雪村いづみの現在は?代表曲は?三人娘だった?夫や娘について!エンタメ

雪村いづみの現在は?代表曲は?三人娘だった?夫や娘について!

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雪村いづみの家族は?娘は?

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いくつかの恋愛遍歴を持ち、2度の離婚経験のある雪村いづみさんですが、現在雪村いづみさんの家族はどうなっているのでしょうか?ジャック・セラーさんとの間に生まれた娘はどうしているのでしょう。

娘は女優の朝比奈マリア

雪村いづみさんは3人兄弟の長女に生まれ、妹と弟がいます。妹は芸能プロデューサーの朝比奈愛子さんです。

また、雪村いづみさんには1962年に出産した娘がいます。女優でありタレントでもある朝比奈マリアさんです。

2008年頃は一緒に住んでいた?孫もいる?

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1989年には孫の光一さんも誕生し、2008年頃には娘夫婦、そしてマリアさんの夫のお母さんとも同居していました。孫の光一さんと囲碁をするのが楽しみだったようです。

共通の趣味を持ちトーク番組に2人で出演することも

雪村いづみさんは絵を描く芸能人としても有名で、その実力は二科展で連続18回入賞するというほど。娘の朝比奈マリアさんも絵画を趣味としその腕前も母親に負けず、二科展に入賞しています。

また、ビーズなどで作るアクセサリーも共通の趣味で、朝比奈マリアさんは芸能活動より現在ではアクセサリー・デザイナーとして有名になっているようです。

このようにお2人は共通の趣味を持ち、「徹子の部屋」などのトーク番組にも母娘で出演しています。

雪村いづみの経歴は?

16歳でデビューしてから現在に至るまで、歌手として、また女優としても活躍し続けている雪村いづみさんですが、その生い立ちから「三人娘」と呼ばれるようになるまでの経歴を振り返ってみましょう。

音楽や英語に触れられる裕福な家庭だった

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1937年、雪村いづみさんは商社員の父、朝比奈愛三さんとその妻千恵子さんとの間に長女として生まれました。現在歌手・作家の朝比奈愛子さんと、同じく歌手・俳優の有光洋二(朝比奈雍三)さんとの3人兄弟です。

両親とも名家の出で、父親は友人たちと共にハワイアンバンド「カルア・カマアイナス」を結成。1940年より演奏活動を開始し、翌年には日比谷公会堂で定期公演を開いたりレコード発売をするなど人気を集めました。

このように戦時下であっても、雪村いづみさんは幼い頃から外国のモダンな音楽や英語の唄に触れられる裕福な家庭で育ちました。

1946年(当時9歳)父親が自殺

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しかし、戦争のため父親のバンドは解散。終戦後から父親は「シカゴ・トリビューン」誌の特約記者(通訳)となり働きましたが、1946年に服毒自殺をしてしまいます。当時雪村いづみさんまだ9歳でした。

その後、裕福だった生活は一転。母親の千恵子さんは生計を立てるために洋装店を開きますがうまく行かず、生活は困窮していくばかりでした。

次に千恵子さんは東興映画の経営に手を出しますが、1952年に倒産。更に借金を抱え込むことになります。その時雪村いづみさんは高校受験に合格していましたが、とても学費が払えないと進学を断念したそうです。

母の知人の伝手から「フロリダ」というダンスホールで歌うように

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高校進学を断念した雪村いづみさんは、家計を助けるために働きに出なくてはならなくなりました。そこで家政婦募集に応募したものの、身体がか細く小柄という理由で断られたそうです。

雪村いづみさんは、母親の知人がマネージャーをしている「フロリダ」というダンスホールに入った時、幼い頃から聞きなれた英語の唄なら歌えるとひらめき、そこで歌わせてもらえないかと頼みました。

ぶっつけ本番で歌ってみたら、ダンスホールにいた客たちから拍手喝采を受け、その日から歌手としての人生がはじまりました。1952年15歳のことです。この時はまだ無給で歌手活動をしていたそうです。

1953年カヴァー曲「想い出のワルツ」でデビュー

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1952年5月には、日劇ミュージックホールのレビュー「サマー・スキャンダル」に応募したところ、煙草売りの少女役に合格。7月には正式に歌手としてその舞台を踏むことになります。

こうして歌手活動を続け、翌年01953年4月にはテレサ・ブリュワーのカバー曲「思い出のワルツ」でレコードデビューします。

このレコードがビクターから発売されるやいなや大変注目を浴びるようになり、20万枚も売り上げる大ヒットとなったのです。

秋頃日劇「秋のおどり」、進駐軍クラブなどにも出演

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1952年8月に芸能プロダクション「木倉音楽事務所」の社長である木倉博恭さんに見出され、雪村いづみさんはこのプロダクションに所属することになりました。

その後、秋には日劇の「秋のおどり」に出演し、また、進駐軍クラブなどにも出演しました。

1953年「青春三羽烏」で映画デビュー

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このような歌手活動をしながら、雪村いづみさんは1953年には松竹映画「青春三羽烏」にも初出演。女優としてのデビューも果たしています。

その後も1954年には「娘十六ジャズ祭り」「東京シンデレラ娘」、1955年には「ジャズ娘乾杯」「歌まつり満月狸合戦」など、ミュージック映画で立て続けに主演しています。

1954年「青いカナリヤ」が大ヒット

1954年、雪村いづみさんが歌う「青いカナリヤ」が大ヒットしました。その後の「オウ・マイ・パパ」や1955年の「マンゴ・イタリアノ」「チャチャチャは素晴らしい」など次々ヒットを飛ばしました。

美空ひばりや江利チエミを含む「三人娘」として人気に

こうして歌に映画に次々とヒットを飛ばした雪村いづみさんの人気は不動のものとなりました。そして、当時同年代の人気歌手であった江利チエミさん、美空ひばりさんと並んで「三人娘」と呼ばれるようになったのです。

雪村いづみは創価学会員?

雪村いづみさんは創価学会芸能人の四天王と言われ、その中でも古参の1人となっています。ご自分でも学会員であることを公言していて、様々な学会の集まりにも参加しているようです。

他に芸能人で有名なのは山本リンダさん、公明党の衆議院議員となった沢たまきさん、岸本加世子さん、久本雅美さんなどがいます。若手では石原さとみさん、上戸彩さん、長井秀和さんなどが学会員です。

雪村いづみの出演映画は?

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雪村いづみさんは歌手としてだけではなく、女優としても大変人気があり、特に「三人娘」と呼ばれるようになってからは美空ひばりさん、江利チエミさんとの3人で主演する映画は全て大ヒットを飛ばしました。

1954年「東京シンデレラ娘」

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1953年12月公開の映画「青春三羽烏」に初出演したのを機に、翌年の1954年には映画会社の新東宝と専属契約をし、井上梅次監督の歌謡映画4作品に立て続けに出演しています。

「東京シンデレラ」はその第2作目で、伴淳三郎さんと共演した作品です。

1955年「ジャズ娘乾杯」

1995年公開の映画「ジャズ娘乾杯」では三人娘の1人、江利チエミさんと初共演しています。他に宝塚歌劇団出身の朝丘雪路さんと寿美花代さん、そして伴淳三郎さんも出演しました。

それぞれ制作は新東宝、宝塚映画、日活と変わりますが、実は「東京シンデレラ娘」と1996年の映画「裏町のお轉婆娘」との三部作となっています。

1956年「ロマンス娘」

1956年の東宝映画「ロマンス」娘は杉江敏男監督の作品で、美空ひばりさん、江利チエミさんの三人娘で出演した最初の作品です。

他に宝田明さんや森重久弥さんなども共演しており、この映画の挿入歌「アルプスの娘たち」は美空ひばりさんのシングル盤として同年8月に発売されています。

1957年「大当り三色娘」

1957年の映画「大当り三色娘」(監督:杉江敏男)は東宝初のシネマスコープ作品で、「ジャンケン娘」「ロマンス娘」に続く「三人娘」シリーズ第3作目。宝田明さんを相手に三人娘が歌いまくります。

共演者は他に若山セツ子さんや草笛光子さん、左卜全などでした。

1964年「ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば」

三人娘としては7年ぶりの1964年の東宝映画「ひばり・チエミ・いづみ三人よれば」では、少し大人になった三人娘の姿を観ることができます。

雪村いづみさんはじめ、三人娘がコミカルな恋愛合戦を繰り広げ、歌って踊る青春コメディ作品です。共演者では宝田明さん、岡田真澄さんに高島忠夫さん、夏木陽介さんという当時のイケメン俳優陣が揃っています。

また、この作品では雪村いづみさんの妹の朝比奈愛子さんも共演しています。

雪村いづみの元気の秘訣は何?

傘寿を越えた現在でも、なお現役スターとして活躍を続けている雪村いづみさん。その歌声も衰えを見せず、チャーミングでいて生き生きと力強いステージを作り上げるその元気の源はどこにあるのでしょう?

雪村いづみさんの元気の秘訣について探ってみました。

元気の秘訣①感謝を忘れない

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今でも仕事があって歌っていられるのは、これまで多くのいい人たちとの出会いがあり、自分が健康であったため。これはとても幸せなことで、だからすべてのことに感謝していると雪村いづみさんは言います。

裕福な家に生まれ育ちながら、早くに父親を亡くし、母親の作った莫大な借金を背負ってきたのにもかかわらず、前向きにベストを尽くす生き方をしてきたことが元気の秘訣、健康の源なのです。

そういうことにも忘れず「有難いな」って思えるのが雪村いづみさんの元気の秘訣なのです。

元気の秘訣②愛すること

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雪村いづみさんの生きがいは、もちろん「好きな歌を歌い続ける」こと。そしてもうひとつ、それは「愛する」ことだそうです。

誰かを愛することによって、幸せを感じ、心がイキイキとして豊かになる。だからこそ、雪村いづみさんはいくつもの恋愛をしてきたのですね。

また家族愛も強く、家族は皆仲が良くて、一度も家族に当たったり怒鳴ったりしたことなどないそうです。誰かを心から愛しいと思うことは、本当に大切なことだと思うと雪村いづみさんは言っています。

元気の秘訣③90歳までにもう一度ヒット曲を出す

「歌を歌っている時が一番幸せなんです」という雪村いづみさん。無理をせず身体に気遣いながら、しかしバイタリティー溢れた歌への情熱は衰えを見せないようです。

「90歳までにもう一度ヒット曲を出したい」と未来に目標を掲げている雪村いづみさん。その思いも元気の秘訣なのです。

すべてのことに感謝して前に向かう雪村いづみに注目!

雪村いづみさんは1918年にもいくつかのコンサートに出演しています。82歳の現在では毎朝の散歩を日課とし、レッスンを怠らず、また次の目標へと向かって精進されています。

人を愛し、歌を愛し、すべてのことに感謝しながら前に向かう雪村いづみさんの今後に注目していきたいと思います。

美空ひばりに関する記事はこちら

https://career-find.jp/archives/56646

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