
南田洋子は死去!死因は?旦那は長門裕之?アルツハイマーだった?
元女優の南田洋子さんは、アルツハイマーになって夫の長門裕之さんから介護を受けていましたが、2009年10月に死去しています。葬儀や告別式には津川雅彦さんや朝丘雪路さん、姪の真由子さんが参列しました。今回はそんな南田洋子さんについてまとめてみました。
目次
[表示]南田洋子が死去?死因は?
女優の南田洋子さんは、2009年10月に亡くなられていますが、その死因についてなどをまとめてみました。
南田洋子のプロフィール
南田洋子さんは、東京都港区出身で1933年3月1日生まれの元女優です。文化学院文学科を卒業しています。夫は俳優の長門裕之さん、義弟が津川雅彦さんです。
16歳で単身上京し、1952年に文化学院を卒業後、水谷八重子さんの弟子になっています。1951年大映5期ニューフェイスとして入社し、翌年の1952年に「美女と盗賊」で芸能界デビューしています。
大映5期ニューフェイスの同期には、若尾文子さんがいます。その若尾文子さんと共演した「十代の性典」が大ヒットしたため、シリーズ化にもなりました。南田洋子さんは、このことから「性典スター」と呼ばれました。
南田洋子は2009年に死去、死因はくも膜下出血?
南田洋子さんは、2009年10月17日に自宅で倒れ、クモ膜下出血の診断を受けて都内の病院に入院しました。危篤状態のまま意識が戻ることなく、10月21日に死去しました。76歳でした。
倒れていた時に既に瞳の瞳孔が開いていたため、救急車で都内の病院に搬送されましたが、4日後に亡くなっています。
南田洋子の通夜・葬儀・告別式は?津川雅彦や朝丘雪路もコメント?
南田洋子さんの通夜には、津川雅彦さんも出席し「兄貴を見ていると、本当に洋子さんを愛していたんだと思う」とコメントしています。
朝丘雪路さんも「お兄さんが本当に寂しくなったと思います」とコメントしました。真由子さんは「優しい伯母さまでした」と言葉を添えました。
通夜の席には、長門さんの横に津川雅彦さんが座り、その横に浅丘雪路さん、その次に津川さんのお嬢さんである真由子さんが座っていました。
南田洋子を介護し続けた夫・長門裕之
長門裕之さんは、妻である南田洋子さんがアルツハイマー型認知症になってから、ずっと介護を続けていました。
南田洋子の旦那は俳優の長門裕之?出会いは映画「太陽の季節」
1956年の「太陽の季節」で南田洋子さんと長門裕之さんは共演しています。
しかし、当時の長門裕之さんはまだ駆け出しの俳優であり、既にスターだった南田洋子さんから「あなたはミスキャストね」と言われ、最悪の印象を持っていたそうです。
しかし、この「太陽の季節」の共演をきっかけにして、2人は徐々に仲良くなり、結婚へと発展しました。
南田洋子が病気に?アルツハイマー性認知症を発症して芸能界引退
南田洋子さんは、2004年頃から認知症の症状が出てきて、セリフが覚えるのが苦手になり、女優業を続けることが出来なくなったそうです。そのことから、2006年には芸能界を引退することとなりました。
南田洋子を介護し続けた長門裕之
南田洋子さんが認知症を患ってからは、夫である長門裕之さんがずっと南田さんの介護をし続けていました。
2008年には、闘病の様子が公開されて話題に
2008年には「徹子の部屋」に長門裕之さんがゲストとして出演した時に、妻の南田洋子さんが認知症で、闘病中であることを公表して話題になりました。
また、同じ年の「報道発ドキュメンタリー宣言」の第1回放送で南田洋子さんの闘病生活の様子が放送されていました。
南田洋子は金スマSPで痴呆が回復していた?
TBS系テレビ「金スマスペシャル」で、南田洋子さんの認知症が一時改善したという話を中心に番組が制作されていました。
それはこの番組が放送される3日前に、長門さんから南田さんが正気を取り戻しているとTBSに連絡があったため、急きょその映像を撮って番組に使用されることになりました。
南田洋子の最期に立ち会えなかった長門裕之
夫である長門裕之さんは、明治座での舞台公演があったため、南田洋子さんの最期に立ち会うことができませんでした。
そして、10月21日の夜「さよならも言わず、この世をさりました」と、記者会見での長門さんは悲痛な面持ちで語りました。
長門裕之も現在は死去?
南田洋子さんの夫の長門裕之さんは、南田さんが亡くなった1年半後の2011年5月21日に、肺炎と動脈硬化などの合併症のため、東京都内の病院で亡くなっています。77歳でした。
長門裕之さんは、2010年の8月に心臓疾患で倒れて大手術を受けていました。経過は順調でしたが、今度は2011年2月には脳出血で倒れてしまいます。長門さんは、リハビリ病院に入院することとなりました。
南田洋子と長門裕之の関係は?暴露本も?長門裕之に賛否両論?
長門裕之さんは、妻の南田洋子さんとの闘病に関する本を刊行したことで、賛否両論ありました。また、長門さんと南田さんの関係はどうだったのか、まとめてみました。
南田洋子と長門裕之はおしどり夫婦ではなかった?
南田洋子さんは、長門裕之さんに暴力を受けていて、鼓膜が破れるといったこともあったそうです。また、長門さんの借金問題もあって、世間が認識していたような「おしどり夫婦」ではなかったようです。
介護に浮気、借金で苦労した南田洋子
南田洋子さんと長門裕之さんが結婚した翌年、1962年に長門さんのお父さんである俳優の沢村圀太郎さんが、脳溢血で倒れてしまいました。
沢村さんの妻のマキノ智子さんが、介護をすることが出来ず、南田さんがその後14年間も自宅で義父の沢村さんの介護をしていたそうです。
その上に長門裕之さんの浮気や、借金問題も抱えていましたから、結婚当初から南田洋子さんは、大変な苦労をされていたことになります。
長門裕之が出版した南田洋子への暴露本「洋子へ」
1985年に長門裕之さんは、妻の南田洋子さんへの告白暴露本「洋子へ」を出版しています。この本の内容は、自身の奔放な女性関係を相手の実名を上げながら赤裸々に告白しています。
この告白が問題となって、その後の2人の出演されていた番組やCMの全てを降板してしまう事態となりました。
南田洋子の様子を公開した長門裕之に賛否両論?
長門裕之さんは、南田洋子さんが認知症を患って介護状態になった時、その様子をテレビ番組などで公開したことに賛否両論ありました。
南田さんのファン以外に、医療従事者たちからも「あのドキュメンタリーはきれいごとでしかなく、お金持ちにしかできない介護内容だった」と非難されていました。
南田洋子の姿を公開したことで、里見浩太朗とも喧嘩していた?
芸能界でも、長門裕之さんのドキュメンタリー番組について、話題になったそうです。特に南田さんをよく知る人は、憤りを露わにさせていたようです。
その中に俳優の里見浩太朗さんがいました。長門裕之さんの死去に際し、妻の南田洋子さんのことで喧嘩をしたとをコメントしています。しかし最後には握手をし、長門さんの人柄をしのんでいました。
長門裕之はその後、「待ってくれ洋子」も出版
長門裕之さんは南田さんの死後、「待ってくれ洋子」も出版していますが、この出版にも賛否両論がありました。
この著書について、南田洋子さんのファンは「南田さんの醜態をさらして印税で金を稼いでいる」と非難しました。
長門さんは、この本は「少しでも介護をしている人達や、これから介護する人達のためになるように」と出版したと語っていたそうです。
南田洋子と長門裕之、最後の夫婦の営みエピソードとは?
長門裕之さんは、南田洋子さんの病気がまだ進行する前に、最後の夫婦の営みがあったことを告白されています。
南田さんが70歳の誕生日を迎え、長門さんが69歳の頃で、それまで20年間は、そんな関係ではなかったそうです。
詳しい事情は分かりませんが、南田さんの方から自分のプライドをかけて誘われたらしく、「俺はしたくないよ」とは言えなかったそうです。その辺の事情は長門さんの著書に書いているようです。
南田洋子と長門裕之には子供はいたの?
南田洋子さんと長門裕之さんの間には子供はいませんでした。子供がいない、おしどり夫婦だと言われていました。
南田洋子が長門裕之と離婚しなかった理由は?
南田洋子さんと長門裕之さんは、おしどり夫婦と呼ばれながら、実際は介護、暴力、借金、浮気に苦しめられていたそうです。
しかし、南田さんが長門さんと離婚しなかったのは、やんちゃだった長門さんを見捨てることが出来なかったと語っています。長門さんにとって、南田さんは母親のような存在だったのかもしれません。
南田洋子の若い頃が美人?画像は?出演作品まとめ!
南田洋子さんの若い頃がかなり美人だったそうです。そんな南田さんの画像や、出演作品についてまとめてみました。
南田洋子は「十代の性典」で人気に!その後は日活の看板スターとして活躍
南田洋子さんは、1953年の映画「十代の性典」が大ヒットしたことで、その後は日活の看板スターとして活躍するようになりました。
南田洋子の若い頃が美人!画像は?
南田洋子さんの若い頃の可愛らしい画像を紹介しました。
南田洋子の若い頃の出演作品①:映画「十代の性典」
映画「十代の性典」で南田洋子さんが演じたのは、売春をする女子高校生役で、当時としてはかなり大胆な役どころでした。
しかし、この映画で南田さんは一躍脚光を浴びることになり、「性典のスター」と呼ばれるようになりました。
南田洋子の若い頃の出演作品②:映画「幕末太陽傳」
1957年7月14日に公開された映画「幕末太陽傳」で、左幸子さんと共演して話題となりました。南田洋子さんと左幸子さんは、共に女郎役で人気を競う間柄を演じています。
映画「幕末太陽傳」は、川島雄三監督の代表的なコメディー映画で、他に石原裕次郎さんや、フランキー堺さんが出演しています。
南田洋子の若い頃の出演作品③:映画「太陽の季節」
1956年公開「太陽の季節」は、石原慎太郎の短編小説を元に制作された映画で、南田洋子さんと長門裕之さんが結婚するきっかけとなった映画です。
この映画では石原裕次郎さんは、もともと原作に登場する風俗を兄の石原慎太郎さんに代わって説明する立場でした。しかし役者の数が足らなかったため、急きょ脇役として出演しています。
また、原作者である石原慎太郎さんも、サッカー選手として出演しています。
南田洋子の若い頃の出演作品④:映画「サムライの子」
「サムライの子」は1963年2月24日公開の映画で、若杉光夫監督の作品です。南田洋子さんは、主人公の妻やす役で出演しています。