高峰三枝子は歌う映画女優!その夫や息子は?清貴が逮捕?死因は? エンタメ

高峰三枝子は歌う映画女優!その夫や息子は?清貴が逮捕?死因は?

高峰三枝子は戦前から戦後まで、昭和の時代を女優・歌手として、映画やテレビで大活躍しました。一見順調な人生を送ったようですが、夫や息子清貴の問題や自身の病気など、いろいろな出来事がありました。昭和の大女優高峰三枝子の生涯、足跡をたどってみましょう。

目次

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「歌う映画女優」高峰三枝子とはどんな人?

高峰三枝子は昭和を代表する大女優で、「歌う映画女優(スター)」の草分けです。彼女が映画界入りしたきっかけは父親が亡くなったことでした。先ずは高峰三枝子がどんな人だったか見てみましょう。

高峰三枝子のプロフィール、画像は?

高峰三枝子は、1918年(大正7年)12月2日、東京府芝区露月町(現在の港区新橋)で誕生。本名は鈴木三枝子です。父親は、筑前琵琶から派生した高峰琵琶の宗家の高峰筑風(本名、鈴木徹郎)です。

1936年(昭和11年)東洋英和女学院を卒業後の4月に父、筑風が急死しました。長女の三枝子は一家を養うため、周囲の勧めで松竹(株)に入社し、同年に公開された映画「母を尋ねて」で女優デビューしました。

「歌う映画女優」として順調にキャリアを積み、1946年実業家の鈴木健之と結婚しましたが、1954年に離婚。子供は長男の鈴木清貴、孫は元女優の高峰陽です。1990年5月27日脳梗塞で死去、71歳でした。

高峰三枝子の経歴は?女優や歌手として活躍

高峰三枝子は1936年に女優デビューすると、たちまち品のよい美貌で人気を博しました。翌年には、当時の「松竹三羽烏」上原謙・佐野周二・佐分利信の映画、「婚約三羽烏」にマドンナ役で出演するほどでした。

1938年には「純情哀詩 宵待草」が映画も、高峰三枝子がソロで歌った主題歌「宵待草」もヒットしました。翌年には音楽映画「純情二重奏」に出演し、映画と共に霧島昇と歌った主題歌は大ヒットとなりました。

同1939年の「暖流」では気取らない令嬢役を演じて、女優としての評価を上げました。その後主演した映画、「信子」「男への条件」「戸田家の兄妹」「高原の月」はどれも好評で、松竹の看板スターとなりました。

女優としても歌手としても大成功した高峰三枝子

戦前から女優として、歌手として、大評判になった高峰三枝子ですが、日本が開戦してからも、人気が衰えることはありませんでした。そのため、グラビアアイドルよろしく慰問雑誌に載って、前線の兵士に愛されました。

また当時、映画とは無関係にヒットした曲が、1940年の「湖畔の宿」、1942年の「南の花嫁さん」です。慰問団として戦地に赴いた時、特攻隊員から一番よくリクエストされたのが「湖畔の宿」だったそうです。

1943年2作品・44年3作品と、戦時中の出演映画は少ないですが、戦後は以前と変わらず多くの映画に出ています。ヒット歌手の実績を活かして連作化した音楽映画は、女優としても歌手としても大成功でした。

「歌う映画女優」と呼ばれる存在に

高峰三枝子は、1938年の主演映画「純情哀詩 宵待草」で、主題歌の「宵待草」を歌って大ヒットしました。この成功をみて松竹とレコード会社のコロムビアは、合同で音楽映画を製作しました。

それが1939年に公開された音楽映画「純情二重奏」です。両社の思惑通り、映画はもちろん霧島昇と歌った主題歌が大ヒットとなり、高峰三枝子は「歌う映画女優」としての地位を確立しました。

戦後はシリーズ化した音楽映画が次々にヒットしました。1948年の「懐しのブルース」、49年の「別れのタンゴ」、50年の「想い出のボレロ」と「情熱のルムバ」という作品群がそれにあたります。

高峰三枝子の話題になった作品は?

高峰三枝子は実に多くの作品に出演していますが、その中でとくに話題になった作品を紹介していきます。

歌手デビューのきっかけとなった「浅草の灯」

高峰三枝子は映画デビューした翌年、1937年の暮れに公開された「浅草の灯」に出演しています。この作品は、1923年(大正12年)の関東大震災以前の、浅草オペラの劇場の役者たちの青春群像を描いています。

高峰三枝子が演じるのは、新人のコーラスガール小杉麗子です。麗子をとりまく男たちのかけ引きが軸になって、ストーリーは進んでいきます。劇中、麗子が歌を口ずさむシーンが話題となりました。

それをみたコロムビアが、レコード歌手として高峰をスカウトしました。

レコードデビュー作「蛍の光」

高峰三枝子がレコードデビューしたのは、1938年の映画「蛍の光」の主題歌です。映画は女子高校卒業前後を描いた作品で、劇中で歌われる「蛍の光」や「流浪の民」等の合唱が印象的に描かれています。

映画の主題歌「蛍の光」を、高峰は当時の人気女優の桑野道子、高木早苗と一緒に吹き込み、レコードデビューしました。

「蛍の光」はスコットランド民謡をもとにした日本の唱歌ですが、このレコードが話題になったことが、今日でも愛される要因の1つともいわれています。

映画「純情二重奏」で歌う映画女優に

高峰三枝子が演じる高山栄子は、母の死をきっかけに出生の事実を知り上京、実の父、作曲界の重鎮河田を尋ねますが、家庭の事情から娘とは認めてもらえません。歌の才能がある栄子はやがて歌手デビューします。

同じ頃河田の娘八千代も歌謡界入りし、2人は新人賞を争います。結果は八千代が新人賞を獲り、栄子は落胆し帰郷します。栄子に好意をよせる作曲家が、彼女が口ずさんだ母から聞かされたメロディを、曲にまとめます。

この曲が「純情二重奏」で、劇中では八千代が歌って芸術祭賞を獲り、受賞記念リサイタルでは栄子と2人で歌います。1939年、この主題歌を高峰は霧島昇と歌って大ヒットし、「歌う映画女優」の名を確立しました。

時の首相・東條英機も好んだ「湖畔の宿」

1940年、レコード歌手としての高峰三枝子の大ヒット曲が「湖畔の宿」です。30万枚近い大ヒットでしたが、日中戦争当時に、感傷的な曲調と詞の内容が相応しくないとして、まもなく発売禁止となりました。

しかしながら、この曲を愛する多くの人の気持ちを止めることはできませんでした。高峰三枝子が戦時中の回想で何度となく、前線の兵士を慰問した際に一番リクエストが多かったのが「湖畔の宿」だと述べています。

当時の首相東條英機は、多忙な一日が終わると官邸に漫才師や講談師、歌手を呼んで関係者を労ったそうです。高峰も東條らの前で「湖畔の宿」歌いましたが、一番大きな拍手をしてくれたのが東條だと話しています。

ブルーリボン賞助演女優賞を受賞した映画「犬神家の一族」

1976年斜陽の日本映画界に、映像と音楽、そしてTVCMなどのメディアミックス戦略で、大成功した角川映画の第1作が「犬神家の一族」でした。横溝正史ブームを仕掛けていた角川書店が、自ら製作した映画です。

横溝正史の名作探偵小説を、名匠市川崑監督の光と影を基調とした映像美と、優れたセンスの編集、加えて大野雄二の優美で印象的なテーマミュージックが、完成度の高いエンタテインメントの傑作に仕立てました。

高峰三枝子は連続殺人の犯人、犬神家の長女松子を見事に演じています。名門財閥犬神家の呪縛や怨念などに縛られた松子の名演技が評価されて、第19回ブルーリボン賞助演女優賞を受賞しました。

高峰三枝子の歌は?ヒット曲10選!

ここからは、「歌う映画女優」の真骨頂、高峰三枝子の代表的なヒット10曲を選んで紹介しましょう。

高峰三枝子のヒット曲①:湖畔の宿

日独伊三国軍事同盟が締結された1940年、高峰三枝子の「湖畔の宿」は大ヒットしました。感傷的な歌詞とメロディが戦意高揚に相応しくないと、発売禁止になりましたが、歌の勢いを止めることはできませんでした。

当時の前線慰問で、内地・外地の兵士から圧倒的に支持されたのがこの曲であり、とくに特攻隊の基地で若い航空兵たちがこの歌を聞き、それから出撃していった姿が忘れられないと、高峰三枝子は何度も語っています。

後年この詞の舞台はどこかが話題となり、作詞者の佐藤惣之助の経歴から長野県の諏訪湖、静岡県の浜名湖、山梨県の山中湖など諸説が生まれました。1988年佐藤の手紙が見つかり、群馬県の榛名湖だとわかりました。

高峰三枝子のヒット曲②:純情二重奏(霧島昇とのデュエット)

松竹とコロムビアの合作音楽映画「純情二重奏」の主題歌を、高峰三枝子が霧島昇と歌って大ヒットした1939年は、第2次世界大戦が始まった年でした。佐々木康はこの作品で、歌謡監督としての評価を得ました。

高峰が主人公で歌手への夢を抱く栄子を、木暮実千代がライバルの八千代を演じました。この映画には松原操、伊藤久男、淡谷のり子、松平晃、二葉あき子、霧島昇など、コロムビアの人気歌手が数多く出演しました。

映画と共に主題歌が大ヒットした「純情二重奏」により、高峰三枝子は「歌う映画女優」といわれるようになりました。

高峰三枝子のヒット曲③:おかあさん

高峰三枝子の芸能生活35周年にあたる1972年のヒット曲が「おかあさん」です。この曲は、女優の高峰を司会に起用して話題になった、フジテレビ系ワイドショー「3時のあなた」から生まれました。

番組の中で、公募した「おかあさん」の詩の朗読コーナーが大人気となり、この曲が企画されました。日本人の心にしみる保富康午の歌詞に、ヒットメーカー平尾昌晃が曲を付け、大変好評を得ました。

高峰三枝子のヒット曲④:南の花嫁 さん

1943年、正に大東亜戦争の真っただ中、高峰三枝子のヒット曲が「南の花嫁さん」です。めでたい歌詞と明るい曲調が前線の兵士に好評で、慰問の際にも「湖畔の宿」に次いでリクエストが多い歌でした。

この曲はもともと中国の任光が作曲した器楽曲で、その美しい旋律を古賀政男が編曲し、藤浦洸が歌詞をつけています。藤浦は戦後シリーズ化した高峰の音楽映画などに、多くの詞を提供しました。

高峰三枝子のヒット曲⑤:別れのタンゴ

1949年、シリーズ化した音楽映画の第2作「別れのタンゴ」の主題歌もヒットしました。監督は「純情二重奏」の佐々木康、歌詞は藤浦洸、作曲は万城目正という定番の3人でした。

高峰三枝子が演じるのは、歌手で成功を夢見る花村恵美子、その婚約者役は佐分利信が務めます。もう一組のカップルが、戦争で指に傷を負ったかつての名ヴァイオリニストとその恋人で、この4人の複雑な愛憎劇です。

最後に「別れのタンゴ」が、劇中劇で映画化されるという演出になっています。繰り返し効果的に曲が使われ、主題化のヒットを手伝っています。

高峰三枝子のヒット曲⑥:懐しのブルース

1948年、戦前の音楽映画シリーズの戦後復活第1作として、高峰三枝子主演「懐しのブルース」が製作され、その主題歌もヒットしました。スタッフは佐々木康監督、藤浦洸作詞、万城目正作曲とおなじみの3人です。

高峰三枝子は、没落した実家を支え、病気療養中の妹の治療費を稼ぐため、キャバレーの歌手になった立松伸子の役です。いつしか彼女が愛するようになった若い貿易商は、既婚者である事を隠していました。

病が癒えた妹の入院先で貿易商の妻と出会い、衝撃の事実を知った伸子は、彼と別れて傷心のまま再びキャバレー「ムーンライト」でブルースを歌うのでした。

高峰三枝子のヒット曲⑦:宵待草

竹久夢二没後4年の1938年、夢二人気に便乗した映画「純情哀詩 宵待ち草」が高峰三枝子主演で製作され、彼女が歌った主題歌もヒットしました。

「宵待草」は夢二が1912年に作った小唄で、1913年発行の彼の処女詩集に載っています。その後の1917年、東京音楽学校の多忠亮がこの詩に曲をつけた所、多くの人々に愛唱されるようになりました。

映画製作当時、夢二の小唄は主題歌としては短いということで、西條八十が2番の歌詞を作ってレコーディングしています。この歌は、高峰のほかに、李香蘭、五十嵐喜芳、倍賞千恵子など、多くの歌手が歌っています。

高峰三枝子のヒット曲⑧:情熱のルムバ

1950年の年末、正月映画として高峰三枝子の主演音楽映画の最終章となる「情熱のルムバ」が公開されました。翌51年に発売された、主題歌レコードも大変ヒットしました。おなじみの3人による製作でした。

この映画で高峰三枝子は、昼間は大学生、夜はキャバレー歌手をしている、没落華族の娘、薬王寺旬子を演じています。高峰の気品の高い美貌も相まって、名家の令嬢を実によく体現しています。

高峰三枝子のヒット曲⑨:想い出のボレロ

1950年には、戦後復活音楽映画シリーズ第3作、「想い出のボレロ」が公開され、主題歌レコードも共にヒットしました。この作品も、いつものトリオによって製作されました。
高峰三枝子が演じる歌手花村恵美子は、人気歌手に育ててくれたバンドマスターの堀江と結婚、住む家を探していますがお金がありません。困った恵美子が資産家の寺田に相談したところ、快く貸してくれました。

これを邪推した堀江は、恵美子を残したまま関西公演に行ってしまいます。その後も波乱がありますが、最後に誤解がとけた2人が、日比谷公会堂の公演で一緒に曲を演じてハッピーエンドとなります。

高峰三枝子のヒット曲⑩:小雨の丘

「小雨の丘」は、1940年にコロムビアから小夜福子のデビュー曲として発売されています。作詞はサトウハチロー、作曲は服部良一です。

サトウハチローは、父親が母を捨てて出て行ったことから、とくに母親に対する思いが強く、この曲にもそんな気持ちが現れています。

高峰三枝子はこの歌をとても気に入っていたようで、戦後になってカバーしてヒットさせると共に、持ち歌としてよく歌っていました。

高峰三枝子の主な映画やドラマ出演作品は?

高峰三枝子は、映画はもとより、戦後量産されたテレビドラマにも数多く出演しています。

高峰三枝子の主な出演作品①:ドラマ「人間の証明」

1977年10月、話題の角川映画第2作「人間の証明」が公開され成功を収めました。その翌年の1月から毎日放送製作ドラマ「人間の証明」が毎週土曜日の夜放送され、20%以上の高視聴率を獲得しました。

高峰三枝子は殺人犯八杉恭子役で、林隆三演じる主人公棟居刑事と双璧をなす、重要な人物を好演しています。ドラマの丁寧な人物描写と、2人の存在感や迫真の演技により、映画よりも高い評価をする向きもあります。

高峰三枝子の主な出演作品②:ドラマ「西遊記」

同じ1978年、日本テレビ開局25年記念番組として製作されたドラマ「西遊記」に、高峰三枝子は釈迦如来の役で出演しています。日曜夜8時放送でNHK大河ドラマの裏番組にもかかわらず高視聴率を獲得しました。

堺正章の孫悟空や夏目雅子の三蔵法師など人気俳優陣と、制作費を惜しまず、特撮を駆使したスケール感の大きな映像が視聴者を魅了しました。イギリスBBCで英語吹替え版が放送され、海外でも高い人気を誇りました。

ドラマが大好評だったため、放送終了後に続編「西遊記Ⅱ」が製作され、1979年11月から80年5月まで放映されました。高峰三枝子も釈迦如来役で初回と最終回に出演しています。

高峰三枝子の主な出演作品③:映画「暖流」

1939年の映画「暖流」では、高峰三枝子は院長令嬢志摩啓子を演じて、高い評価を得ました。劇作家岸田國士の新聞小説を映画化した作品で、監督は吉村公三郎、助監督に木下惠介、中村登らが固めています。

かつての名門病院が破綻寸前となり、院長から立て直しを任された若き実業家。彼が実行する病院改革を機に、院内は混乱し権力争いが起こります。

その中で繰り広げられる、院長令嬢、実業家、医師、看護婦らの恋模様と、名門病院一族の転落を描いています。

高峰三枝子は1990年に死去!死因は?年齢は?

昭和から平成へ時代が移る中、高峰三枝子は自宅で倒れて緊急入院し、その後帰らぬ人となりました。死因は脳梗塞でしたが、大女優の最後はどうだったのでしょう。

高峰三枝子の死因は、脳梗塞だった

平成になって一年余り、1990年4月18日に高峰三枝子は、東京都大田区田園調布3丁目の自宅で倒れ緊急入院しました。急性脳梗塞のために意識は混濁し、左半身は麻痺状態でした。

入院先の世田谷区の日産厚生会玉川病院で治療を受けた結果、一時は意識が回復し危機を脱したといわれましたが、5月24日再び容態が悪化し、5月27日午後5時30分に亡くなりました。71歳でした。

死ぬ間際まで仕事に戻ろうとしていた高峰三枝子

脳梗塞で倒れた高峰三枝子ですが、病床で意識が無くなる直前まで「早く仕事に戻りたい」とうわごとのように繰り返して、死の直前まで女優という仕事に意欲を見せていました。見事な女優魂でした。

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