船戸雄大の生い立ちや学歴、出身は?結愛ちゃん虐待事件の概要まとめ 社会

船戸雄大の生い立ちや学歴、出身は?結愛ちゃん虐待事件の概要まとめ

結愛ちゃん虐待事件は船戸雄大が主犯となり起きた事件です。船戸雄大の出身地や高校はどこなのでしょうか。仕事は食品会社に勤めていたという噂です。妻の船戸優里のFacebookを特定したという情報もあります。結愛ちゃん虐待事件についてまとめました。

目次

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結愛ちゃん虐待事件の船戸雄大とは?実家や生い立ちは?

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船戸雄大は東京都で起きた殺人事件の犯人として、有名になった人物なのですが、あまりに残酷な事件だったため、人格を疑われました。

なぜこのような異常な人間が育ってしまったのかを調査するために、その育てられ方、出身地や出身校、学歴などの生い立ちは細かく調べられました。また、犯行当時の職業や前職なども調べられました。

船戸雄大とは何をした人物なのか、どのように育ってきたのか、職場での仕事ぶりはどうだったのかということや、生い立ちを含めて、まとめています。

船戸雄大とは?結愛ちゃん虐待事件の犯人?

船戸雄大は2018年3月に、東京都目黒区で起きた女児虐待事件の犯人です。この事件では長い期間に渡って度重なる虐待を受けた、5歳児童が死亡しました。児童の名前から結愛ちゃん虐待事件とも呼ばれています。

死亡したのは母親の連れ子だった船戸結愛ちゃんです。結愛ちゃんは母親の船戸優里と元夫との間に生まれました。船戸優里は離婚した際結愛ちゃんを引き取り、船戸雄大と再婚しました。

結愛ちゃん虐待事件では、船戸雄大の血も涙もない非人道的行為の数々が暴かれ、世間を騒がせました。また、虐待を隠し通そうとし、行政の介入も拒んだ母親の船戸優里も犯人の1人となっています。

結愛ちゃん虐待事件の概要は?日常的に虐待されていた?

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結愛ちゃん虐待事件では、日常的に行われていた虐待の末に結愛ちゃんが死亡しました。2018年3月2日に死亡した結愛ちゃんへの虐待は少なくとも2016年8月以前から行われていた事が分かっています。

2016年8月に近隣住民の通報によって児童相談所に一時保護され、その時の診断で日常的な虐待を受けていた事が判明しています。保護解除後も虐待の跡が発見されましたが、母親は否定し保護には至りませんでした。

結愛ちゃんは度重なる虐待で、肉体的にも精神的にもボロボロにされ、死亡しました。結愛ちゃん自身からも「パパにやられた」という言葉が出ていたにも関わらず、結局誰にも救われることはありませんでした。

船戸雄大の生い立ちは?出身地は?札幌?岡山との噂も?

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結愛ちゃんが死亡した2018年3月に、船戸一家は東京都目黒区に転居していたため、目黒女児虐待事件とも呼ばれていますが、2017年12月までは香川県善通寺市に住んでいました。

香川県善通寺市は船戸優里の出身とされており、船戸雄大は岡山県瀬戸内市出身と言われています。

子供の貧困や虐待問題に詳しいノンフィクション作家の石井光太氏も「船戸雄大は岡山県出身」としているため、出身は岡山で間違いなと考えられるでしょう。

船戸雄大の実家や住所は?母親や父親はどんな人物?

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船戸雄大は両親と8歳年下の妹という4人家族の長男として育ちました。出身は岡山ですが、小学2年生の時に千葉に引っ越し、5年生の時には北海道に引っ越したことが明らかになっています。

実家の住所はもちろん不明ですが、船戸雄大が30歳の時に両親は札幌に住んでいたといいます。

母親についてはどのような人物なのか不明ですが、父親は高圧的な人物であったようで船戸雄大自身も父親から日常的に暴力を振るわれていました。

船戸雄大はどのように育ったのか?両親から虐待を受けていた?

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親から虐待を受けていた子供が親になり、子供に虐待をするという虐待の連鎖や、虐待を受けていた子供は罪を犯しやすいというのは、よく言われています。

船戸雄大も大学時代の友人に「自分は父親から虐待されて育った」と語っており、頭蓋骨が陥没するほど殴られていたとも話していたそうです。

「雄大本人は躾の厳しい親だった程度にしか考えていなかった様子だった」と友人は証言していますが、日常的に親が子供に暴力を振るうのは虐待以外の何ものでもありません。

船戸雄大の学歴は?高校はどこ?帝京大学卒業?

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逮捕血直後には、過去に別の事件を起こしたため、それ以前の情報が完全に秘匿されているという噂も流れた船戸雄大の学歴ですが、高校は北海道札幌白石高等学校に通っていたことが判明しています。

高校ではバスケットボール部に所属し、都内の大学に進学したことまでは明らかになっていますが、大学名や専攻は不明です。帝京大学に通っていたとの話もありますが、確証はありません。

ちなみに船戸優里は事件後にfacebookが特定されたため、観音寺中央高校を卒業したという事が分かっています。

船戸雄大は事件当時無職?仕事はしていた?

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船戸雄大は事件当時は無職でした。船戸優里の仕事で生計を立てていたとされています。大学卒業後、船戸雄大は都内で就職したものの30歳でうつ病を発症し、退職して札幌の実家に戻ったと公判で言われていました。

しかし、父親の事業が厳しくなって母親と妹の暮らしも立ち行かなくなったために、仕方なく仕事を辞めて札幌に帰ったという証言も船戸雄大の友人からは出ています。

札幌に戻ってからは、しばらく家業を手伝った後にすすきののキャバクラで黒服として働くようになったといい、その後は香川に移り住んで高松市内のキャバクラに勤務していました。

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香川に引っ越した理由は、大学時代の友人から紹介されたキャバ嬢に「自分も高松市で働いているのだが、人手不足で困っている」と誘われたからでした。

そして高松市内のキャバクラで黒服として働き始めるのですが、この時に出会ったのが同じ店でキャバ嬢として働いていた船戸優里だったのです。

30歳を過ぎてから夜の世界で働くようになった船戸雄大ですが、高校時代に付き合いのあった不良がすすきのに出入りしていたため、彼らへの憧れから勤務への抵抗もなかったのではないかと考えられています。

船戸雄大の前職は食品会社?味のちぬや?仕事ぶりは?

香川県に住んでいた頃の船戸雄大は、三豊市の味のちぬやという冷凍食品会社に勤めていて、主任の役職に就いていたという噂も流れていました。

しかし実際は前述の通りキャバクラで勤務していたため、これはデマであったと言えるでしょう。

とはいえ東京で勤めていた会社を辞める際には引き止められたという話もあるため、決して仕事ができなかったわけではない様子です。

船戸雄大の人物像や性格は?自宅住所とFacebookが特定された?

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船戸雄大の人物像や性格はどのようなものだと言われているのか、結愛ちゃん虐待事件を起こしている時点で、まともではなく、非道な人間だという事は分かっていますが、周りの評価も含めてまとめています。

事件が発覚した後は、犯人の船戸雄大と船戸優里のfacebookや、自宅の住所を特定しようとする人も多数現れました。

船戸雄大はクズすぎる性格?気性が荒くDV癖があった?

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船戸雄大は船戸優里の再婚相手で、結愛ちゃんの実の父親ではありません。結婚相手の連れ子に愛情を感じれなくて、虐待するという話はよくあると言われていますが、船戸雄大もその1人でした。

船戸雄大と船戸優里の間に生まれた実の子は普通に育てており、結愛ちゃんにだけ虐待をしていたようです。また、妻の船戸優里に対してもDVを行っていました。

虐待している事実を隠蔽しようとし、児童相談所の介入を避け逃げるように引っ越し、その後働きもせず虐待を続け、逮捕されるというクズっぷりです。

船戸雄大は大麻にも手を出していた?

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船戸雄大は大学2年の時に大麻に手を出すようになり、社会人になってからは危険ドラッグも使っていたことが明らかになっています。

自宅であれば友人が来ている時でも薬物を使用していたため、いい加減やめるように助言した人も少なくなかったそうですが、船戸雄大は聞く耳を持ちませんでした。

東京から北海道に引っ越す頃には、言動がおかしかったり、出席すると言っていた友人の結婚式をすっぽかすなどの奇行も見られたといいます。

船戸雄大はヒモだった?

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香川県から児童相談所から逃げるように引っ越した船戸雄大は、職も決めずに引っ越しています。

船戸雄大と船戸優里は完全な上下関係にあったとされており、船戸優里にキャバクラなどで働かせ、ヒモのような生活を続けようとしていたのでは、と言われています。

船戸雄大はもともと自分の言うことに何でも従う気の弱い女性が好きだったようで、少しでも妻の船戸優里や結愛ちゃんが太ると「ダイエット」と称して食事を与えませんでした。

ひどい扱いを受けてきたことの裏付けとして、公判では船戸雄大を見た船戸優里が異常なほど怯える様子も確認されています。

しかし、船戸優里が自分の子供を妊娠して籍を入れることを決意した時には地元に引っ越してやり直そうと就職先も決めていたといい、当初は父親としての責任を果たしたいと考えていたようです。

交際中は結愛ちゃんを可愛がっていた?

義理の父親となってからは朝4時から平仮名の練習をさせる、食事を与えない、冷水を浴びせかける、少しでも気に入らないことをすると反省文を書かせるといった虐待を結愛ちゃんに行っていた船戸雄大。

しかし、船戸優里と交際していた頃は結愛ちゃんのことをまるで姪っ子のように可愛がっており、結愛ちゃんも船戸雄大のことを「お兄ちゃん」と呼んで慕っていたそうです。

自分のことを可愛がってくれていたはずの大人が突然変貌して殴りかかってきた時、結愛ちゃんがどれほどの恐怖と絶望を感じたかは察するに余りあります。

船戸雄大の周りから見た印象や評価は?

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香川県の食品会社に勤務していた時も、周りからの評価は良く、家族を大切に思っている発言をしていたようです。

船戸雄大の行きつけだった居酒屋の店主も、船戸雄大は良い人で、嫁や結愛ちゃんの事を可愛がっているような発言をしていたと言っており、とても虐待をしているような感じではなかったと話しています。

船戸雄大は表と裏の顔を使い分けていたため、周囲には気づかれにくかったのかもしれません。このような話から裏では虐待を続けつつ、周囲には可愛がっているように伝えるという凶悪な一面が表れています。

船戸雄大は異常に自尊心が高かった

大学を卒業して東京で働いていた当時、船戸雄大は港区にあるマンションの10階に住んでいたといいます。

部屋からはレインボブリッジも見え、度々自宅に友人を招待していましたが、20代の若者が住む家にしては背伸びをし過ぎでは?と思えるような環境だったと訪れたことのある友人は証言しています。

このような見栄っ張りな面は高校時代から露見していたようで、下級生には尊大に、上級生には媚びへつらう様子から陰で「しゃみ(しょぼい)将軍」とあだ名をつけられていました。

船戸雄大の同級生がtwitterに登場?

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結愛ちゃん虐待事件後、船戸雄大の小学校の時の同級生で中学高校大学でも付き合いがあったという人物が、Twitterで現れています。

その人物によると、船戸雄大の家庭環境は虐待があった、貧乏だったといった問題があったようには見られず、明るいバスケット好きの普通の少年だったといいます。

船戸雄大の自宅住所は特定されている?目黒区?

船戸一家は、東京都目黒区東が丘1丁目に住んでいたようです。アパートもニュースで報道されました。

このアパートに船戸雄大と船戸優里、結愛ちゃんと長男の4人で住んでいたといいます。

船戸雄大と船戸優里のFacebookが特定された?

事件後に船戸雄大と船戸優里のものと思われるFacebookアカウントが特定されていました。そのアカウントの情報から、出身地などが出されたようです。

また、船戸雄大と船戸優里の関係が複雑な関係となっていた事から、船戸優里が元夫と結婚している時から不倫関係にあったのではないかと言われています。

船戸優里は生活保護で生活していた事もあり、船戸雄大はその金が目当てだったのでは、という噂も出ています。

船戸雄大の妻・船戸優里の生い立ちは?なぜ結愛ちゃんを守れなかったのか

結愛ちゃんが虐待を受け続け、死亡したのは実の母親でもある船戸優里のせいでもあり、結愛ちゃんを守ろうとしなかったどころか、一緒に虐待をしていたと言われています。

結愛ちゃん虐待事件の犯人の1人でもある、船戸優里の両親などはどのような人間だったのでしょうか。

船戸優里の出身や両親・家族について

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船戸優里は香川県善通寺市で、4人兄弟の末っ子として育ちました。

自衛隊に勤務していた父親は厳しく、両親に虐待を受けていたという事実はないようですが、大麻で逮捕された、交通刑務所に入所していた等の問題行動を起こす親族がいるという話も近隣住民からは出ています。

結愛ちゃんは船戸優里の祖父母に可愛がられていた

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結愛ちゃんの曽祖父や祖父母は結愛ちゃんを可愛がっていたようです。曽祖父は小さい頃によく来たというコメントをしており、虐待が始まる前、船戸雄大が父となる前の結愛ちゃんと会っていたと考えられています。

船戸優里の元夫の両親、結愛ちゃんの祖父母は元夫と離婚する前は家族3人でよく遊びに来ており、結愛ちゃんを可愛がっていたようです。

結愛ちゃんも児童相談所の職員に「ばぁばの所に帰りたい」と言っていたようです。一方で船戸優里や船戸雄大の両親の情報はなく、取材を拒否したものと思われます。

結愛ちゃんは妻の船戸優里の連れ子だった

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結愛ちゃんは船戸優里と元夫との子供で、船戸雄大の実の子ではありません。船戸優里は2015年に離婚し、2016年に船戸雄大と再婚しています。

船戸優里が結愛ちゃんの父親と結婚をしたのは、高校を卒業してすぐ、19歳の時でした。しかし元夫もDVが酷く、22歳で離婚。その後はシングルマザーとして結愛ちゃんを育てていました。

再婚前はシングルマザーで生活保護だった?

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2015年に離婚してからの船戸優里は2016年に再婚するまでは生活保護を受けていたという話もありますが、高松市内のキャバクラ店に勤務していたため、生活保護受給は信憑性が低いと考えられます。

キャバクラ店で勤務してからは何人かの黒服スタッフと交際していたものの、船戸雄大に出会ってからは一目惚れ状態で、猛アタックの末に付き合うことになったといいます。

船戸雄大と船戸優里は8歳もの年の差があるため、子供を抱えて先行きの見えない状態であった船戸優里には、船戸雄大が頼りがいのある大人の男性に見えたのかもしれません。

船戸優里の前夫は?離婚したのはいつ?

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船戸優里が離婚したのは2015年という情報だけで、詳しい月日は分かっておりません。また、前夫が現在どうしているかといった他の情報もありませんでした。

船戸雄大の母親は結婚に反対していた?

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交際時に船戸優里の妊娠が発覚し、入籍を決意した船戸雄大でしたが、彼の母親は結婚に猛反対していました。8歳も下のシングルマザーとできちゃった結婚となれば、母親が口を挟みたくなるのも仕方のないことです。

この時に船戸雄大が両親としっかり話し合って結愛ちゃんを受け入れてもらっていれば、未来も変わっていたのかもしれませんが、船戸雄大は勘当状態で実家との交流を絶ってしまいます。

親から結婚を猛反対されたことが原因で地元に帰ることが出来ずに就職話も帳消しとなってしまい、船戸家は香川県で不安定な暮らしを続けることになったのです。

船戸雄大との結婚後、長男を出産

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船戸優里は船戸雄大と再婚した後に、長男を出産しています。長男が誕生した後は船戸雄大の実の子となる長男だけ可愛がり、船戸優里もそれに従うような形だったようです。

目黒区に引っ越してからは、船戸雄大と優里、長男が同じ部屋で過ごし、結愛ちゃんは明かりも暖房もない部屋で1人にされていたとなっています。

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