岡田茉莉子の現在は?女優として現役?夫や子供は?若い頃の画像は?エンタメ

岡田茉莉子の現在は?女優として現役?夫や子供は?若い頃の画像は?

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岡田茉莉子の出演作品は?

岡田茉莉子さんが、これまでの出演されてきた作品から、代表的な作品を紹介します。

映画「さらばラバウル」

「さらばラバウル」は、1954年2月10日に公開された東宝映画です。監督は本多猪四郎さん、題名は戦争流行歌の「ラバウル小唄」の歌詞からとっています。

この映画の空中戦のシーンでは、円谷英二の特撮とアメリカ空軍所蔵のフィルムを併用しています。岡田茉莉子さんは、若林大尉(池部良)が被爆して負傷して入院した病院の看護婦役を演じています

岡田茉莉子さんは、小松すみ子役を演じ、他の出演者には池部良さん、三國連太郎さん、平田昭彦さんらがいます。

映画「秋津温泉」

映画「秋津温泉」は、岡田茉莉子さんが松竹に移籍した後の1962年に「岡田茉莉子さん・映画出演100本記念作品」として、自らがプロデュースした映画です。

この映画「秋津温泉」は、のちに岡田さんの夫となる吉田喜重さんが監督を務め、大ヒットしました。この映画のモデルとなったのが、岡山県の奥津温泉でひなびた温泉が一大ブームにもなりました。

戦時中に生きる気力を失った青年が、街を離れてひなびた温泉で行き倒れますが、温泉宿の娘が看病をしているうちに終戦を迎えます。希望を取り戻した青年とやがて恋に落ちる娘役を、岡田茉莉子さんが演じます。

映画「宮本武蔵」

「宮本武蔵」は、1954年9月26日に公開した東宝制作の映画で、監督は稲垣浩さんです。映画「宮本武蔵」は、吉川英治さんの小説「宮本武蔵」を戦後初めて映像化した作品で、主演は三船敏郎です。

関ヶ原の戦いに参加した武蔵(三船敏郎)は、負傷した又八を連れて、野武士の未亡人のお甲とその娘の朱実の屋敷に転がり込むところから、物語ははじまります。

岡田茉莉子さんは朱実役を演じていますが、出演者には他に、八千草薫さん、三國連太郎さん、水戸光子さんらがいます。

映画「人間の証明」

映画「人間の証明」は、森村誠一さんの長編推理小説を原作として映像化した1977年の作品です。この作品は岡田茉莉子さんの代表的な出演作品となりました。監督は佐藤純彌さんです。

公開当時に使ったセリフ「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね」は西條八十の詩のオリジナルであり、「人間の証明」のテーマソングと歌詞は、西條八十の詩を英訳してジョー山中が歌ってヒットしました。

岡田茉莉子さんは、政治家の妻であり有名ファッションデザイナーの八杉恭子役を演じています。出演者は他に、松田優作さん、ジョージ・ケネディさん、坂口良子さんらがいます。

映画「女舞」

「女舞」は、1961年4月28日公開の映画で、岡田茉莉子さんと佐田啓二さんの共演でヒットし岡田茉莉子さんの代表作となりました。

原作は円地文子さんと秋元松代さんで、大庭秀雄さんが監督・脚本を手掛けています。出演者は他に岩下志麻さん、三津田健さん、宮口精二さんがいます。

映画「愛染かつら」

「愛染かつら」は1962年公開された岡田茉莉子さんの主演作品で、監督は中村登さんです。当時まだモノクロの時代でしたから、カラ―映画としても有名になりました。

「愛染かつら」は川口松太郎さんの小説で、この小説を原作として多くの映画やテレビドラマが製作されました。この映画での岡田茉莉子さんの相手役を吉田輝男さんが務めました。

岡田茉莉子さん主演の映画は田中絹代さんが主演していた映画「愛染かつら」から数えて6本目の映画となります。また、7本目の「続愛染かつら」も岡田茉莉子さんと吉田輝男さんが共演しています。

ドラマ「金田一耕助の傑作推理 霧の山荘」

ドラマ「金田一耕助の傑作推理 霧の山荘」は、1985年5月27日にTBS系で放送されたドラマ金田一耕助シリーズの一つです。

岡田茉莉子さんは、このドラマで紅葉照子役を演じていました。金田一耕助を古谷一行さん、その他の出演者は冨塚規政さん、織本順吉さん、山本昌平さんらがいます。

ドラマ「温泉若おかみの殺人推理シリーズ」

ドラマ「温泉若おかみの殺人推理シリーズ」は、1994年からテレビ朝日系で放送されているテレビドラマシリーズで、主演は東ちづるさんです。

このドラマで岡田茉莉子さんは、南田洋子さんに代わって、第4作目から大女将役を演じています。

このドラマは、温泉地で起こった殺人事件を、旅館の若女将の東ちづるさんが解決していく人気のドラマです。作品ごとに舞台の温泉旅館が実名で登場していますが、設定は実際の家族関係とは無関係です。

俳優の佐田啓二さんの死因とは?

佐田啓二さんは、京都府出身で1926年12月9日に生まれの俳優です。息子は俳優の中井貴一さんであり、娘に女優でエッセイストの中井貴恵さんがいます。

佐田啓二さんのプロフィール

佐田啓二さんは、1940年代後半から1960年代始めにかけて活躍した俳優で、京都市下京区に生まれ、京都市立第二商業学校を卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学しています。

大学時代に松竹の人気俳優である佐野周二さんの家に下宿していたことで、1946年に松竹大船撮影所に入社しています。1947年には、木下恵介監督の「不死鳥」でいきなり田中絹代の相手役に抜擢されました。

37歳の若さで亡くなる

佐田啓二さんは、1964年8月13日から信州の別荘に訪れていましたが、NHKドラマ「虹の設計」の収録で帰京する途中、事故が起きました。

8月17日午前6時30分ごろ、佐田さんを乗せた車は、前方の車を追い越そうとした際に欄干に激突し、更に暴走して別の車にも衝突するという事故を起こしました。

佐田啓二さんは、この事故によって頭の骨と右腕を骨折し、すぐに病院にはこばれましたが、午前11時過ぎに亡くなられました。37歳という若さでした。

昭和の日本映画を支えてきた女優岡田茉莉子

戦後の日本映画界を支えてきたと言われる女優の岡田茉莉子さんは、同じく俳優だった父のもとに生まれています。幼い頃は母親と離れて暮らすなど、不遇の時代がありました。

そんな中、1歳の時に死別した父親のサイレント映画を見て、映画の世界に進むようになりました。叔母の夫からの勧めもあって、「東宝ニューフェイス」の第3期生として「東宝演技研究所」に入所しています。

1963年に監督の吉田喜重さんと婚約し、1964年にドイツのバイエルンで挙式しています。現在は、二人で30年間ジムに通うなど、健康に気を使っています。そんな岡田茉莉子さんのことをまとめてみました。

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