おせんころがし殺人事件とは?犯人栗田源蔵の生い立ちや死刑まで 社会

おせんころがし殺人事件とは?犯人栗田源蔵の生い立ちや死刑まで

今回は、戦後最凶の強姦、殺人事件であるおせんころがし殺人事件についてまとめました。犯人は一審で二度の死刑判決を受けるなど、犯罪史上に残る凶悪事件でした。犯人の生い立ちから事件の詳細、死刑になるまで、そして日本で起こった他の凶悪事件についてもまとめました。

目次

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戦後最凶の事件?おせんころがし殺人事件とは?

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おせんころがし殺人事件。戦後最凶ともいわれた、たった一人の犯人による強姦、殺人事件です。一体どのような事件なのでしょうか。

おせんころがし殺人事件とは?

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おせんころがし事件とは、1952年10月11日に千葉県安房郡小湊町で起きた、母子三人が殺害された事件のことです。

母親は強姦され、子供と共に断崖(通称「おせんころがし」)の下へ投げ飛ばされました。

また、この事件の犯人は他にも複数の強姦、殺人事件を起こしており、それらを総称して「おせんころがし殺人事件」と呼ぶこともあります。

おせんころがしの場所は?名前の由来とは?

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おせんころがしとは、千葉県勝浦市の西端から鴨川市にまたがる全長4kmほどの断崖の通称です。

昔、この地に住んでいたおせんという娘が、村人に迷惑をかける強欲な父親を改心させようとしたが失敗し、この崖から身を投げたと言われています。

そのおせんの悲しい逸話から、この崖は「おせんころがし」と呼ばれるようになったのです。

同一犯による8人の連続殺人事件を指すことも

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この事件の犯人、栗田源蔵は、他にも殺人事件、強姦事件を引き起こしていました。その連続殺人事件を総称して、「おせんころがし殺人事件」と呼ぶこともあります。

おせんころがし事件の犯人・栗田源蔵の生い立ちとは?

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戦後最凶とはとんでもない称号です。それほどの事件を引き起こした栗田源蔵とは、どのような人物だったのでしょうか。その生い立ちに迫ります。

秋田県で極貧の川漁師のもと三男として生まれる

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1926年(昭和元年)、栗田源蔵は秋田県雄勝郡新成村の川漁師のもとに、三男として生まれました。12人も兄弟がいるという大家族ぶりです。

父親は病弱、母親は出稼ぎをしていた

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父親は病弱で対して稼ぐことができませんでした。一家の家計は母親が出稼ぎに出てやりくりしていました。

12人兄弟で貧しく食事もままならなかった

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12人も兄弟がいたため、生活費の負担は大変なものでした。父親の病気のせいで稼ぎは少なく、食事もままならない極貧生活を送っていました。

幼少期より夜尿症に悩まされていた

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栗田は幼少期より夜尿症に悩まされていました。夜尿症とは、いわゆる「おねしょ」のことです。

通常は幼いうちにオムツが取れるものですが、強いストレスや先天的なものが原因で、稀に成人になってもおねしょが治らない人もいます。

栗田の夜尿症は、のちに栗田自身の人生を大きく狂わせてしまいます。おねしょくらいで・・・と思うかもしれませんが、ここから生まれるコンプレックスは、栗田の人格を大きく歪めていくのです。

 夜尿症は性的虐待のせい?

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夜尿症は、性的虐待を受けている子供に特徴的な症状です。栗田が性的虐待を受けていたかどうか、今となってはわかりませんが、このような家庭事情だったので、十分にありえる話だといえます。

少年時代はおとなしい性格と夜尿症でいじめに遭い、小学校を三年で中退

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少年時代の栗田はおとなしく内向的な性格でした。また夜尿症からいつも尿の匂いを発しており、それらが原因で小学校ではいじめに遭っていました。

小学校にいづらい栗田は、学校をサボって近くの山で過ごしていたようです。結局小学校は三年で中退してしまいました。

農家に奉公に出されるも盗み癖で長続きしなかった

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小学校を中退した栗田は、家計を助けるため、農家に奉公に出されます。しかし夜尿症を嫌われたことや、栗田の盗み癖によりどこも長続きせず、1年で14、5ヶ所もの農家を転々としました。

ここにも栗田の居場所はありませんでした。

1945年6月、19歳で弘前の歩兵連隊に入るも夜尿症で除隊

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1945年6月、終戦の約2ヶ月前に、栗田は弘前の歩兵連隊に入隊しました。しかしここでも夜尿症が頻発。周りに疎まれ人間関係がうまくいかず、わずか2ヶ月で除隊となりました。

除隊ということは、栗田が逃げ出したのではなく、軍の方から栗田をクビにしたということです。

夜尿症が栗田の人格を歪めた?

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夜尿症による失敗続き、コンプレックス・・・この一連の出来事は、栗田の性格を大きく捻じ曲げました。

根深いコンプレックスが人格を歪め、犯罪の道に走らせることは数多く観測されています。

戦後最凶とまでいわれた殺人事件を引き起こしてしまったのも、幼少期から青年期の環境が大きく影響していると思われます。

1945年末頃、北海道で美唄炭鉱の坑夫になる

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終戦後、栗田は北海道に渡り、美唄炭鉱の坑夫となります。

炭鉱での生活で性格が変わり粗暴に

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炭鉱での肉体労働ですから、周りは荒れくれ男だらけ。ここで栗田は、周囲に影響され、本来の内向的な性格から、粗暴で短気な性格へと変わります。

1946年8月、近隣の農家から米を盗みヤミで売りさばく

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終戦直後は食料が少なく、米を手に入れるのが困難な状況でした。ここに目をつけた栗田は、近くの農家から米を盗み、ヤミ市で売りさばくことを始めました。

違法に物品の取引をするヤミ市

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この時代は米の流通などは政府が管理しており、米の値段も決められていましたが、流通量は非常に少なく、国民はとても正規の米だけでは生きていけなかったのです。

そこで、違法に米などの物品をやり取りする、ヤミ市と呼ばれる市場が繁盛していました。

そこでは取り決められた値段よりはるかに高い値段で米などのあらゆる物品が取引されていました。物資が不足した時代だったので、ヤミ市でも米は売れたのです。

警察に捕まり、服役して一年で仮出所する

しかし栗田は、窃盗、物価統制令違反、食糧管理法違反の罪に問われ、警察に捕まってしまいます。実刑判決を受け、懲役に服していましたが、一年で仮出所することができました。

以降、刑務所の出入りを繰り返して、はやぶさの源と呼ばれるように

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仮出所した栗田でしたが、またも変わらずヤミ米の販売で生計を立てるようになります。

それも大量に米を手に入れてどんどんヤミ市で売りさばくという、完全にヤミ商人となっており、界隈では「はやぶさの源」という異名まで取るようになります。

職業はヤミ米の販売、ブローカー集団の中心メンバーになる

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ヤミ米の取引で名を売るようになった栗田は、ますます活動を本格化させ、ついには「総武グループ」というヤミ米ブローカー集団の中心メンバーにまでのし上がっていきました。

その後、メンバーの1人、村井はつと結婚の約束をする

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1948年(昭和23年)、メンバーの1人である村井はつ(17)と恋仲になり、ついには結婚の約束まで交わしてしまいました。

同じくメンバーの鈴木芳子とも結婚を約束し、三角関係に

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しかし同時期に、同じくメンバーの鈴木芳子(20)とも交際しており、こちらとも結婚の約束を交わしてしまっていました。

はつと芳子という二人の女性と結婚の約束をするという、とんでもない三角関係を持ったわけです。

おせんころがし殺人事件を起こす

1951年(昭和26年)、ついにおせんころがし殺人事件を起こします。翌年1952年には逮捕されます。

1959年10月14日、33歳で絞首刑になり、死亡

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一審からすでに死刑判決を受けており、再三の再審請求も虚しく、1959年10月14日、33歳で絞首刑になりました。

おせんころがし殺人事件の詳細

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では、おせんころがし事件とはどのようなものだったのでしょうか。詳細な事件の経過を追っていきましょう。

1951年10月11日、千葉県で三人の子連れの主婦に出会う

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1951年10月11日、栗田はその頃泥棒で生計を立てていました。その日も栗田は、泥棒に入るのに良い家がないか物色していました。

すると、上総興津駅の待合室で、母子三人連れを見かけます。これが悪夢の始まりでした。

行方不明の夫を探していた小林ふよのを家まで送ろうと誘う

母の名前は小林ふよの(29)。長女の幸子(7)、長男の幸男(5)、次女の幸江(2)を連れて、行方不明の夫を探している途中でした。

栗田はふゆのに対して「送ってあげよう」などと優しく声をかけ、駅から歩き出すことに成功します。

栗田は自転車に長男の幸男を乗せ、ふよのは次女の幸江を背負いながら長女の幸子の手をひき、5人は連れ立って目的地に向かいました。

おせんころがしにさしかかったところで性行為を迫るが、受け流される

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道中、栗田はふよのに「いい体してるなあ」「やらせろよ」などと口説きますが、ふよのは「こんなところではだめ」「家についたらね」などと受け流していました。

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