く、彼の事を最も理解していた人間であります。
また、プロの音楽家として西城のことも見ていたようで、その当時の話をご紹介いたします。
西城秀樹と「寺内貫太郎一家」で共演している
小林亜星は、向田邦子さんの代表作であるドラマ『寺内貫太郎一家』で、主役をつとめ西城秀樹の父親の役を演じることになります。
二人が主役なようなドラマですし、役柄も親子という関係なので、お互いの関係は嫌でも近くなっていきます。既に音楽界では名前を馳せていた小林ですから、西城秀樹も歌手として意識していたようです。
小林亜星が演じる「寺内貫太郎」は、ちゃぶ台をひっくりかえすような頑固な親父の役で、息子との取っ組み合いが毎回のお決まりのようになっていました。
西城秀樹に大けがを負わせたり猥談をして困らせたりした
あるとき西城が投げられた拍子に板から飛び出していた釘に手をついて大ケガをする事件が勃発します。また別の日には、投げられて西城が骨折したという事もありました。
当時大人気だった西城秀樹のファンから苦情が殺到し、特に女性のファンから「同じ目に遭わせてやる」とか「お前の大事なところを引っこ抜いてやる」と脅かされたそうです。
また、舞台裏では本当の家族のような付き合いだったそうで、特に19歳と若かった西城秀樹は、左とん平、由利徹、伴淳三郎などの男たちに囲まれ猥談を聞かされて、赤くなって困っていたとも言われます。
西城秀樹はミュージシャンとして最高の知識を持っていたと称賛
小林亜星は、テリー伊藤からの「西城秀樹という人物」についての質問に、こう答えています。
みんな彼の歌がうまいのは知っていると思うけど、ロックミュージシャンとしても最高の知識と腕を持っていましたね。
当時は売り出す方法がアイドルぐらいしかなかった時代だから、ああいう形で人気者になったけども、もっとミュージシャンの部分を知ってもらえる機会があればよかったな、と思うんだけど。
そこに関しては、ちょっともったいなかったですね。
(引用:.asagei)
小林は一緒のドラマに出演しながらも、西城秀樹の資質の大きさに気付いていたようです。
戦争を体験した小林亜星の音楽の原風景
小林亜星は、子供時代に戦争によって、長野県小諸市に疎開した経験を持っています。戦時中は敵国の音楽ともおもわれる「ジャズ」の禁止が思い出に残っているようです。
子供の時分から音楽好きであった小林亜星は、中学生からバンドを結成するなど、早くも音楽活動を始めています。
戦前、7歳くらいの頃には当時のカフェでジャズのレコードを聴いていた
戦前は、まだ小林が7・8歳でありながら、ジャズやハワイアンを聞いていたと語っています。役人であった父親と新宿のカフェに連れられて行った時にかかっていたレコードが始まりだったようです。
祖父が医者で、父親が役人であった厳格な家庭に育ち、医者になれとばかり言われていた小林亜星が、音楽に興味を持たせたのが厳格な父親とは皮肉なものです。