おっとい嫁じょとは?鹿児島県大隅半島のヤバイ風習?事件の内容は? エンタメ

おっとい嫁じょとは?鹿児島県大隅半島のヤバイ風習?事件の内容は?

おっとい嫁じょという鹿児島県大隅半島で行われてきた風習であるとされている強姦致傷事件が1959年に起こりました。既に犯人は逮捕されているものの、地元住民が嘘をついて昔からある風習であると嘆願書まで出されていたのです。これらのヤバイ風習について、調べてみました。

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鹿児島県大隅半島の奇習?「おっとい嫁じょ」がヤバイ

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「おっとい嫁じょ」は、鹿児島県大隅半島で昔からとり行われてきたヤバイ風習で、その内容から事件へと発展して、結果として逮捕者が出る事態にまでなりました。

では、このヤバイ事件を詳しく調べていきたいと思います。

おっとい嫁じょとは?鹿児島のヤバイ風習?読み方は?

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鹿児島県大隅半島で行われてきた「おっとい嫁じょ」は「おっといよめじょ」と読み、意味は「嫁盗み」であるようです。

鹿児島の方言で盗むを「おっ盗る(おっとる)」と言うそうなのですが、その「おっとる」が訛って「おっとい」となり、この「おっとい嫁じょ」となりました。

おっとい嫁じょでは、女性を強姦して妻にする?

この「おっとい嫁じょ」がヤバイと言われていた理由は、結婚に同意してくれなかった若い女性を強姦して傷物にし、結果として泣く泣く結婚に同意させるというものだったからです。

現在よりはるかに貞操観念が強かったため、強姦されてしまい、いわゆる傷物になってしまった女性は他に嫁の貰い手がなくなってしまうことが原因のひとつでした。

おっとい嫁じょはいつまで行われていたの?現在は?

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鹿児島県大隅半島で戦前まではこの「おっとい嫁じょ」が行われてきたと言われています。現在この「おっとい嫁じょ」は行われていないと言われています。鹿児島県大隅半島でもこのような風習は終わったとのことです。

しかし、公にはなってにいないものの、現在も地域によっては受け継がれている可能性があるのかもしれません。

おっとい嫁じょが慣習化していた背景は?当時の貞操観念が影響?

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この「おっとい嫁じょ」は惚れた女性に結婚を申し込んだが断られてしまい「ならば強姦して傷物にしてやろう」という思いから始まったとされています。

そして強姦されて傷物になってしまった女性は、他に嫁の貰い手がいなくなってしまうのです。現在よりも貞操観念が強かった時代ならではのことであると思われます。

しかし、貞操観念が強かったからとはいえ、自分を無理矢理に強姦してきた男性と結婚をするなど現代の日本では考えられない事実であったようです。

「おっとい嫁じょ」が知られるようになった理由は?

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鹿児島県大隅半島でひっそりと受け継がれていた悪しき風習である、この「おっとい嫁じょ」はなぜ、世間に広まってしまったのでしょうか。

通常であれば、自分や自分の娘がこのような被害に遭ってしまった事実を世間に公表したいとは思わないはずです。

おっとい嫁じょが広まる原因となったのは、1959年の強姦事件

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実は、1959年にこの「おっとい嫁じょ」であるとされている事件が起こり、その加害者が強姦致傷罪で逮捕されたのです。

それにより、このような悪しき風習があるという事実が全国に知れ渡ることとなりました。

事件の場所は鹿児島県肝属郡串良町だった?

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この「おっとい嫁じょ」事件が起こったのは鹿児島県肝属郡串良町です。現在は市町村合併により、鹿児島県鹿屋市となっています。

事件の内容は?

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婚期を迎えていた男性が当時二十歳の女性を義理の兄に紹介され、その男性は女性に一目惚れをし、出会ったその場で結婚を申し込みました。そしてそのあとも更に2回結婚を申し込むこととなります。

しかし、結果は断られてしまうのです。けれどどうしても諦められなかったその男性は、昔ながらの風習である「おっとい嫁じょ」を決行することを思いついてしまいます。

犯行現場となる部屋を貸した人はもちろん「おっとい嫁じょ」に使用されることを知って貸しており、また、男性の従兄と叔父までもが強姦に参加したという許しがたい事件でした。

おっとい嫁じょは慣習?逮捕された男性に地元住民から情状酌量の嘆願書が

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本来であれば、強姦された女性本人とその両親が結婚の挨拶をしに男性宅へ行くことが習わしとなっていたのですが、挨拶に来ることはなく、警察へ被害を訴えたのです。

加害者の男性が逮捕されると、地元住民から男性への情状酌量を求める嘆願書が提出されたのです。

さらに「おっとい嫁じょ」は昔から地元に伝わる風習でなんら悪いことではないという声まで上がっていたのです。これらの声の主には地元の学校の校長までもが含まれていたそうです。

おっとい嫁じょをした男性への裁判の判決は?

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驚くことに、弁護人は『この「おっとい嫁じょ」を違法だという認識は加害者の男性にはなかった』と主張をしたのです。

しかし鹿児島地検は、加害者の男性らには「おっとい嫁じょ」の違法性を認識していたとして懲役3年の判決を下すこととなりました。

おっとい嫁じょが強姦で嫁盗みの慣習というのは嘘?伝統行事だった?

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1959年に「おっとい嫁じょ」であると思われる事件が発生してしまい、そのために鹿児島県大隅半島ではこの悪しき風習が町ぐるみ、村ぐるみで行われてきたという噂が全国的に広がることとなりました。

しかし、実はただ強姦して無理矢理に嫁にしてしまうという酷い内容のものではなかったようなのです。詳しく調べていきたいと思います。

おっとい嫁じょが地元で慣習化は嘘?伝統行事だった?

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この「おっとい嫁じょ」が鹿児島県大隅半島で行われてきたことは事実のようなのですが、実は新婚の夫婦に対して行われている伝統行事だったという声が出てきているのです。

村の子どもたちが新婚夫婦の自宅へ行き「嫁を出せ」「嫁をよこせ」などと言い、それを夫が追い返すといういわゆるハロウィンのような伝統行事であるとも言われています。

1959年に起こった事件から、この「おっとい嫁じょ」が女性を侮辱する酷い習慣であるとして全国的に広まってしまったらしいのです。

おっとい嫁じょは恋人同士がするものだった?

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そして「おっとい嫁じょ」は恋人たちが行ってきたものだったのではないかという声も聞こえてきます。

想い合っているけれど結婚することが許されない男女が「夜這い」のような形で女性の家に忍び込み、しかも女性もその男性を心待ちにしていたものが「おっとい嫁じょ」であるという人もいるようです。

おっとい嫁じょ事件の真相は?犯人グループの言い訳?

1959年に起こったこの事件をなんとか事なきものにしたいという地元の住民らが「おっとい嫁じょ」を引き合いに出して加害者の男性は悪くないという言い訳をしていたという可能性もあるようです。

しかし、本当に昔から「おっとい嫁じょ」が強姦の末に無理矢理結婚してしまう悪しき風習だったのか、伝統行事的に行われてきたものだったのかを知る人はいないようです。

おっとい嫁じょは鹿児島だけじゃない?全国的にもあった風習?

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1959年に鹿児島で事件となってしまったために、鹿児島県大隅半島で昔から行われてきた風習であると言われている「おっとい嫁じょ」ですが、実は全国的に行われてきたことだったようなのです。

どういったことなのか、詳しく調べていきたいと思います。

おっとい嫁じょは誘拐婚?全国にあった風習?

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実はこの「おっとい嫁じょ」は鹿児島県大隅半島に始まった風習ではなく、昔から日本で行われてきたものだったと言われています。

誘拐婚が行われた事例は?平安時代や戦国時代にも?

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平安時代には源俊房と嬛子内親王が、この誘拐婚の末に結婚をしたと言われています。また、戦国時代には徳川秀忠の娘の千姫が誘拐婚を余儀なくされた千姫事件が起こっています。

柳田國男の著書に登場する「ボオタ」

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明治時代初期の大阪でこの「オボタ」が行われてきたと著書で書かれています。「オボタ」の意味は「奪った」であり、経済的な事情から結婚が難しい場合に行われてきました。

女性は自ら着飾って男性を自宅で待ち、男性が現れて黙って女性を家から連れ出します。「オボタ、オボタ」と大声で叫びながら男性の家に向かうんだそうです。

後日、仲介の物を挟んで親子が対面するという形を取るようです。そして同じような風習が長崎や博多でも行われてきたと著書で触れています。

高知県大豊町の誘拐婚「かたぐ」

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高知県大豊町でもこの誘拐婚が「かたぐ」という名前で呼ばれており、行われてきました。想い合っているけれども両親の承諾が得られなかった場合に「かたぐ」が利用されてきたのです。

男性が女性を連れ出す際に、自宅へ直接連れていくのではなく、家の名に瑕を付けないようにと一度仲介をしている人物の自宅へ連れて行きます。

そのあと両親の元へと交渉へ行くことにより、この「かたぐ」は成功する確率が高かったそうです。

京都では逮捕事例も

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1928年の京都では知人男性が好きになってしまった女性を拉致するのを手助けしたとして逮捕される者まで現れました。

被害者の女性が母親と一緒にいるところを、その女性が身に着けていた羽織を頭の上から多い被せ、数人の男性で担いで運んでしまおうという計画でした。

しかし、女性が暴れまわって逃げ出すことができたため、未遂に終わっています。その結果として逮捕者が出ました。

現在も、誘拐婚が行われている国がある

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現在もこの誘拐婚が行われている国は存在しています。エチオピアやグルジア、ネパール、中国などその他の国でも行われているようです。

ネパールでは児童婚が行われており、幼い女児が誘拐されています。そして中国では人身売買のブローカーにより、国内外問わず結婚をする目的で女性が誘拐されていると言われています。

日本には、他にも様々な奇習が!

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鹿児島県大隅半島で行われてきた悪しき風習の「おっとい嫁じょ」をご紹介してきましたが、日本にはまだまだたくさんの驚くべき風習が存在しています。

その一部をご紹介していきたいと思います。

岩手県を中心とする東北の奇習「オトリアゲ」

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岩手県を中心とした奇習の「オトリアゲ」という風習は「隠し念仏」という秘密主義を持った民間信仰の入門の儀式として行われてきました。

入信希望者が導師の自宅へ行き、「南無阿弥陀仏」「助けたまえ」と何度も何度も唱えます。疲弊して息切れしてもなお続けなくてはいけないそうで、それでも続けると酸欠状態のようになり頭がぼーっとしてきます。

すると導師が「助けた!」と叫び入信者の口を鏡で反射させた光で照らします。そうすると入信者の身体に仏が入ったとされます。この儀式の内容を口外すると地獄に落ちると導師に言われて儀式が終了するそうです。

栃木県の奇習「お連れ様」

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結婚式が執り行われ、披露宴に相当する宴なども終わり、新婚夫婦が初夜迎えるときに新郎と新婦はそれぞれ「お連れ様」と呼ばれる人を新婚夫婦の布団の横に寝かせるのだそうです。

このお連れ様は必ず両親が揃っていることが条件となり、この「お連れ様」の儀式は結婚式と同様に当たり前のように行われてきた風習です。

「お連れ様」が行われてきた栃木県塩谷郡は非常に山深い場所に位置しており、昔からまだ13や14など、若いうちに結婚をして親になることが多かったんだそうです。

長野県の奇習「おじろく・おばさ」

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長野県上原村(現:長野県下伊那郡)では長男以外の人間は結婚も、家族以外の人間との交流を持つことも許されずに死ぬまで家の中で奴隷のように働かされて過ごすそうです。

男を「おじろぐ」、女を「おばさ」と呼び、他の家に嫁いだり婿養子にならないと家からは出られずに一生を終えることもありました。

昭和40年代までこの人権を無視した奇習がおこなわれてきました。

愛知県の奇習「おえびす様にあげる」

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愛知県では「おえびす様にあげる」という風習があります。新婚夫婦はその結婚初夜に合衾しない決まりとなっています。

これは昔、神官が「蛭子神」の名を名乗り、初夜権を行使していたことの名残であると言われています。

山口県の奇習「梶子」

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山口県大島郡に位置する情島では、漁船の舵を子供に担わせており「梶子(かじこ)」と呼んでいました。始めは情島の子供を梶子にしていましたが、人手不足から愛媛県から貧しい家の子供を3~5年間雇っていました。

戦後は更なる人手不足となり、孤児などに過酷な労働をさせてきました。朝4時に起床、夜11時に就寝という過酷な状況で、食事もろくに与えられず、失敗すると激しいリンチまでされていたそうです。

宮城県の奇習「おはぐろつけ」

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宮城県の一部では今でも行われている「おはぐろつけ」は、結婚が決まった新婦がその結婚前夜に新郎以外の男性と一夜を過ごすといったものです。

新婦の家に男性が潜り込んだり、新婦を外に連れ出したりなどをして行われてきました。新婦の両親や、新郎までもがこの奇習を黙認するんだそうです。

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