マッスル北村とは?伝説のボディービルダー?死因が餓死って本当? エンタメ

マッスル北村とは?伝説のボディービルダー?死因が餓死って本当?

マッスル北村さんは、食事やトレーニングの内容、勉強面や経歴など様々な伝説を残しています。体重を落とす減量中に死亡してしまい、死因は餓死とされています。葬儀の話や、妹の話、酒が好きだったという話を含め、優しい性格と言われていたマッスル北村さんの事をまとめました。

目次

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マッスル北村は伝説のボディビルダー?すごい伝説まとめ

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伝説となったボディビルダーのマッスル北村さんは、まさに伝説と呼べる数々のエピソードを持っています。

マッスル北村さんは、ボディビルダーとして有名ですが、ボディビルダーになる前から、伝説を残しています。マッスル北村さんの努力の仕方は尋常ではなく、それは勉強の面などにも表れています。

マッスル北村さんのボディビルダーとしての熱意は凄まじく、常人には真似出来ない食事、トレーニングを行っていました。そしてそれが原因となり、死亡しています。

マッスル北村とは?伝説のボディービルダー?身長は?

マッスル北村さんは、本名を北村克己(きたむらかつみ)と言い、1960年10月6日に生まれ、2000年8月3日に亡くなりました。

ボディービルダーだけではなく、タレントとしても活躍し、全国的に有名な人となっています。身長は173センチと日本人男性の平均より少し高い程度でした。

体重は一時115キロにもなり、今までの日本人ボディビルダーには前例がない程の筋肉で、周囲を驚かせました。

マッスル北村の伝説①:食事がすごい?卵に牛乳、鯖、プロテインの量がすごい?

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マッスル北村さんは、「筋肉を大きくするためなら何でもやった。」と自身でも言っており、ボディビルダーになりたての頃から凄まじい内容でした。

食事の内容は、普通の食べる三食の他に、卵を20から30個、牛乳を2から3リットル飲み、鯖の缶詰を3缶食べ、さらにプロテインの粉末300グラムを毎日摂取していました。

しかもこの食事を消化吸収するために、大量の消化薬も同時に摂っていました。その上、鶏肉をミキサーにかけてペースト状にしたものも大量に食べ、10か月という期間で、40キログラムの増量に成功しました。

マッスル北村の伝説②:勉強ができて頭いい?ボディビルのために東大を中退?

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マッスル北村さんは現役で、防衛医科大学校と早稲田大学理工学部というかなり高い難易度の大学に受かったのですが、入学はせず、浪人して東京大学に受かり入学しています。

マッスル北村さんは、ボディビルに対してだけではなく、勉強でも驚異の努力と集中力を発揮しています。東京大学に向けた受験勉強では、実妹の日記に「超絶努力で合格した」という事が書かれていました。

「兄は、『この本の内容を全て覚えるまで、僕は家に帰らないし、食事もしない』と言って外出したら、本当に家に帰ってきませんでした」

(引用:Wikipedia)

マッスル北村の伝説③:関東学生選手権を執念で圧倒的実力で優勝

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ボディビルを始める前は55キロ程だったマッスル北村さんは、独自のトレーニングや食事によって、1年程の期間で96キロまで増量しました。

驚異のバルクアップによってその後、関東学生選手権を圧倒的実力で優勝しました。それからもボディビルダーとして、社会人大会へと進んでいくのでした。

マッスル北村の伝説④:東京医科歯科大医学部に合格するが、また中退

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妹に超絶努力をして受かっていた、と言われた東大でしたが、マッスル北村さんは、やりたい事以外には目が向かない性格でした。マッスル北村さんはボディビルに熱中していたため、授業に出席せず中退しました。

東大を中退してしまい、将来について悩んでいたマッスル北村さんは、やっぱり学校に入り直そうと決意し、一から勉強し直します。

また驚異の努力をし、東京医科歯科大医学部に一発合格したマッスル北村さんでしたが、結局ボディビル以外に興味が向く事は無く、東京医科歯科大医学部も中退してしまいます。

マッスル北村の伝説⑤:アジア選手権前の急な体重の増量と減量がすごい?

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マッスル北村さんの伝説の中で、特に有名とされているのが、アジア選手権前の減量です。実業団選手権に出て優勝したばかりのマッスル北村さんに、アジア選手権へのオファーが来ます。

快諾したマッスル北村さんでしたが、後4日しかない状態でした。大会に出たばかりで筋肉が疲弊していると感じたマッスル北村さんは、とりあえず一旦食べて筋肉を回復させハリを取り戻そうと食べました。

2日で85キロから98キロまで増量してしまったマッスル北村さんは、減量の為120キロもの道を15時間かけて走り、14キロ減量しました。道中足の爪が剥がれ血だらけになっても、続けるという執念でした。

マッスル北村の伝説⑥:死亡時の体脂肪率は3%以下だった?

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世界選手権に出場するために、減量をしていたマッスル北村さんは、20キロの過酷な減量に踏み切りました。

急な20キロの減量によって、異常な低血糖状態になり、急性心不全を引き起こし死亡しました。

この時の体脂肪率は3パーセント以下という数字でした。18歳から39歳の男性の通常体系の体脂肪率は、大体17から21パーセントとなっています。そのことからも3パーセント以下という数字の凄さが分かります。

マッスル北村は若くして死亡、死因は?餓死だったって本当?

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マッスル北村さんの死因は、事実上餓死という事になっています。39歳という若さで亡くなったのは、急激な減量や、マッスル北村さんのとことんやる、という性格が災いしました。

やるとなったら徹底的にやるという熱意から、一粒の飴すら舐めない状態で、減量していたマッスル北村さんは、オイルダイエットという減量方法を実行していました。

そこから、さらに減量を進めていくのですが、肉体の限界が来てしまい、そこでも栄養を補給しようとしなかったため、死亡してしまいました。規格外の体格だったため、葬儀には特注の棺が用意されました。

マッスル北村はオーバートレーニングをしていた?妹が注意してもアメすら舐めない?

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マッスル北村さんは、死亡する数日前にも倒れて救急車で運ばれていました。

この時は一命を取り留めましたが、妹が心配して倒れる前に飴一粒でいいから舐めてくれ、と言った事に対し、わずかなカロリーも摂取したくない、と断る徹底ぶりでした。

そしてこの尋常ではない精神力が、マッスル北村さんの死因に繋がるのでした。

マッスル北村は大会に出るため急激な減量をした際、異常な低血糖状態で死亡?

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マッスル北村さんは、世界選手権に出るための減量中に亡くなりました。この減量では20キロの減量を目標としており、それはかなり過酷な数字でした。

徹底した減量で、大会前にはマッスル北村さんも、その周囲も「優勝できる」という程、体は仕上がっていたそうです。

マッスル北村の減量方法は?「オイルダイエット」ののちオイルカットで炭水化物?

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マッスル北村さんが実践したダイエット方法は、オイルダイエットと言い、オリーブオイルなどの良い油をエネルギーとして、ダイエットの経過とともにそのオイルの摂取もやめていく、といったものでした。

極度の炭水化物の制限やトレーニングによって、減量をしていたという事が分かります。

死因は事実上の餓死?

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通常ならば、体に蓄えている栄養で死を免れる事が出来るのですが、マッスル北村さんは極度の食事制限によって必要な栄養分が体に全くありませんでした。

そのため、電解質の不足している状態や低血糖症になり、倒れてしまったのです。死亡したのは、急性心不全を引き起こしたためでした。

極めつけは、死亡する前に倒れ、救急隊員に運ばれている時に、目を覚ましたマッスル北村さんが救急隊員の方に言った最後の言葉となったものが、「ブドウ糖入れないで下さい」というものだったことです。

マッスル北村の遺体は棺桶に入らず特注だった?葬儀でも規格外?

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マッスル北村さんの体格は今までの日本人の中で、規格外の大きさだったため、葬儀の際に棺に入りませんでした。

そのため特注の棺を用意し、マッスル北村さんは火葬されました。

マッスル北村の死後、「マッスル北村 伝説のバルクアップトレーニング」が話題に

マッスル北村さんの死後、当時のトレーニング記事を再集録した雑誌が発売され、話題になりました。

雑誌は「マッスル北村 伝説のバルクアップトレーニング」というタイトルで、とても素人には真似できないような内容ですが、マッスル北村さんの体がどう作られていたか分かる本となっています。

現在でもマッスル北村さんは、ボディビルダーや他の人にも高い人気を誇る人物で、この本を自身のトレーニングの参考とする人は多く存在しています。

マッスル北村の生い立ちは?ボディビルに出会うまでもすごい?

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マッスル北村さんの凄さは、日本人離れした筋肉や、すごい減量方法でアジア大会を制したことだけではなく、その精神面が一番すごいと言われています。

マッスル北村の生い立ちは?ラジオの修理をしていた?

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マッスル北村さんは、幼い頃に「ラジオ組み立てキット」にハマり、ラジオを分解、修理、組み立てしていたそうです。

それが家の中にあったラジオだけでは飽き足らず、電気屋にあったもの、さらにラジオだけではなく、壊れたテレビなどの電化製品を譲ってもらい、分解して修理した後、組み立てていたそうです。

成長するにつれ、電化製品だけではなく、車も壊れた車からスピードメーターなども自作して、ほぼ新車同様まで直してしまったというのですから、物凄い熱中の仕方です。

マッスル北村は中学の自由研究で200kmのサイクリング?

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中学生時代のマッスル北村さんは、自転車に夢中になっていました。そこで夏休みにサイクリングの計画を立てたのですが、なんと大体200キロの道を行く計画でした。

もちろんただの長距離走行で終わる訳ではなく、高低差の激しい道を休憩無しで、という計画でした。16時間ぶっ通しでこぎ続け、すでに200キロ程走っていた北村さんは、さすがに飲み物を飲もう、と休憩しました。

しかし持ってきていたのは牛乳1パックで、16時間暑い中持っていたので当然腐っており、それをそのまま一気飲みしてしまったのです。体調を崩し気を失った所を発見され、救急車で運ばれました。

マッスル北村の高校時代は自分が何者であるか探求

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高校生になったマッスル北村さんは、体を鍛えると共に、様々な偉人たちの本を読んでいました。

そして自分は何のために生きているのか、生きるとは何か、といった自問自答を繰り返すようになります。

その頃から、「自分には時間がない」という事を繰り返し言うようになります。

マッスル北村はボクシングもやっていた?

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マッスル北村さんは、自転車に熱中していた頃に、知り合いのつてで、競輪選手と一緒にトラックを走る機会が訪れました。その時あまりの凄さに、競輪選手の夢は諦めました。

それからは、プロボクサーになるという夢を持ち、ボクシングに打ち込んでいました。ところが視力が悪い事と、優しい性格が災いして、あまり向いていないと考え、プロボクサーの道も諦めました。

マッスル北村は現役で防衛医科大学校、早稲田大学理工学部に合格するも浪人

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マッスル北村さんは、ボクシング以後は、特に熱中できるものがなく、トレーニングと勉強に打ち込んでいました。

そして、現役で倍率も高く、難易度も高い防衛医科大学校、早稲田大学理工学部に合格しました。しかしそこには入学せず、浪人生活をした後に東京大学も合格し、入学します。

最初からマッスル北村さんの目標は、東京大学だったのでは、と言われています。この時のマッスル北村さんの目標は東京大学に受かる事で、そこに向けて今までのように一心不乱に努力していたのでは、とされています。

マッスル北村がボディビルを始めたきっかけは?父親と不仲に?トレーニング方法は?

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マッスル北村さんは熱中すると、とことんやり通す性格で、最終的にその熱意はボディビルに向けられました。

逆に熱中している事以外の事はあまり目に入らなくなっていたようで、それが原因で、父親と不仲になってしまったと言っています。

ボディビルに熱中したマッスル北村さんの筋トレ方法は、やはり尋常ではありませんでした。頭も良かったマッスル北村さんは、独自の方法も取り入れた方法でトレーニングしていました。

東大入学後、ボディビルに出会いのめり込むようになった?

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東京大学に入学した後、マッスル北村さんは東京大学運動会ボディビル&ウェイトリフティング部の方に出会い、ボディビルの関東学生選手権に出場します。

しかし、鍛えられはいたマッスル北村さんですが、ボディビルの鍛え方とは違い、無残な結果に終わりました。出場している時は、恥ずかしさや惨めさでいっぱいだったそうですが、次第に怒りがこみ上げました。

そして、ボディビルに熱中していくようになります。

マッスル北村が東大に通わずトレーニングにのめり込んだことで父親と不仲に

熱中すると、他の事にわき目も振らず突き進むマッスル北村さんは、東京大学の授業よりも、トレーニングに時間を費やしました。

結局そのことが原因で、東京大学を中退してしまいました。しかもその後また東京医科歯科大学医学部を受験し、一発合格したのですが、結局ボディビルに熱中していたので、中退してしまいました。

この事が原因となり、マッスル北村さんは父親と不仲になってしまいました。大激怒した父親に殴られ、入院した事もあったそうです。

マッスル北村のトレーニングメニューは?胸の筋トレ方法は?

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学生時代水泳をやっていたマッスル北村さんは、肩幅が広くなっており、ベンチプレスをしても肩甲骨を寄せきれず、十分な効果が得られなかったそうです。

そのため、胸のトレーニングとしては、ダンベルフライをメインとして行っていました。もちろん過酷なメニューで、2,3セットしかできないような高重量を20セット程やっていたそうです。

マッスル北村さんの胸のトレーニングは、ダンベルフライ、デクラインダンベルフライ、ディセンディングマシンプレスというメニューを行っていたとされています。

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マッスル北村のドーピング事件の真相は?

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マッスル北村さんは、持ち前の精神力や努力で、過酷なトレーニングをこなし、さらに頭も良かったため、当時はあまり知られていなかった方法も独自に身に着け、日本人離れした体格になっていました。

その結果、念願だった大会で優勝したのですが、ドーピングをしているとされ、失格になってしまいました。それが元で、団体を抜け、世界大会への道も閉ざされてしまいました。

このドーピングは、後々マッスル北村さん自身の著書で、はめられたという真相を語っています。国内ビルダーとしての道が閉ざされたマッスル北村さんは、芸能界から新たな道を切り開いていこうとします。

「ジャパン チャンピオンシップス」で石井直方を破り優勝も筋肉増強剤使用で失格に

マッスル北村さんは、「ジャパンチャンピンオンシップス」で、日本における筋肉研究の権威としても有名で、当時日本人最高のバルクと言われていた石井直方さんを破り、優勝します。

しかし、当時JBBFドーピングコントロール委員長を務めていた後藤紀久さんに、ドーピングをしているとされ、失格になってしまいます。

「ナンドロロン・デカノエイト」という筋肉増強剤を、使用しているとされたのです。

ドーピング事件の真相は?マッスル北村ははめられていた?

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マッスル北村さんは、自身の著書でこのドーピングは、はめられたものだと説明しています。

ずっとこの事に関して沈黙していたのは、マッスル北村さんは他のボディビルダーの印象が悪くなることや、自分としても忌まわしい過去として封印しておきたかったという理由でした。

そのため、ドーピング疑惑がずっと付きまとっていました。しかし、仲の良いジムの会長が嫌がらせをされたことで、優しいマッスル北村さんもさすがに怒ってしまったようです。

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