原田大二郎の現在や死亡説の真相は?妻は誰?息子は病気でいじめ? 俳優

原田大二郎の現在や死亡説の真相は?妻は誰?息子は病気でいじめ?

俳優・原田大二郎さんは、1970年の主演映画デビューから、持ち前の二枚目高身長を生かして、映画やテレビで大活躍しました。一方家庭では、息子さんが壮絶ないじめを受けて大変だったようです。これまでの出来事をたどりながら、現在の活動についてもみていきましょう。

目次

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死亡説も?!出馬経験もある原田大二郎の現在は?

俳優として活躍してきた原田大二郎さん、2010年の参院選には民主党から立候補しましたが、結果は落選でした。最近はテレビで見なくなったからと無責任な死亡説も出ていますが、現在までを追いかけてみましょう。

身長や現在の年齢は?原田大二郎のプロフィール

原田大二郎(本名も同じ)さんは、1944年4月5日に横浜市で生まれました。申年生まれ、現在75歳です。戦後間もなく、2歳の時に山口県の伯父の家に養子として引き取られました。

その後は、山口県で育ち県立熊毛南高等学校を卒業後、明治大学法学部に入学しました。大学で演劇と出会い、1967年同校を卒業後に、俳優を目指して劇団文学座に入りました。

1969年からは、俳優としてテレビや映画で活躍してきました。趣味は、絵画・囲碁・日曜大工・乗馬・卓球・釣りと幅広いです。

2010年に参議院選挙に出馬するも落選

2010年の第22回参議院議員選挙の山口選挙区(定数1)に、原田大二郎さんは民主党公認、国民新党推薦で立候補しました。俳優の知名度を生かして、自民党王国を脅かすことが期待されてのことでした。

しかしながら、原田さんの擁立が決まったのが5月中旬で選挙まで2ヶ月を切っていたため、出遅れは否めませんでした。積極的に街頭に出て、多くの人に人柄や熱意をアピールしたが、うまく行きませんでした。

選挙の結果は、岸信夫 (51) 自民現・421,055票、原田大二郎 (66) 民主新・256,562と、落選に終わりました。

なぜ死亡説が?メディアへの露出が減っていることが原因か

原田大二郎さんは現在も健在ですが、なぜか死亡説があるようです。原田さんが最近は活動の中心を舞台に移した結果、テレビを含めメディアへの露出が減ったことが原因と思われます。

現在は明治大学で特別招聘教授をしている

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原田大二郎さんは、2001年から母校明治大学で、情報コミュニケーション学部特別招聘教授として「朗読」の講義をされています。原田さんは、吉田松陰が松下村塾で若者に教えた姿に自分を重ねています。

2004年からは、明大生が力を合わせてシェイクスピア劇を作り上げていく、「明治大学文化プロジェクト」で原田さんは監修をしています。

このプロジェクトでは、出演者はもちろん、制作・演出・衣装から舞台装置まで、すべて明大生が主体となって創り上げています。更に宣伝、当日の受付も大学生が担当しています。

いじめ問題に積極的で、講演や執筆も行っている

原田大二郎さんの1人息子・虎太郎さんは、幼い頃に患った「ヒルシュスプルング病」という腸の難病の後遺症などにより、発達が遅れて、小中高を通してひどいいじめに遭いました。

いじめ問題に対処するために、原田さん夫婦は大変苦労をされました。その時の苦しかった体験から、夫婦で「いじめ問題」をテーマにしたエッセイを執筆したり、講演会を積極的に開催しています。

現在も舞台を中心に俳優活動を続けている

前述しましたが、原田大二郎さんは俳優活動の中心を舞台に移しています。演劇の原点である舞台で、俳優としてまた朗読士として多くの作品に出演しています。また、頻度は低いものの、映画出演も継続しています。

最近の出演情報①:映画「表と裏」

原田大二郎さんは、2015年から16年にかけて製作された、ポリティカルアクション映画のシリーズ「表と裏」に、重要な役目となる暴力団「龍神会」の総長、神山直介役で出演しています。

この国を軍事国家にしようと企む政治家が、宗教団体や暴力団と結託して暗躍する世界で、若き政治家とヤクザが手を組んでそれを阻止する姿を描いた作品です。原田さんは熟年の演技で、際立った存在感を現しています。

2人の若手俳優が主演の映画で、それぞれ議員とヤクザを演じています。表の社会では別世界の2人は、実は同じ孤児院出身の幼なじみで裏ではつながっていました。彼らが腐敗した社会に挑む姿を描いています。

最近の出演情報②:舞台「翼の卵」

2018年の5月から6月にかけて、原田大二郎さんは劇団桟敷童子「翼の卵」の舞台に、土木解体業作業員の常藤耕作役で出演しました。

「翼の卵」は昭和の家族を描いた舞台です。戦後復員した常藤は、かつて愛した女性が病死していたことを知ります。常藤が間借りしている篠塚家で、病死した女性とうりふたつの女、頼子に出会って物語が展開します。

頼子は娘の恵子と共に、再婚相手の篠塚の実家へやって来ました。そこで、篠塚家の家族や、土木業・浦部組の連中と過ごします。その中の1人が常藤で、頼子たちとの交流が始まります。

最近の出演情報③:舞台「ゴドーを待ちながら」

原田大二郎さんは2016年10月、東京大学大学院総合文化研究科教授の英文学者、河合祥一郎さんが訳・演出を手がける演劇「ゴドーを待ちながら」に、ヴラディーミル役で出演しました。

「ゴドーを待ちながら」は、2人の浮浪者ヴラディーミルとエストラゴンが、ゴドーという人物を待ち続ける姿を描いた、アイルランド出身フランスの劇作家サミュエル・ベケットの戯曲で、不条理劇の傑作です。

この作品は、原田さんとエストラゴン役の高山春夫さんが、「ゴドーを待ちながら」をきちんと演じたいとの思いを河合教授に伝え、教授が原作に忠実な舞台となるように新訳をした結果、実現しました。

2019年4月末、劇団桟敷童子の「骨ノ憂鬱」に出演予定

原田大二郎さんは、昨年に引続き2019年5月21日から6月2日まで上演される、劇団桟敷童子の新作「骨ノ憂鬱」に出演します。ほぼ毎年舞台に立っていることで、いかに舞台を大切にしているかが分かります。

自分の骨がしばらく旅に出ていたため、僕はずっと寝たきりでした。ある朝起きると骨が帰ってきて、「旅に出ようぜ」「会わせたいやつがいるんだ」と言いました。骨が体の中に戻った僕は、恐る恐る出かけます。

この作品では、現状から脱却しようと奮闘する人の姿を描いていきます。

ブログやSNSは?最後のブログ更新は2011

原田大二郎さんのホームページから、ブログ「原田大二郎的俳優道」に行く事ができますが、残念ながら2011年11月6日が最終更新日となっています。その前の日付は2010年4月26日でした。

参議院選挙に民主党から立候補する頃から、ブログが一旦選挙バージョンに移りましたが、残念ながら落選した後はこまめに更新されなくなり、2011年11月で終わっています。

更新されなくなった理由は分かりませんが、62歳からはじめたブログを、5年間続けたことになります。

俳優原田大二郎の妻は?息子は現在何をしている?

原田大二郎さんの家族については、いろいろなエピソードがあります。奥さんとの馴れ初めや息子さんのことをお話します。

嫁は規梭子!二人は明治大学で英語サークルのメンバーだった

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原田大二郎さんが、妻の原田規梭子(はらだきさこ)さんと出会ったのは、明治大学の英語部が毎年参加していた5大学英語劇コンテストでした。大学が選んだ作品はギリシア悲劇「メディア」でした。

当時の原田さんは、英語部に所属して商社マンを目指していました。格好が良かったためか、原田さんは「メディア」の出演を懇願され、メディアの夫ジェイソンを演じることになりました。

その相手役、妻でヒロインのメディアを演じたのが、2年生の規梭子さんでした。大変苦労しながらも芝居に打込む姿を見て、原田さんは惚れたといいます。コンテストは、猛稽古の甲斐あって明治大学が優勝しました。

告白は一度失敗?!その理由とその後の猛アプローチとは

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英語劇コンテストで優勝したことを機に、原田大二郎さんは規梭子さんに交際を申し込みますが、「好きなタイプではない」と断られてしまいます。芝居とはいえ「メディア」での強烈な印象が邪魔していました。

2人が演じた「メディア」は、欲に目がくらんだ夫が妻を裏切り、その復讐のために妻が我が子を殺すという悲劇でした。お芝居とはいえ、原田さんが夫のジェイソンと重なって、どうしても受け入れ難かったそうです。

それでも原田さんには、諦めるという選択肢はありませんでした。毎日規梭子さんに手紙を書き、彼女の時間割を調べて同じ授業に出るなどして、猛アプローチをくり返した結果、最後には思いが通じたのでした。

その後、恋が実り結婚へ!1974年に息子の虎太郎を出産

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その後2人は順調に交際を続けて行きましたが、規梭子さんより先に彼女のお母さんやお姉さんが、原田大二郎さんを気に入っていたようです。そして、1970年に原田さんからの熱いプロポーズを受けて結婚します。

1970年は結婚以外でも大きな出来事がありました。原田さんは、主演デビュー作「裸の19才」を含め3本の映画に出てエランドール新人賞を受賞、規梭子さんは東洋女子短期大学英語英文科専任講師となりました。

そして1974年、長男の虎太郎さんが生れました。

子供は病気だった?出産の事故とヒルシュスプルング病とは

原田大二郎さんの息子虎太郎さんは、出産時の事故と、幼い頃に患った難病「ヒルシュスプルング病」により、発育が遅れていました。原田さんは普通の子供と同じように学ばせたいと思い、小学校に入学させました。

ヒルシュスプルング病とは、直腸から大腸の一部、場合によっては大腸全体や小腸までの範囲において、腸の神経節細胞が生まれつき無いために、消化管の動きが悪くて重い便秘症や腸閉塞をおこす病気です。

5000人に1人の頻度で発症する難病で、治療には手術が必要です。神経節細胞が無い腸を切って、正常な腸を肛門につなげる手術を行います。術後は排便機能の訓練をしたり、長期のフォローが必要になります。

息子の画像はある?学校でいじめに遭い高校では不登校に

普通の学校に入学した虎太郎さんは、病気による障がいが原因で、小学校、中学校そして高校で、ひどいいじめにあいました。いじめに気づいた原田さんは、その都度学校側と交渉して対応して来ました。

中学は何とか卒業しましたが、高校では卒業1ヶ月前にとうとう不登校になってしまいました。原田さんは、後10日出席すれば卒業できるから、何としても学校に行かせたいと思ったそうです。

1995年原田大二郎さんは妻の規梭子さんと連名で、虎太郎さんの成長記録「いじめなんかじゃくたばるもんか」を出版しました。また、いじめ問題に対する講演も各地で積極的に行っています。

20年に渡るわだかまりを説いたのは2014年に出演した「ナイナイアンサー」

原田大二郎さんは、虎太郎さんには普通の子供と同じ教育を受けさせたいと、強い思いをもって接してきました。そのため虎太郎さんの気持ちに反して、無理に学校に行かせてしまうことになりました。

原田さんが息子に過度の期待をした結果、虎太郎さんとの間にわだかまりが生じてしまい、その後20年にも渡って解消されることはありませんでした。

2014年原田さんがテレビ番組「ナイナイアンサー」に出演した時に、虎太郎さんに向かって親のエゴで無理に登校させたことを謝罪しました。それでようやく親子間のわだかまりが解消に向かいました。

妻は東洋学園大学の学長を務めていた

原田大二郎さんの妻規梭子さんは、1969年明治大学大学院文学研究科修士課程修了後は、明治高校で教えるはずでしたが、女性の教員は採用しないことになり就職先を探さなくてはなりませんでした。

規梭子さんは原田さんのアドバイスで、東洋女子短期大学学長に手紙を書き、助手として採用されました。その年の秋から教壇に立ち、翌1970年、英語英文科の講師になりました。

その後は出産・子育てをしながら、教壇に立ってキャリアを積み、1992年に英語英文科の教授、2005年東洋女子短期大学学長、2014年東洋学園大学学長まで出世し、2018年3月をもって退任しました。

原田大二郎がブレイクしたGメン’75を降板した理由とは

原田大二郎さんを全国区にしたのは、TBS系テレビドラマ「Gメン’75」でした。しかし人気絶頂にもかかわらず途中で降板してしまいます。その真相に迫ります。

ドラマ「Gメン’75」関屋一郎警部補役で一躍有名に

原田大二郎さんは映画デビューした1970年以降は、テレビドラマに活躍の場を移していました。その原田さんがブレイクしたのが、1975年に始まったTBS系テレビドラマ「Gメン’75」でした。

丹波哲郎さん演じる黒木警視の下で活躍する特別潜入捜査班「Gメン」を描いたシリアスな刑事ドラマに、原田さんは関屋警部補役で登場しました。ドラマは予想外の高視聴率を誇り、原田さんは一躍有名になりました。

関屋警部補はGメン初代メンバーの1人で、第1話から出演し、やや暴走しがちながらも大活躍します。そして第33話、「1月3日関屋警部補・殉職」において、関屋警部補は、犯人と撃ち合いとなり殉職しました。

降板の理由は?➀藤田美保子への不満で監督から来なくて良いと言われた説

原田大二郎さんが、人気絶頂時にもかかわらず降板した理由は諸説あります。

1つは、藤田美保子のアップが多すぎると不満を持った原田さんが、夏木陽介さんに相談しましたが、不満があるならプロデューサーの近藤照男さんにと言われて、近藤さんに改善するよう直談判に行きました。

近藤さんから不満が有るなら来なくていいと突き放され、最後は殉職という形で番組から降板することになったという説があります。

降板の理由は?➁ノイローゼ気味で直談判説

もう1つは、原田大二郎さんはドラマの3本に2本が主役級となっていたため、四六時中走りまわる極めて多忙な状況が続き、ノイローゼ気味になっていました。ついに撮影中に事故も起きて休む事態にもなりました。

その頃、プロデューサーの近藤さんから「疲れているな」と言われた原田さんは、「それは一体誰のせいだ」と切れてしまいました。そして原田さんから近藤さんに、「降ります」と直談判したそうです。

当時は想像を絶する過密スケジュールで、やはりノイローゼになっていたようです。直談判の末、当初は「辞めるな」と言っていた近藤さんが折れて、殉職シーン撮影する事になったという説もあります。

若い頃はイケメンだった?!原田大二郎の経歴

原田大二郎さん、若い頃は高身長でイケメンでした。そんな原田さんの経歴をおさらいしてみましょう。

出身や学歴は?

原田大二郎さんは、1944年4月5日に横浜市で生まれました。1946年、2歳の時に山口県の伯父の家に養子として引き取られました。

その後は、山口県で育ち県立熊毛南高等学校を卒業後、明治大学法学部に入学しました。大学で英語部に入り商社マンを目指していました。

英語部が縁で演劇と出会い、1967年同校を卒業後に、俳優を目指して劇団文学座に入りました。

2歳の時に伯父の養子になっている

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原田大二郎さんは、2歳(3歳の説もある)の時に、養子縁組で父親の兄の家庭に入り、山口県で育ちました。

養父は小学校の教師でした。また祖父が画家で、幼い頃から絵に親しみました。

演技に道へ進むきっけかは5大学英語劇コンテスト

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原田大二郎さんは、山口県立熊毛南高等学校を卒業後、明治大学法学部に入学しました。明治大学では英語部に在籍して、商社マンになるべく勉学に勤めていました。

原田さんが演劇に出会ったのは、明治大学が毎年参加していた5大学英語劇コンテストでした。出演を懇願されて仕方なくオーディションを受けた原田さんでしたが、この頃から演劇に急接近していきます。

明治大学の英語劇はギリシア悲劇の「メディア」でした。原田さんはヒロイン・メディアの夫、ジェイソンを演じました。毎日の猛練習の結果、その年明治大学はコンテストで優勝しました。

1967年「劇団文学座」に入所し「エロス+虐殺」で映画デビュー

大学で演劇に出会った原田大二郎さんは、卒業後の1967年に「劇団文学座」に入りました。演技の勉強を積んだ後、1970年にATG映画「エロス+虐殺」でデビューします。

吉田喜重監督の作品で、アナーキストの大杉栄とその妻のエピソードを、大正と昭和を交錯させて描いています。原田さんは昭和のとてもハンサムな大学生役で出演しています。

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