殺陣が見事な萬屋錦之介の偉業!妻や息子がいる?死因は何だった?エンタメ

殺陣が見事な萬屋錦之介の偉業!妻や息子がいる?死因は何だった?

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萬屋錦之介の芸歴

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それではここで、時代劇のスーパースター・萬屋錦之介さんの華麗なる芸歴をもう一度振り返ってみましょう。歌舞伎役者の家に生まれて初舞台を踏み、その後映画界の目に留まり映画界へ!

映画俳優、時代劇のスターとして順風満帆な俳優人生を謳歌したように見える萬屋錦之介さんでしたが、様々な困難やトラブルにも直面していたようです。

萬屋さんがどのように映画界にスターとして君臨し、どのようなトラブルに見舞われたのか振り返ってみてみましょう。

1936年に3歳で歌舞伎「厳島招桧扇」で初舞台を踏む

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三代目中村時蔵さんの四人目の息子として歌舞伎の世界に生まれた萬屋錦之介さんは1936年の3歳の時に初代「中村錦之介」を襲名。演目「厳島招桧扇」で初舞台を踏みます。

まだあどけない幼少の歌舞伎役者に観衆は温かい視線を送ったことでしょう。しかしこの子が将来日本を代表する時代劇のスーパースターになろうとは誰も夢にも思わなかったはずです。

美空ひばりに見いだされ「新芸プロ」からスカウトされる

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美少年として歌舞伎界で注目を浴びていた萬屋錦之介さんの評判はやがて映画界にも。当時映画の相手役を探していた美空ひばりさんとそのお母さんが萬屋さんの舞台を見に訪れます。

そこで萬屋さんの存在感を感じ取った美空ひばりさんは自身が所属する新芸プロの幹部とともに萬屋さんをスカウト。萬屋さんは新しい広い世界で自分を試してみたいと考え、あっさり承諾します。

この時歌舞伎界は古い慣習に縛られていて、映画に出た若い役者たちによって歌舞伎界が破壊されることを恐れ、萬屋さんの決断に猛反発。しかし萬屋さんはそれを跳ねのけ映画界へ飛び込みました。

1954年「ひよどり草紙」で映画デビュー

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美空ひばりさんに才能を見いだされて新芸プロに所属した萬屋さんはそれから間もなく、映画「ひよどり草紙」で美空ひばりさんの相手役を務め上げ、華々しいデビューを飾ります。

1955年に「東映」と専属契約し映画「笛吹童子」などが大ヒット

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翌年3月、萬屋さんは当時映画に力を注いでいた東映と専属契約を締結。映画「笛吹童子」で美少年の主人公・菊丸役に抜擢されます。

ちょうどゴールデンウィーク期間と重なったことで大勢の観客が映画館に詰めかけ、萬屋さんの美少年としての評判は瞬く間に広がり、いっきに映画界の若きスターへと昇りつめたのでした。

1961年の映画「宮本武蔵」が大人気でシリーズ化される

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萬屋錦之介さんを代表する作品といえばコレ!1961年に公開された映画「宮本武蔵」。原作は吉川英治さんの同名小説。この映画で萬屋さんは剣豪として成長していく宮本武蔵を豪快に演じています。

人気を博した「宮本武蔵」はその後1年置きに続編が制作され、ライバル佐々木小次郎を演じる高倉健さんの人気とともに爆発的なヒットを飛ばすことになります。

  • 「宮本武蔵」1961年
  • 「宮本武蔵 般若坂の決闘」1962年
  • 「宮本武蔵 二刀流開眼」1963年
  • 「宮本武蔵 一条寺の決闘」1964年
  • 「宮本武蔵 巌流島の決闘」1965年

1966年にドラマ「暗闇の丑松」でテレビ進出し活躍する

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1960年代の東京オリンピック以降、各家庭にテレビが普及し始めると次第に映画産業は衰退し始めます。変わってテレビドラマでも時代劇が制作されるようになりました。

この頃萬屋錦之介さんは「東映俳優労働組合」の代表として俳優の権利を主張するなど積極的に会社に対して意見を出すなどしていましたが、会社はこれを拒否。萬屋さんは東映を退社します。

テレビ業界に進出した萬屋さんはその後1966年に放送の「暗闇の丑松」でデビュー。ここから萬屋さんはいっきに時代劇のヒーローとして茶の間の視聴者を楽しませるようになります。

1982年に個人事務所「中村プロダクション」が倒産

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テレビに進出した萬屋さんは個人事務所「中村プロダクション」を設立。「子連れ狼」や「破れ傘」シリーズなど様々な人気作品において視聴者の心を掴んでいきます。

ところが1982年経営不振に陥った中村プロダクションは倒産。巨額の借金を抱えることになってしまいます。さらに追い打ちをかけるように萬屋さんは舞台中に倒れ、重症筋無力症を発症してしまいます。

1997年、肺炎のため他界

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1996年長年の功績が国から認められ表彰されるも、咽頭がんが見つかり千葉県の国立がんセンター東病院で肺炎を患い、三人目の妻・甲にしきさんに看取られながら息を引き取りました。享年64歳。

萬屋錦之介の主な出演作品

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萬屋錦之介さんは多くの映画やドラマで活躍されてきました。ここからは、ほんの一部ではありますが萬屋錦之介さんの代表作を紹介していきます。

映画「ひよどり草紙」

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1954年2月公開「ひよどり草紙」。歌舞伎界から映画界に進出した萬屋錦之介さんのデビュー作品。美空ひばりさんの相手役として初々しい美少年ぶりで世間の注目を集めました。

映画「笛吹童子」

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1954年4月公開「新諸国物語 笛吹童子」。こちらも美少年役。萬屋錦之介さんはこの映画で主人公・菊丸を演じました。子供たちを中心に人気を博しシリーズ化されます。

映画「紅孔雀」

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1954年12月「新諸国物語 紅孔雀」。まだテレビが普及していなかった時代に子供向けの映画として制作された作品。萬屋錦之介さんはこの映画で主人公・那智の小四郎を演じています。

映画「宮本武蔵」

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言わずと知れた萬屋錦之介さんの代表作。1961年5月公開「宮本武蔵」。第一作の野性的な新免武蔵と打って変わって改心した落ち着きのある宮本武蔵の変身ぶりで、高い評価を受けました。

映画「武士道残酷物語」

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1963年公開「武士道残酷物語」。この映画は戦国時代から現代まで脈々と受け継がれる封建支配体制の中で巻き起こる人間群像劇。

特筆すべきはこの映画で萬屋さんは、戦国から現代まで七代の役を演じ分けていることです。

ドラマ「真田幸村」

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萬屋さんが東映を独立しテレビ業界に進出した1966年放送のドラマ「真田幸村」。NHK大河ドラマとは別に民放初の大河ドラマとしても注目が集まりました。

このドラマの中で萬屋さんは主人公・真田幸村役を熱演されています。ここから萬屋さんはドラマの世界でもいっきにスターダムにのし上がっていきます。

ドラマ「破れ傘刀舟」

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1974年に放送がスタートした「破れ傘刀舟悪人狩り」は、人気を博し1977年まで全131話が放送された伝説的人気時代劇。

このドラマで萬屋さんは蘭学医で無外流の達人・叶刀舟という魅力的な役を演じています。

ドラマ「子連れ狼」

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こちらも1973年から1976年にかけて放送された人気ドラマ「子連れ狼」。映画版では若山富三郎さん主演で制作されていましたが、それと平行するようにドラマの放送が始まりました。

宿敵・柳生烈堂に戦いを挑む子連れの浪人・拝一刀を萬屋錦之介さんが演じ人気を博しました。

ドラマ「長崎犯科帳」

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1975年に放送されたドラマ「長崎犯科帳」。池波正太郎さんの「仕掛人・藤枝梅安」シリーズなど裏稼業モノが流行し始めた時期で、それに合わせて制作された時代劇。

このドラマで萬屋さんは表向きは道楽にあけくれるダメ役人ながらも、裏では決して悪を許さない長崎奉行・平松忠四郎を演じています。

ドラマ「鬼平犯科帳」

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鬼平犯科帳といえば若い世代にとっては中村吉右衛門さんのイメージが強いでしょうが、1980年から2年間は萬屋錦之介さんが演じられていました。

弱者には手を差しのべ、悪は決して許さない鬼の平蔵こと火付盗賊改方長官・長谷川平蔵役を萬屋さんが熱演しています。

映画「柳生一族の陰謀」

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1978年公開の映画「柳生一族の陰謀」。時代の流行はすでに映画からテレビドラマにとって代わられていましたが、この映画には大勢の大物俳優陣が顔を揃えています。

主役を務める萬屋錦之介さんの他、共演者には千葉真一さん松方弘樹さん原田芳雄さん三船敏郎さんなどそうそうたる名俳優が脇を固めています。

萬屋錦之介が友人の仲代達矢に教えた「チャンバラ上達法」とは?

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萬屋錦之介さんは数々の大物俳優陣とも交流していました。その中で今回は仲代達矢さんが「徹子の部屋」にて語った、萬屋さんとの面白いエピソードについて紹介します。

仲代達矢が「徹子の部屋」で明かした萬屋錦之介との関係

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2018年10月12日に放送されたテレビ朝日「徹子の部屋」。

この回のゲストはベテラン俳優・仲代達矢さんでした。仲代さんは若い頃、よく萬屋錦之介さんと飲みに行く仲だったようで、様々な思い出話を語られていました。

仲代達矢と萬屋錦之介はよくケンカをしていた?

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仲代達矢さんは萬屋さんと飲みに行くと、よく口ゲンカをされていたそうです。内容はお互いの芝居に対する考え方について。

元々歌舞伎出身の萬屋さんは新劇の芝居を「理屈っぽい」と批判していたといいます。それに対して新劇出身の仲代さんは「歌舞伎は型だけ」と反論。時には殴り合いになるほどヒートアップ。

殴られたことで顔が腫れ、翌日の撮影は中止。スタッフからどっちが勝ったのか聞かれたところ、二人とも意地を張って「自分が勝った」と言い張ったとのことでした。

萬屋錦之介のチャンバラ上達法①「来るやつを斬る」

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さらに仲代さんは萬屋さんにある時、どうしたらチャンバラがうまくできるようになるのか尋ねたところ、萬屋さん曰く「来るやつを斬って行けばいいんだよ」と笑って返されたそうです。

萬屋錦之介のチャンバラ上達法②「米を書く」

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萬屋さんは続けて、「空中に米という感じを書けばいいんだ」とも教えてくれたのだとか。米という字を何度も空中に書くだけでだいたい10人は斬れると、これまた笑いながら豪語していたとか。

お酒の席なのでどこまでが真実なのか今となっては不明ですが、大物俳優二人の豪快で面白いエピソードではないでしょうか。

時代劇のスター萬屋錦之介、その華麗な殺陣シーンは時代を越えて語り継がれる

時代劇を代表するスーパースター・萬屋錦之介さんは歌舞伎界に生まれながら美空ひばりに認められ華々しく銀幕デビューを果たしました。その後「宮本武蔵」シリーズや「子連れ狼」など多くの人気作品に出演します。

しかしながら萬屋さんの人生は決して順風満帆とはいきませんでした。私生活では3度の結婚と2度の離婚を繰り返し、最愛の息子たちもまた不慮の事故や自殺など不幸の連続でした。

自身も難病と闘いながら1997年その生涯を閉じます。ですが、萬屋錦之介さんが築き上げたスターとしての栄光は決して風化することなく、その華麗な殺陣シーンは時代を越えて語り継がれていくでしょう。

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