殺陣が見事な萬屋錦之介の偉業!妻や息子がいる?死因は何だった? 俳優

殺陣が見事な萬屋錦之介の偉業!妻や息子がいる?死因は何だった?

時代劇のスター・萬屋錦之介さん。子連れ狼など多くの時代劇に出演し、その華麗な殺陣シーンで多くのファンを魅了。一方私生活では三度の結婚と二度の離婚を繰り返しています。今回は萬屋錦之介さんの身長は?死因は?さらに弟や妻、息子について紹介していきます。

目次

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数々の偉業を成し遂げた時代劇のスター・萬屋錦之介とは?

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萬屋錦之介さんは昭和を代表する時代劇のスーパースターでした。歌舞伎の世界に生まれ映画界に進出。豪快かつ美しい殺陣シーンで映画「宮本武蔵」やドラマ「子連れ狼」など多くの人気作品に出演。

若い頃から美少年として評判を呼び、代表作の一つ「宮本武蔵」は人気を博しシリーズ化されます。萬屋さんの魅力といえば高い演技力もさることながら、何といっても殺陣シーン!これは圧巻です。

萬屋さんの殺陣は多くの観客の目をくぎ付けにしてきました。その動きは稽古だけで得られるものではなく、彼の天性そのもの。そんな萬屋さんの華麗なプロフィールを順を追って見て行きましょう。

萬屋錦之介のプロフィール!身長はどれくれい?

  • 生年月日:1932年11月20日
  • 没年月日:1997年3月10日
  • 本名:小川錦一(おがわ きんいち)
  • 身長:163cm
  • 職業:歌舞伎役者→映画俳優
  • 出身地:京都府京都市中京区(東京府東京市麻布区という説も)
  • 代表作:「宮本武蔵」「子連れ狼」など

時代劇のスター・萬屋錦之介さんは1932年11月20日京都府京都市に生まれます。本名は小川錦一。出身地は京都府京都市という説と東京府東京市という説の二つがあるようです。

萬屋錦之介さんの身長は公式プロフィールによると163cmとのこと。現代ではそれほど高身長というわけではありませんが、時代劇の着物に高身長は似合わないとされているので理想の身長といえます。

また歌舞伎役者特有の大きめのお顔をされていました。代表作は人気を博しシリーズ化もされた映画「宮本武蔵」やドラマ「子連れ狼」などがあります。

萬屋錦之介は歌舞伎から映画に転向し大活躍した時代劇のスター

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時代劇のスーパースターとしての印象が強い萬屋錦之介さんですが、元々は歌舞伎役者の家系に生まれています。その後、美空ひばりも所属していた新芸術プロから誘いを受ける。

歌舞伎役者と映画俳優のどちらか一つを選ばなければならず、萬屋さんは歌舞伎の道を捨てて映画界に進出します。その後、「笛吹童子」や「宮本武蔵」など数々の映画で主演を務め人気を博す。

その後、映画産業が下火になり始めるとテレビドラマの時代劇を中心に活躍の場を広げ、大河ドラマ「春の坂道」や「子連れ狼」シリーズなど数々の話題作に出演。時代劇のスターとなります。

名女形の三代目中村時蔵の四男として生まれる

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萬屋錦之介さんは歌舞伎界で名女形と謳われた三代目中村時蔵こと本名小川米吉郎さんの四男として京都府京都市(東京府説も)に生まれます。本名は小川錦一さんですが後に矜一郎と改名します。

兄弟には長兄二代目中村歌昇、次兄四代目中村時蔵、次々兄初代中村獅童、弟中村嘉葎雄がいます。それぞれ歌舞伎や映画の世界で活躍することになる名俳優ぞろいの一家でした。

萬屋錦之介さん自身も3歳のとき初代「中村錦之介」を襲名。「厳島招桧扇」で初舞台を踏みます。歌舞伎役者として厳しい稽古にあけくれる日々でした。その中で役者のしての腕を磨いていきます。

20歳前後には歌舞伎の女形もしていた

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歌舞伎役者として数々の舞台を踏むようになると、その端正な顔立ちで10代の半ば過ぎから女形を務めるようになります。また隈取メイクを落とした顔もなかなかの美少年でした。

美しい顔立ちと華麗な所作によって多くの観客を魅了していきます。萬屋さんの美少年ぶりはたちまち評判となり、やがて映画界の目に留まることになります。

映画界に入ってからは初々しい美少年の力量を発揮し一躍スターになる

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1953年11月、萬屋錦之介さんは舞台「明治零年」で新選組隊士の一人を演じます。この時萬屋さんは21歳。初々しい美少年でした。そこで萬屋さんは運命的な出会いを果たします。

当時トップスターとして日本映画界を牽引していた美空ひばりさんが萬屋さんの噂を聞きつけて「明治零年」を観覧に訪れます。この頃美空ひばりさんは映画の相手役を探している最中でした。

萬屋錦之介さんは古い慣習やしがらみのない映画界で自分を磨いてみたいと考え、美空ひばりさんが所属する「新芸プロ」のスカウトを周囲の反対を押し切る形で承諾。以後映画界で華々しく活躍します。

代表作の映画「宮本武蔵」など時代を超えてファンを魅了し続けている

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歌舞伎界を去った萬屋錦之介さんはその後新芸プロに所属。美空ひばりさんの相手役として映画「ひよどり草紙」で銀幕デビューを果たします。

さらに翌月の3月になると、萬屋さんは当時映画に力を注いでいた東映と専属契約。映画「笛吹童子」で主人公・菊丸役に抜擢。俳優・萬屋錦之介はこうして華々しいスタートを切ります。

萬屋さんの美少年ぶりは、ちょうどゴールデンウィーク期間中の観客動員数の増加の影響も手伝ってたちまち話題を呼び大ヒットを飛ばしました。

演技力もさることながら殺陣の素晴らしさは今も語り継がれている

萬屋錦之介さんといえば、演技力の高さもさることながら何といっても素晴らしいのは殺陣シーンでしょう。目にも留まらぬ速さで大勢の敵を鮮やかに斬り倒していく場面はまさに圧巻!

今でこそCGを駆使したり編集で早送りするなど素早い殺陣を見せる技術は進んでいますが、当時はそんな技術に頼ることができません。萬屋さんは体一つで素早い殺陣シーンを演じてみせたのです。

生身の人間が体一つで刀を回し大勢の敵をあっという間に斬り倒してしまう。計算され尽くされた動きと豪快な身のこなしに憧れを抱いた沢山の子供たちが、萬屋さんの殺陣シーンをマネしました。

萬屋錦之介の素晴らしい殺陣と迫力ある演技が見られる動画集

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それではここで、萬屋錦之介さんの殺陣シーンがどれほど素晴らしいものであったか。百聞は一見に如かず。当時の映像が残っていますのでいくつかピックアップして見てみましょう。

本当は萬屋錦之介さんの殺陣シーンや名場面はこれだけには留まらないのですが、すべてを紹介することはちょっと難しいので今回は以下の8本に絞って紹介していきます。

厳選した映像はドラマ「子連れ狼」シリーズ。「源氏九郎颯爽記」「沓掛時次郎」「破れ傘」シリーズ。どれも人気を博した萬屋錦之介さんの代表作品ばかりです。華麗な殺陣シーンをどうぞ!

「子連れ狼 第12話 鹿追い」

https://www.youtube.com/watch?v=EM7TMCK1mxk

「子連れ狼」と名乗って馬上の敵を逆袈裟斬り!一瞬の出来事でした。また斬ったあと何事もなかったかのように乳母車を押して去っていく拝一刀。カッコよすぎます!

その後敵が潜む竹林の中を一人、また一人と斬り倒していく拝一刀。さすがです。

最後は鹿追いの男が拝一刀に勝って武士としての誇りを取り戻そうと勝負を挑みますが「いざ」と踏み込んだ瞬間に拝が抜刀。瞬殺でした。

「子連れ狼 第2部第23話 生前香典」

対するは逆三角頭巾の男たち四人。取り囲まれた拝一刀は雷が鳴り響く中で柄に手をかけます。そして向かって来た敵を一度の抜刀で二人斬る!

それを目の当たりにした残りの二人は警戒しながらも立ち向かいますが、一人斬られまた一人。敵に反撃させるいとまをまったく与えません。

「源氏九郎颯爽記 濡れ髪二刀流」

https://www.youtube.com/watch?v=XajuASzjiKc

冒頭からいきなり白い着物を着た主人公。向かって来る相手を一瞬のうちに逆袈裟斬り。敵は痛みに顔をしかめながら坂下へ転がり落ちて行きます。

その後何度も大勢の敵に襲われますが、その度に女に助けられる。最後、崖に追い詰められたところで必殺の二刀流シーンへと移っていきます。無駄のないしなやかな動きは何度見ても素晴らしい!

「源氏九郎颯爽記 白狐二刀流」

https://www.youtube.com/watch?v=Flaw43B-FXY

罠に嵌り落とし穴に落とされそうになっても瞬時に跳び上がり天井を掴む。垂れ下がった綱が斬り落とされようとした瞬間、またしても女によって間一髪難を逃れます。

崖に追い詰められた主人公。ここで得意の二刀流を披露。無駄のないしなやかな動きはここでも健在です。大勢の敵を一人、また一人と斬り倒していきます。

「沓掛時次郎 遊侠一匹」

https://www.youtube.com/watch?v=dJTOwrqV0KU

続いては渡世人モノ。渥美清さん演じる子分とともに敵のヤクザモノを力技で斬り倒していきます。

この映画では渡世人らしく、剣豪モノのしなやかな動きとは違った、ダイナミックな剣さばきを披露しています。

「破れ傘刀舟悪人狩り」

https://www.youtube.com/watch?v=7eZpFEQ5lwE

こちらはテレビ時代劇。蘭学医でありながら無外流の使い手という魅力ある役どころ。悪代官とその一味が悪だくみをしているところへ颯爽と乗り込んでいく主人公。

江戸っ子口調で豪快に正論を熱弁する萬屋さんにも注目。「てめえらは人間じゃねえや」の台詞から刀を抜き、向かって来る敵を一人、また一人と斬り倒していきます。

「破れ傘刀舟」

https://www.youtube.com/watch?v=Xnmf8QwMYtE&pbjreload=10

続いても破れ傘刀舟シリーズの一場面。敵が幕府の大物だと紹介されても「やかましいや」と笑い飛ばし正論を熱弁する萬屋さん。さすがです!

「てめえらは人間じゃねえや」の決め台詞で刀を抜き、強敵揃いの相手を一人、また一人と斬り倒していくシーンは何度見ても気持ちがスカッとします。

「破れ傘刀舟」

https://www.youtube.com/watch?v=H7ucZ4HS5fg

最後に紹介するのも「破れ傘刀舟」シリーズの一場面。町民から話を聞いた主人公は単身敵地に乗り込みます。親玉に向かって「そいつの首もらいに来たんだよ」と聞き心地の良い一言!

そこでも正論を熱弁し、「てめえらは人間じゃねえや」の決め台詞に続いて刀を抜き、いつものように一人一人斬り倒していきます。萬屋さんは剣さばきだけでなく台詞の言い回しも気持ちが良いですね。

萬屋錦之介の死因は?長年、病気だった?

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時代劇のスーパースターとして不動の人気を確立した萬屋錦之介さんでしたが、晩年はどうだったのでしょうか?時代劇映画の衰退もありましたが、それ以外に萬屋さんを苦しめたのは病気でした。

萬屋錦之介さんはいったいどのような病気を患っていたのでしょうか?そして萬屋さんの死因は?情報によると萬屋さんは長年様々な病気に苦しめられながらも、時代劇を撮り続けていたようです。

それでは、長年に渡って萬屋錦之介さんを苦しめた病気の正体とは?様々な病気に苦しめられ入退院を繰り返しながらも撮影に臨んだ萬屋さんの俳優としての誇りと合わせて見て行きましょう。

「重症筋無力症」で入退院を繰り返していた萬屋錦之介

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1982年、萬屋錦之介さんを二つの悲劇が襲います。一つは個人事務所「中村プロダクション」が倒産に追い込まれ莫大な借金を背負ってしまったこと。そしてもう一つが重症筋無力症という病気でした。

重症筋無力症とは神経や筋肉の伝達が体に含まれる物質によって妨害されることで全身の筋肉に疲れや脱力感を起こす自己免疫疾患の一種です。日本では難病として特定疾患に指定されています。

莫大な借金に加え重症筋無力症という難病に苦しめられる萬屋さん。同年8月に胸腺腫摘出手術を受けて2月入院したのち退院。翌年には重症筋無力症を克服しますが、その後も様々な病気に襲われます。

1996年には咽頭がんに

90年代になると萬屋さんをさらなる悲劇が相次いで襲います。90年には三男の晃廣さんが事故死。ご自身も右目の角膜剥離を発病するなど不幸が続きます。萬屋さんはそれでも時代劇の撮影を続けます。

1996年長年の俳優としての功績が認められ文化庁より表彰を受けますが、同年咽頭がんが見つかり出演が決定していたNHK大河ドラマ「毛利元就」の尼子経久役の降板を余儀なくされてしまいます。

年齢からいっても肉体的に衰えが来るのは仕方のないことですが、長年時代劇のスーパースターとして活躍してきた萬屋さんにとって、殺陣シーンができない無念は想像するに余りあります。

1997年、肺炎のため64歳で死去

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病によって活躍の奪われた人気俳優・萬屋錦之介さんは表舞台から姿を消し、その後千葉県柏市にある国立がんセンター東病院に入院します。降板せざるを得なくなった役をどう思っていたのでしょうか。

そして1997年3月10日の午後2時41分。肺炎を患って死去。64歳でした。萬屋さんは生前様々な病に苦しめられながらも「雲霧仁左衛門」や「大忠臣蔵」などヒット作品を意欲的にこなしていました。

かつては映画やドラマで大勢の敵を鮮やかに斬り倒してきた時代劇のスーパースター・萬屋錦之介さんも、がんという病の前には打ち勝つことができなかったようです。

萬屋錦之介の家族構成は?兄弟や子供の現在は?

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ここまで時代劇のスーパースターとしての萬屋錦之介さんを紹介してきました。ここからは萬屋さんの私生活について紹介していきます。萬屋さんは私生活においても華々しく世間を賑わせました。

幼い頃より歌舞伎の世界で生まれ育った萬屋錦之介さんの華麗なる家族構成とは?萬屋さんの兄や弟はどのような人物で、どのような活躍をされてきたのか?また三人の妻と子供たちとの関係は?

萬屋錦之介さんの、まるで映画の世界をみるような華々しい私生活から萬屋さんの家族の身に襲いかかる様々な悲劇まで見て行きましょう。萬屋さんの私生活はまさに波乱万丈そのものでした。

父は三代目中村時蔵、五人兄弟の四男だった!

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萬屋錦之介さんは歌舞伎役者の家系に生まれ、父は名女形と謳われた三代目中村時蔵。本名小川米吉郎さんと、芝居茶屋萬屋吉右衛門の娘・かめさんとの間に5人兄弟の四男として生まれます。

父中村時蔵が37歳の時の子供でした。小川家は歌舞伎役者の一家で屋号を「播磨屋」といいます。萬屋さん自身も3歳(満4才)で初代「中村錦之介」を襲名し、初舞台を踏んでいます。

父の中村時蔵は女形として定評がありましたが、萬屋さんもまた美少年ぶりは当初から注目されており10代半ばを過ぎた頃から映画界に進出するまで女形として歌舞伎の世界で活躍します。

萬屋錦之介の兄や弟は?現在は?

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小川家一門は歌舞伎の家系ですから、当然兄や弟も歌舞伎の世界の人間。三人の兄はそれぞれ二代目中村歌昇、四代目中村時蔵、初代中村獅童を襲名し、舞台を中心に活躍しました。

弟の中村嘉葎雄さんも5歳の時「取替べい」で初舞台を踏みますが、兄の萬屋さんに続いて映画界に進出。東映と契約した萬屋さんとライバル関係にある松竹と契約。こちらも人気を博します。

そのため歌舞伎を知らない人にとっては俳優・中村嘉葎雄さんの兄は萬屋錦之介さんだけと思っている人も少なくなかったようです。中村嘉葎雄さんは現在でも俳優としてドラマ等で活躍しています。

甥は、二代目中村獅童?家系図は?

現在映画やドラマでも活躍している二代目中村獅童さんは、萬屋錦之介さんからみて甥にあたります。萬屋さんの三人目の兄が初代中村獅童さんで、現在の二代目はその息子。

また次兄の四代目中村時蔵さんには二代目中村錦之介さんがいて、彼もテレビの時代劇や大河ドラマ等で現在も活躍しています。これだけ見ても豪勢な芸能一家だったことが分かりますね。

その他にも長兄の二代目中村歌昇の息子に五代目中村歌六。三代目中村又五郎。次兄四代目中村時蔵の息子に五代目中村時蔵など、それぞれ歌舞伎の世界で活躍されています。

1961年に最初の配偶者・有馬稲子と結婚

萬屋錦之介さんの豪勢な私生活は親兄弟だけに留まりませんでした。最初の妻は女優として人気のあった有馬稲子さんと1961年に結婚。有馬さんは宝塚歌劇団の出身で、まさに美男美女の夫婦でした。

結婚披露宴にはおよそ1000人を越える招待客に高さ2メートルのウィディングケーキが出たり、有馬さんの名前を取って「有馬錦」という日本酒まで造られるなど豪華絢爛なものでした。

さらに有馬さんは萬屋さんの父三代目中村時蔵から京都の土地900坪を与えられるなど破格の待遇で迎えられたといいます。新婚の二人はそこで150坪の邸宅を建て、生活を始めます。

1965年に離婚、有馬稲子との間に子供はいない

しかし萬屋錦之介さんとの結婚生活は有馬さんにとって非常に過酷なものでした。萬屋さんは当時大スターですから、客人もよく訪れます。有馬さんはその度におもてなしに追われたのでした。

朝から晩まで台所と客間を行き来し、二人の時間どころか一人の時間すら与えられず精神的にも肉体的にも有馬さんの疲労は蓄積されていきます。これが離婚の要因の一つになったといわれています。

結局、結婚からわずか4年後の1965年に萬屋さんは有馬さんと離婚してしまいました。二人の間に子供はいません。有馬さんはその後実業家の河村三郎さんと再婚しますが、数年後に離婚しています。

1966年に二番目の妻・淡路恵子と再婚

有馬稲子さんと離婚した萬屋錦之介さんはその後、1966年に二番目の妻の淡路恵子さんと再婚します。淡路恵子さんは宝塚と人気を二分する松竹歌劇団の出身で、大変人気のある女優さんでした。

淡路恵子さんにとって萬屋さんは二度目の結婚でしたが、最初の夫・フィリピン人歌手のビンボー・ダナオさんには本国に妻子がいたために宗教上の理由から入籍はしていませんでした。

萬屋さんと結婚した淡路さんは人気絶頂にありながらも家庭に専念すべく女優業を引退します。その後萬屋さんとは1987年に離婚するまで夫婦生活が続き、萬屋さんが病気になった際も看病に徹しました。

1986年に離婚、2人の間には淡路恵子の連れ子と実子がいる

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萬屋錦之介さんは淡路さんとの結婚によって二人の子供に授かります。また淡路さんにも死去した前夫ビンボー・ダナオさんとの間に二人の息子がいたので、合わせて四人の息子がいたことになります。

女優業を引退した淡路さんは懸命に萬屋さんを支えながら四人の息子を育てますが、82年に萬屋さんが重症筋無力症という難病を患うと、仕事ができない萬屋さんに変わって淡路さんが夜の商売に出ます。

そうやって懸命に難病の夫を支えた淡路さんでしたが、病から回復した萬屋さんが別の女性と不倫している事実が発覚し1987年離婚に至ります。不倫相手は何と淡路さんの友人の甲にしきさんでした。

1990年に再々婚、宝塚出身女優・甲にしきが奥さんに

淡路さんと離婚した萬屋錦之介さんはその後、不倫関係にあった甲にしきさんと正式に入籍。三度目の結婚をします。甲にしきさんも宝塚出身の女優で、現在は東京宝塚劇場の支配人をされています。

余談ですが宝塚歌劇団出身の有馬稲子さん、松竹歌劇団の淡路恵子さんに続いてまたしても宝塚出身の甲にしきさん。「英雄色を好む」とはよくいったもので、萬屋さんは美女がお好きだったようです。

女優業の傍ら難病に苦しむ萬屋さんを支えた甲にしきさんでしたが、萬屋さんとの不倫をマスコミに嗅ぎつかれ世間の激しいバッシングを浴びます。そして甲さんは芸能界から姿を消してしまいました。

1990年7月に息子・小川晃廣が交通事故で死去

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甲にしきさんと三度目の夫婦生活に入った萬屋錦之介さんですが、さらなる不幸に襲われます。前妻・淡路恵子さんとの間に生まれた実子の三男・小川晃廣さんが1990年にバイク事故で死んでしまいます。

晃廣さんは事故当時、バイクからの帰宅途中、対向車線を走行中のタクシーと正面衝突してしまいました。まだ22歳の若さでした。淡路さんは離婚後、初めて息子と再会したのがこの時だったといいます。

およそ3年半ぶりに前妻・淡路さんと再会した萬屋さんは不慮の死を遂げてしまった晃廣さんを想い、淡路さんに「僕が死にたい……」と漏らしたそうです。萬屋さんの晩年は不幸の連続でした。

2010年、息子の哲史が自殺

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萬屋錦之介さんは1997年に肺炎で命を引き取りますが、不幸はその後も続きます。今度は淡路さんとのもう一人の息子・哲史さんでした。哲史さんは両親の離婚後から精神的に不安定になっていきます。

まだ未成年の頃からお酒に溺れるようになり、2004年には酒代欲しさに盗みを働いて窃盗罪で逮捕。さらには実母である淡路さん宅にも盗み目的で侵入し淡路さんに見つかって通報されてしまいました。

出所後、自分の行き場所を見失った哲史さんは自身の将来に絶望し、自ら死を選んだのです。華麗なる一族として育った萬屋さんでしたが、最後に待ち受けていたのは最愛の息子たちの悲劇的な死でした。

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