愛華みれは、病気を乗り越えて結婚!夫や子供は?現在は太った? エンタメ

愛華みれは、病気を乗り越えて結婚!夫や子供は?現在は太った?

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1985年、宝塚歌劇団に入団

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1985年、宝塚歌劇団に入団した愛華みれさん。配属は、宝塚歌劇団創立当初からある『花組』に配属されました。

宝塚音楽学校に在籍当時は劣等生だったそうですが、のちにトップスターとなる愛華さんを含めた『花の71期』は同時期に5組中4組でトップを輩出しています。

「愛あれば命は永遠に」で初舞台を踏む

1985年3月~5月・7月に、花組が上演した「愛あれば命は永久に」で愛華みれさんは宝塚の初舞台を踏みました。

この作品は英雄ナポレオンと皇后ジョセフィーヌの愛の奇跡が描かれたロマン大作です。

そして71期生の初舞台お披露目公演であるとともに、当時の花組トップ娘役だった若葉ひろみさんのサヨナラ公演でもありました。

「散る花よ、風の囁きを聞け」の薩摩藩・藩士役に抜擢

1986年5月13日~25日に花組で上演された「散る花よ、風の囁きを聞け」で、薩摩藩・藩士役に抜擢された愛華みれさん。

この作品は、幕末時代に若い剣士が徳川家に殉じた物語で、武家の娘との恋愛模様が美しく描かれているストーリーです。

同期生では、真琴つばささん・香坂千晶さんも愛華さん同様、この作品に抜擢され出演を果たしています。

数々の新人公演で主演を務める

1990年10月12日に「秋・・・冬への前奏曲」の新人公演で初主演を務めた愛華みれさん。翌年1月22日・4月16日に上演された新人公演「春の風を君に・・・」でも主演を務めています。

そして1992年4月~5月にかけて上演された「けれど夢の中で めざめたときに」で初主演を果たし、以降数々の公演で主演を務めました。

1999年「夜明けの序曲」で花組トップスターになる

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1999年1月~2月にかけて上映された「夜明けの序曲」は、愛華みれさんのトップスターお披露目公演となりました。

愛華みれさんは、現在女優として大活躍されている真矢みきさんからトップスターの座を託されました。

歴史ある花組のトップスターの重圧はとても大きかったのではないでしょうか。

2001年に宝塚歌劇団を退団

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2001年11月11日「ミケランジェロ」の上演を最後に、愛華みれさんは宝塚歌劇団を退団しました。

最後に白の燕尾服に身を包んだ愛華さんは真っ赤なバラの花束を抱え大階段を降りきり、客席に向かってバラを投げながら銀橋を歩いています。

全力を出し尽くした愛華さんは最後の公演時も涙は見せず笑顔でい続けました。

2008年にリンパ腫を公表

宝塚歌劇団を退団後は女優に転身し、テレビや舞台など多方面で活躍していた愛華みれさんでしたが、血液のがん・悪性リンパ腫を患っていることが判明しました。

2008年3月21日に、所属事務所が愛華さんの病気を公表しました。これにより出演予定だった舞台を降板、リンパ腫の治療に専念することしたのです。

同年「シンデレラ the ミュージカル」で復帰

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2008年4月から治療を開始した愛華みれさん。周囲の人に助けられ「第一級の治療態勢を整えてもらった」と愛華さんは後の取材で語っています。

抗がん剤・放射線治療、旦那さんや家族の手厚いサポート、何よりも愛華さん自身のがんに負けない強い精神力により、約5ヶ月で舞台の復帰を果たしました。

愛華さんの復帰作となったのは、8月6日に上演を開始した「シンデレラ the ミュージカル」で、宝塚歌劇団とモーニング娘。がコラボしたミュージカル作品でした。

愛華みれの主な出演作品

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宝塚歌劇団でトップスターの座に上り詰めた愛華みれさんは、確かな演技力と圧巻の歌唱力により、女優に転身後も数々の作品に出演してきました。

途中、がんという病魔が愛華さんの身体を蝕みましたが、がんに屈することなく立ち向かい、現在がんは寛解しています。

ここでは愛華みれさんがこれまでに出演してきた主な作品について紹介します。

舞台「夜明けの序曲」

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1999年、宝塚歌劇団花組トップスターに就任した愛華みれさんのお披露目公演となったのが「夜明けの序曲」です。

この作品は1982年が初演であり、愛華みれさんが出演した1999年に再演されました。

元宝塚歌劇団花組トップスターで、当時「カリスマ」と称された現在は女優の真矢みきさんからバトンを受けた愛華さんのトップスターの道が始まった作品です。

舞台「チャーリー・ガール」

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2011年に宝塚歌劇団を退団した愛華みれさんの女優デビュー作品となったのが、2002年4月公演開始の舞台「チャーリー・ガール」でした。

この作品は、イギリスのとある貴族の邸宅を舞台に、主人公であるシャーロット(通称:チャーリー)の恋模様を中心に描かれたミュージカルコメディです。

愛華さんはこの作品で主演を務め、森公美子さんや愛華さんにとっては宝塚時代の先輩でもある春風ひとみさんなど、錚々たるメンバーが脇を固めました。

ドラマ「ぼくが地球を救う」

2002年7月~9月にTBS系列で放送されたテレビドラマ「ぼくが地球を救う」に出演。これが愛華みれさんにとって、女優としてのテレビ初出演です。

この作品は主役を演じた内村光良さんが、危篤状態に陥ったことで得た特殊能力によって自身や友人、地球の運命を変えていく物語です。

愛華さんは内村光良さんが演じた主役男性の同級生で、マドンナ的存在でもあった国際線のCA役として出演しました。

映画「フライ、ダディ、フライ」

2005年7月に公開された映画「フライ、ダディ、フライ」はV6の岡田准一さんと俳優の堤真一さんが共演した青春映画です。

娘を暴行された父親(堤真一)が、男に復讐する為に高校生(岡田准一)に鍛えられることで心身が成長していく様子が描かれています。

愛華みれさんは、堤真一さんの奥様役として出演しています。

絵が得意?画家・野村重存とスケッチ紀行を行う番組も

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2006年~2009年の間、NHK教育テレビで放送されていた「趣味悠々-日帰りで楽しむ風景スケッチ-」にレギュラー出演していた愛華みれさん。

この番組は、絵画レッスンのプロとして活動されている野村重存さんを講師に迎え、愛華みれさんはその生徒役で風景スケッチを習っています。

愛華さんが絵が得意かは定かではありませんが、野村重存さんのレクチャーによりどんどん絵が上達していく様子がわかります。

「今」だけに全力をつぎ込んできた、愛華みれはこうして創られた!

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宝塚歌劇団退団の際に「全力を出しきった」と語った愛華みれさん。彼女はこれまでも現在も常に「今」に全力を注ぎこみ毎日笑顔で生活されています。

自分に厳しく、ぶれることなく信念を貫く愛華さん。その強さと愛情溢れる優しさに皆惹かれ、愛華さんには人が集まるのでしょう。

そんな愛華さんを創りあげたのは、愛華さんの人生における考え方、大切にしてきた言葉、育った環境などが大きく関係しているようです。

厳格な家庭で育った、夢見がちな子供

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両親と兄、1つ違いの姉・弟の6人家族で、愛華みれさんは4人兄弟の3番目。鹿児島の大自然に囲まれた田舎でのびのびと育ちました。

幼い頃は夢見がちな子供で変身願望が強く空想癖があり、宝塚歌劇団に入団した時も「自分は宝塚歌劇団という夢の世界にいる」と考えていたそうです。

家では、父親が箸をつけるまでご飯を口にすることを許されない厳格な家庭で、日本舞踊は家元だった母のもとで子供時代から稽古したといいます。

小学校3年生にして座右の銘を心に留めた

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よく空想して遊んでいたという愛華みれさんですが、両親の教育だったのでしょう。「夢と現実を共に見ることが大切」ということを常に念頭に置いていたそうです。

小学生に頃には既に信念を貫くことを志し、自身の座右の銘として『夢を描き、夢の翼を休めるな』という言葉を心に留めたといいます。

この言葉は愛華さんの祖母の家にあったカレンダーに書いてあり、小学3年生だった愛華さんの心に強く響き、どんなときもこの言葉が支えとなったようです。

愛華みれの座右の銘は何が基になっているのか?

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愛華みれさんの座右の銘「夢を描け、夢の翼を休める」という素敵な言葉は一体何が基になっているのか調べてみました。

この言葉は、新宗教である「生長の家」の創始者である谷口雅春さんの著書『聖詩集』に掲載されている”夢を描け”という詩を要約したものと考えられます。

大きな夢を持つこと、そしてもし挫折してもまた夢を描いて羽ばたけるという内容の詩です。

宝塚歌劇団が好きだったのは愛華みれの母親?

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日本舞踊「万寿美流」の初代家元だった愛華みれさんの母。愛華さんは中学2年生の時に、母親に連れられ鹿児島市で上演された宝塚歌劇団の舞台を観に行っています。

小学生の頃、将来の夢は「女優」だった愛華みれさんは、宝塚歌劇団の舞台を鑑賞したあとも、特に宝塚に興味は示さなかったようです。

しかし、高校3年生の時に母親から「男っぽいから宝塚に行けば良いのに」と言われたことで心を揺さぶられ、母のその一言によって宝塚音楽学校受験を決意しています。

武道や芸道から学んだ礼儀作法と心身の鍛錬

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特に宝塚が好きではなかった愛華みれさんは、幼少時代に日本舞踊、学生時代には剣道を習い、芸道・武道を嗜んできました。

「道」は単に身体や技術を習得するものではなく、大切なのは心身の鍛錬と礼儀作法です。愛華さんのスッとした佇まいは日舞や剣道の賜物なのでしょう。

バレエを習わずして宝塚歌劇団でトップスターにまで駆け上がった愛華さんは、鍛えられた精神力と身についた礼儀をもって誰よりも努力を重ねたのではないでしょうか。

音楽学校の厳しい規則も礼儀と精神力で乗り超えた

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宝塚歌劇団といえば上下関係がとても厳しいことで有名です。また、掃除や整理整頓に関しても驚くほど厳しく指導されるそうです。それは音楽学校時代から始まります。

先輩に対しては必ずお辞儀をし、電車も先輩より前方の車両に乗ってはいけない、話しかける時には「お願いします、失礼します」が絶対ルール。

愛華みれさんは、既に身についていた礼儀、厳格な家庭で育ったことで掃除も身についていたことが、辛く苦しい音楽学校時代を乗り切ることに役立ったのではないでしょうか。

トップスターになる素質をもっていた?

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愛華みれさんは宝塚音楽学校を受験した時点で、渡された譜面を読むことも出来ず、レオタードの着方もわからず不合格を覚悟したが結果は合格。

愛華さんは高校時代は生徒会長を務めたり、不登校の生徒宅へ行き「学校に行こう」と誘うなど、昔から周囲をまとめる立場、周囲への気配り目配りが出来る人だったようです。

宝塚歌劇団でトップを担うということは、自身だけでなく同組の全ての仲間に対し目を向け気に掛けることも求められるはずです。愛華さんはその素質を元々もっていたのでしょう。

愛華みれは、夢の翼を休めずにこれからも輝き続ける

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愛華みれさんが小学生の頃思い描いた夢は「女優」でした。宝塚音楽学校時代は劣等生だった愛華さんですが、天性の才能と惜しまぬ努力の末に花組トップスターに。

宝塚歌劇団を退団後は女優へと転身し、子供の頃の夢を叶えたのです。悪性リンパ腫を患いましたが持ち前の精神力と仕事への情熱を原動力に、病を克服しています。

幼い頃に家庭で培った教育、宝塚で培った経験、出会ってきた人々の愛。この全てが愛華さんの活動の源となり、これからも夢の翼を休めることなく輝き続けることでしょう。

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