今野登茂子の現在はライブやキーボードの講師?旦那は利重剛? エンタメ

今野登茂子の現在はライブやキーボードの講師?旦那は利重剛?

80年代から90年代にかけて一世を風靡したガールズバンド『プリンセスプリンセス』のキーボード今野登茂子さん。今の旦那様である俳優で映画監督の利重剛さんと結婚したことも当時話題になりました。そんな彼女の過去の経歴から現在までを追ってみました。

目次

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今野登茂子の現在は?プリプリのメンバーとライブ?講師活動も?

プリプリの『ともちゃん』と言えば、40代、50代の人たちは懐かしさを覚えるのではないでしょうか?

「あの普通っぽいところがカワイイ」と、当時からファンの多かった彼女。そんな今野登茂子さんは、今も様々な音楽活動をなさっているようです。

今野登茂子のプロフィール!出身地や現在の年齢、愛称は?

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  • 名前:今野登茂子
  • 愛称:ともちゃん
  • 本名:笹平登茂子(今野は旧姓)
  • 生年月日:1965年7月15日
  • 年齢:53歳(2019年6月現在)
  • 出身地:埼玉県浦和市(現在のさいたま市浦和区)
  • 出身校:明治大学付属中野高等学校

『ともちゃん』の愛称で親しまれている今野登茂子さんですが、バンドメンバーである岸谷香さんには『パン』と呼ばれているそうです。

これはご本人が、敬称として『さん』や『くん』のほかに『パン』というのがあるという話をメンバーに話したところ、なぜか岸谷香さんが今野登茂子さんを『パン』と呼ぶようになったそうです。

プリンセスプリンセスのキーボードでデビュー!

1983年にガールズバンド結成のためTDKレコードがオーディションを開始します。その中に当時17歳の今野登茂子さんの姿がありました。

見事、新バンドのキーボードとしてオーディションに合格した今野登茂子さん。しかし、デビュー当時は『赤坂小町』というバンド名でした。

その後、メンバーたちと共にTDKレコードから音楽座という事務所に移籍し、最終的にシンコーミュージックに移籍。その頃にはバンド名を『プリンセスプリンセス』に改めており、晴れて再デビューを果たしました。

今野登茂子の現在の活動は?ピアノライブをやっている?

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現在の今野登茂子さんは、ボーカルとしてのソロ活動に加え、ピアノライブも行っているようです。

ピアノ演奏のみのライブにも関わらず、このピアノライブ、チケットは完売、当日券も無しという、かなりの人気を誇っています。

ピアノライブの曲目は、プリンセスプリンセス時代の曲をピアノアレンジしたものが中心のようで、懐かしさのあまり涙するお客さんまでいるそうです。

今野登茂子はプリンセスプリンセスのメンバーとのライブも?

『NAONのYAON2019』というライブイベントでの楽屋写真。今野登茂子さんに加え、後ろの真ん中にはドラムの富田京子さん、右にはベースでリーダーだった渡辺敦子さんが写っています。

『NAONのYAON』は日比谷野外音楽堂で開催される女性ミュージシャンのみのライブイベントで、プリンセスプリンセスと同時代に活躍したガールズロックバンド『SHOW-YA』が主催するイベントです。

プリンセスプリンセスは1987年の初開催の時から参加していましたが、『NAONのYAON2019』では、今野登茂子さんはバンド解散後ひさびさの元メンバーとの参加ということで会場は盛り上がったようです。

今野登茂子は中山加奈子のライブにゲスト出演!

こちらは2019年5月31日に下北沢GARDENというライブハウスで行われたプリンセスプリンセスの元ギター中山加奈子さんのソロアルバム発売記念ワンマンライブでの風景です。

このライブに今野登茂子さんはゲストで呼ばれました。プリンセスプリンセスの元メンバー同士のひさびさの共演に『NAONのYAON2019』同様、会場は盛り上がったようです。

今野登茂子は現在キーボードの講師もやっている?

今野登茂子さんは現在『ARTiFact』というミュージックスクールで、『今野登茂子キーボードルーム』というキーボード教室を受け持っていらっしゃいます。

講師を始めたのは、イベントで一緒になったARTiFact代表の島本亮さんと、元THE BOOMのベーシスト山川浩正さんのお二人から誘われたのが切っ掛けだったようです。

最初は自信がなく断っていたようですが、「私にも何か伝えられことがあるのかな」と一念発起。今では楽しんで生徒さんたちに、ご自身が築き上げてきた音楽を伝えていらっしゃるようです。

今野登茂子のブログはある?最新情報をチェック!

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今野登茂子さんはAmebaブログで、ご自分のオフィシャルとして『TomokoDiary』というブログを持っていらっしゃいます。

日々のプライベートから音楽活動まで、かなりマメに更新していらっしゃいます。特に音楽活動に関しては、どこよりもいち早く情報を得られるかもしれません。気になる方は、チェックしてみてはいかがでしょうか?

そんな今野登茂子さんがプリンセスプリンセスのメンバーとして活躍された時代、世はバンドブームでした。その頃には、こんなバンドもいました。

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【動画あり】今野登茂子の音楽活動まとめ!

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今も精力的に音楽活動をなさっている今野登茂子さん。そんな彼女のソロ活動も含めた過去の音楽活動をまとめてみました。

アルバム:24hours

こちらは1994年に発売された今野登茂子さんのデビューアルバム『24hours』のテレビCMです。プリンセスプリンセス解散前に発表されたものでした。

この頃、プリンセスプリンセスは各メンバーが積極的にソロ活動を始めた時期で、ボーカルの奥井香さん(現・岸谷香さん)、ギターの中山加奈子さんも続けてソロ楽曲を発表されていました。

当時、このCMはそのセクシーなビジュアルにずいぶんと話題になりました。

曲①:銀竜草

先にご紹介した今野登茂子さんのデビューアルバム『24hours』。その収録曲の中でも『銀竜草』は、ファンの間で人気の高い一曲です。

とても透明感のある曲で、もしご興味があるなら『レコチョク』で視聴、ダウンロードができます。

曲②:月夜の出来事

この曲は、1990年に発表されたプリンセスプリンセス6枚目のアルバム『PRINCESS PRINCESS』の中の収録曲です。

このアルバムには、『ROCK ME』『ジュリアン』といったヒット曲が収録されており、アルバム自体もミリオンセラーを記録しました。

しかし、そんなヒット曲にうずもれることなく、この『月夜の出来事』という曲はファンの間で隠れた名曲として知られています。

曲③:BLACK CHRISTMAS

この曲もプリンセスプリンセス時代に発表されたソロ曲で、発表されたのは1994年でした。

インパクトのあるジャケットと、そのタイトルとは裏腹に、とてもポップな曲調です。しかし歌詞のほうは、クリスマス前に彼氏と別れてしまった切ない女性の気持ちを歌っています。

今は生産されていない8㎝シングルCDというのも、時代を感じさせますね。

楽曲提供:映画「帰郷」

今野登茂子さんが映画音楽を手掛けたのは、現在の旦那様である利重剛さん監督の『クロエ』(2001年公開)に続き、この『帰郷』が2作目となります。

『クロエ』でもそうだったのですが、この映画でも利重剛さんは監督の萩生田宏治さんと共に脚本を担当されていおり、おそらくはそういった関係で今野登茂子さんが音楽を担当することになったのでしょう。

この仕事を最後に今野登茂子さんは、2012年ころまで育児休業に入られました。

今野登茂子は河田純子にも楽曲提供している?

プリンセスプリンセス時代、今野登茂子さんは当時アイドル歌手として人気だった河田純子さんにも楽曲を提供していました。提供された楽曲は以下の4曲です。

  • 架空の恋人たち(シングル 1990年3月21日発表 アルバム『JUN mind』にも収録)
  • Rock’n heart(シングル『架空の恋人たち』カップリング曲 アルバム『JUN mind』にも収録)
  • MAXIMUM!(アルバム『JUN mind』収録曲)
  • 初めての夏(アルバム『JUN mind』収録曲)

この4曲のうち、『架空の恋人たち』と『Rock’n heart』の2曲は、作詞のほうも今野登茂子さんが出がけています。

今野登茂子さんの音楽性の高さは、この頃から評価されていたようです。

今野登茂子の私生活は?結婚した?子供は?

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今も音楽活動においては多忙な毎日を送ってらっしゃる今野登茂子さんですが、私生活や家族はどうなっているのでしょうか?

実はプリンセスプリンセス解散後は、大変な毎日を送っていたようです。ここからは、そちらについて触れてみましょう。

今野登茂子が結婚した旦那は利重剛?再婚?以前離婚してた?

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プリンセスプリンセス解散後、今野登茂子さんは1度目の結婚をしていますが、すぐに離婚しているようです。こちらはほとんど報道されることもなかった為、お相手がどんな方だったのかは不明なままです。

その後、2002年に俳優、映画監督の利重剛さんと再婚を果しています。出会いは、1999年に放映されたNHK-BS2の10周年記念番組『中国敦煌シルクロードの旅』で共演されたのが切っ掛けだったようです。

利重剛さんいわく「過酷な環境で、そういう時って人間が見えるけど、いい奴だなと意気投合した」とのこと。そんな利重剛さんも離婚歴があり、お二人は再婚同士ということになります。

今野登茂子の家族は?娘もいる?出産が大変だった!

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今野登茂子さんと利重剛さんの間には現在、娘さんが一人いらっしゃいます。名前はのどかちゃんと言うそうです。

生まれる前の年の冬には切迫流産の危険に見舞われたそうですが、翌年の2004年には無事にご出産されたようです。

今野登茂子の子供の現在は?

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今年15歳になる娘ののどかちゃんですが、母の日にはアジサイをプレゼントしたり、毛糸でアームウォーマーを編んだりと女の子らしい優しい子のようです。

また、2015年には藤沢市民マラソンに親子で参加するなど、運動好きな元気な一面も見せています。

今野登茂子は猫も飼っている?

今野登茂子さんは3年前から猫を飼っているようで、名前はノエルと言うそうです。画像は今野登茂子さんがお描きになったノエルちゃんのようです。

プリンセスプリンセスの出版物にも、たびたび漫画を描いていた画才のある今野登茂子さんらしい、とてもかわいい絵ですね。

また、ノエルちゃんの画像をそのまま使ってLINEスタンプを作ったり、オフィシャルブログにも多数写真を掲載していたりと、今野登茂子さんがノエルちゃんをとても可愛がっている様子がうかがえます。

今野登茂子の若い頃は?病気になっていた?

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プリンセスプリンセス時代からファンの多かった今野登茂子さん。「メンバーの中ではダントツでかわいい」なんて言う人までいたくらいです。

しかし、そんな彼女は若いころから大変な病に悩まされていたようでした。

今野登茂子の若い頃がかわいい?画像は?

画像は1996年プリンセスプリンセス解散直後に発表されたソロアルバム『Torch』です。

解散後はNHKの番組でレギュラーキャスターを務めたりと、テレビの仕事が多かったのもうなずけるルックスですね。

今野登茂子は病気を患っていた?

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先にも書きましたが、今野登茂子さんは若いころから随分と病に悩まされていたようでした。それはミュージシャンとしては、あまりにも致命的な病でした。

左耳は突発性難聴?右耳は元々聞こえない?

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今野登茂子さん、実はもともと右耳にハンディを抱えているそうで、まったく聞こえていないそうです。これは『プリンセス・プリンセス大全集歌詞集冊子』の中でご本人が語られています。

そこに1992年のツアー中に左耳の方まで突発性難聴を患ってしまい、まったく音が聞こえないという絶望的な状況に陥ってしまいました。一時休養期間に入りますが、幸いにも一か月ほどで復帰を果たされています。

復帰後、発表された今野登茂子さん作詞作曲の『VOICE』という曲は、まったく音が聞こえない、という経験から生み出された曲でした。今でもファンの間では人気の高い曲です。

今野登茂子は急性肝炎にもなった?

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1992年に突発性難聴を患った今野登茂子さんですが、そこで彼女の病気は終わりませんでした。

翌年の3月頃には急性肝炎を患ってしまい、再び休養を余儀なくされました。その後も彼女はこの病気に、もう一度悩まされることになってしまいます。

急性肝炎になる原因は様々ですが、まれに劇症肝炎という命にかかわる恐ろしい病に発展する場合があります。今野登茂子さんの場合は二か月ほどの休養で大事には至らなかったようです。

今野登茂子の経歴は?

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ここでは今野登茂子さんの経歴について時系列に沿ってご紹介していきましょう。

上尾高校に入学するも、泣く泣く転校?

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今野登茂子さんは始め、埼玉県の上尾高校に通っていましたが、オーディションに合格すると共に事務所の関係で明治大学付属中野高等学校(定時制)に転校することになります。

しかし、今野登茂子さんは上尾高校をとても気に入っていたそうで、明大中野の卒業式には一人上尾高校の制服を着て出席されたそうです。

ちなみに事務所の関係で転校というのは、合宿所が西日暮里にあったことが理由だったようです。明大中野には他にもドラムの富田京子さん、ボーカルの岸谷香さん(中退)も集められていました。

1986年にキーボーディストとしてデビュー

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先にも書きましたが、今野登茂子さんを含めたメンバー5人は、TDKレコードのオーディションにより1984年に『赤坂小町』としてデビューしています。しかし赤坂小町はアイドル色の強いバンドでした。

それに違和感を覚えた5人は1984年12月に音楽座に移籍、バンド名も『JULIAN MAMA』と改名します。しかし、この事務所は音楽を理解していなかったらしく5人は不信感を募らせます。

1986年、バンド名を『プリンセスプリンセス』に改名、CBSソニーよりミニアルバム『キッスは犯罪(クライム)』で再デビューを果たし、事務所もシンコーミュージックに移籍しました。

1996年までプリンセスプリンセスの一員として活動

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1986年に晴れてプリンセスプリンセスのキーボードとして再デビューした今野登茂子さんは、1996年の解散まで多数の楽曲を手掛けることとなります。

中でも、唯一自ら歌った曲『月夜の出来事』、難聴に悩まされ生まれた曲『VOICE』、中山加奈子さんが作曲したポップな曲調にのせた作詞が高い評価を得た『ジャングルプリンセス』などは人気の曲です。

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