芥川比呂志の死因は?父・芥川龍之介は自殺?従姉と結婚?イケメン? エンタメ

芥川比呂志の死因は?父・芥川龍之介は自殺?従姉と結婚?イケメン?

文豪・芥川龍之介の長男である芥川比呂志は、偉大な父親の面影を残しつつも、母親の端整な面差しを受け継いだ正統派のイケメンです。芥川比呂志は俳優として「ハムレット」をはじめ数々の作品に出演しました。今回は、芥川比呂志の結婚・死因にも触れながらまとめます。

目次

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芥川比呂志の死因は?肺結核?

「羅生門」の作者・芥川龍之介の長男として生を受けた芥川比呂志とは、どのような人物であったのでしょうか。

61歳という若さでこの世を去った芥川比呂志の死因となった病気は、現代でも発症する可能性のある恐ろしい病です。

こちらでは、ミステリアスな芥川比呂志のプロフィールや、才能溢れる俳優を死に追いやった、恐ろしい病についてまとめます。

芥川比呂志のプロフィールは?

  • 本名:芥川比呂志(あくたがわ ひろし 愛称・貴公子ハムレット)
  • 生年月日:1920年3月30日
  • 年齢:没61歳
  • 出身地:東京都滝野区田端
  • 身長:171cm
  • 職業:俳優・演出家
  • 配偶者;芥川瑠璃子(あくたがわ るりこ)
  • 備考:父・芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)、母・芥川文(あくたがわ ふみ)

1981年、61歳の時に自宅にて死去

芥川比呂志は、昭和56年(1981年)10月28日に61歳という若さで目黒区内にある自宅にて肺結核の療養中に亡くなりました。

現在、日本人男性の平均余命は81.09歳ですので、現在の余命と比較するとかなり若くして亡くなった印象です。芥川比呂志の墓は、東京都豊島区の慈眼寺にあります。

墓石には「芥川家之墓」と彫られており、芥川比呂志の暮石の右側には彼の経歴を記した墓誌が建っています。また、左側には父・芥川龍之介の墓があります。

死因は持病の肺結核だった?

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芥川比呂志は、若い頃から繰り返し肺結核を患っており、芥川比呂志の死因も若い頃からの持病であった肺結核が原因であったと言われています。

芥川比呂志は、61歳という若さで亡くなっています。芥川比呂志が肺結核を患っていた時代には、肺結核が「国民病」などと呼ばれ、恐れられていました。

かつての肺結核は完治が難しい病気で、不治の病とされていたのです。そんな難病と何年も戦いながら、芥川比呂志は数々の名作を世に残します。

肺結核とは?現在でも怖い病気?

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肺結核とは、細菌である「結核菌」が体内に入った後に肺で増殖し、発症する感染症です。結核菌は肺結核感染者の咳などから感染する「飛沫感染」が主な感染ルートとなります。

肺結核は、初期症状が風邪と変わらないため、肺結核だと気付かず周囲に結核菌をばら撒いてしまう事も少なくありません。

ただ、結核菌は体内の免疫機能により感染力を失ってしまうものが多いため、感染したとしても肺結核を発症してしまうのは10人に1人いるかいないかという程度の低い割合です。

肺結核の治療は?

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かつては、治療の難しい「不治の病」や「国民病」などと呼ばれ、恐れられた結核ですが、現在は治療法が確立されており正しい治療を受ければ完治する病気となっています。

現在、肺結核の治療は投薬による薬物療法が用いられます。感染者が乳幼児や高齢者、重傷者である場合のみ入院・手術が検討されます。

投薬は半年間ほど指定された薬を服薬しなくてはならないため、長期的な服薬が必要ではあります。しかし、投薬のみで完治が可能な肺結核は、正しい治療を受ければ怖い病気ではないと言えます。

芥川比呂志は結婚していた?妻や子供は?

肺結核により、若くしてその生涯を閉じた芥川比呂志は、結婚し、素晴らしい伴侶と才能溢れる子供を授かりました。

こちらでは、芥川龍之介の孫にあたる芥川比呂志の子供と、芥川比呂志を生涯に渡り支え続けた妻についてまとめます。

芥川比呂志は従姉と結婚していた!

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芥川比呂志は、父・芥川龍之介の姉・ヒサの娘である芥川瑠璃子(あくたがわるりこ)と結婚します。

芥川比呂志とは従姉の関係である芥川瑠璃子は、90歳で亡くなるまで、随筆家として芥川家の歴史や内情を綴りました。

芥川比呂志に子供はいる?孫は?

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芥川比呂志と芥川瑠璃子は、3人の女の子に恵まれます。末っ子である芥川耿子(あくたがわ てるこ)は、文才に恵まれ、エッセイスト・児童文学者として活動しました。

芥川耿子は、23歳の時に当時デザイナーとして活動していた、本村弘(きむら ひろし)と結婚します。結婚後、芥川耿子は2人の子宝を授かります。

3女である芥川耿子は、芥川比呂志の孫にあたる2人の子供を世に送り出しています。芥川家の遺伝子は、現在も受け継がれているのです。

芥川比呂志の家族の現在は?子供は何をしている?

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前項でも触れましたが、芥川比呂志の長女と次女は公の場での活動はしておらず、一般人として生活しているようです。

しかし、芥川比呂志の妻と、3女は公の場で華々しく活動しています。こちらでは、芥川比呂志の家族についてまとめます。

妻・芥川瑠璃子は随筆家として活躍するも、2007年に死去

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芥川比呂志の妻・芥川瑠璃子は生涯に渡り随筆家として、芥川家の歴史や自身が体験し、感じたものを記し、精力的に出版しました。

しかし、2007年の8月1日に、東京都目黒区の病院において心筋梗塞のため90歳で亡くなりました。

現在の日本人女性の平均余命が86.99歳ですので、平均余命を上回る大往生であったといえます。

娘・芥川耿子は作家・エッセイストに

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3女である芥川耿子は、エッセイストとして1989年、主婦と生活社からエッセイ集「気むずかしやのハムレット・素顔の父芥川比呂」や、1982年に講談社から絵本「おむれつどろぼう」を出版しています。

母親である芥川瑠璃子は随筆家として芥川家を綴り、娘の芥川耿子はエッセイストとして芥川家について語っているのです。まさに、「語りつくせない」程の家系です。

芥川比呂志の姪・芥川麻実子はメディアコーディネーターに

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芥川比呂志の娘、芥川耿子の他にも芥川比呂志に所縁があり公の場で活躍されている方達がいます。

芥川比呂志の弟で作曲家として活動した、芥川龍之介の三男・芥川也寸志(あくたがわ やすし)の長女・芥川麻実子(あくたがわ まみこ)は、日本女子大学文学部卒業後メディアコーディネーターとして活躍します。

芥川麻実子は、のメディアコーディネーターから交通評論家に転じた後、広報活動で首都高速道路を手掛け、2007年には初代駅長として道の駅八王子滝山(八王子市滝山町)の駅長に就任しました。

芥川比呂志の甥・芥川貴之志はグラフィックデザイナーに

芥川麻実子と同じように、芥川比呂志の甥で芥川也寸志の息子・芥川貴之志(あくたがわ たかとし)は、グラフィックデザイナー・クリエイターとして活動しています。

芥川貴之志は成城大学文芸学部英文学科卒業後、アメリカ合衆国に本社を置くスニーカーブランド・NIKEに出会い、その魅力に取り憑かれてからはクラシック・NIKEのコレクターとなります。

クラシック・NIKEの熱心なコレクターとして活動する傍ら、2008年には日本テレビの大人気番組「世界一受けたい授業」にも出演するなど、メディアへの露出もあります。

芥川比呂志の経歴は?父は芥川龍之介!

ここまででもご紹介しましたが、芥川比呂志の実父は、数多の名作を残した大作家・芥川龍之介です。

こちらでは、あまりに早い死を遂げた芥川龍之介と、芥川龍之介の第1子として生を受けた芥川比呂志についてまとめます。

名前は万葉仮名にあてはめたもの!弟の名前は?

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芥川比呂志の名は、芥川比呂志の父親・芥川龍之介の親友の1人である菊池寛(きくち ひろし)が由来であるようです。

比呂志は、菊池寛の「寛」の読み方に万葉仮名を当てたものです。万葉仮名とは、字訓や漢字の音に、音を用いた文字の表現です。

次弟・末弟も名前は親友から

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次弟の芥川多加志(あくたがわ たかし)は、芥川龍之介の親友で随筆家・画家の小穴隆一(おあな りゅういち)から名を取ったそうです。

また、末弟の芥川也寸志(あくたがわ やすし)はやはり親友の恒藤恭(つねとう きょう)の恭から取っています。次弟の芥川多加志は、第二次世界大戦時にビルマにて22歳という若さで戦死しています。

末弟の芥川也寸志は、指揮者・作曲家として精力的に活動し、様々な学校の校歌を手掛けたほか、芥川也寸志の代表曲「世界の恋人」は日産自動車のCMソングとして起用されました。

父親は作家の芥川龍之介!

ここまでも散々ご紹介してきましたが、芥川比呂志の実父は、かの有名な文豪・芥川龍之介です。

芥川龍之介を題材にしたドラマや映画は、今までに何度か製作されていますが、中でもイケメン俳優・高良健吾が芥川龍之介を演じたドラマは、芥川龍之介の孫である芥川貴之志さんも絶賛したそうです。

そんな高良健吾さんの素敵過ぎるヘアスタイルやファッションをまとめた記事があります。よろしければぜひお読みください。

芥川龍之介は子煩悩だった?

芥川比呂志の父である芥川龍之介は、とても子煩悩な人物であったようです。芥川龍之介といえば、独特の感性で描く、緻密でありながらどこか非現実的な世界観が魅力的な作家です。

その為、芥川龍之介はあまり家庭的な雰囲気とは結びつけにくい人物であると、イメージしてしまいがちです。

しかし、そんなイメージとは裏腹に芥川比呂志を始めとした3人の息子と芥川龍之介の交流は普通の親子と何ら遜色なく、芥川龍之介の子煩悩な一面を垣間見えるものです。

7才の時、父・芥川龍之介が自殺

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昭和2年(1927年)芥川比呂志の父・芥川龍之介は、まだ若干7歳である芥川比呂志を置いて、田端の自室にて服毒自殺しました。

この時に、芥川龍之介が妻・文に残した手紙に記した「僕(ぼく)の将来(しょうらい)に対する唯(ただ)ぼんやりした不安」という1文は有名です。

芥川龍之介は、35歳という若さでこの世を去りました。芥川龍之介が自殺したのは、作家としても父親としても脂がのり始めた時期だったのです。

芥川比呂志は中学生の時から文才を発揮!

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日本を代表する小説家を父に持つ芥川比呂志も、文才に恵まれていました。芥川比呂志は、1932年に東京高等師範学校附属中学校に入学すると、岸田國士の戯曲を読みふけり、才能を開花させていきます。

芥川比呂志は、現代の中学2年生~中学3年生にあたる15歳で、戯曲「お察しください(A Comedy)」を桐陰会雑誌に発表しました。

桐陰会雑誌とは、芥川比呂志が通っていた附属中学の校友会誌です。

陸軍に入隊も無事生還!

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芥川比呂志は、1937年に慶應義塾大学に入学します。しかし、2年後の1939年に太平洋戦争が勃発したため、芥川比呂志は大学を繰上で卒業した後、「甲種幹部候補生」として、陸軍に入隊しました。

陸軍の幹部候補生となりながらも、芥川比呂志は無事に生き残ります。しかし、この戦争で芥川比呂志の弟・多加志はビルマにて戦死しています。

1947年に「麦の会」を結成!

芥川比呂志は、昭和22年(1947年)に女優の長岡輝子(ながおか てるこ)、加藤周一(かとう しゅういち)、加藤の妻・加藤治子(かとう なおこ)と共に、劇団・「麦の会」を結成します。

その後、麦の会は昭和12年(1937年)9月6日に岸田國士(きしだ くにお)・岩田豊雄(いわた とよお)・久保田万太郎(くぼた まんたろう)が結成した「文学座」に合流することになります。

文学座に合流後には、芥川比呂志の「イケメン」なルックスと類い稀な才能が話題となり、芥川比呂志は文学座の中心俳優として頭角を表します。

1955年の「ハムレット」が絶賛され、話題に!

文学座と合流してから後、芥川比呂志をはじめとした文学座の劇団員達は、数々の名作を世に送り出しました。

特に、1955年に芥川比呂志の主演で舞台化された「ハムレット」は、優美な見た目と躍動感溢れる芥川比呂志の「はまり役」として、大きな話題となりました。

1963年に「現代演劇協会」を設立!

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「ハムレット」の大成功から数年後の昭和38年(1963年)に、芥川比呂志は数人の劇団員と共に、文学座を脱退します。

その後、ハムレットを手掛けた演出家・福田恆存(ふくだ つねあり)を理事長として、財団法人の「現代演劇協会」を設立します。

1981年に肺結核で療養中に自宅で死去

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芥川比呂志は、青年期から闘病していた肺結核により昭和59年(1981年)に、東京の目黒区内にあった自宅にて亡くなりました。

芥川比呂志のその他のエピソードは?イケメン?

ここまでは、芥川比呂志の有名なエピソードをご紹介しました。

こちらの項目では、あまり知られていない芥川比呂志のエピソードと、「貴公子ハムレット」と呼ばれるほどのイケメンであった芥川比呂志の画像を交えてまとめます。

芥川比呂志は父親似のイケメンだった!画像は?

芥川比呂志の父・芥川龍之介もアンニュイな雰囲気のあるイケメンですが、芥川比呂志は父親の面影もありながらも、甘さのある顔立ちをしています。

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