佐々木つとむ『メッタ刺し事件』の真相は?稲川淳二の怪談にも登場? 社会

佐々木つとむ『メッタ刺し事件』の真相は?稲川淳二の怪談にも登場?

ものまねタレントの神奈月の師匠でもある佐々木つとむが1987年にメッタ刺しにされ殺害されるという事件がおこりました。犯人は佐々木の愛人の中野美沙。この凄惨な事件はその後、稲川淳二の怪談にも登場しています。ここでは佐々木つとむ殺人事件についてまとめました。

目次

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昭和の人気芸人「佐々木つとむ」と「佐々木つとむ殺人事件」とは?

1987年9月4日、ものまね芸人の佐々木つとむがメッタ刺しにされた無残な遺体となって、マンションの一室から発見されました。

当時、国民的な人気を誇った芸人を殺害した犯人は、佐々木つとむの愛人であった中野美沙という女性です。突然の死で社会に衝撃を与えた佐々木つとむとは、どのような人物だったのでしょうか?

芸人・佐々木つとむのプロフィール

佐々木つとむ(本名、佐々木宏幸)は渥美清、高倉健、森進一、田中角栄などのものまねで大ブレイクし、「元祖ものまね四天王」とも呼ばれていました。

昭和50年代のものまねタレントの中ではトップクラスの人気を誇った芸人で、1974年と1977年には放送演芸大賞部門賞を受賞しています。ものまねタレント「神奈月」の師匠でもあります。

40歳で人生を終えた佐々木つとむ、死の理由は殺人だった?

当時、ものまねタレントとして大ブレイクしていた佐々木つとむには妻子がいました。しかし、中野美沙という女性と愛人関係にあり、彼女と東京都板橋区のマンションで同棲生活を送っていたとされます。

佐々木つとむは1987年の9月4日に、この愛人、中野美沙に包丁でメッタ刺しにされ40歳という若さで亡くなりました。

元祖ものまねタレント・佐々木つとむが殺された事件とは

ここからは、ものまねタレント佐々木つとむが殺害された事件について詳しくみていきましょう。

佐々木つとむの死因は?殺人事件の概要

1987年9月4日、マンションの一室でメッタ刺しにされた男性の遺体が発見されました。メッタ刺しにされた遺体は、昭和50年代にものまね四天王と呼ばれた当時大人気の芸人佐々木つとむでした。

佐々木つとむを殺害したのは佐々木つとむの愛人の中野美沙(当時39歳)です。8月30日~31日未明、佐々木つとむと中野美沙が口論になり、中野美沙は佐々木つとむを包丁でメッタ刺しにし殺害。

その後現場に佐々木つとむ殺害後に書いたとみられる「あの世で二人でやり直そうね」という走り書きの遺書のようなものを残し、中野美沙は消息をたちました。

1987年9月4日に刺殺!事件現場は板橋区高島平の愛人宅

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佐々木つとむは愛人の中野美沙の自宅、東京都板橋区高島平のマンションで1987年9月4日に数十箇所を包丁で刺され殺害されました。

佐々木つとむの遺体には毛布がかけられており、北枕にて枕元には水を入れたコップが供えられていたそうです。

発見したのは事務所の社長だった

9月5日、高松公演の前に佐々木つとむと連絡が取れなくなり事務所スタッフや社長が佐々木つとむを捜索していました。

そして、事務所社長が中野美沙のマンションのドアの鍵を壊して中に入り、あたり一面血の海で、6畳間で毛布をかけられ息絶えている佐々木つとむを発見したとされます。

発見されたのは殺害から5〜6日後、40歳で死去

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事務所社長に発見されたのは、殺害されてから5~6日もたってからでした。

毛布から出ている足は変色、まだ残暑の残る9月ということもあり腐敗臭も漂っており、事務所社長は慌てて警察へ通報したそうです。佐々木つとむは当時まだ40歳。早すぎる死でした。

【画像付き】佐々木つとむ殺害事件の真相!犯人や殺害動機は?

佐々木つとむはなぜ、このような残酷な殺され方をされたのでしょうか?ここからは、愛人の中野美沙が佐々木つとむを殺害した動機などをご紹介していきます。

ギャンブル狂!?佐々木つとむの私生活と愛人との関係

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佐々木つとむは大のギャンブル好きで知られていました。当時売れっ子芸人だったので相当なギャラを貰っていたはずですが、そのギャラも1日でギャンブルにつぎ込んでいたそうです。

さらに佐々木つとむはギャンブルで巨額の借金を作ります。殺害された当時、佐々木つとむには妻と二人の子供がいました。

しかし、家庭内ではいざこざが絶えず、居心地が悪くなったのか佐々木つとむは1987年4月頃から自宅へは帰らず、中野美沙のマンションで暮らすようになりました。

写真あり!池袋のパブでママをしていた佐々木つとむの愛人・中野美沙

中野美沙と佐々木つとむは、佐々木つとむが家を出た1987年頃にポーカーゲーム屋で知り合い、出会ってからわずか半年ほどで愛人関係になったそうです。中野美沙は当時池袋のパブでママをしていました。

上の画像の女性が中野美沙で、この写真は事件報道時に新聞に掲載されたものです。

中野美沙は派手な暮らしで結婚歴もあった!

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中野美沙は、中学を卒業後工員として1年間勤務しておりその後結婚をしていますが、すぐに離婚し、その後は下着販売輸入業、愛人稼業をして生活をしていたようです。

中野美沙は背中一面に観音様の刺青を入れ、愛車フェアレディZを乗り回すなど、かなり派手な生活をしていたようです。

また、事件当時も同時に4人の男性と交際をしており、佐々木つとむはそのうちの一人でした。そのため周囲の芸人達は、愛人と別れるように佐々木つとむに訴えていたといいます。

事件の発端はギャンブルによって溜まってしまった借金?

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この事件の発端は、佐々木つとむのギャンブル依存が原因で、ギャラの全てを使い果たすだけでなく多額の借金まで作っていた事が原因でした。

佐々木つとむは、膨大な借金をつくり家庭ではいざこざが絶えず、中野美沙のマンションへ家出しました。

中野美沙のマンションで同棲生活を始め、佐々木つとむは中野美沙にギャンブルで作った借金の一部(一千万円ほど)を肩代わりさせます。

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しかし、佐々木つとむは中野美沙に「まだお金が足りない」と、さらに金銭を要求するようになりました。

さらに要求はエスカレートし、ついには中野美沙の貯金を勝手に引き出す、貴金属類を勝手に換金するなどしていた為、二人の関係はみるみる悪化していったといます。

愛人の愛犬に暴力を振るったことが引き金となる

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ある日、佐々木つとむは中野美沙の飼っていたシーズー犬を虐待し骨折させます。これに対して中野美沙は激怒し、衝動的に包丁を手にし佐々木つとむをメッタ刺しにします。

『お前は一生俺の金づるだ』の一言が動機へと繋がった?

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佐々木つとむは中野美沙に金銭の要求をするだけでなく、日常的に暴力を振るっていました。

中野美沙は佐々木つとむに「家から出て行って!」と言いますが、佐々木つとむはそんな中野美沙を暴力で押さえつけ支配していました。

そして事件の起こった日、佐々木つとむは中野美沙の愛犬にまで手を出したうえに、中野美沙本人に対しては「お前は一生おれの金づるだ」と言い放ったそうです。この一連の言動が、事件の引き金となりました。

愛人の住むマンションでメッタ刺しにされ死亡!突発的な犯行だった

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佐々木つとむをメッタ刺しにしたあと、中野美沙は包丁を丁寧に洗い台所へ置き、佐々木つとむの遺体に毛布をかけ、枕元には水を入れたコップを供えました。

遺体を隠すわけでもなく、遺体に毛布をかける行動などから「計画性はなく突発的な犯行だったのだろう。」と言われています。佐々木つとむの遺体の側には、中野美沙が書いた遺書が残されていました。

「私もお父さんのそばに行きます、私がお父さんを殺すなんて夢にも思わなかった。あの世で二人でやりなおそうね」

(引用:Wikipedia)

1987年9月6日、愛人が入水自殺で死去

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佐々木つとむを殺害したあと中野美沙は、愛犬を病院に預けて消息を立ちます。当時佐々木つとむは大人気の芸人でしたから、この事件は大きく報道され注目されていました。

警察は中野美沙を顔写真付きで全国指名手配をしました。しかし事件から2日後に9月6日、青森県むつ市大湊の陸奥湾で中野美沙は入水自殺をしていたのです。

自殺現場近くのホテルから愛人の遺書が発見されている

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中野美沙が自殺をした陸奥湾の近くのホテルからは、中村美沙の書いた遺書が発見されました。中村美沙の残した遺書は以下の内容が書かれています。

「色々ご迷惑をお掛け致します。九州の母の所に連絡してください」

(引用:日刊ゲンダイ)

『爆報! THE フライデー』でこの事件が取り上げられたことも

2016年2月5日放送の「爆報!THEフライデー」実録事件簿第7弾では、「お笑い芸人メッタ刺し殺人…三角関係の末路」として、佐々木つとむ殺人事件が取り上げられました。

番組では、佐々木つとむは「人気お笑い芸人X」として紹介されましたが、誰のことなのかピンときた視聴者は多かったようです。

当時のTwitterにはリアルタイムで「Xって佐々木つとむでしょ?」という書き込みが多くされました。

また番組の中では「佐々木つとむには愛人が2人いた」と紹介されましたが、これは中野美沙が改名手続き中であったことを、誤解して報じたものと考えられています。

佐々木つとむの生い立ちや芸人としての活躍

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ここからは、佐々木つとむの経歴や私生活について見ていきましょう。

高校時代から演芸番組に出演

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兵庫県神戸市で生まれた佐々木つとむは、高校生のころから素人で演芸番組に出演していました。高校生を中退後、17歳の時に佐々木つとむは浅草松竹演芸場の司会に選ばれます。

渥美清・高倉健・森進一・田中角栄など有名芸能人のモノマネをしていた

渥美清、高倉健、森進一、田中角栄などのものまねで大ヒットしました。

中でも渥美清の「それを言っちゃ~オシマイよ」、田中角栄、大平正芳、三木武夫、春日一幸のそれぞれの声を使い分けた「ロッキード麻雀」のものまねネタが当時とくに大人気でした。

はたけんじ、団しん也、堺すすむとともに元祖ものまね四天王と呼ばれた男!

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はたけんじ、団しん也、堺すすむ、そして佐々木つとむは元祖、ものまね四天王と呼ばれ、ものまね界の頂点に君臨していました。

放送演芸大賞部門賞を二度受賞している

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佐々木つとむは、1974年と1977年に放送演芸大賞部門賞を受賞し、ものまねだけでなくレコードも複数発表していました。

徹子の部屋に出演していたこともある!

佐々木つとむは1976年から放送されている「徹子の部屋」にも出演していました。この時の佐々木つとむには、若手のモノマネ芸人もレベルが高くて見習うところが多い等、謙虚な発言が目立ちました。

とても私生活で借金を繰り返し、愛人に暴力を振るっていたような人物には見えないのですが、一線でモノマネ芸人を続けるプレッシャーも、荒れた私生活の原因だったのかもしれません。

佐々木つとむと神奈月との関係は?

佐々木つとむは武藤敬司や長嶋茂雄、新庄剛志などのモノマネを得意とする芸人・神無月の師匠でもありました。ここでは佐々木つとむと神無月の関係について紹介していきます。

モノマネ芸人・神奈月は佐々木つとむの弟子だった

神奈月は1987年にデビューしましたが、「師匠がいないと仕事がとれない」と言われ、佐々木つとむの弟子になりました。

NEXT:佐々木つとむの借金取りに神奈月が金を取られることもあった
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