ピアノ騒音殺人事件とは?現場は団地?犯人の大浜松三は死刑? 社会

ピアノ騒音殺人事件とは?現場は団地?犯人の大浜松三は死刑?

1974年に発生した「ピアノ騒音殺人事件」について詳しくまとめます。事件の概要や犯行に至るまでの経緯をはじめとして、犯人の大浜松三の詳しい経歴や、被害者家族について、現場となった団地について、裁判の行方と結果についてなど詳しくまとめます。

目次

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ピアノ騒音殺人事件とは?騒音によって起きた初の殺人事件

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「ピアノ騒音殺人事件」は1974年に神奈川県の平塚市にて、近所のピアノの音が原因となって発生した殺人事件です。近所の騒音が原因で殺人にまで発展した国内第一号の事件として知られています。

まず最初に、ピアノ騒音殺人事件の概要や原因、犯人や被害者について詳しくまとめていきます。

ピアノ騒音殺人事件とは?事件の概要は?

ピアノ騒音殺人事件とは、1974年(昭和49年)8月28日に神奈川県平塚市の県営住宅で発生した殺人事件です。幼い子供2人を含む母子3人が、押し入った真上の部屋に住む男に刺身包丁で刺されて死亡しました。

原因は騒音?ピアノがやかましい

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ピアノ騒音殺人事件の直接的な原因となったのは犯人の部屋の真下の部屋に住む奥村家の住人達が日頃から出していたピアノの音などの騒音だと言われています。

犯人の男性は、犯行に走る以前から、真下の部屋に住む4人家族の出していた生活音を騒音だと感じ、日頃から強いストレスを感じていたとされています。

被害者は犯人の階下に住んでいた母子3人、犯人は大浜松三46歳

ピアノ騒音殺人事件の被害者となったのは、犯人の住む部屋の階下に住んでいた当時33歳の母奥村八重子さん、当時8歳の長女奥村まゆみさん、当時4歳の次女奥村洋子さんの母子3人でした。

犯人は、犯行当時46歳の大浜松三という失業中の男でした。

大浜松三は音に恐怖を感じていた?事件までの経緯

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ピアノ騒音殺人事件の犯人、大浜松三は事件を起こす10年ほど前から近隣の住民が発する音(窓を開閉する音や犬の鳴き声、ステレオの音など)に過敏に反応し、病的なほどに恐れるところがありました。

大浜松三に異変が起き始めたのは1963年頃とされ、周囲の生活音を「騒音」に感じる様になっています。後に大浜松三は、こうした「騒音」を聞くと「脳が破壊される様な気がする」と供述しています。

この頃に、大浜松三は、近所に住む夫婦のステレオの音が煩いと苦情を言いに行ってトラブルになったり、近隣のよく吠える犬を何匹か殺して警察に通報されたりもしています。

大浜松三は普段から自分や妻の生活音をかなり気にしていた?

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こうして「騒音」に悩まされる生活を送っていた大浜松三ですが、1970年4月、妻と共に神奈川県平塚市田村にある県営横内団地、34号棟の4階の一室に入居します。

大浜松三は、自分が発する音にも異常なほどに気を使う様になっており、テレビを見るときは必ずイヤホンを使用し、部屋の中を歩く時も忍び足で歩く様にしていたと言います。

また、妻にも無闇な生活音を発しない様、細心の注意を払って生活する様口やかましく言っていたそうです。これは、近隣の騒音は自分達のたてる騒音への報復であると妄想していた為だとされます。

大浜松三は階下の一家に事件前から再三注意していた

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そんな大浜松三夫婦が県営横内団地に入居した、2ヶ月後の同年6月、真下の部屋に両親と娘2人の4人家族奥村家が入居します。

この一家の主人は日曜大工が趣味であり、入居初日からハンマーを叩いて棚を工作するなど、やかましく音を立てたそうです。大浜松三はこれに辟易し、再三注意に訪れたと言われています。

ただ、ピアノ騒音殺人事件について書いた一部書籍では、大浜松三は階下のたてる騒音を異常に気にしながらも「抗議に行ったことはない」と記されているので、この詳細についてははっきりしません。

階下の長女のピアノがうるさい?県営団地の決まりも無視

そうした日々の中で、大浜松三と奥村家の夫婦との関係は険悪なものになっていきます。そして、1973年11月に小学2年生になった奥村家の長女まゆみさんがピアノを習い始め、部屋にピアノが運び込まれます。

まゆみさんはそれから毎日ピアノを練習し始め、大浜松三はピアノの音が響き始めるとその音に耐えかね、図書館へ行ったり、釣りへ行ったりして部屋にいない様にしていたそうです。

この当時、ピアノを部屋に置くのがブームになり、その影響で騒音問題が都市部を中心に盛んに議論されています。県営横内団地でもピアノの音に関する取り決めがされましたが、奥村家はこれを無視していたそうです。

事件の数日前、被害者一家の張り紙に激怒

大浜松三は、この頃失業して金に困り、妻との離婚の話も進むなど精神的に追い詰められており、さらに騒音に苦しめられたために、次第にその元凶である奥村家に対しての復讐心を募らせていきました。

事件の数日前、奥村家の部屋のドアに「子供が寝ていますので静かにしてください」という張り紙がしてあるのを見かけた大浜松三は、これをあまりにも自分勝手だと感じて激怒。

これが大浜松三が奥村家の母子殺害を決意した直接的なきっかけだとされています。この3日後に、大浜松三は凶器にする目的で刃渡り20.5cmの刺身包丁を購入しています。

いつもより早く鳴りだした騒音に激昂

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そして、1974年8月28日の蒸し暑い朝、奥村家からいつもより早い時間(午前7時頃とされる)からピアノが鳴り響きました。

大浜松三はこの時まだ寝ていましたが、この音で目を覚ましてしまい「わざとやっているに違いない!」と激昂。

午後9時半頃、奥村家の主人が会社に出かけ、妻もゴミ出しに部屋から出たのを確認した大浜松三は、刺身包丁を手に家から飛び出し、階下の奥村家へと駆け込んで凶行に及んだのでした。

ピアノ騒音殺人事件の詳細は?数年の怒りが爆発?

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続けて、ピアノ騒音殺人事件の犯行時の詳細について見ていきましょう。

大浜松三は両親が外出した事を確認し一家に侵入、長女と次女の2人を刺殺

大浜松三は、奥村家の主人が出勤、妻がゴミ出しに部屋から出ていくのを実際に目で見て確認したのちに、刺身包丁を手に奥村家へと押し入ります。

まず、子供部屋でピアノを弾いていた長女まゆみさん(当時8歳)の胸を包丁でひと突きして殺害し、次に、傍らに立っていた次女洋子さん(当時4歳)も刺して殺害します。

犯行後マジックで襖に恨み節「人間、殺人鬼にはなれないものだ」

姉妹を殺害した大浜松三は、襖にマジックペンでこれまでの恨み節を書きなぐり始めます。大浜松三が書いた内容を以下の通りでした。

「迷惑をかけているんだからスミマセンの一言位言え。
気分の問題だ。来た時(入居時)アイサツにこないし、しかも馬鹿づらしてガンをとばすとは何事だ。人間、殺人鬼にはなれないものだ」

(引用:太田和敬掲示板

この走り書きをした理由は、帰宅した主人に犯行に及んだ理由を理解させるために書いたと後に大浜松三が供述しています。

書いている途中でゴミ出しから戻った母親も刺殺しバイクで逃亡

「殺人鬼にはなれないものだ」まで書いたところで、ゴミ出しに出ていた妻奥村八重子さん(当時33歳)が玄関から戻り、まず洗濯機のスイッチを押し、それから子供部屋の隣の居間へと入ってきました。

大浜松三はためらう事なく居間へと飛び込み、自体を全く把握できないままの奥村八重子さんの胸を躊躇なく突き刺して殺害しています。

それから、大浜松三はバイクに乗って現場から逃亡しています。

大浜松三は自殺を図るが失敗し出頭した

その後、大浜松三は自殺場所を求めてバイクやバスでさまよいますが、結局死ぬことができず、事件から3日が経過した8月31日、平塚警察署に出頭して逮捕されました。

大浜松三の生い立ちや経歴は?以前からトラブルを起こしていた?

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これだけの凶行に及んだ大浜松三とはどの様な人物なのでしょうか?ここからは、大浜松三の生い立ちや経歴についても詳しく見ていきましょう。

東京府東京市亀戸で生まれる

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大浜松三は1928年、東京府東京市亀戸(現在の東京都江東区亀戸)で3男3女の6人兄弟の3男として生まれました。実家は書店であり、小学校時代の成績は優秀で級長も務めています。

中学卒業後に工場に勤務、国鉄で働き始めるも金を横領して逃亡

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しかし、小学3年生の頃に吃音になり、それが原因で劣等感を抱く様になって勉強への意欲を失い成績を落とします。旧制中学卒業後に親類が経営する車体組立工場に勤めた後、国鉄の職員になります。

当時は、頭の良い男と評価されていましたが、競輪にのめり込むなどして1951年に会社の公金を横領して逃亡。逃亡中に金がなくなってひったくりで逮捕されるなどし、国鉄を解雇されています。

大浜松三はその後、旋盤工場などで働きますが長続きせず、実家で無為の日々を送ったのちに家出してホームレス化。1年後に再び旋盤工に戻るものの、長続きせずに職場を転々としています。

趣味のステレオで騒音トラブルを起こし音に過敏になる

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1959年、大浜松三は農家の婿養子に入り1度目の結婚をしますがその年のうちに離婚します。この様に落ち着きのない生活を送る大浜松三でしたが、1963年頃、その身にある異変が起こります。

当時、八王子市内のアパートに住んでいた大浜松三でしたが、自宅で流していたステレオの音に対して隣の部屋に住む住人が苦情を言ってきた事が原因となって大げんかをしました。

その大げんかを契機にして、大浜松三は音に対して異常なほど神経過敏になったとされ、周辺の家の窓を開閉する音が「ドカーン」という爆発音の様な音に聴こえる様になったとされています。

近所の犬を殺して通報されたことも

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この時期から、大浜松三は騒音をめぐるトラブルを頻繁に起こす様になります。

同じアパートに住む夫婦の鳴らすステレオがうるさいと大げんかしたり、近所のよく吠える犬を何匹も殺して警察に通報されたり、近所の子供をうるさいと叱りつけたりなど、明らかに異常な行動が目立つ様になります。

ピアノ騒音殺人事件の裁判結果は?求刑は死刑?

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続いては、大浜松三の起こしたピアノ騒音殺人事件の裁判結果についても見ていきます。

騒音の計測がされるも、基準値以内?妻による証言も

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ピアノ騒音殺人事件の裁判での一つの争点は、階下の奥村家の出していた音が騒音にあたるのかという点でした。裁判では実際の大浜被告の部屋で騒音を計測した市の職員が証人台に立っています。

この市の職員は、階下の部屋で鳴らされたピアノの音は「騒音に関わる環境基準」の環境基準値以内の騒音レベルであった事を証言しています。

ただし、この騒音の計測時にピアノを弾いたのは平塚署の警察官であり信ぴょう性に欠けるとの指摘も出ました。また大浜松三の妻も裁判に出廷し「階下の音は度が過ぎていた」と証言しています。

大浜松三の判決は?

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検察側は極めて残虐「ピアノの音が不快という犯行動機に酌量の余地なし」として死刑を求刑、裁判所も用意周到な上、罪のない幼女2人を殺害したという事件の残虐性から死刑を言い渡されています。

死刑判決を受け控訴、騒音被害者からは助命嘆願

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弁護側はこの判決に対して、大浜松三は当時精神病質の程度が重く心神耗弱だったとして極刑は重すぎるとして控訴。さらに、全国の騒音の被害を受けた人々による助命嘆願活動なども行われています。

本人により控訴が取り下げられ、死刑が確定した

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しかし、大浜松三本人は騒音にこれ以上苦しめられるの嫌だ、無期懲役になり騒音に悩まされながら一生過ごすのは怖いといった趣旨の発言をし「死刑は怖いが、早く死にたい」と述べ控訴を取り下げてしまいます。

弁護側はなおも「正常な精神状態での発言か疑問であり、慎重になるべき」と上申しますが、裁判所は「大濱被告の控訴取下申立は有効」として控訴を取り下げ、1977年4月17日に死刑が確定しました。

世間からは同情の声も?被害者を責める声もあった?ツイッターにも?

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このピアノ騒音殺人事件は、当時メディアで盛んに報道されました。事件を知った世間からは犯人の大浜松三に対する同情の声が思いの外多く上がりました。

また、現代にネットなどでこの事件の概要を知った人の意見なども多く出ており、その中には被害者側を責める声なども出ている様です。

騒音被害者の会や作曲家の團伊玖磨も反応した?

事件当時の日本ではちょうど、高度経済成長期の後で一般の生活が活性化、騒音の問題が世間的に注目されている時期でした。この事件も注目を浴び事件発生後すぐ「騒音被害者の会」が大浜松三支援の声をあげています。

さらに、日本を代表するクラシック音楽作曲家の団伊玖磨氏は、事件を受けて自著の中で「日本の住宅事情内にピアノを持ち込むことは根本的に誤り」とし、ピアノ所有は日本の住宅環境では難しい事を指摘しています。

ピアノは30畳以上を想定していたピアノ?

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また、奥村家ではわずか3畳の部屋にピアノを置いていましたが、このピアノは26万円以上する、30畳以上の部屋を想定して設計された大音響のピアノであり、この点も大浜松三への同情の声へと繋がりました。

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