おせんころがし殺人事件とは?犯人栗田源蔵の生い立ちや死刑まで 社会

おせんころがし殺人事件とは?犯人栗田源蔵の生い立ちや死刑まで

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栗田源蔵が怒り出し、子供達が泣き出す

午前1時ごろ、おせんころがしでついに栗田が怒り出します。「頭にきた」「やらせないなら皆殺しだ」などと叫び、ふゆのに襲いかかりました。

子供達は泣き出しますが、栗田の怒りはおさまらないどころか、さらに行動をエスカレートさせていきます。

長男の頭を顔をメッタ打ちにして、崖から投げ落とす

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自転車に乗っていた長男を引きずり下ろし、石で頭や顔をメッタ打ちにして、崖から投げ落としました。

長女を何度も殴り、同じく崖から投げ落とす

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恐怖でふよのにしがみついていた長女も、栗田は引っ掴んで何度も殴り、長男と同じく崖から突き落としました。

小林ふよのが背負っていた次女を引きはがして、地面に打ち付ける

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またふよのが背負っていた次女も引きはがし、足を持って地面に打ち付けた後、崖から投げ捨てました。次女の幸江は2歳でした。

命乞いをした小林ふよのを強姦して絞殺

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「助けて、なんでもするから」ふよのは命乞いをしますが、栗田はふよのを押し倒してレイプしたのち、布で首を絞めてふよのを絞殺。子供達と同じく、崖から投げ落としました。

崖の途中にいた子供達を確認すると、石で殴りつけ殺害

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しかし、栗田は用心深い一面を持っていました。本当に母子が死んだかどうか、しっかりと確認をしたのです。

すると、崖の中腹に子供らが引っかかっており、どうやらまだ死んではいないようでした。

栗田は崖を降りていき、再度石で母子を殴りつけ、今度こそ本当に殺害してしまいます。

長女は軽傷だったため隠れて生き延びた

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長女の幸子は実は軽傷で済んでおり、近くの草むらに潜んでいたため、栗田には見つからず、生き延びることができました。

おせんころがし殺人事件を紹介する動画も?

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おせんころがし殺人事件を紹介する動画もアップされています。恐ろしい事件ですが、詳しい状況をより細かく知るには良いのではないでしょうか。

こちらの動画もわかりやすくてオススメです。

栗田源蔵が起こした事件は他にも!?①2女性殺害事件の詳細

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しかし、栗田が起こしたのはこれだけにとどまりません。殺害数では、これではまだ半分にも満たないのです。

ここから、おせんころがし事件以外で、栗田が起こした殺人事件について紹介していきます。

1948年栗田源蔵は交際女性の1人に結婚を迫られる

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1948年、栗田は総武グループの主要メンバーとして活動していました。そこで交際していた村井はつ(17)と結婚の約束をしていました。

しかし、同じグループの鈴木芳子(20)とも結婚の約束をしており、三角関係が続きます。

芳子は栗田に対して、はつと別れて自分と結婚するよう迫りました。三角関係を清算して、自分と一緒になって欲しかったわけです。

性行為後に絞殺し、遺体を砂浜に埋める

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栗田の行動は酷いものでした。結婚を迫ってきた芳子と性行為をした後、彼女を絞殺し、遺体を砂浜に埋めたのです。

もう一人の交際女性に絞殺した女性の所在を聞かれる

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その後、静岡県駿東群原町(現沼津市)の海岸で、今度ははつに「芳子をどこに隠したの。芳子とは別れてよ」と厳しく責められます。

殺害したことを告白

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栗田ははつに「好きなのはお前だけだよ。芳子は邪魔になったから殺して、そこに埋めたよ。このことは黙っとけよ。」と告白したのです。

女性が警察に知らせようとしたため絞殺し砂浜に埋める

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驚いたはつは警察に知らせようと逃げ出します。

しかし栗田は彼女を捕まえ、「お前のことを可愛がってやるからな」と言いながら性交し、挙げ句の果てに手ぬぐいで首を絞め、殺してしまいます。

しかしこれでは彼女が生き返るような気がして、今度は石で頭を数回殴り、遺体をまたも砂浜に埋めて隠したのです。

栗田源蔵が起こした事件は他にも!?②小山事件の詳細

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まだまだあります。栗田が起こした殺人事件です。

1951年8月8日、栗田源蔵は栃木県の小山駅で降りる

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1951年の蒸し暑い8月の日、栗田は栃木県の小山駅で途中下車していました。

昼間に酒を盗んでおり、それを飲み干した栗田はいい気分でぶらついていました。

赤ちゃんと母親の増山文子が寝ているのを覗き見る

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日が暮れて暗くなってからは、泥棒に入るのに良さそうな家を物色していましたが、ある家を覗くと、中では赤ちゃんと母親の増山文子(24)が蚊帳の中で寝ていました。

家に侵入し、強姦しながら絞殺

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その姿に欲情した栗田は、まずズボンを脱ぎます。そしてその姿のまま家の中へ侵入します。

文子はそのことに気づいて「誰か来てえ」と叫び声をあげますが、栗田は文子を押し倒し、レイプし始めます。

以前の殺人の時と同じように、布で首を絞めながら文子を犯し、そのまま絞殺しました。

死体に服をかけ死姦した後、庭に穴を掘り埋める

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その後、タンスにあった着物や帯を、泥棒らしくリュックに詰めた後、文子の死体に服をかけ、死姦しました。

そして庭に穴を掘り、台所にあった鍋や釜を埋めるという不可解な行動をとりました。その後、勝手口に大便をして家を去りました。

現場に大便をしてから去るというのは、度胸をつけて心を落ち着かせるという意味で、当時はこのようなことをする犯罪者が時々いました。

栗田源蔵が起こした事件は他にも!?③検見川事件(はやぶさの源)の詳細

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耳を塞ぎたくなるような凄惨な事件は、ついに次で幕となります。栗田が最後に起こした事件も、やはり殺人、レイプでした。

1952年1月13日、栗田源蔵は千葉市内で窃盗目的で家に侵入

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1952年1月のある日、栗田は千葉県検見川町(現花見川区)の家に盗みに入り、その家に高価な着物がたくさんあることを知りました。

主婦の鈴木きみに見つかったためタオルで絞殺

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そして1952年1月13日夜、栗田は再びその家に盗みに入ります。

しかし目を覚ました主婦の鈴木きみ(24)に見つかり、騒がれてしまったので、タオルで首を絞めて彼女を殺しました。

叔母の鈴木いわにも見つかり腹を包丁で刺して殺害

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また、同居していた叔母の鈴木いわ(63)も物音に気付いて騒いだので、こちらも出刃包丁で腹を刺して殺しました。

鈴木きみの死体を死姦し逃走

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その後、すでに死んでいた主婦のきみを、死姦し、上から毛布をかけて逃走しました。この時、下見しておいた通り、衣類数点を盗んでいきました。

この事件現場から指紋が検出される

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数日後、長期間この家に人の出入りがなく話し声も聞こえないのを不審に思った裏隣の人が、二人の遺体を見つけます。

侵入口は裏の勝手口を見られましたが、付近は迷路のような路地になっており、歩き慣れた人物でないと自由に逃走するのは難しいため、地元の人間が犯人だと見られました。

はやぶさの源=栗田源蔵

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警察が目をつけたのは、付近にたむろしていた不良グループのリーダー格で、「はやぶさの源」と呼ばれる男でした。

この時すでに、全国に指名手配されていました。

さらに事件現場から栗田の指紋が検出されたことが決め手となりました。

犯行から三日後に千葉県警によって逮捕された

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16日、栗田は身を寄せていた義弟の家で逮捕されました。

その時栗田は布団にくるまって寝ていましたが、調べるとこの布団は、殺された主婦が使っていたものでした。

また、叔母を殺害した時に使ったと見られる血のついた出刃包丁も、この家から見つかりました。

犯行を否認するものの17日に真犯人と断定

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栗田は犯行を否認します。しかし警察は17日に、栗田が真犯人だと断定します。その後、栗田は高熱を出して寝込んでしまいます。

警察は、「初めて殺人を犯したからだろう」と考えますが、実はそうではない、と、皆さんならお分かりですね?

まさかこの栗田が、戦後稀に見る凶悪な殺人鬼だとは・・・

おせんころがし殺人事件のその後は?

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これほどまでに凶悪な犯行を繰り返した栗田。どのような裁きが下されたのでしょうか。栗田のその後は?

栗田源蔵は拘置所で暴言や暴行を繰り返した

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逮捕後、入れられた拘置所では、看守に向かって暴言や暴行を繰り返し、看守にも恐れられていました。炭鉱で培った、粗暴で短気な性格が丸出しだったようです。

房内にある看守を呼ぶ報知器を、1日に4、50回も鳴らし、看守を呼びまくったりと、とにかく傍若無人に振舞っていました。

しかし、この頃にも寝小便は治っていなかったようです。

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