沖雅也の死因は?飛び降り自殺だった?マネージャーとの関係は?

沖雅也氏は31歳という若さでこの世を去りました。新宿京王プラザホテルからの転落死で、死因は遺言書もあったため自殺と言われています。「涅槃で待つ」と義父である日景忠男氏に当てた言葉が残されており、関係者の話等からもう一度この事件の真相に迫ってみます。

イケメン俳優・沖雅也の死因はなに?自殺?うつ病だった?

当時、イケメン俳優として活躍していた沖雅也氏のあまりにも早い「死」には、たくさんの疑問が浮上しました。転落死は自殺であったのか、それとも事故だったのでしょうか?

事件の前に沖氏は「うつ病」を患っていたのは事実であり、この為に番組の降板も余儀なくされています。

また、転落死があった当日には、フジテレビの時代劇「大奥」で、徳川家光役を演じる沖雅也氏の姿が放送されました。彼はどんな心境だったのでしょうか。

【画像あり】沖雅也のプロフィール!身長や体重・享年何歳だった?

  • 本名:日景 城児(出生時は楠 城児・後に日景忠雄との養子縁組で改姓)
  • 生年月日:1952年6月12日
  • 没年齢:1983年6月28日(享年31歳)
  • 出身地:大分県別府市
  • 血液型:B型
  • 身長:183cm
  • 体重:72kg
  • 活動内容:俳優・歌手
  • 事務所:JKプランニング

沖雅也氏は15歳で家出同然に大分から上京し、学歴詐称して芸能活動を続けますが、人気が出る事でファンに嘘をつき通す事ができなくなり、自ら「ファンの集い」の場で謝罪告白をします。

沖氏は高校中退で東京に出てきましたが、通信教育で高校を卒業しています。

沖雅也の死因は何だった?現場は新宿京王プラザホテルのプール?

沖雅也氏の事件現場を目撃していたものは巡回中であった警備員1名のみです。警備員が目を離した隙にフェンスをよじ登り、「危ない!」と声をかけたが間に合わず飛び降りたとの事です。

最上階から150メートル下にあるプールサイドの7階まで転落して即死だったとのことです。身体は悲惨な状態だったようですが、後ろ向きに落ちたため幸いにも美形の顔にはキズ一つなかったようです。

但し、この後ろ向きの落ち方には異論を唱える人もあり、驚いて後ろ向きに落ちたため、自殺ではなく事故だという説もあります。これを強く唱えたのが養父である「日景忠男」氏です。

自殺したときの状況は?遺書も?

沖は、大阪での舞台公演が控える最中であり、仕事を終えてチェックインしていた東京都新宿区西新宿の京王プラザホテルにて、「おやじ 涅槃で 待つ」という遺書を残して本館の最上階に向かったようです。

ホテルにチェックインした際には、「蒲田行進曲」の原作者であり、演技指導を受けた「つかこうへい」氏の名前を書いていたらしく、遺書には、それを詫びる言葉も書いてありました。

そこで、2通の遺書が見つかり、1通は名前を借りた「つかこうへい」氏あてで、もう1通は「おやじへ」と書いてあり、養父である日景忠男氏あてのものだったと言われています。

沖雅也の自殺の理由は?①交通事故による躁うつ病?

この事件の前に沖雅也氏は「うつ病」を患っていたといわれます。そこで自殺に至った本当の原因もそこにあったのではないかと考えられていました。

事件の3年前に沖氏は愛車のキャデラックで交通事故を起こしています。事故そのものは大きなものでは無く、幸い軽い怪我ですんだようですが、このことからうつ病だったとも言われ病院に入院する事にもなります。

この事故をきっかけに病状が悪化したらしく、服用していた薬の副作用もあり体重も10キロ以上増えたようで、容姿を気にするタレントとしては、また悩みが深くなったと言えるでしょう。

藤田まことが沖雅也の生前の様子を語っている

必殺シリーズで共演した藤田まこと氏は、「沖君は話が突然飛んだりする」とか、精神的に不安定であったのではないかと語っていたようです。

闘病生活で増加した体重10kgを自殺時には減量

沖雅也は、うつ病の薬の副作用の影響で一時は体重が10kg以上も増加しましたが、半年間でベストの体重に戻したそうです。彼の美意識がなせるわざでしょう。

沖雅也の最期を見届けた警備員は、わざわざ後ろ向きになり背中から身を投げた姿をはっきり見たと証言したそうです。

沖雅也の自殺の理由は?②将来への絶望?

因みに交遊事故は本当の父親のお墓参りに行く途中で起きたらしくショックも大きかったでしょう。この事故から番組の降板が相次ぎ、薬の副作用で体重も増えてきます。

また、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』で坂本龍一が演じた大役の最終候補にも挙がったそうですがダメになり、落胆の仕方は尋常では無かったようです。

沖雅也の自殺の理由は?③恋人との愛憎のもつれ?

また1977年には尊敬していた「エルヴィス・プレスリー」が死去し、その晩年の姿にもショックを受けていたようです。

その後は極端に肥満を気にするようになり、野菜だけの食事になって更に心身のバランスが崩れたとも言われていますが、10キロの減量もその成果でしょう。

芸能界は容姿が商売道具であり、沖雅也氏もその美貌と若さから人気を博していました。

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また、もう1つの原因と言われるのが、「日景忠男の間とのトラブル」です。沖氏の死後に彼が語っているように、沖氏にその気が無くても日景氏は「沖雅也」を愛していたのは事実です。

2人は恋人同士であった可能性が高いのです。そして彼の「沖雅也」に対する束縛が強かったというのも事実です。彼は日景氏に最後の手紙を託したように彼に恩義を感じていたのは事実です。

しかし、強い束縛と仕事への絶望も重なり、どうしようもない気持ちを遺書にしたためています。

葬式には美輪明宏、柴田恭兵など錚々たる俳優陣が参列

沖雅也氏の突然の死の後の6月30日に密葬が行われ、1ヵ月後に事務所主催の葬儀と告別式が行われ、つかこうへい氏が葬儀委員長を務めています。

彼の死は、芸能界を始め世間にも大きな衝撃を与え、密葬と葬儀には、かつての共演者である勝野洋や、ロミ・山田、美輪明宏、二谷英明、柴田恭兵、坂口良子、渡辺美佐子らが弔問に訪れました。

平幹二朗は沖の事を「胡蝶蘭のような人」と語り、そのあまりにも早い死を惜しんでいました。

沖雅也が自殺した新宿京王プラザホテルに幽霊が出る?

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沖雅也氏の事件以降に、現場となった新宿京王プラザホテルで飛び降りている人影が目撃されています。驚いた宿泊客がフロントに電話して、確認すると遺体などが無い等の噂が囁かれています。

山口敏太郎氏が友人の漫画家ひぐらしカンナ氏主催のパーティーの出席したときに、同じ出席者の方から「このホテルの近くを沖雅也氏の幽霊が繰り返し歩いている」と聞いたとも言われます。

この事件以降も自殺者が出たり殺人事件も起きており、心霊マニアにとって垂涎のホテルになってしまいました。この手の噂は他のホテルでも多く、新宿京王プラザホテル自体は問題の無い良いホテルです。

沖雅也の死の真相は?

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1983年に沖雅也は、新宿京王プラザホテルの最上階である47階から飛び降り、帰らぬ人となりました。沖雅也はチェックイン後にデリヘルを呼んだりしてひとしきり遊んだようです。

ホテルは半年も前から予約していたという事で、何かを計画していたのは事実でしょう。デリヘルの話では、部屋ではタバコを吸ったり普通の様子でしたが、遺書もこのときに書いたようです。

この後に、最上階である47階までエレベーターで上っていきますが、沖氏は人目を避けるために非常用のエレベーターで最上階に向かったと言われています。

苦悩が綴られたの遺言書の内容とは?ホテルのメモに記されていた?

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部屋に残された遺言書はホテル備え付けのメモ用の便箋にしたためてあり、かつて演技指導を受け、チェックインの時に名前を借りた、つかこうへい宛とマネージャーである日景忠男宛の2通が用意されていました。

この中に、つかこうへい氏への名前を借りた事へのお詫びや、ホテル関係者へのお詫びと、日景忠男氏へのメッセージが書かれています。

このメッセージの中の、『おやじ、涅槃で待つ』という言葉が後に話題になります。

公開された遺言書全文がこちら

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今……
プラザホテル様へ大変申し分けなくおゆるし下さいませ。
つかこうへい様 あなたの名、つかを使いし僕をゆるせるものならおゆるし下さい。
人は病む。いつかは老いる。
死を免れることはできない。若さも、健康も、生きていることも、どんな意味があるというのか。
人間が生きていることは、結局何かを求めていることにほかならない。
老いと病と死とを超えた、人間の苦悩のすべてを離れた境地を求めることが、                             正しいものを求めることと思うが、今の私は誤ったものの方を求めている者。
(便箋の裏) おやじ 涅槃で まってる 沖雅也

(引用:MATOMEDIA)

この遺言書を書き残して、沖雅也は非常用エレベーターで47階まで上がりました。

生前に沖氏は、30歳を過ぎて醜く老いるのなら死を選ぶとも語っていたことがあったらしく、遺影には「俺たちは天使だ!」の写真を使って欲しいと遺書に書いてあったとの事です。

あとで色々な憶測が飛び交いますが、この状況からも自殺の線が濃厚と思われ、自殺を疑う人は殆どいなかったのが事実です。

遺書に記された「おやじ 涅槃で待つ」という言葉

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この「おやじ 涅槃で待つ」という言葉の理解の仕方もいろいろで物議をかもしたりして、当時の流行語のようにもなりました。

「涅槃」とは「悟りの境地」の意

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涅槃とは仏教用語の一つで「悟りの境地」を意味します。煩悩 の火を消して、一切の悩みや束縛から脱した理想の境地と言われます。

「釈迦 の死」をあらわす言葉でもあり、「死んであの世で待っている」というよう理解した人が多かったようです。

遺書にある「おやじ」はマネージャー・日景忠男のこと?

この遺言書に書いてあった『おやじ』はマネージャーであり、義理の父でもある「日景忠男」のことです。

1975年に沖と養子縁組した日景氏は所属事務所の社長でもあり、15歳で家出同然に上京し、すさんだし生活を続けていた沖を養子に迎え。公私に渡り面倒を見る事になります。

沖氏は自宅にも日景氏あてと思われる遺書を残しており、「涅槃で待つ」という言葉からも彼への信頼は揺るぎのないものであった事が分かります。

自宅からも遺書が見つかっている

遺書は、ホテルで書いた他に、自宅からも遺書が見つかっています。それは日景忠男氏に宛てたものでしたが、日景の姓をもって死んでいくとの趣旨になっています。

マネジャーとして面倒を見てくれた日景氏へのお詫びなのか、子供として父へ贈るメッセージなのかは、文面だけでは読み取ることはできません。

遺書
私は生きる気力を失い 苦しさに負け死を選びます。
私の死は、私自身の人間としての問題で有り、沖雅也としてでなく 日景城児として、死んでいきます。
日景家一同様、名を汚して申しわけありません。許してください。
日景忠男殿 あなたにうけたあたたかい思いやり、身にしみて感じておりました
十五年 大変お世話になりました
楽しい日々でした。お元気で 有りがとう

(引用:経緯)

この時におよんでも日景忠男氏に忠義を見せており、沖の日景氏に対する思いは並々ならぬものであったことが分かります。

自殺ではなく事故という説もある

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日景忠男氏は、沖雅也の転落は事故だと言及し、目撃した警備員の証言も曖昧なものとなりました。当初は「制止を振り切って」という事でしたが、「おどろいたように落ちた」との説明が付け加えられました。

また、デリヘル嬢に日景忠男宛のメモを託したそうですが、その内容が「京王プラザまで迎えに来てほしい」という内容で、日景氏によると「自殺する人の書き方ではない」と主張しています。

この事は日景忠男氏の後付けであり、デリヘルに渡したとされるメモの存在もハッキリとしていないので、真相を追求する事は今となっては難しいものとなりました。

沖雅也がデリヘル嬢に託した手紙とは?

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沖は馴染みのホテトル嬢を呼び、性交後に彼女へ、日景忠男氏あての1通の手紙を渡してくれるように頼みますす。

沖さんから手紙を預かっていたデリヘル嬢は、ニュースを見て慌てて日景氏に手紙を届けます。そこには「ホテルに迎えに来てほしい」と書いてあったという事です。

これは日景氏の証言であり、デリヘル嬢に託した沖氏の手紙は公開されておらず、本当に実在した手紙なのかも分かっていません。

沖雅也とマネージャーの関係は?恋のお相手だった?

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事件後に沖雅也氏とマネージャーある「日景忠男」氏との関係が浮き彫りになっていきます。養父であることや事務所の社長以外の関係も噂されます。

日景氏は沖雅也氏の死の後に、自分がゲイであると告白して芸能活動を続けます。これにより沖雅也氏にもそうした性癖があったことを連想させファンを困惑させました。

しかし、日景忠男氏のバックアップがあってデビューしていますから、彼の存在が無かったら「沖雅也」の誕生もなかったと言えます。

沖雅也とマネージャーの関係は?ゲイバーで出会った?

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2人が最初に出会ったのは沖が16歳の時で、彼がゲイバーでバイトしていた際に日景氏が声を掛け共同生活を始めたとの事です。その後2人は養子縁組にして沖氏は俳優となり日景氏は事務所を設立します。

日景忠男氏は、台湾人の父親と日本人の母親を持ち、裕福な家庭で不自由なく育ったと言います。両親の仕送りでゲイバーを開店し、営業していた経験もあり、かなりの放蕩息子だったようです。

沖雅也氏がが家出して上京し、年齢を偽って働いていたゲイバーは売春専門だったらしく、2人の性的な関係も噂されました。

沖雅也と日景忠男は義理の息子と父の関係だった?

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実父との不和から15歳でカバン1つで家出同然に上京してしてきた「沖雅也」氏を1975年に養子縁組して義父となったのが「日景忠男」氏です。

公私に渡って面倒を見続けてくれた彼の存在は、沖にとってはかなり心強く助けられたことも多かったようです。

2人は恋人同士だった?日影忠男は男色家だった?

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共同生活や2人の出会いからも2人の関係が噂されましたが、本当の事は分かっていません。しかし日景忠男氏の方で否定する事は無く、後に沖の事をネタにするような事もあり性的な関係があったのは事実のようです。

日景氏は、沖氏のマネージャー兼恋人になる前から、男性と関係を持っていたと言われています。その1人が久保新二という男性でピンク映画の帝王と呼ばれた人物です。

また、日影忠男はフィリピン等で男性売春宿を周回していたらしく、旧知の知人と夜の繁華街でバッタリ会った時も、臆せずに生々しい感想を語っていたのも事実です。

沖雅也は異性愛者だった

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日景氏との生活や、自殺時に残したメモなどから沖雅也氏も同性愛者だと見る向きがあったようですが、沖は異性愛者だと言われています。

沖は、外国人女性や共演した女優との浮いた話も多く、中でも家族ぐるみで親しかった吉沢京子とは縁が深く、日景氏も彼女との結婚を前向きに考えていたとの事です。

また、沖は自殺直前にもホテトル嬢を呼んで性行為に及んでおり、異性愛者であることは間違いありません。

沖雅也は坂口良子と恋人同士だった?

坂口良子は、1971年に「ミス・セブンティーンコンテスト」で優勝したことをきっかけに芸能界にデビューし、さまざまなドラマや映画に出演していました。

沖雅也にはデビュー当時から面倒を見てもらっていたようで、沖雅也の人気作品である『さぼてんとマシュマロ』にも出演しており、『太陽にほえろ』にも2回出演しています。

他でも共演する事は多く、演技の相性も人間的な相性も良かったようです。沖氏の健康のことも心配してくれたようで、関わる時間が多かったため、恋人に見えたのかもしれません。

沖雅也と坂口良子の噂

もともと共演する事が多く、気も合ったため一緒に食事をしたりすることもあり、端からみれば良いカップルに見えたに違いありません。

沖雅也は女性との熱愛報道や恋人の噂が多くありましたが、その一人が坂口良子です。葬儀の席では報道陣に詰め寄られていましたが、坂口は「沖雅也とは恋人ではない」と言っています。

沖雅也の通夜や葬儀や告別式などで取り乱していたらしく、この様子だけを見れば恋人同士でも不思議はありません、結論を言うと、2人は恋人としては付き合う事はありませんでした。

NEXT 2人は共演作が多く、兄弟のような仲だった