金子信雄とは?東ちづるとの料理番組や仁義なき戦いでのエピソード!

任侠映画「仁義なき戦い」で、見事に悪役を演じてみせた「金子信雄」は、料理番組「金子信雄の楽しい夕食」を引き受け、レシピを考案しながらアシスタントの東ちづると楽しいトークで視聴者を喜ばせてくれました。1997年に急逝した彼の魅力に迫ってみたいと思います!

金子信雄とは?任侠映画・料理番組で活躍?現在は死去?

俳優として、また料理研究家としての地位を確実なものにした「金子信雄」について、彼の活躍の場や、今までの経歴などを振り返りながら、金子信雄の歩んだ道を忍んでまいりましょう。

金子信雄のプロフィール

  • 本名:金子信雄(かねこのぶお)
  • 通称:ネコさん
  • 出身:東京都
  • 生年月日:1923年(大正12年)3月27日
  • 没年月日:1995年1月20日
  • 年齢:満71歳没
  • 職業:俳優・料理研究家

金子は小さい頃から成人に至るまで身体が弱かったようですが、出身の東京にある京華学園(私立中高一貫校)を卒業しています。

悪役として、数々のドラマ・映画に出演した金子信雄

1943年に文学座所属の俳優として映画『浦島太郎の後裔』でデビューした金子信雄は、日活の任侠映画『仁義なき戦い』シリーズで、小心でずる賢いヤクザの組長役を5作演じて活躍しました。

そこで評価を得た金子は、たくさんの映画やテレビドラマで名悪役として抜擢され、活躍する機会に恵まれるようになりました。

「仁義なき戦い」で極悪非道な山村義雄組長を演じ大ブレイク!

日活全盛期にシリーズ化された映画「仁義なき戦い」では、涙もろくお金に汚いヤクザの親分という一風変わった役を演じ、リアリティー溢れるヤクザ映画に絶妙の隠し味となって登場しています。

この「仁義なき戦い」シリーズ自体もブレイクし、菅原文太や松方弘樹をはじめ、たくさんの著名な役者が出演し、金子氏もその演技を認められ、この映画になくてはならない存在になります。

舞台は1973年の戦後の広島でのヤクザ抗争を題材にしており、金子は実在したヤクザの組長「山守義雄」を演じ、ずる賢く仁義のかけらもない、ちょっと可愛げのある組長役がハマり、映画とともにブレイクします。

料理家としても知られ、「金子信雄の楽しい夕食」が人気に

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金子信雄は、俳優業以外でも料理研究をライフワークとしており、「金子信雄の楽しい夕食」では、独特の喋りと雰囲気でこの番組を盛り上げます。

初代の「東ちづる」をはじめとするアシスタントとの絡みでも話題を呼び、今までにない大人気の料理番組となりました。

1994年11月、体調を崩し舞台を降板

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金子信雄は、1994年11月頃に体調を崩し、銀座セゾン劇場で出演予定だった舞台を降板することになります。

1995年1月「細菌性敗血症」で他界、享年71歳だった

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療養中であった金子信夫は、1995年1月20日午前11時43分に、死因は細菌性敗血症で東京都千代田区の病院で71歳で亡くなっています。本人の遺志によって葬儀と告別式は行われませんでした。

金子信雄は料理番組で大人気!?東ちづるとの掛け合いが面白すぎ?

1987年4月6日から始まった「金子信雄の楽しい夕食」は、料理研究家である金子信雄の冠番組ともなり、月曜日から金曜日の13:00 から15分間放送されました。

俳優の金子信雄が自慢の料理を披露するとともに、アシスタントの女性との掛け合いが面白い料理番組でした。特に最初のアシスタントの東ちづるとのコンビが大人気で東もこの番組で人気を集めます。

金子は番組中に飲酒することが殆どで、この番組は1週間分を1日で収録する為、月曜日から徐々に酔いが回って金曜日にはへべれけになるのが常で、その酔っ払う姿を楽しみにしていた視聴者も多かったようです。

金子信雄は東ちづるとの料理番組「金子信雄の楽しい夕食」が大人気だった!

「金子信雄の楽しい夕食」は、料理の知識のない新米のアシスタントが、金子信雄から料理を教えてもらい、料理が上手くなっていくという嫁入り金子塾のような番組の予定でした。

この番組に最初のアシスタントとして抜擢された「東ちづる」とのコンビがお茶の間にうけ、二人の掛け合いや、金子氏が酔っ払いながら適当にも見える料理作りが面白く大人気になりました。

週の最後になってくると金子の酔いも回り、塩は飛び、入れ忘れはあり、フライパンが燃え上がるような過激な内容となり、それでも東は、横目で金子を睨みながらも笑顔でフォローしていました。

1987年に放送開始した「金子信雄の楽しい夕食」

「金子信雄の楽しい夕食」は、テレビ朝日系列で放送された長寿料理番組です。、初代アシスタントの「東ちづる」は、最初の5年を担当し、二人の絶妙な掛け合いで人気の番組となりました。

  • 放送期間 :1987年4月6日 ‐ 1995年3月31日
  • 放送時間 : 月-金曜13:00 – 13:15(15分)

歴代アシスタント

  • 東ちづる(1987年4月 – 1992年3月)
  • 大桃美代子(1992年4月 – 1993年3月)
  • 成田万寿美(1993年4月 – 1995年3月)

金子信雄が考案したレシピを紹介していた

料理好きで知られる金子信雄は、『金子信雄の楽しい夕食』では自ら考案した料理を披露しアシスタントと一緒に作りました。急逝後はプロの料理人が金子のレシピを再現して番組を終了しています。

料理するだけでなく市場での食材探しから始まることも

オープニングはスタジオからではなく市場での食材を探して紹介するシーンから始まる事も多くありました。その日に使う食材とは限りませんでしたが、料理番組では珍しいことです。

しかし、途中から全編がスタジオからのの放送に切り替わっています。

また、番組のエンディングで流れる、チェリッシュの「COOK・クッキング」がお気に入りの視聴者も多く、この曲の「クッキング ・・・・ あなたに届け 恋の味」が印象的だったと言う人も多くいます。

番組は1995年3月まで続いた

「金子信雄の楽しい夕食」は、元々1995年3月で終了をすることを決定していましたが、1月に金子氏が急逝した後は、プロの料理人を招いてアシスタントの成田万寿美で1995年3月31日まで続けられました。

金子氏の急逝後、すぐには打ち切りとせずに、収録済みを全て放送した後は、金子が生前遺したレシピをプロの料理人が作るという形で、予定の3月まで放送しています。

番組終了前の1月に金子信雄が急逝

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1995年1月20日、細菌性敗血症のために71歳でこの世を去った。3月終了予定だった楽しい夕食は打ち切りとせずに

1月に金子氏が急逝した当時のアシスタントは、製作局の女性アナウンサーだで、喪服のような服装と神妙な面持ちで番組が始まっっています。この日はいつものチェリッシュの歌もありませんでした。

アナウンサーから金子信雄の死亡が告げられ、アナウンサーの後ろには、金子氏の写真がありました。

金子信雄が急逝後はプロの料理人を招いてレシピを再現

金子氏が亡くなった後には、まだ先に収録したものが残っていたので、追悼番組のように収録分を放送し、その後は金子氏のレシピを辻調理師専門学校のプロの講師に再現してもらっています。

また、金子氏の急逝後も番組をすぐに打ち切ることせず、最終回の前には歴代アシスタントを集めて「金子氏を偲ぶ会」を放送し、最終回では金子氏の息子が視聴者へ挨拶をして番組を閉じています。

「金子信雄の楽しい夕食」のレシピ本が出版されている

金子信雄は、この番組で紹介したレシピを本にして出版しています。番組も人気でしたが、金子の考案したレシピは、美味しくて安く作れる料理をモットーにしており、視聴者からも人気でした。

料理本に寄せている金子氏のコメントでは、「おふくろの味を懐かしみ、出来るだけ母の東京の味を、あとあとの子供たちに伝えたいと思っている。」と書いています。

レシピ本は、1月から12月の各月毎に章立てされおり、各章の始めに心に染みる随筆が付いています。続編も出版されており、本の人気も高かったことを物語っています。

金子信雄と東ちづるで「イカリ ステーキソース」のCM出演も?

金子氏は、スポンサーであった「イカリソース」のCMに出演しており、1987年頃から「金子信雄のグルメシェフ」を謳って宣伝しています。

1989年には、名コンビ役の「東ちづる」と一緒にCM出演しました。

番組終了後は「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」が放送開始

もとより1995年3月で終了し、『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』を新たに立ち上げるためにする事が決まっていたのですが、直前の金子氏の急逝で予定変更も考えられたようです。

しかし、追悼番組のようにあとを繋いで、予定通りの3月に番組は終了し、4月3日より『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』が放送開始となりました。

金子信雄の「金子信雄の楽しい夕食」と「料理」に関連するエピソードは?

大人気となった「金子信雄の楽しい夕食」は、料理番組では珍しい8年にもわたる長寿番組となりました。その放送や料理にまつわるエピソードをご紹介いたします。

料理好きだった金子信雄!フランス料理店「牡丹亭」のオーナーだった?

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俳優であり料理研究家でもあった「金子信雄」は、荻窪にあるフランス料理店「牡丹亭」のオーナーでもありました。

視聴者の方には、お見合いを金子信雄の経営する料亭でしたという人もいらっしゃいました。名前が「牡丹亭」なので、レストランとも料亭とも呼ばれたようです。

料理好きが高じて命拾い?危機一髪難を逃れた金子信雄

料理好きの金子は、仕事先でも市場へ足を運ぶことがよくあり、時間があったので仕事の帰りに市場へ出かけたところ、新鮮なサバを見つけたそうです。

それを購入するために予約していた翌日朝一番の羽田便を急遽キャンセルして、最終便の飛行機で自宅へ戻りました。このキャンセルした便が、1982年に大事件となった、羽田の「日本航空350便墜落事故」です。

金子が予約していた座席の位置は、最も損傷が激しかった1列目で死者も多く出ており、料理のお陰で難を逃れる形となりました。

金子信雄が「金子信雄の楽しい夕食」収録初日に見せた態度が衝撃的!?

東ちづるの話では、収録の初日に金子の機嫌が悪く、スタッフ全員で金子のご機嫌をとるのに必死だったそうです。結局、金子は「オレを気安く使うんじゃねぇ!」と言って帰ってしまったとの事です。

収録予定だった10本は延期となり、金子の機嫌を取り直して、後日撮り直しとなりました。

納得のいかなかった東は、思い切って金子に直接理由を尋ねたそうです。すると、いかつい金子から「ああやっておくと、効くんだよ!」と笑って言われ、その後の二人のやりとりも円滑になったとの事です。

【動画あり】お酒を飲みながらの撮影!?呂律が回らず際どい状況も?

番組最後の試食のシーンで金子氏は常に飲んでおり、アシスタントの東を横目にワインや日本酒を口にしていました。その盗み酒のような振る舞いも面白く番組のお決まりのようになりました。

番組内容を1~2週間分を1日で収録するので、最初のうちはほろ酔いであった金子氏も後半の方では泥酔状態になってきます。それが1週間に分けて放送されるため、週の後半では金子氏の呂律が回らなくなってきます。

「ちじゅるー」と東を呼ぶ声が多くなりますが、東は知らん顔で番組を勧めます。この二人のギャップが、見ているお茶の間の方に面白く映っていたようです。

セクハラとも思える仕草を東ちづるが上手くかわしていた

お酒が入ってなくても過激な発言の多い金子氏でしたが、お酒が回ってくると次第にヒートアップしてきます。それを巧みに操る「東ちづる」は、スタッフからも「猛獣使い」と呼ばれるようになりました。

「わしゃあちづるのミルクがええのー」というセクハラ発言の金子氏に、「はいはいそうですね」と即座に返す辺りは、後任のアシスタントには真似できなかったようです。

特に東が上手かったのは、金子のセクハラまがいの発言や行動を、そのように感じさずにあしらうところです。

金子を手の平で転がす東ちづるは「お嫁さんにしたい有名人ナンバーワン」に

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スタッフから先生と崇められる金子信雄を、笑って手の平で転がす東ちづるは、お茶の間でも人気となり、「お嫁さんにしたい女性有名人ナンバーワン」に選ばれました。

金子信雄はお気に入りの東ちづるへの寵愛ぶりを隠さなかった

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金子は、そんな何を言っても平気で応える東ちづるを大変気に入っており、東の降板後はのアシスタントには適当で、かなりやる気のない場面も見られました。

「ちじゅるはそうじゃなかったぞ」とか「ちじゅるならここで…」といった事を繰り返し言って、「東ちづる」への寵愛ぶりを隠すこともありませんでした。

東ちづるは番組降板後、金子信雄とドラマで共演も

5年でアシスタントを降板した東は、女優への道も歩み始めます。NHKのドラマで共演した時には、最後の収録時に金子氏から「ちづる、おまえいい女優になったなあ」と、初めて褒められたと語っています。

それからほどなくして金子氏が急逝し、東は「悲しみと感謝の気持ちでいっぱいです」と語っています。

【画像あり】金子信雄は「仁義なき戦い」で大ブレイク!?出演秘話は?

金子信雄の東映映画に出演していた期間は、それほど長い期間ではありませんでした。金子の俳優人生で長かったのは、彼が30代方40代のいわゆる働き盛りである時代の日活映画です。

しかし、かれの人生を左右したとも言える作品が、この短い期間に出演した東映の『仁義なき戦いシリーズ』です。

この作品なくして、「金子信雄」を語る事はできません。

「仁義なき戦い」での金子信雄の出演・撮影秘話は?

『仁義なき戦いシリーズ』は、金子信雄は「守義雄親分」を演じ、小心者でありながら、ずる賢く、知略の限りを尽くして、戦後のやくざ社会を生き抜いていく男になりきります。

時にコミカルに感じる部分は、人間味を感じさせるもので、卑怯もののようにも見えますが、任侠道の極意を感じさせるものでもありました。

その中でのいくつかのエピソードをご紹介しましょう。

①山村義雄組長は三國連太郎が演じる予定だった

監督の深作欣二氏は、山守義雄役に「三國連太郎」氏を推しており、試写で見た金子氏のアホっぽい親分役に、ずっと不安を抱いていたと言われます。

NEXT ②試写での演技に注目され、金子信雄が組長役に