佐野周二の死因は?息子は関口宏?孫や嫁は?出演作品まとめ! エンタメ

佐野周二の死因は?息子は関口宏?孫や嫁は?出演作品まとめ!

佐野周二(さのしゅうじ)さんは俳優として活躍し、長男となる息子も関口宏さんという有名な人です。結婚もして妻や娘もいました。また、次男や孫も俳優として活躍しています。佐野周二さんの経歴から死因まで、性格も含めて、情報をまとめています。

目次

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佐藤修二とは?二枚目スターとして活躍した俳優

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佐野周二さんは俳優として、昭和初期から後期にかけて活躍した人です。デビューしてからは時代劇、映画、ドラマなど様々な作品に出演していきました。

佐野周二さんの端正な顔立ちは、甘いマスクの二枚目スターとして高い人気を誇り、作品に出演してほしいとの依頼が次々と来ていたようです。

佐野周二のプロフィール

  • 生年月日:1912年11月21日
  • 没年月日:1978年12月21日(66歳没)
  • 出生地:東京府東京市神田区東紺屋町(現在の東京都千代田区神田東紺屋町)
  • 身長:175cm
  • 職業:俳優

佐野周二さんの身長は175cmと当時の平均から見ても高身長です。現在の成人男性の平均身長は170cm程ですが、当時の成人男性の平均身長は160から165cm程でした。

すらりと高身長で、顔も整っていたので、女性からは絶大な支持を得ていました。

俳優として数々の作品に出演、二枚目スターに

佐野周二さんは、映画で俳優としてデビューしたのですが、デビュー当時からすでに所属事務所の幹部候補で、主役格の1人として扱われ、次の年には準幹部、さらに次の年で幹部になっています。

デビューから2年という短い期間で、あっという間に幹部まで昇進した佐野周二さんは、すでにスターとして活躍しており、所属事務所を代表する俳優となっています。

端正な顔立ちだけではなく、高い演技力も兼ね備えていたため人気は衰える事もなく、様々な作品に出演する中で役の幅も広がっていき、さらに人気が高まっていきました。

佐野周二の出演作品は?ベスト5!

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佐野周二さんの演じた役は、実際にありそうな日常を描いた夫婦の夫役や、夫婦間の問題に悩む夫役や、結婚予定の女性との問題に悩む男性の役といった、細かい心理を表現する役が多いです。

他にも親子関係を描いた作品で息子の役をやっていたりと、難しい心情の表現をしなくてはいけないような役柄が多かったのですが、それを見事に表現しています。

難しい役が多いにも関わらず、どれも見事に演じ切ったため、佐野周二さんは人気を高く保ち続けていたとされています。

①「蘇州の夜」

「驟雨」(しゅうう)は、成瀬巳喜男監督によって制作された映画作品です。1956年に公開されています。

この作品では精神的にも肉体的にも辛い状況に立たされている夫婦を描いており、佐野周二さんはサラリーマンとして働く夫役を演じています。

「驟雨」の中で描かれている夫婦喧嘩の様子は、とても細かく自然で、現実で起きている夫婦喧嘩と変わらないリアルなものとなっています。

②「カルメン故郷に帰る」

「カルメン故郷に帰る」(カルメンこきょうにかえる)は、木下惠介監督による映画作品で、1951年に公開されました。

田舎から東京に出てきた主人公の女性が、ストリッパーの踊りは芸術だと考え、ストリッパーとして働く様子や、田舎に帰った時の様子を描いた作品です。

佐野周二さんは戦争で失明したオルガン演奏者の役を演じており、音楽家や芸術家としての心情を表現しています。

③「黒部の太陽」

「黒部の太陽」(くろべのたいよう)は、木本正次さんの小説を原作とした映画で、熊井啓監督によって制作され、1968年に公開されました。

「黒部の太陽」は、富山県にある黒部川に建設された黒部ダムの建設時の様子を描いた作品です。黒部ダムの建設は、人が行く事すら難しい大自然の中で行われ、「世紀の難工事」と呼ばれる程難しい工事でした。

佐野周二さんはこの黒部ダムを建設する際に指揮をとった、黒四建設事務所の所長役を演じています。黒部ダムは別名黒四ダムとも呼ばれています。

④「お嬢さん乾杯!」

「お嬢さん乾杯!」(おじょうさんかんぱい!)は、木下惠介さんが監督を務めた映画で、1949年に公開されました。

落ちぶれた元上流階級の女性と、自動車工場を経営する男性の恋愛を描いた作品となっています。

佐野周二さんは自動車工場を経営する青年の役で、上流階級の令嬢だと思ってお見合いし、結婚の意思を固めた後に、落ちぶれていた事を知り、苦悩するといった役を演じています。

⑤「父ありき」

「父ありき」(ちちありき)は、小津安二郎監督によって制作された映画で、1942年に公開されました。

父親と息子の親子関係を描いた作品で、細かい心理や心情を見事に表現している作品と言われています。

「父ありき」で、佐野周二さんは教職についている息子役を演じています。

佐野周二は結婚していた?妻は?息子は関口宏?孫も?

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佐野周二さんは結婚して、子供も生まれています。しかし妻や娘は早くに亡くなっており、辛い状況で俳優業をこなしていました。

息子も俳優としてデビューしており、佐野周二さんと共演もしています。また孫も俳優としてデビューしており、有名人だらけの家族になっています。

佐野周二の妻は?戦争中に長女ともに亡くしていた

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佐野周二さんは一般の方と結婚し、長女となる娘も生まれていたのですが、どちらも戦争で早くに亡くなってしまいました。

プライベートで辛い状況にあったにも関わらず、俳優としての仕事は続けていました。このような状況が、俳優としての表現力に深みを持たせたのかもしれません。

佐野周二の息子は関口宏と佐野守

佐野周二さんには息子が2人いて、長男は俳優としてデビューしニュースキャスターや司会者として知名度の高い、関口宏(せきぐちひろし)さんです。

次男も、俳優としてデビューし、タレントとしても活躍して、現在は司会者として活動している佐野守さんです。現在では、関口宏さんも佐野守さんも司会者としてのイメージが強くなっています。

関口宏さんは、1963年に放送された「日本映画名作ドラマ・お嬢さんカンパイ!」というドラマで、佐野周二さんと共演しています。

関口宏の妻・西田佐知子は佐野周二の意向で専業主婦に?

関口宏さんの妻は、歌手として有名な西田佐知子(にしださちこ)さんです。現在は歌手としての活動はしておらず、専業主婦となっています。

西田佐知子さんの曲の「初めての街で」は、2017年になってもCMの曲に使われるなど、人気の高い歌手でしたが、佐野周二さんの意向により専業主婦になることを決意したそうです。

佐野周二の孫は?関口知宏?

佐野周二さんの孫、関口宏さんと西田佐知子さんの息子も、俳優として活躍する関口知宏(せきぐちともひろ)さんです。

関口知宏さんは「MMR未確認飛行物体」というドラマで俳優としてデビューした後も、長距離、長期間の旅番組などに挑戦し、知名度や人気を高めていきました。

番組の途中に披露した楽器の演奏やスケッチで、高い技術や画力を披露し視聴者を驚かせました。留学経験もあり、英以後も堪能で、海外での旅番組もやっていました。

佐野周二と関口宏は似ている?

画像は佐野周二さんと関口宏さんの2ショット写真です。目元や口元が似ていると言われています。

関口宏さんの若い頃はあまり似ていなかったと言われていましたが、年を取ってきたら段々と似てきたとも言われています。

佐野周二の家族写真は?

佐野周二さんと妻、長女とおそらく長男の関口宏さんとの家族写真です。詳しい情報は載せられていませんでしたが、大きさから見ておそらく関口宏さんとされています。

こうして並べてみると、娘も佐野周二さんと口元が似ていると言われています。

孫や息子の現在は?

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長男の関口宏さんはTBS系列で放送されている「サンデーモーニング」という報道番組の司会者を務めています。「サンデーモーニング」は同一出演者による報道番組で、最も長くやっている長寿番組です。

次男の佐野守さんは、俳優業は引退して「東京グリーンクラブ」という会社で副社長を務めています。「東京グリーンクラブ」では、コンピュータープログラミングの開発という仕事の統括をしているそうです。

孫にあたる関口知宏さんは俳優業を続けており、2019年には「波乗りオフィスへようこそ」という映画の主演を務めています。

佐野周二の経歴は?

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佐野周二さんは俳優としてデビューして、瞬く間に昇進、人気スターとしての階段を駆け上がっていきましたが、俳優としてデビューする前の経歴はどのようなものなのでしょうか。

佐野周二さんの本名や学歴、俳優としてデビュー時の状況と共に、その後の活動や死因についてまとめています。

佐野周二のプロフィールは?本名は?

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佐野周二さんの本名は息子が関口姓な事からわかると思いますが、関口姓です。

本名は関口正三郎(せきぐちしょうざぶろう)と言い、1912年11月21日に生まれています。

佐野周二は立教大学経済学部を卒業

佐野周二さんは、1933年に立教大学経済学部予科を卒業し、1935年に貿易商である「アサヒ商会」に入社します。

1936年に松竹の俳優募集に応募し合格!

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1935年に「アサヒ商会」に入社した佐野周二さんは、同年「株式会社松竹」の俳優募集に応募し、1000人の中からたった1人合格します。

そして翌年1936年には、「株式会社松竹」に入社し、俳優としての道を歩んでいく事になります。

「Zメン青春突撃隊」で俳優デビュー

松竹に入社した佐野周二さんは、佐々木康さんが監督を務めた「Zメン青春突撃隊」によって、俳優としてデビューしました。

1000人の中から1人選ばれたとだけあり、すでに主役級の扱いを受けており、松竹の幹部候補となっていました。

人気絶頂期に3度の召集が

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デビューしてから数年ですでに松竹を代表する俳優となり、人気スターの仲間入りをしていた佐野周二さんですが、1941年から、終戦まで3度も召集されました。

その間もすきを見ては様々な作品に出演していきました。おかげで佐野周二さんの人気はどんどん上がっていきましたが、戦時中だったため、妻と娘を亡くしてしまいました。

戦後も二枚目スターとして活躍

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戦争によって妻と娘を亡くし、佐野周二さん自身も従軍を経験したため、戦争前の青年らしい爽やかな印象は無くなったと言われていましたが、代わりに帰還兵など難しい役の演技にも深みがでたと言われています。

1954年に「まどかグループ」を設立し、映画製作も手掛けた!

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1953年には、松竹を退社し、フリーの俳優として活動をしていきます。フリーとなっても作品に出演し続け、俳優としての地位を高めていきました。

その1年後の1954年には、俳優や女優仲間と「まどかグループ」を設立し、自らも映画制作を手掛けていくようになります。

1965年からは、映画だけではなく、テレビにも出演していくようになり、さらに活動の幅を広げていっています。

1978年に急性心不全のため死去、死因は心不全だった

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次々と活動の幅を広げ、二枚目俳優や演技派俳優として多くの人に愛された佐野周二さんですが、1978年12月21日に66歳で亡くなりました。死因は急性心不全と診断されました。

佐野周二のその他のエピソードは?性格は?朝鮮?

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佐野周二さんは、後年には優しい父親役として人気があったのですが、実際の性格も優しかったのでしょうか。

また、二枚目俳優と呼ばれていた佐野周二さんの若い頃の画像を交えつつご紹介していきます。

佐野周二さんを調べると「朝鮮」という言葉が引っかかるという噂も出ています。

佐野周二の性格は?厳しい?

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優しい父親役としても人気のあった佐野周二さんですが、どうやら性格はかなり気難しい人だったようで、あまり良い評判はありません。

戦時中に従軍した事や妻や娘を亡くした事からそうなったのかと思いきや、元々の性格がかなり厳しい性格の持ち主だったようです。

そのくらいの性格じゃないと1000人の中から勝ち抜き、戦争を経験してもスターで居続ける事は出来なかったのかもしれません。

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