上條恒彦の現在は?妻と田舎暮らし?息子がいる?代表曲もまとめ! エンタメ

上條恒彦の現在は?妻と田舎暮らし?息子がいる?代表曲もまとめ!

歌手と声優と俳優をマルチにこなす上條恒彦さんですが現在はどうしているのでしょうか?妻と田舎ぐらしをしているのは本当?息子がいるという噂は本当?ジブリ作品にも出演していたとの情報や、最新の画像、「だれかが風の中で」「出発の歌」等の代表曲もまとめて調べてみました。

目次

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上條恒彦の現在は?歌手から俳優までマルチに活躍中?

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上條恒彦さんは歌手デビューされていましたがそれ以外にも俳優等もこなしマルチに活躍されていたそうです。そんな上条恒彦さんのプロフィールや活動を調べてみました。

今の年齢や画像は?上條恒彦のプロフィール

2019年現在の上條恒彦さんの年齢や画像を調べてみました。最近では山本圭さんやミッキー・カーチスさんと共にテレビ朝日の番組「徹子の部屋」に出演されていたそうです。

  • 本名 上條恒彦
  • 生年月日 1940年3月7日(79歳)
  • 出生地 長野県筑摩郡朝日村
  • 血液型 O型
  • 最終学歴 長野県松本県ヶ丘高等学校卒業
  • 趣味 畑仕事

歌手として活動しながら、俳優としても活躍中

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上條恒彦さんは歌手だけでなく俳優もされているそうで、有名なテレビドラマ「3年B組金八先生」や流行語でも有名になった「ゲゲゲの女房」にも出演されている事が分かりました。

2019年9月には、ミュージカル「ラ・マンチャの男」に出演予定

最新の情報では2019年9月にミュージカル「ラ・マンチャの男」にも「牢名主」役で出演される事が分かりました。現在79歳の上條恒彦さんですが年齢を感じさせずアクティブに活躍されているようです。

また「ラ・マンチャの男」はセルバンテスの小説「ドン・キホーテ」をもとにした中世のスペインを舞台としたミュージカル作品で、1965年にブロードウェイで初演されて以来、世界中で公演されています。

テレビドラマ「やすらぎの刻~道」にも出演している

最新のテレビドラマ出演ではテレビ朝日の連続ドラマ「やすらぎの刻~道」にも有名なトランペッターで作曲家「白鳥洋介」役で出演されている事が分かりました。

毎週月~金曜日の昼12時30分~12時50分に2019年6月現在は放送しているそうです。また見逃した方はテレビ朝日のサイトにある「テレ朝キャッチアップ」にて期間限定で無料で視聴する事もできるそうです。

歌手・上條恒彦の代表曲動画集

歌手としての上條恒彦さんの代表曲の動画をまとめてみました。現在も歌手活動をされているそうで年齢を感じさせない歌唱力が今でも人気の理由だという事が分かりました。

「六文銭」と共演した「出発の歌」(旅立ちの歌)

六文銭と共演した「出発の歌」ですが正式タイトルは「出発の歌-失われた時を求めて」という事が分かりました。読み方も「しゅっぱつのうた」ではなく「たびだちのうた」と読む事も分かりました。

1971年11月にリリースされた上條恒彦さんの3枚目のシングルで、累計70万枚を売り上げています。またこの楽曲でヤマハ音楽振興会主催の「第2回世界歌謡祭」でグランプリを受賞されたそうです。

六文銭とは?

小室等さんが中心となって結成された音楽ユニットで「出発のうた」「雨が空から降れば」が大ヒットしました。1968年結成1972年解散でメンバーは頻繁に入れ替わっていたそうです。

グループ名は大河ドラマ「真田丸」でも有名な真田幸村の家紋でもある六文銭かと思いきや、小室等さんは小説「月と六ペンス」の六ペンスを六文銭と訳して名づけたとされているそうです。

時代劇「木枯し紋次郎」の主題歌「だれかが風の中で」

1972年1月にリリースされた「だれかが風の中で」ですが、ドラマ「木枯らし紋次郎」の主題歌になっていた事が分かりました。またトヨタのグランドハイエースのCMでも楽曲が使用されていた事も分かりました。

六文銭の小室等さんが作曲を手がけているそうで、木枯らし紋次郎の監督である市川崑さんが歌詞を妻であり脚本家の和田夏十さんに依頼し完成させた後に小室等さんに歌詞を持ち込んで作曲を依頼したそうです。

谷川俊太郎作詞「風のマーチ」

https://www.youtube.com/watch?v=lw7zR2lzgNM

1972年2月に作成された30cmLPの1曲で、作詞に詩人で絵本作家、脚本家もされている谷川俊太郎さんが参加している事が分かりました。

1994年にキングレコードよりCD化されたそうで、現在は中古で手に入れやすくなっている事が分かりました。合唱曲としても有名だそうです。

NHK「あしたへジャンプ」主題歌

NHKの番組「あしたへジャンプ」の主題歌も歌われていた事が分かりました。主題歌は前期と後期で分かれているそうで、前期に上條恒彦さん後期は西城秀樹さんが歌っているそうです。

1986年4月から1996年3月まで放送された小学生向けの教育ドラマで、小学校の「道徳」の授業にも使用されていたそうです。地方都市が舞台になる事が多くオープニングにもその地元の風景が使われていました。

永六輔作詞のカバー曲「生きているということは」

作詞家として有名な永六輔さんが歌った楽曲「生きているということは」のカバー曲で、上條恒彦さんが2013年9月に発売したミニアルバムに収録されていることが分かりました。

上條恒彦さんの歌唱動画は残念ながら見つかりませんでしたが、違う方が路上で演奏されている動画がありました。

 

永六輔とは?

角刈り頭と細長い顔がトレードマークの元放送作家で作詞家として有名で、「九ちゃん」でおなじみの坂本九さんの楽曲「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」等を手がけている方です。

大変な愛妻家だそうで日本テレビの廊下で一目ぼれした女性と22歳の時に結婚しました。2002年に妻に先立たれると妻宛に日記のような手紙を投函し続けその数は1500通以上あったそうです。

上條恒彦の結婚歴は?息子がいる?

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上條恒彦さんはご結婚されているそうですが一体お相手はどのような方なのでしょうか?また息子さんがいらっしゃるとの噂もあったので調べてみました。

1968年に一度目の結婚をし、1979年ごろに離婚している

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上條恒彦さんは1968年に一度目の結婚をしており1979年にごろに離婚されている事が分かりましたが、残念ながらこの時の結婚相手の方の情報がなく誰なのか分かりませんでした。

前妻との2人の息子を上條恒彦が引き取った

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1979年に離婚していた上條恒彦さんですが、その時に2人の息子さんを引き取っていた事が分かりました。

2人の息子さんは上條恒彦さんと離婚された方との間にできた子供ですが、現在はどうなっているのでしょうか?

長男は俳優の上條恒?

上條恒彦さんが引き取った2人の息子さんのうち、長男は俳優をされている上條恒(かみじょうこう)さんだという事がわかりました。

1967年1月30日生まれで2019年現在は52歳になられたそうです。また俳優のほかにも演出、脚本もされている事が分かりました。

1983年に元女優の悦子と再婚

1983年に付き人で女優をされていた悦子さんと再婚されていた事が分かりました。山口県岩国市出身ですが3歳までは大阪にいたそうです。

悦子との間には4人の息子がいる

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上條恒彦さんと悦子さんとの間には4人の息子さんがいることがわかりました。

1979年の離婚時に上條恒彦さんが引き取った2人の息子さんも合わせると6人の子供がいる事となり、6人とも男の子だった事も分かりました。

末っ子の駿は現在、俳優に

画像左の男性が6人兄弟の末っ子の上條駿(かみじょうしゅん)さんで、現在俳優をされているそうです。上條恒彦さんとは50歳の差があるそうですが、上條駿さんはとても尊敬されているようでした。

今日は父の誕生日。 わたしと父はちょうど50歳差。 本当に尊敬しています。 今年は同じタイミングで舞台に立つということで、 お互いに励まし合いながら頑張ろうと思います。 これからも健康第一でね、お父ちゃん。 はっぴーばーすでい #誕生日 #おめでとう

(引用:上條駿さんのTwitter)

妻の悦子は三鷹の森ジブリ美術館のカフェメニューを担当?

東京都三鷹市にある「三鷹の森ジブリ美術館」の2001年10月の開館準備にともない、館内のカフェ「麦わらぼうし」のインテリアからメニューまで悦子さんに任されていた事が分かりました。

「麦わらぼうし」は入場時間がきめられており、10時、12時、14時、16時の1日4回のみでとても人気がある事が分かりました。

三鷹の森ジブリ美術館とは?

スタジオジブリに深く関わる宮崎駿監督が発案されて2001年に開館した美術館で、その名の通りスタジオジブリ関連の展示物が数多く公開されており、建物自体も宮崎駿監督のスケッチを基にデザインされたそうです。

また三鷹の森ジブリ美術館でしか見る事のできない短編アニメの上映も行っている事が分かりました。

現在、上條恒彦は妻とともに田舎暮らしをしている

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上條恒彦さんと悦子さんは現在長野県富士見市の八ヶ岳の麓に住んでいるそうで、自然に囲まれた田舎暮らしをしている事が分かりました。

自宅はログハウスを使用しておりログハウス内にブランコもあるとのことです。趣味の畑作業で大豆、ナス、キュウリ等を無農薬有機栽培しているそうで相当の田舎暮らしであることが分かりました。

上條恒彦の学歴・経歴

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上條恒彦さんは俳優となる前はどのような学校に通い最終的にどこを卒業したのでしょうか?学歴を調べてみました。

朝日中学校、松本県ヶ丘高等学校を卒業

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中学校は長野県にある朝日中学校を卒業しており、長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業したあとに上京していることから最終学歴は高等学校という事が分かりました。

朝日中学校は現在名称が変わっており、長野県松本市山形村朝日村中学校組合立鉢盛中学校となっているそうで、名称が長すぎる事から通称は鉢盛中学校と呼ばれているそうです。

1964年の労音での勤務が歌手デビューのきっかけとなる

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上條恒彦さんの上京後に歌手としてデビューされますが、きっかけとなったのが労音での勤務があったからだという事が分かりました。労音の正式名称は勤労者音楽協会という事も分かりました。

勤労者音楽協会とは?

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勤労者音楽協会とは日本の音楽鑑賞団体で、会員制を基本として運営されているそうで1960年代半ばには60万人を超える組織で、スローガンに「良い音楽を安く」と初代会長が掲げていたそうです。

なかでも関西のクラシックコンサートのほとんどは労音が関わっている事も分かりました。しかし1970年初頭ごろから急速に衰退してしまいましたが地方によっては隆盛期以上に組織を拡大させた地域もありました。

1969年にNHKのステージ101のレギュラーになる

1969年にはNHKのステージ101のレギュラーになっている事が分かりました。

ステージ101とは1969年11月に祝日の特別番組として放送され翌年からはレギュラー放送が始まった番組で、上質な音楽や海外のポピュラーを取り入れたことで全国の若者から支持を得ていたそうです。

1971年世界歌謡祭で「出発の歌」がグランプリ受賞

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音楽の世界へ飛び込んだ上條恒彦さんですが、1971年11月に開催された第2回世界歌謡祭でグランプリ・歌唱賞を受賞していた事が分かりました。

この時歌ったのが、六文銭と共演した「出発の歌」で翌年の1972年には第23回NHK紅白歌合戦に初出場する事となりました。この時ステージ101で生まれたグループのヤング101も同時に初出場したそうです。

1980年代には丸大食品のCMソングを担当していた

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1980年代には丸大食品のウインナー、フランクフルトのCMソングを歌っていた事が分かりました。商品名を言う前に上條恒彦さんのセリフがあったそうで「大きくなれよー」と言っていたそうです。

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