杉浦幸の現在は?雀士?結婚して子供もいるの?元彼は岡本健一? エンタメ

杉浦幸の現在は?雀士?結婚して子供もいるの?元彼は岡本健一?

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麻雀にもハマりプロの女流雀士に!

杉浦さんはパチンコをはじめギャンプルが好きです。しかし、それを単なる趣味では終わらせません。2015年5月に公式ブログ上で「女流雀士」の資格をとったことを発表しました。

どこかで、プロの女性麻雀士としての杉浦さんの活躍が見られるかもしれません。

杉浦幸が自分のダメダメすぎる演技に号泣?

sasint / Pixabay

杉浦幸さんは、中学卒業直後、アイドル・グラビア雑誌「Momoco」で人気となり、その直後に連続ドラマので女優デビューを果たすことになります。

誰もが憧れるシンデレラストーリーに見えますが、杉浦さん自身は急激な環境の変化に翻弄されてしまいました。

女優デビュー作「ヤヌスの鏡」でいきなりの主演

杉浦幸さんは1985年12月スタートのフジTVのゴールデンタイム・ドラマ『ヤヌスの鏡』で、いきなり主演女優としてデビューすることになります。

初のドラマ出演だった杉浦さんは現場の張り詰めた雰囲気の中で、主演女優としてただ戸惑うことばかりでした。

演技について右も左もわからなかった杉浦幸

主演女優と言われても、杉浦さんはこれまで演技の経験など一切ありませんでした。監督からNGが出たときも、自分のどこが悪いのかさえわかりません。

もう一回と言われても演技を修正するどころか、ただただ同じ芝居を繰り返すことしかできなかったと言います。

多重人格の主役の少女の設定についても、昼間はお嬢様で、夜は不良少女になるというくらいの役作りしかできなかったそうです。

第1話の演技をみてスタジオで大泣き!?

撮影が進行した第3話の収録中に第1話と2話を見せてもらうことになりました。初めて自分の演技を見た杉浦さんは、あまりの不甲斐なさに人目もはばからずスタジオで大泣きしてしまいました。

あまりにもひどい演技に心を入れ替えた?

杉浦さんは、その時の気持ちをこう振り返っています。

ひどいと言うよりも、これは正直ヤバイと思いました。テレビでこれが放送されると思うと、恥ずかしさと情けなさで胸がいっぱいでした。それからは真剣に努力して、しっかり演技に集中することを心がけました。

【画像・動画あり】杉浦幸の生い立ちや経歴は?

中学卒業直後に芸能界デビューした杉浦幸さん。デビュー前の素顔やその後の経歴について振り返ってみましょう。

デビュー前は不良だった?

杉浦さんご本人の発言によれば、デビューする前は不良少女だった、ということです。

そのため、清純派アイドルとして売り出された当の本人も、当時の女性アイドルには必要だとされた「ぶりっ子」のキャラに対しても、子供っぽいと嫌がっていたようです。

1985年・中学卒業後の5月、雑誌「Momoco」に登場

杉浦幸さんはホリプロ・スカウトキャラバンではなく「ミスモモコクラブ」出身のアイドルでした。

1985年の中学卒業後、アイドル雑誌「Momoko」が主催する「第1回ミスモモコクラブ」で受賞したのち、5月号のグラビアに登場するやいなや大型新人アイドル誕生として注目を集めました。

西村知美・島田奈美と共にアイドル「桃組三人娘」と呼ばれていた

杉浦幸さんは「第1回ミスモモコクラブ」で同期で受賞した西村知美さん、島田奈美さんとの3人トリオで、アイドル「桃組三人娘」と呼ばれるようになり人気を博しました。

現在でも同期のアイドルと仲がよく、インターネットラジオでは西村知美さんと一緒に番組MCとして共演しています。

同年「ヤヌスの鏡」で女優デビュー

同年12月にフジTV『ヤヌスの鏡(水20:00 – 20:54)』で女優デビューします。

多重人格のヒロインという難しい人物設定でしたが、最後まで杉浦さんは1人2役を演じきり、劇中の過激なセリフが話題を呼んだことも手伝い、最高視聴率19%のヒットとなりました。

1986年1月「悲しいな」で歌手デビュー

さらに翌年1986年の1月、シングルCD『悲しいな』でアイドル歌手としてのデビューも果たします。オリコン週間チャートで最高4位となり、販売枚数は15万枚を記録しています。

あどけない顔だちの中に不安で切なげな表情が見え隠れするような、従来のアイドル像と違う杉浦さんの表情が同年代中心に大人気となりました。歌手デビュー時のキャッチコピーは、「あ、まなざし」でした。

「毒舌アイドル」として揶揄されていた

一方で、本人が語っているように、元・不良少女であることが原因なのか、杉浦幸さんは当時のぶりっ子型のアイドル像を嫌って否定しようとします。

しばしば歯に衣着せない辛辣な言葉を使うことがあったことから、一時は『毒舌アイドル』と揶揄されることもありました。

ぶりっ子を嫌い山瀬まみを泣かせたことも?

そんな『毒舌アイドル』時代の杉浦幸さんのエピソードですが、同じホリプロ所属の山瀬まみさんとラジオ共演したときのこと。

番組オンエア中にも関わらず、山瀬さんに吐き捨てるような言葉をぶつけて泣かせてしまったことがあります。

1990年ホリプロを退社

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1990年に当時の杉浦さん担当マネージャーがなんらかのトラブルを起こし、その巻き沿いを食う形でホリプロを退社せざるを得なくなりました。その後ファイブシーズン・プロダクションへ移籍することになります。

パチドル、バラエティー方面へシフトチェンジ

事務所を移籍後は、清純派アイドル路線だったホリプロ時代とは打って変わって、杉浦さんはバラエティー路線へシフトチェンジしています。

趣味であるパチンコのTV番組や専門雑誌にも積極的に出演し、パチドルと呼ばれた時期もありました。

杉浦幸の代表作は?

次に杉浦幸さんの出演したドラマや映画、歌手としてリリースしたCDなど、代表的な作品を貴重な映像とともにご紹介します。

1985年ドラマ「ヤヌスの鏡」

『ヤヌスの鏡』は新人女優としては異例の、水曜8時枠ドラマ。杉浦さんが、昼は純真なお嬢様(小沢 裕美)で、夜は真逆の不良少女(大沼 ユミ)に人格が変わってしまう多重人格のヒロインを演じました。

大げさなセリフや演出で知られる大映ドラマ作品。一部に差別的な表現のセリフ(「人買い」、「頭おかしい」、「淫らな血」など)が含まれるため、再放送やDVDではそのシーンの音声カットなど編集されています。

原作は週刊セブンティーンに連載された人気コミック『ヤヌスの鏡(宮脇明子)』です。

1986年ドラマ「このこ誰の子?」

翌年の1986年、杉浦さんはドラマ主演の第2弾として『このこ誰の子?』へ出演します。こちらも難しいキャラクター設定でした。

高校2年生の少女がレイプされ、望まぬ我が子を授かりながらも力強く生きていく姿を描いた問題作です。こちらも初回視聴率19%の大ヒットとなります。

原作コミックは週刊セブンティーンに連載の『彩りのころ(津雲むつみ)』です。また、このときの共演者が、のちに元彼ではないかと噂になった岡本健一さんでした。

1989年ドラマ「長七郎江戸日記」

演技に磨きをかけた杉浦幸さんは、1989年には初めての時代劇にも挑戦します。日本TVの長寿時代劇「長七郎江戸日記」の 第46話 「狸がくれた五千両」に、お春役としてゲスト出演しています。

残念ながら杉浦幸さん出演回の映像は見当たりませんので、オープニングの雰囲気のみお伝えします。

1987年映画「湘南爆走族」

1987年には『湘南爆走族』では映画出演を果たします。杉浦さんは波打際高校手芸部の三好民子役を演じています。原作コミックが大ヒットしていたこともあり、何かと話題の映画でした。

江口洋介さんの映画初主演、織田裕二さんと清水美砂さんのデビュー作品であり、今をときめく演技派俳優達の初々しい姿が観られることから一種のお宝映画として今でも人気のある映画です。

1986年1月シングルCD「悲しいな」

1986年の1月27日に、ファーストシングルCDとなる『悲しいな』を発売し、アイドル歌手としてデビューを飾ります。

作詞: 売野雅勇、作曲: 岸正之、編曲: 若草恵という豪華作家陣による楽曲は、杉浦さんの物憂げな歌声に乗ってオリコン週間チャート第4位まで上昇し、CD累計セールス15万6千枚のヒットを記録しました。

1986年4月シングルCD「4月列車」

同年1986年4月21日には2ndシングルCDの『4月列車』をリリースしました。オリコン週間チャート第7位、累計セールスは4万9千枚となりました。

今だから明かせるアイドル時代の仰天エピソード!ベスト5

芸能生活30週年も過ぎていよいよベテランの域に達した杉浦幸さん。TVや雑誌のインタビューなど、今だから明かせる「アイドル時代の仰天エピソード」について語っていましたので、仰天度ベスト5をご紹介します。

第5位 昔から正月には家族で麻雀をやっていました

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プロ雀士の資格を取得した杉浦さんは、いつ頃から麻雀をしていたのでしょうか。本人曰く、麻雀はよく家族でやっていた、ということで、アイドルになる前から麻雀が好きだったようです。

また、20代の頃は撮影が翌日にあっても、地元で徹マンをしましたが、セリフは現場への移動中に覚えたので完璧でしたよ。どんなに忙しくても、上手に麻雀と仕事の両立を図っていらした様です。

第4位 アイドルがトイレに行くイメージ自体がNG!

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アイドル時代を振り返り、杉浦さんは「常に清らかで神格化されたアイドル像を求められました。」と語っています。

営業中にトイレを探すのも。「テレビ局内のトイレは他のタレントも使っているので大丈夫でしたが、屋外イベントではファンも使いますので、『アイドルがトイレに行く』というイメージ自体がNGでした」

第3位 本当は私は焼き鳥が好きなのに!

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杉浦さんは焼き鳥が好きだったそうです。「それなのにチョコレートパフェが好きと言わされたり」と、日常生活からアイドルのイメージ戦略に基づく発言を義務付けられていたそうです。

また、オフの日のファッションでも「大人っぽい黒や赤の服が着たかったのに、パステルカラー以外の服やロングスカートは禁止されていました」

第2位 パチンコにハマった本当の理由!?

一時期はパチドルの座を欲しいままにした杉浦さん。実はパチンコを始めたのはお母さんの影響なのだそうです。

「電車通勤していた頃に母が毎日迎えに来てくれました。当時は携帯電話もなかったので私の仕事が長引くと3時間も4時間もベンチに座って待ってくれていました。」

「そのうち、母は暑さも寒さもしのげるパチンコ屋さんで待つようになって、気づいたら私も仕事帰りに母の隣で打っていました」

第1位 最恐ファンレター!

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杉浦幸さんほどのトップアイドルにもなると、毎日ダンボール箱いっぱいのファンレターが届いたそうです。そして、熱烈なファンから届いた恐怖のファンレターについて語っています。

「刑務所から「待たせてごめん、出所したら必ず迎えに行く」という手紙がありました。また、手首を切っている写真と一緒に、血で「幸命」と書かれた封書が入っていたこともありました」

「一番怖かったのが、私のハンコを押せばいいだけの婚姻届が送られてきたこと。」「しかも家の鍵まで入っていて、ここに引っ越そうと思う。◯月◯日に親も来るから会ってほしい、と物件の情報が添えられていました」

これからも自分らしいご活躍に期待

ホリプロを離れてから本来の自分の姿で活動できるようになったという杉浦幸さん。現在はタレント活動をはじめとして大好きなワンコグッズのショップ経営者の顔も併せ持ち、マルチにご活躍されています。

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