よっこいしょういちとは?語源や意味を紹介!アニメにも登場する?

「よっこいしょういち」と立ち上がりながら言う上司、職場に居たりしませんか?「誰のことだ?」「何のギャグだ?」そう思ってしまう人、今の若い人には少なくないはずです。ドラマ「ラストシンデレラ」で篠葉涼子も使っていてたこの台詞、一体何で語源はどこにあるのでしょう?

「よっこいしょういち」とは?昔流行ったギャグ?

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よっこいしょういち、とただ耳にするだけだと、何ともつまらないオヤジギャグに感じてしまいます。「よっこらせ」「よっこいしょ」も十分オヤジくさいのに「よっこいしょういち」?面白みも何もありません。

しかしこのギャグの語源には、ある男性の悲惨な戦争体験が関係しているのです。それは一体どういうことなのでしょう。

意味は?よっこいしょういちは昭和50年代に流行ったギャグ

「よっこいしょういち」は、昭和50年代に生まれ、流行したギャグです。このギャグをいまだに使用しているのは、当時サラリーマンだった50~60代がほとんどです。

見て(聞いて)の通り、立ち上がったり重いものを持ち上げたりする時の「よっこいしょ」と人名を組み合わせて出来ています。「横井庄一さん」という方がその語源です。

元ネタ・由来は旧日本兵の横井庄一?

横井庄一さんは、太平洋戦争時、召集され、グアムに派兵された旧日本軍の兵隊さんでした。戦争は1945年に終結しましたが、横井さんはそれを知ることなく、28年間もグアムに潜伏し続けました。

1944年に戦死したと告げられていた横井さんは、1972年、57歳の時にグアムの猟師に見つけられ、遅すぎる生存確認をされることになります。日本中が横井さんの生還に驚愕しました。

こうして日本人なら誰もが知る名前となった「よこいしょういち」と「よっこらしょ」が結びついて、「よっこいしょういち」というギャグが生まれたのです。

大ブームは横井庄一の選挙落選ごろに終息?

横井庄一さんは一躍時の人となりました。NHKでは特別番組が組まれ、公演会も各地で行われ、「日本沈没」ブーム時には災害に関するインタビューも受けています。

帰国から2年後の1974年、横井さんは衆議院議員選挙に無所属で出馬し、落選します。その頃からマスコミの扱いもやっと下火になっていきます。

しかしそれでも、「よっこいしょういち」というギャグだけは、残されていくことになるのです。

「よっこいしょういち」を誰が言い出したかは不明?

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「よっこいしょういち」とは一体誰が言い出したのか、実を言うと分かっていません。

今でなら、ネット社会で自然発生して拡散、という図式も考えられます。しかし当時、有名芸人がテレビでネタにした、等の記録すらなく、どうやって全国区のギャグになったのかは謎のままです。

逆の言い方をすれば、発生源が分からないのに定着したこと自体が、横井庄一さんのニュースが、当時の日本に与えた衝撃の度合いを物語っているとも言えます。

「よっこいしょういち」の語源になった横井庄一とは?

横井庄一さんが28年間グアムで潜伏生活をしていたのは前述した通りですが、一体なぜそんなことになったのでしょう。横井さんのもう少し具体的な略歴と共に、追ってみます。

横井庄一は、28年間もサバイバル生活をしていた!

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横井さんのグアムでの28年間は、当時の日本の「軍事教育」が生み出した悲劇とも言えます。ポツダム宣言直後、グアムの上空には日本の敗戦を知らせる紙が捲かれ、取り残された日本兵士に降伏を促していました。

しかし横井さんは「これは敵の罠だ」と信じませんでした。横井さんはいつか友軍が助けに来ると信じ、仲間たちと地下壕を作って潜伏生活に入ります。更に襲ってくるであろう敵軍から身を隠すためです。

当時日本兵は、敵軍の捕虜となるのを最も不名誉なことだと教育され、戦地に送られていました。もしそんな「軍事教育」がされてなかったら、横井さんはもっと早く帰国できたのか…今となっては知る由もありません。

日本帰還時の横井庄一の実直さが伝わる動画

当時のニュース映像です。ナレーションが皇居の場面で、「桜のように散れずに申し訳ありませんでした、と頭を下げています」といった内容の話をしています。実直な方だったようです。

また、マスコミに追い回されるのに辟易して「もう少し静かに過ごさせてください」と仰っているのが、あらゆる意味で印象的です。

「恥ずかしながら帰ってまいりました」も流行語になった

横井さんは帰国の際、羽田空港で当時の斎藤厚生大臣に「何かのお役に立つと思って恥をしのんで帰ってまいりました」と伝えました。その後のインタビューでも「恥ずかしながら帰ってまいりました」と発言しています。

この「恥ずかしながら帰ってまいりました」も、「よっこいしょういち」と同じように当時の流行語になっています。

しかしこの発言も、戦時中の軍事教育が言わせたものだというのを、忘れてはいけません。これは「生きて本土へは戻らぬ決意」だったことの裏返しとも言えるのです。

帰国後は自らの経験を生かして活躍した

横井さんは帰国後、比較的すんなりと当時の日本社会に馴染んだそうです。その後は、自らの経験を語り、活躍なさいました。

自身のサバイバル生活を元に、耐貧生活評論家として全国各地で公演会を行い、石油ショックの折には、節約生活について語ったりしたそうです。

本も出版なさっていて、『明日への道 全報告グアム島孤独の28年』『無事がいちばん 不景気なんかこわくない』『横井庄一のサバイバル極意書/もっと困れ!』で、自身の経験から現代社会へ呼びかけています。

現在は亡くなっているが、名古屋市に横井庄一記念館がある

横井さんは1997年に82歳でお亡くなりになりました。その後、奥様の美保子さんが名古屋市中川区の自宅を改装し、私営で「横井庄一記念館」を開館なさりました。

展示物の中心は、横井さんがグアムで生活していた地下壕の模型や、使用していた機織り機や魚を捕る籠などを復元したものです。

開館日は毎週日曜日、開館時間は午前10時~午後4時30分まで。入場無料です。

「よっこいしょういち」は死語?世代ごとの認識は?

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「ナウい」「チョベリバ」「アッシー君」今まで多くの流行語が生まれ、そして死語となっていきました。「よっこいしょういち」は他の死語と比べて、今でも比較的耳にする機会が多いギャグです。

「よっこいしょういち」を未だに使用しているのは、昭和50年代当時既に社会人か大学生だった50代以上の人のようです。その頃小学生~中学生だった40代は「小さい頃聞いたことがある」程度の認識です。

昭和60年以降の生まれの30代以下は、意味すら分からないようです。

「よっこいしょういち」は今でも使われている?【ドラマ編】

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「よっこいしょういち」をいまいち「死語」と感じないのには、今時のドラマで時折聞く機会があるから、という理由もあります。

主に人気女優の台詞に多く、キャラクターにユーモアのあるオヤジ感を演出させたい時に使用されるようです。

「ラストシンデレラ」で篠原涼子が使用

「ラストシンデレラ」は2013年に放送された、篠原涼子さん、三浦春馬さん主演の大人のラブコメディです。篠原涼子さんは自分に無頓着で10年彼氏がいない美容師を演じています。いわゆる「オヤジ女子」です。

「よっこいしょういち」と言ったのが脚本からなのか篠原さんのアドリブなのかは分かりませんが、この台詞ひとつで充分なオヤジ感を得られています。

「ホタルノヒカリ」で綾瀬はるかが使用

「ホタルノヒカリ」は2007年、2010年にそれぞれシリーズが放送されたドラマです。綾瀬はるかさん、藤木直人さん主演です。綾瀬さんの役どころは、仕事は出来るけど私生活がぐうたら過ぎるOLです。

綾瀬さんは作中、家ではジャージでゴロゴロしっぱなしで恋愛は放棄中、「干物女」と呼ばれる女性でした。彼女のその浮世離れした雰囲気を出すために、このギャグの台詞が使われました。

「トリック」で仲間由紀恵が使用

「トリック」は2000年に第一シリーズが放送され、以降第三シーズンまで続いた上、その後も新作スペシャルや劇場版が何度も製作された大ヒットシリーズです。仲間由紀恵さん、阿部寛さん主演です。

仲間さんの役どころは「超能力者のインチキを次々暴く売れないマジシャン」です。「よっこいしょういち」の他にも「ムッシュムラムラ」等昔のギャグがちりばめられていました。

こちらは前述二作と違い、作品自体に浮世離れした雰囲気がありました。昔の世代にはどこか懐かしく、新しい世代には新鮮な作品でした。

「よっこいしょういち」は今でも使われている?【アニメ編】

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「よっこいしょういち」は勿論アニメでも使われています。ドラマとは違い、可愛い女の子以外にも様々なキャラが多用しています。

それも驚くことに、昔のアニメではなく、ほんの数年前に製作されたものの台詞にポツポツとさり気なく登場することがあるのです。

「らき☆すた」

アニメ「らき☆すた」のファンの間では柊つかさというキャラが椅子に座る際にこの台詞を言ったことで有名です。第6話「夏の定番」でのことです。

柊つかさは「らき☆すた」の主要登場人物の一人で、見た目の可愛い天然キャラ、という位置づけです。

彼女の「よっこいしょういち」発言を、年齢層の低いファンは何のことか理解できず、つかさのオリジナル名言と勘違いしたそうです。実際は演者の福原香織さんのアドリブだったそうです。

「銀魂」

週刊少年ジャンプで長期連載となった「銀魂」、そのアニメ版で主人公の坂田銀時が何度か「よっこいしょういち」というい言葉を使っています。

銀さんの年齢設定は20代後半です。また「銀魂」は幕末のパラレルワールドが舞台となっていて、この世界に横井庄一さんが存在した可能性も分かりません。彼がこのフレーズをどこで入手したのかは…永遠の謎です。

「涼宮ハルヒの憂鬱」

アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の第24話「涼宮ハルヒの溜息5」で、主人公のキョン(本名は定かではない)が、雨の中で抱えた子猫を放つシーンで「よっこいしょういち」と言っています。

余談ですが、前述した坂田銀時とキョンには、演じる声優がいづれも杉田智和さんであるという共通点があります。「よっこいしょういち」は杉田さんご自身のお気に入りフレーズである可能性があります。

「ワンピース」作者が不謹慎とネットで炎上した?

ドラマでもアニメでも多用され、意味も判らない若い年代にもそれなりに浸透している「よっこいしょういち」です。

しかし過去には、週刊少年ジャンプで連載中の人気漫画「ワンピース」の作者コメント欄で比喩に使われ、炎上したこともあります。

問題になった作者・尾田栄一郎のコメントとは?

この画像は「ワンピース」第89巻冒頭の作者コメント欄です。飲み会などでよくある「一つ残し」で余った唐揚げを横井さんに例えています。

そして「誰か(唐揚げを食べる=横井さんをグアムから救出することで)戦争を終わらせて!」と叫び、「恥ずかしながら!89巻始まります!」と締めくくっています。

コメントや似顔絵への批判が続出

このコメントに対し、ネット上は「亡くなった方を弄って茶化すな」「国のために頑張った人を馬鹿にするな」と大炎上になりました。

中には「そこまで過剰に反応しなくても」と穏健な意見もあったようですが、大多数の方が不謹慎と感じたのに間違いはありません。

また、描かれている似顔絵が横井さんではなく「小野田寛郎さんではないのか」という批判も起きました。

似顔絵で描かれたとされる小野田少尉とは?ラストサムライ?

小野田寛郎さんは、横井庄一さんと非常によく似た経歴をお持ちの方です。情報将校としてフィリピン戦に従軍し、終戦後もそれを知らないまま、米比協定でフィリピン国内に留まる米軍相手にゲリラ戦を続けたのです。

横井さんと同じように、小野田さんも1945年に戦死したと報じられましたが、29年後に発見されます。日本の敗戦を説明された小野田さんは、「直属の上官の命令解除があれば任務を離れる」と言ったそうです。

最後まで任務に忠実だった小野田さんを「ラストサムライ」を称したいところですが、「軍国主義の亡霊」との批判も受けていました。

よっこいしょういちの他に、当時流行ったギャグは?

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いつの時代にも、その「時」を反映した流行語があります。昭和の時代に流行したギャグには独特の雰囲気があり、ごく稀に耳にして、懐かしみながら微笑む人も多いでしょう。

「よっこいしょういち」の他にも、当時はこんなギャグが流行っていました。それぞれの意味や由来などを調べてました。

あたり前田のクラッカー

1960年代のギャグです。言葉の通り「当たり前だ」と言う時に使用するギャグです。時代劇姿の藤田まことさんが前田のラッカーを胸から出して「あたり前田のクラッカー」と言うCMが有名でした。

この「あたり前田のクラッカー」は現在でも販売しています。Amazonからも購入できます。

インド人もびっくり

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1964年にS&Bから発売された「特製ヱスビーカレー」のCMに登場したフレーズです。

長門裕之さん、芦屋雁之助さんなどインド人に扮した俳優さんたちが、食べて「インド人もびっくり!」と驚く内容のCMでした。本場のインド人も驚くほどの美味しさ、ということです。

このフレーズは現在でも、予想だにしなかった出来事に遭遇した時などに使用されることがあります。

がってん承知の助

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「合点」「承知」、いづれも「了解した」というニュアンスのある言葉です。これを合わせて人名っぽくもじったのが「がってん承知の助」というギャグです。

いつ頃生まれた言葉なのかというと、元々が江戸っ子言葉なので、その歴史は江戸時代まで遡ると考えられます。

冗談はよしこさん

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読んでそのまま、「冗談はやめてください」という意味のギャグです。由来は定かではありませんが、鈴木由美子さんの漫画「ジョーダンはよしこちゃん!」がその語源であるという説もあります。

「よっこいしょういち」とは言えても戦後は終わらず

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ギャグにまでなった横井庄一さんですが、実はグアムで発見された折、地元の猟師に銃殺されていたかも知れないのです。もしそうなっていたら、横井さんは残留日本兵としてすら記憶に残らなかったでしょう。

横井さん帰還の裏には、どんなドラマがあったのか。そこには、28年経っても消えなかった戦争の傷を見ることが出来ます。

横井さんを発見した猟師は残留日本兵に肉親を殺されていた

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横井さんを発見したのは、ある猟師とその義弟でした。猟師は横井さんが残留日本兵だと察すると、殺意に満ちた表情で銃口を向けました。それを一緒にいた義弟が羽交い絞めにして、どうにか踏みとどまらせました。

その猟師は、1950年に横井さんのようにジャングルに潜んでいた残留日本兵に弟と甥を殺されていて、日本兵に激しい憎悪の感情を持っていました。横井さんを見つけ、それが爆発しそうになったのです。

そんな横井さんを助けたのは、カトリック信者だった猟師の母親です。息子を殺されたにも拘らず「残留日本兵もまた戦争の被害者」と、横井さんを許しました。そのおかげで横井さんは帰国できたとも言えます。

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