北原佐和子の現在は?介護士として活動?ヌード写真集もあった? エンタメ

北原佐和子の現在は?介護士として活動?ヌード写真集もあった?

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女優に転身!「昼ドラの常連」として大ブレイク

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ソロデビューから3年後の1985年、それまで契約していたレコード会社テイチクとの契約が終了します。

これを境に女優業を本格的に始動することになった北原佐和子さんは、「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」「銭形平次」など時代劇の作品に数多く出演していました。

東海テレビ制作の昼ドラマ「幸福の予感」への出演を皮切りに、「牡丹と薔薇」や「赤い糸の女」など多数の昼ドラマに出演。「昼ドラの常連」として大ブレイクしたのです。

ホームヘルパー2級の資格を取得

女優としてのキャリアを積み地歩を固めていた北原佐和子さんですが、20代後半の頃に偶然出会った障害者に手を差し伸べたことで「福祉」への道を思いつきます。

しかし福祉の仕事に就く術を見いだせず10年余りが経過したそうです。30代後半の時に障害者施設の交流会に参加したのを機に福祉に対する志が固まったといいます。

そして福祉関連の施設で働くため、2007年にホームヘルパー2級の資格を取得しました。

介護に関する本も出版?

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ホームヘルパー2級の資格を取得後、女優業の傍ら介護施設で働いてきた北原佐和子さんは、自身の介護経験を基に介護に関する本を書いています。

2014年12月に飛鳥新社より「女優が実践した 介護が変わる魔法の声掛け」というタイトルの本を出版しています。

要介護者の尊厳やプライドを傷つけず前向きになれるような「声掛け」を、北原さんが実践して効果があったものをまとめた一冊となっています。

【動画あり】北原佐和子の歌は?

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1980年代のトップアイドル歌手だった北原佐和子さん。僅か3年のソロ歌手活動の間に、シングルレコード10枚・アルバムレコードも6枚リリースするなど大活躍されていました。

当時歌のレッスンを受けさせてもらえず、極度の緊張から音程が外れたり声がうわずっていたという北原さん。しかしファンの間では80年代の至宝と言う人もいるようです。

北原さんの当時の歌声が気になるところですよね!ここではアイドル時代の北原さんの歌について動画と併せていくつか紹介します。

マイボーイフレンド

「マイボーイフレンド」は北原佐和子さんのソロ歌手デビューシングルで1982年3月19日、自身の18歳の誕生日にリリースされた曲です。

北原さんがリリースしたシングルレコードの中では最も売上枚数が多かった曲がこの曲です。歌声にも初々しさを感じます。

夢で逢えたら

1984年1月に「夢で逢えたら」をリリース。この曲は多くの歌手の方がカバーしている曲なのでご周知の通りですが、大瀧詠一さんが作詞・作曲した名曲です。

北原佐和子さんが歌う「夢で逢えたら」は可愛らしい歌声が曲調ととても合っている気がしますね。

スウィート・チェリーパイ

北原佐和子さんのセカンドシングルレコード「スウィート・チェリーパイ」は1982年6月に発売されました。

この曲を作曲したのは、ゴダイゴのメインボーカルを務めるタケカワユキヒデさんです。

10代の女の子が共感するような歌詞と北原さんの柔らかい声が印象的な一曲です。

土曜日のシンデレラ

「土曜日のシンデレラ」は1982年9月にリリースされた、北原佐和子さんの3枚目のシングル曲です。ソロ歌手デビューから半年でシングル曲を3枚も発表するのは凄いですね!

前2作はアイドルポップス的なメロディーのイメージが強かったのですが、この曲は少し歌謡曲を感じるメロディーラインが特徴的です。

ガラスの世代

1983年8月に発売された「ガラスの世代」この曲は北原佐和子さんの6枚目のシングルレコードです。髪型もショートヘアになり少し大人びた印象があります。

歌手デビューして以降、3~4ヶ月ごとに新曲を発表し続けていた北原さんですが、そのスピード感溢れるリリースラッシュもこの曲で一区切りとなっています。

北原佐和子の出演作品は?ヌードや濡れ場も?

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アイドルを卒業後、本格的に演技の道へと進んだ北原佐和子さん。出演したテレビドラマや映画・舞台の数はとても多く、その実績は北原さんの演技力が確かなものであることを証明しています。

東海テレビが制作した昼ドラマに幾度も出演し迫真の演技を見せたことで「昼ドラの常連」としてブレイク。一方で、北原さんの出演作にはヌードや濡れ場がある作品もあったようです。

ここでは北原さんの代表的なテレビドラマ作品や、ヌード・濡れ場に関連した作品について紹介します。

「牡丹と薔薇」

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フジテレビ系列で2004年1月に放送が開始された昼ドラマ「牡丹と薔薇」で、北原佐和子さんは主演を務めた小沢真珠さんと大河内奈々子さんの母親役として出演しました。

「牡丹と薔薇は」人間関係が複雑に絡み合う愛と狂気の物語で、そのドロドロとした愛憎劇の世界に皆が釘付けとなりました。

とくに小沢真珠さんの演技は回を増すごとに衝撃を受けるほどの狂気性も増し、その迫真の演技と「役立たずのブタ」という名台詞は当時大きな話題を呼びました。

「幸福の予感」

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「幸福の予感」はフジテレビ系列で1996年4月から全65回に渡って放送された昼ドラマです。「牡丹と薔薇」と同様に東海テレビが制作したドラマです。

北原佐和子さんは主演を務めた渡辺梓さんの不倫相手の妻役として出演。このドラマの1クール目は北原佐和子さんが演じた妻の視点で物語が展開されています。

「レディウェポン女豹」

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「レディウェポン女豹」は1993年10月に日活より販売が開始された北原佐和子さんが主演したオリジナルビデオです。

この作品でハードなアクションに挑戦した北原さんは、アクションよりも過激とされるベッドシーンにも体当たりし大胆な濡れ場を見せたことが話題となりました。

この時期の北原さんは、ヌード写真集の時と同様に結婚していた頃です。人妻になっても女優としてのプロ意識の高さに驚いてしまいます。

「TEMPTATION」

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「TEMPTATION」は北原佐和子さんの4冊目の写真集で、1990年1月にワニブックスより発売されました。

20代半ばで出したこの写真集は、それまでに出版された3冊の写真集よりも女性としての魅力がアップしたことやセクシーさが際立つ写真集に仕上がっています。

「27ans d’ e collage」

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1992年6月には、ヘアヌード写真集「27ans d’ e collage」がわにワニブックスより出版されています。

写真集のタイトルから読み取ると、27歳の頃に撮影した多くの写真から選び抜かれたもので構成し1冊の写真集として創りあげたのでしょう。

26歳で結婚した北原佐和子さんは既婚者でありながらヘアヌード写真集を出版したことで当時話題を呼びました。

北原佐和子は、自分の居場所を探し続ける人生を歩んでいた!

現在、介護福祉士・ケアマネージャーとして活動しながら、看護学校にも通い、女優業も続けるという、まさに多忙を極める日々を過ごしている北原佐和子さん。

息つく間も無く慌ただしく毎日が過ぎていっているのだと思いますが、北原さんのSNSを見ると忙しさや大変さよりも充実感を感じていることが垣間見えます。

北原さん自身が、人生の中で長い間追い求め続けていた「自分の居場所」。介護の道に辿り着くまでの心の葛藤や悩みは、北原さん自身の家族との関わり方に関係がありました。

親の愛情を受けられなかった幼少期

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サラリーマンの父と専業主婦だった母の間に生まれた北原佐和子さん。下には弟と妹がおり3人兄弟の長女として育ちました。幼少時代は気持ちも弱く泣き虫だったそうです。

厳格だった両親の期待に応えようと奮闘するも、運動は苦手で自転車にもなかなか乗れず、「頑張りなさい」と言われ頑張っても何も出来ない自分を責めたといいます。

将来に関しても「警察官か看護師か体育教師」と親から言われていた北原さんは、親の厳格さと視野の狭さが窮屈でたまらなかったようです。

両親に「抱きしめられた」記憶がない

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病弱で病院通いをする妹にずっとつきっきりだった母。留守番をしていた北原佐和子さんが、帰ってきた母に抱きつこうとしてもはねのけられたそうです。

学校に行くのが嫌で、泣いて家に帰ると「泣き止みなさい!」と言われるなど、親に抱きしめられたこともなく、自分は甘えてはいけない子だと思い深く傷ついた遠い過去。

北原さんは両親に愛されたくて抱きしめられたくて仕方なかったでしょう。しかし幼くして愛され方・愛し方がわからないまま、家庭での居場所までも見失ってしまうのです。

自分の居場所を求め芸能界入り

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両親からの愛情を感じられず、将来の選択肢さえも親に縛らつけられてしまった北原佐和子さんにとって、自分の家は息苦しいものになってしまったのでしょう。

アイドルになりたかった訳ではなかった北原さんですが、家を出たい一心で芸能界入りを決意したといいます。入寮したことで家庭という呪縛から解放されたのです。

デビュー後一気にスターダムへとのし上がった北原さんにとって、忙しさは全く苦にはならなかったようです。

自分を認めてもらえることの喜び

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デビューしてたちまち人気が出た北原佐和子さん。あっという間にトップアイドルへの階段を昇っていきました。

大人たちが自分のためにお膳立てをして、まだ10代の若さで運転手付きの送迎。当時の北原さんは有頂天だったといいます。

それまで両親でさえも認めてくれなかった北原さん自身を、周囲の大人が認めてくれたことへの喜びと、その気持ちにもっと応えたいと思う気持ちこそが原動力となったのでしょう。

女優業への転身により蘇った「福祉の道」

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アイドル歌手としての人気に陰りが見え始めると、事務所は北原佐和子さんからマネージャーを外します。それ以降は北原さんは自分一人での行動を余儀なくされたのです。

お膳立てしてくれた大人たちは風の如く北原さんの周囲から姿を消してしまいます。どうやって生きていけば良いかわからなくなる程、北原さんは混迷したそうです。

その後事務所を移籍し、女優業に専念するようになるとアイドルの時は違い、撮影スケジュールによって不規則な生活を送る中「福祉の道」を思い出すことになったのです。

誰かに寄り添いたいと思うきっかけ

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北原佐和子さんが20代の頃に出会った障害者の人は、北原さんの福祉へ道を志すきっかけとして大きな出来事でしたが、それ以前の幼いころにその気持ちは芽生えていたようです。

幼少の頃、親に振り向いてもらえず泣く北原さんに優しく声を掛ける人がいました。それは北原さんの家の裏に住むおばさんだったそうです。

このおばさんの言葉は幼い北原さんにとってとても嬉しいものだったと言います。そんな人に自分もなりたい、誰かに寄り添える存在になりたい気持ちが北原さんにはあるのです。

人が喜んでくれることこそが北原佐和子にとっての「居場所」

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幼い頃、駅で困っている障害者や高齢者を見かけて「何かしてあげたい」と思っても声を掛けることさえ出来なかった北原佐和子さん。

アイドルだった頃、自分が歌うことで大勢の人が喜んでくれることが嬉しかったと言います。人が喜ぶことをすることは北原さんにとっても自身の喜びとなるのでしょう。

介護の世界に入り高齢者や障害者の方たちに寄り添うことは困難や苦労の連続ですが、それでもその人たちが喜ぶ笑顔を間近で見れる嬉しさの方が大きに違いありません。

北原佐和子は現在も女優として介護士として輝いていた!

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「自分らしく生きること」を追い求めた北原佐和子さんは、現在介護福祉士としての活動をしながら看護学校に通い、看護師の資格取得に向けて奮闘されています。

女優業も変わらず続けていますが、今のところ福祉に関する活動と学業に重点を置いているといえるでしょう。

自分の居場所と生き甲斐を見つけた北原さんは、昔と変わらない笑顔で輝く人生を歩んでいます。この経験が更に女優としての演技にも刻まれ、私たちを魅了してくれるでしょう。

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