山地悠紀夫はイケメン殺人鬼?母親含め3人を殺害?生い立ちは? エンタメ

山地悠紀夫はイケメン殺人鬼?母親含め3人を殺害?生い立ちは?

山地悠紀夫は母親や姉妹を殺害した事で有名な殺人犯です。少年院を出た後の支援の問題に影響を与えました。残虐な犯行によって裁判では死刑を言い渡され、すでに執行されています。ネット上ではイケメンと騒がれもしました。山地悠紀夫の情報をまとめました。

目次

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22歳で死刑囚となった山地悠紀夫とは?

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山地悠紀夫とは、22歳という若さにも関わらず、凶悪な犯行を重ねて死刑を判決された死刑囚です。山地悠紀夫は山口県と大阪府という離れた土地で犯行に及びました。

1度目の犯行時は山地悠紀夫の家庭環境などの背景を考慮され、凶悪性はあまりない、とされていました。しかし2度目の犯行で逮捕された後は、狂気を感じる山地悠紀夫の人間性が露呈されていきました。

山地悠紀夫は22歳という若さで3人も殺害した事や、その異常性から逮捕後に様々な報道番組で関連する内容の放送がされ、あっという間に有名になりました。

山地悠紀夫は2つの事件を起こしていた!22歳で死刑囚に

山地悠紀夫は2件の殺人事件を起こしたのですが、どちらも残忍をきわめる犯行内容で、ニュースなどで大々的に取り上げられました。

山地悠紀夫は凶悪な犯行内容だけではなく、異常な性癖も持っていた事で有名です。最初の犯行で快感を覚え、自分の異常な性癖に気づきました。その後我慢が出来なくなり犯行を重ねたのです。

2度目の犯行は、ただただ快楽を満たすための犯行だという事が分かっています。快感を得る事自体異常なのですが、快楽のために、躊躇なく他人の人生を終わらせた山地悠紀夫は、人間味の欠片もありませんでした。

山口母親殺人事件の概要

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山口母親殺害事件を起こした山地悠紀夫は、当時まだ16歳で、山口県で母親と一緒に暮らしていました。山地悠紀夫が犯行に及んだのは、2000年7月29日でした。

山地悠紀夫の母親は借金を抱えており、山地悠紀夫は同年の6月まではその事を知らずに生活していました。当時新聞販売店で働いていた山地悠紀夫は借金の事を知り、悩んでいたとされています。

山地悠紀夫は、自分が好意を寄せていた女性に無言電話を掛けた母親と口論になり、借金の事もあり激化し、金属バットで頭や胸などを滅多打ちにし、母親を殺害しました。

大阪姉妹殺人事件の概要

山口母親殺害事件を起こした時の山地悠紀夫は、まだ未成年で更生の余地ありと判断された事や、複雑な家庭環境を考慮され、短い期間で少年院を出所しました。

その後大阪で野宿などをしてふらふら生活をしていた山地悠紀夫は、2005年11月17日に大阪府大阪市浪速区のマンションに帰宅した、飲食店で働いていた姉妹を殺害しています。この時の年齢は22歳でした。

マンションに帰宅した姉をナイフで刺した後に強姦し、その後帰宅した妹にも同じことをして、一服した後にまたナイフを刺して殺害しています。さらに現金を奪った後に部屋に火をつけ逃亡しましたが捕まりました。

山地悠紀夫のプロフィールは?身長が高い?

  • 生年月日:1983年8月21日
  • 死亡:2009年7月28日(享年25)
  • 身長:175cm

山地悠紀夫は犯行後、ニュースで逮捕時の様子を流されました。その後犯行内容や動機も報道され、異常な犯罪者として世間を騒がせました。

山地悠紀夫の異常性がマスコミやインターネット上の人の興味を惹き、その人格を築いた背景を知ろうとする人も多く現れました。調べられた身長は、175cmと成人男性の平均より高いようです。

山地悠紀夫の生い立ちは?

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山地悠紀夫のような凶悪で異常な犯罪者は、複雑な家庭環境や、辛い幼少期を過ごしている事が度々あります。まともではない生活が、精神や性格を歪めてしまったと言われる例は多々あります。

山地悠紀夫も、父親母親共にまともと言える人間ではなく、生活が困窮しており、とても良い環境で育ってきたとは言えませんでした。

そのせいか学校生活も上手くいかず、働いて家族を助けようとするも、まともではない母親に激高して一度目の犯行に及んでしまうのでした。

父親は職を転々、酒乱な上に暴力癖もあった

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山地悠紀夫の父親は酒癖が悪く、酒を飲んでは家庭内で暴力を振るうような男でした。暴力は男の妻、山地悠紀夫にとっては母親にだけではなく、幼い山地悠紀夫にも振るわれました。

幼少期に度々自身の父親から暴力を振るわれてきた、山地悠紀夫の性格が歪んでいったのは想像に難くありません。

父親は定職に就かず、ころころ職を変えていました。

母は愛情が薄く買い物依存症?多額の借金を重ねていた

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山地悠紀夫の父親がまともでなければ、母親もまともではありませんでした。母親は暴力を振るわれていた事もあってストレス解消のためなのか、金遣いの荒い人間でした。

定職につかずふらふらし、収入が安定しない上に酒を飲み暴力を振るう父親と、金遣いの荒い母親という家庭では、当然豊かな暮らしなど不可能でした。

暴力を振るう父親はもちろん山地悠紀夫の事を愛してなどおらず、母親も母親で山地悠紀夫と会話をあまりしなかったそうです。

1995年、11歳の時に父が死亡し、以後母親と2人暮らしに

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山地悠紀夫が11歳になった1995年1月に、酒ばかり飲んでいた父親は肝硬変で亡くなります。それ以降は母親と2人で暮らす事になります。

酒を飲み暴力を振るう父親で、定職についてはいませんでしたが、それでもある程度の収入はありました。暴力は無くなりましたが、収入源は母親のパートだけになりさらに厳しくなっていきます。

父親の死後、生活が困窮?家に借金取りが来ることも

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父親の死後は収入が減り、元々裕福ではなかった家庭がさらに困窮し始めていきます。電気や水道料金の支払いも滞り、止められてしまう事もあったようです。

元々会話の少ない家庭だった事や山地悠紀夫が幼く働ける年齢ではなかったため、母親は山地悠紀夫には何も言わず、近所の人などから借金をしていました。

小中学校ではいじめにあっていた

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山地悠紀夫の学校生活は暗いもので、他人との会話があまり得意ではなかった山地悠紀夫には、交友関係もほとんどなく、目立たずひっそりと過ごしていました。

授業で使う教材費を払う事が出来なかったため、家庭科の調理実習を行った際は、食べる資格なしと言われ、せっかく調理したものを捨てさせるという冷たい教師でした。

小学校を卒業しても学校生活は辛いままで、中学校に入学した山地悠紀夫は、悪魔というあだ名を付けられ、いじめられていました。

中3からは不登校状態になるも、1999年に中学を卒業

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中学校では卓球部に所属したものの、ほとんど参加せず、幽霊部員となっており、楽しい事はなく辛いだけの学校生活を送っていた山地悠紀夫は、中学2年生の頃からあまり登校しなくなっていました。

中学3年生の時にはほとんど学校に行かず、行事などにも参加していませんでした。3年生になってからは1年の3分の1程しか登校しなかった山地悠紀夫は、そのまま卒業しました。

進路についても、学校生活は嫌だと言い、高校には進学しませんでした。

進学せず、新聞販売店に就職して、貧しい家庭を助けていた

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高校に進学しなかった山地悠紀夫は、就職のために紡績業を営む会社の面接を受けましたが、採用されませんでした。

その後しばらく就職先は見つからず、何をするわけでもなく過ごしていましたが、ある日知人から新聞配達店の仕事を紹介され、勤める事になります。

理由は分かっていませんが、一度退職していますが再び戻り、それからは真面目に働いていました。給料も9万円程貰い、半分を家に入れ家計の助けにしていました。

その後、母親の借金に悩むように

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真面目に働いていた山地悠紀夫ですが、2000年6月に家に借金取りが来たことで、今まで秘密にされていた借金に気づきます。驚くくらいの額、と当時の山地悠紀夫は言っており、相当な金額だったと言われています。

借金の事を問い詰めても母親の返答ははっきりせず、ただかなりの借金を背負っていた事だけが分かった山地悠紀夫は深く悩み、同僚に相談したりもしていました。

生活保護を申し込んだりもしたのですが、認可はされず、どうしようもありませんでした。そんな折、同年の7月に母親と口論になり、山口母親殺害事件と呼ばれる事件を起こします。

山地悠紀夫が最初に起こした「山口母親殺人事件」

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山地悠紀夫の起こした1度目の事件は、借金に悩んでいる中、原因を作った母親が山地悠紀夫の彼女に対して嫌がらせをしました。

それがきっかけで口論となり、さらに母親の言った言葉によって激高し、我を忘れて金属バットで滅多打ちにします。

山地悠紀夫は、母親が作った借金について周囲に相談していた

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山地悠紀夫は、借金について新聞販売店で一緒に働く母親と同年代程度の年齢の人に相談したり、他の同僚などに相談しました。

借金解決の糸口は見えず、限界にきていた

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山地悠紀夫は職場の人に相談しましたがどうにもならず、ただただ悩むばかりでした。

母親殺害の3日前、7歳年上の彼女と深い仲に

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色々問題のあった山地悠紀夫ですが、カードゲームが好きでそのような商品を取り扱っている店の店員に恋をしていました。

その女性は彼氏とうまくいっておらず、山地悠紀夫が告白すると、了承し一夜を共にしました。

それが丁度事件の3日前で、この時は避妊をしなかったようで、彼女は「出来たら責任とってね」と冗談で言ったそうです。

母殺害の直前、27日、28日と無断欠勤する

彼女の冗談を重くとらえた山地悠紀夫は、借金もあるのに子供が出来ていたらどうやって養うのか、等とさらに悩み、パニック状態になって無断欠勤しました。

7月27日と28日を無断欠勤しましたが、28日には同僚が迎えにきて、仕事をしています。

無断欠勤をしてもすぐ首にならなかったのも、山地悠紀夫は今まで仕事を真面目にこなしていたためと言われています。

当時16歳の2000年7月29日、母と口論になり、バットで母を殺害

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7月29日に母親が自分の彼女に、無言電話を掛けていたという事を知った山地悠紀夫は、口論になり、その際母親が放った「出ていけ」という言葉で怒りを抑えきれなくなり、金属バットで殴り殺しました。

近所の人などの話によると、給料日には2人でご飯を食べに行っている姿を見た、という話もあり、親子の仲は悪いようには見えなかったそうです。

しかし実際は借金の事を何も話さなかったり、借金をしているのに無駄な買い物を止めない母親にかなりストレスが溜まっていたようです。

裁判の結果、岡山少年院に送られる

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山地悠紀夫は29日に犯行に及び、31日に母親を殺害したと自分で警察に電話し、逮捕されました。

逮捕された山地悠紀夫は、母親はあまり愛情を注いではくれなかったという事や、会話もあまりなかったと言っており、もっと愛情を注いでくれる家庭だったら違う結果になっていた、という事も言っていました。

この時の山地悠紀夫は、岡山の中等少年院に送られましたが、反省の色を見せていたため、更生の予知ありと判断されていました。

山口母親殺人事件後の生活は?

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第一の事件である山口母親殺人事件後に、少年院に入った山地悠紀夫ですが、家庭環境などを考慮された結果、そこまで長くはない期間で出所します。

出所後すぐは普通に働いていましたが、その後友人の紹介で真っ当ではない仕事に就きます。しかしその仕事でも周りと馴染めず、グループで孤立してしまいます。

2003年に少年院を退院すると、パチンコ店に勤務

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凶悪な罪を犯した山地悠紀夫は、3年2か月という短い期間で出所しています。犯行時は反省の色を見せていましたが、少年院に入ってからは、そうでもありませんでした。

本退院時に至っては、「あまり法律を守ろうとは思っていない」というとんでもない発言をしています。カウンセラーなどを担当していた精神科医は、この事から退院には早いのでは、と考えていました。

精神科医は申告したのですが、なぜかそのまま山地悠紀夫は退院しました。退院後はパチンコ店に住み込みで勤める事になりました。

その後、友人を介してゴト師グループへと所属

パチンコ店で働いていた山地悠紀夫は、友人の紹介でゴト師と呼ばれている犯罪者グループの仲間に入りました。退院時に言っていた通り、すでに犯罪に手を染める事に抵抗はなかったのでしょう。

ゴト師とは、パチンコやパチスロで不正な方法を使い、玉を出す行為をする人間で、山地悠紀夫はその犯罪をグループで行っているという連中の仲間になったのです。

少年院を退院した山地悠紀夫は、真っ当ではない生き方を選び、ゴト師集団の1人として生活していきます。

ゴト師グループになじめず、グループを離脱

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ゴト師として、不正を働く山地悠紀夫でしたが、山地悠紀夫はあまり器用な方ではなかったので、ゴト師のようなばれないように、細かな作業をするという事をうまくできませんでした。

ゴト師は、儲からないと逆にパチスロのためにお金を使ってしまうので、集団で1人が売り上げを上げれないというのは、金額のノルマ的にも心情的にもよくありませんでした。

山地悠紀夫は売り上げの上げれない日は、サラ金でお金を借りて渡していました。さらに、不正が発覚し逮捕され、そのことで山地悠紀夫は、完全に仕事の出来ない男として見られてしまいます。

知人のマンションに身を寄せていた

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ゴト師としてうまく仕事の出来なかった山地悠紀夫は、グループ内で疎まれる存在となっていきます。山地悠紀夫自身も、自分には向いてないという事を言うようになり、ストレスを溜めていきました。

その時、山地悠紀夫の住んでいたのは、ゴト師集団が拠点として使っているマンションでした。しかし疎まれている上に、向いていないと考えていた山地悠紀夫は、そのマンションを出ていこうとしていました。

山地悠紀夫がゴト師の拠点となるマンションに住んでいたのは、11月11日からで、このマンションは山地悠紀夫の起こした、殺人事件の被害者も住んでいるマンションでした。

山地悠紀夫が起こした第二の事件「大阪姉妹殺人事件」

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山地悠紀夫はゴト師の拠点となっていた大阪府大阪市浪速区のマンションに住む、姉妹を殺害しています。

第一の事件では、母親の借金が原因で起きた事件、となっており凶悪犯という扱いはされていませんでした。しかし、この第二の事件で、山地悠紀夫は凶悪で異常な犯罪者として知れ渡る事になります。

犯行の動機や山地悠紀夫の犯行時の様子は、異常な犯罪者を感じさせるには十分でした。

2005年11日17日、山地悠紀夫は2回目の殺人を犯した

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山地悠紀夫の第二の事件は、2005年11月17日に起こされました。ゴト師のマンションに身を寄せるようになってから数日たったある日、犯行に及びます。

1度目の山口母親殺害事件は、怒りに我を忘れて滅多打ちという残忍な殺害方法でしたが、まだ感情を抑えきれなくて、訳が分からないままやった、という感じがあります。

しかし、2度目の犯行に及んだ時の山地悠紀夫は、完全に楽しんでいました。

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