藤岡琢也の死因は?面会謝絶だった理由が衝撃的!ジャズとの関連は? エンタメ

藤岡琢也の死因は?面会謝絶だった理由が衝撃的!ジャズとの関連は?

ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の岡倉大吉役で人気だった藤岡琢也さんは、若い頃からジャズが好きでした。2006年に「慢性腎不全」という病気で亡くなられていますが、葬儀は多くの参列者があり、テレビ中継されるほどでした。そんな藤岡琢也さんについてまとめてみました。

目次

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【画像・動画あり】藤岡琢也とは?どんな役者だったの?

ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の岡倉大吉役で有名な藤岡琢也さんは「日本のお父さん」として、親しまれるようになりました。

藤岡琢也さんは、俳優仲間からは「タクさん」の愛称で親しまれていましたが、どんな役者だったのか、エピソードをまじえて紹介します。

 藤岡琢也のプロフィール!身長・体重は?

藤岡琢也さんは、1930年9月4日生まれ、兵庫県姫路市出身の俳優・声優です。身長は165cmで体重は71kgです。藤岡さんは会社員の父親の子として生まれ、裕福な家庭に育ち、成績は優秀だったそうです。

1949に関西学院大学文学部に入学しますが、翌年に病気を理由に中退しています。1957年に劇団「葦」へ入団し、当時は平凡な顔立ちだったため、外国ドラマやアニメの声優として活動していました。

しかし、1966年の「事件記者」にレギュラー出演したことで、世間に広く知られるようになりました。また「横堀川」での寄席芸人・ガマロ役で、その演技力が認められ、第4回ギャラクシー賞を受賞しています。

1990年「渡る世間は鬼ばかり」の岡倉大吉役で大ブレイク

1984年に橋田寿賀子脚本の「大家族」に出演したのをきっかけに、その後は多くの橋田作品に出演しています。

特に1990年に始まったテレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」での5人姉妹の父親である倉岡大吉役は晩年の代表作となり、知名度も上がりました。

「日本のお父さん」と呼ばれるように

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テレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の父親役で有名になった藤岡琢也さんは「日本のお父さん」として、親しまれるようになりました。

俳優仲間からは「タクさん」、晩年は「フジタク」の愛称で親しまれた

藤岡琢也さんは、俳優仲間からは「タクさん」の愛称で親しまれていました。また、晩年はキムタクをもじった「フジタク」という愛称でも親しまれてもいました。

若い頃は音楽の道を志すも、病気のために断念

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藤岡琢也さんは、1949年に大学に入学後は、ジャズバンドで活動するようになり、音楽への道を目指すようになりましたが、翌年の1950年に結核を患い、大学を中退しています。

その後は、入退院を繰り返し、1955年に肋骨を7本切る大手術を受けて、ようやく社会復帰していますが、音楽への道は断たれてしまいました。

1957年、劇団「葦」へ入団

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藤岡琢也さんは、大学中退後はカメラマン、ラジオドラマのディレクターなど様々な職を経験したあとは、1957年に劇団「葦」に入団しています。

初舞台「俺たちは天使じゃない」で二枚目を演じるも大失敗!

初舞台「俺たちは天使じゃない」で、二枚目の海軍士官役で舞台デビューしていますが、登場シーンで失敗してしまい、観客に大笑いされたことで上京したことを後悔したといいます。

音響などの裏方、声優で長い下積みを経験

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藤岡さんはもともと平凡な顔立ちだったため、なかなか芽が出ず、音響などの裏方の仕事や、外国ドラマやアニメの声優として、長い間下積みの生活を送っていたそうです。

1960年代『ディズニーランドアワー』で初代のドナルドダックを演じた

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藤岡琢也さんは、1960年代に放送された「ディズニーランドアワー」で初代のドナルドダックの声を演じるといった、意外な経歴をもっています。

1966年NHKのドラマ「事件記者」の代役で注目される

藤岡さんは、1966年にNHKのドラマ「事件記者」に、病気で降板された清村耕次さんの代役で出演されました。

ドラマ「事件記者」では、関西弁で話すちょび髭の記者役を演じ、その後に清村さんが亡くなったことで藤岡さんはレギュラーになり、一躍人気者となりました。

ドラマ「横堀川」で演技を認められ「第4回ギャラクシー賞」を受賞

藤岡琢也さんは、同年のNHKドラマ「横堀川」で、主人公を慕う寄席芸人の役を演じましたが、その演技が認められ「第4回ギャラクシー賞」を受賞されています。

1970年、映画「喜劇 頑張れ!日本男児」で初主演

藤岡さんは、1970年に映画「喜劇 頑張れ!日本男児」で初主演を果たしています。

1969年~2004年は「サッポロ一番みそラーメン」CMに出演していた

藤岡琢也さんは、1969年~2004年の35年間「サッポロ一番みそラーメン」CMに出演しています。

藤岡琢也といえば、「サッポロ一番みそラーメン」と言われるほど、そのイメージが定着しました。

藤岡琢也最後の出演映画「死に花」

映画「死に花」は、太田蘭三の小説を原作とした2004年5月8日公開の映画です。藤岡琢也さんは、源田金蔵役を演じていますが、藤岡琢也さんの映画出演最後の作品となりました。

この映画は、高級老人ホームで仲のいい老人6人が気ままに過ごしていましたが、その中の一人が突然の死を迎え、そのことをきっかけに自らの死と余生を深刻に考えるようになった5人の生きざまを描いた物語です。

出演者には他に、山崎努さん、宇津井健さん、青島幸雄さん、谷啓さん、長門勇さんらがいます。

ドラマ「太陽にほえろ!」では鮫島勘五郎役で活躍

藤岡琢也さんは、テレビドラマドラマ「太陽にほえろ!」鮫島勘五郎役で人気でした。鮫島は藤堂(石原裕次郎)が城北署勤務だった頃の同僚で、第44で初登場したあと自然食品(第711話)まで9度出演しています。

鮫島は、登場したときは城北署の警部でしたが、第67話では山田署に左遷せてしまい、第156話では後輩刑事の青木の元恋人が殺人を犯し、彼女に対して犯人隠匿や逃亡幇助によって退職しています。

その後も、私立探偵(第205話)、結婚相談所(第252話)、受験対策本部(第394話)、モデルプロダクション(第472話)、自然食品(第711話)などで出演しています。

藤岡琢也の死因は?

藤岡琢也さんは、「慢性腎不全」のために2006年10月20日に亡くなられていますが、2006年2月には「渡る世間は鬼ばかり」を肺炎のために降板していました。

藤岡琢也は2006年10月20日、76歳で死去

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藤岡琢也さんは、2006年10月20日に「慢性腎不全」のために、76歳で亡くなられています。

藤岡琢也の死因は何?肺炎で「渡る世間は鬼ばかり」を降板していた?

藤岡琢也さんは、2006年2月に「渡る世間は鬼ばかり」第8シリーズを肺炎のために降板しています。

糖尿病の合併症で腎臓が悪かった?慢性腎不全で死亡?

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藤岡さんはもともと「糖尿病」も患っていて、腎臓も悪化したことで人工透析を受けていて、ずっと闘病生活の日々を送られていました。

藤岡琢也さんの場合、糖尿病によって血糖値が高い状態が続いたことで、合併症を起こしていました。糖尿病を患いながら、合併症である「糖尿病慢性腎不全」となり、尿毒症の症状が出ていたようです。

入院中は、面会謝絶状態だった藤岡琢也

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藤岡琢也さんの入院中は、面会謝絶状態でしたがそれには理由がありました。

面会謝絶だった理由は?妻の病気?

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藤岡琢也さんが入院されたのと同じ頃、奥さんの千鶴さんに「大腸がん」が発覚し、しかも末期状態でした。

奥さんは激しい腹痛と貧血がありましたが、千鶴さんは抗がん剤の治療をすることで夫の看病ができなくなる事を恐れ、治療を拒否していました。

藤岡琢也さんは、そんな千鶴さんのことを考えて、見舞客に気を使うことで体力を消耗しないように面会謝絶にされたようです。千鶴さんは、激痛をこらえながら喪主を務められ、8か月後に亡くなられています。

死の直前で起きた奇跡とは?病室でウォーレン・バシェが演奏?

藤岡琢也さんと奥さんの千鶴さんの夢は、少しでもよくなって3ヵ月後に来日する予定だったウォーレン・バシェのJAZZコンサートに行き「DREAM」を聞くことだったそうです。

そんな藤岡琢也さんですが、死の直前に奇跡が起きました。

藤岡さんが意識不明に陥る26時間前に、岸さんが来日していたウォーレン・バシェの楽屋に訪れ、事情を説明して藤岡さんの病室に連れて来てくれ、ウォーレン・バシェが「DREAM」を演奏してくれました。

藤岡琢也はウォーレン・バシェが大好きだった

藤岡琢也さんは、若い頃にJAZZトランぺッターを目指していたほど、JAZZが好きでウォーレン・バシェの大ファンでした。

ウォーレン・バシェさんが来てくれたことに、藤岡さんと奥さんは本当に驚き、演奏を嬉しそうに聞いていました。

演奏の26時間後に意識不明、息を引き取るまで目を覚ますことはなかった

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ウォーレン・バシェさんが来てくれたあと、藤岡琢也さんは26時間後に意識不明となり、そのまま5ヶ月間目を覚ますことはありませんでした。

藤岡琢也の死の8ヶ月度に妻・千鶴も死亡

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藤岡琢也さんは、2006年10月に亡くなりましたが、奥さんは藤岡さんの葬儀の喪主を立派に務め、その8か月後の2007年6月、藤岡さんの後を追うように大腸がんで亡くなられています。

藤岡琢也の葬式や告別式の様子は?

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藤岡琢也さんの死去のニュースは、世間に衝撃を与えました。藤岡さんの葬儀は、参列者も多く「渡る世間は鬼ばかり」の関係者たちや多くの著名人が参列されていました。

葬儀はテレビ中継されるほどで、当時のワイドショーでも話題となりました。

藤岡琢也の死去は世間に衝撃を与えた

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藤岡琢也さんの死去のニュースは世間に衝撃を与えました。葬儀についてもテレビ中継されるほどで、当時ワイドショーでも話題となりました。

藤岡さんの葬儀は、参列者も多く「渡る世間は鬼ばかり」の関係者たちはもちろんのこと、多くの著名人が参列されていました。

共演者の泉ピン子さんは号泣しながら弔辞を読み、渡鬼ファミリーに囲まれながら天国へと旅立っていきました。出棺の際には参列者の中には小さな子供達もいて、大号泣していたこともネットで話題となりました。

山岡久乃・藤岡琢也・宇津井健と次々に「渡鬼」出演者がなくなっている

テレビドラマ「渡す世間は鬼ばかり」の出演者だった、山岡久乃さん、藤岡琢也さん、宇津井健さんが次々に亡くなったことで、橋田寿賀子さんは「渡鬼はやめる」と決めていたといいます。

しかし、病院に行ってもクルーズに行っても、皆さんが「渡鬼はいつやるんですか?」と言って下さるから、やらないと申し訳ない気がしたし、トレードマークが渡鬼しかないなら書くしかないと思ったそうです。

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