加藤治子は結婚して子供はいた?二人の夫やジブリ出演について エンタメ

加藤治子は結婚して子供はいた?二人の夫やジブリ出演について

4年前に惜しまれつつお亡くなりになった加藤治子さん。お茶の間では良きお母さんという印象が強いのではないでしょうか?ジブリアニメの声優としてもご活躍されていた女優・加藤治子さんのご結婚について、夫や息子の存在や死因について迫ってみたいと思います。

目次

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加藤治子の人物像や主な出演作品は?

加藤治子さんといえば、母親としての役柄が多く、穏やかな優しい雰囲気漂う女優さんです。加藤治子さんについて掘り下げて見ていきましょう。

女優・加藤治子のプロフィール

テレビや映画ではよく観ていて馴染み深い存在となりましたが、ここで女優・加藤治子さんの詳しいプロフィールをご紹介しようと思います。

  • 別名義(旧芸名):御舟京子(みふねきょうこ)
  • 生年月日:1922年11月24日(享年92歳)
  • 血液型:AB型
  • 出身地:東京都
  • 身長:151㎝
  • 体重:44㎏

「七人の孫」で母親役を演じお母さんとしては欠かせない存在になる

1964年にTBS系列で放送された明治生まれの祖父(演:森繁久彌)を中心に、大正生まれの父母(母役:加藤治子)と七人の孫の大家族が繰り広げるホームドラマです。

この母親役が当たり役となり、その後も人気を集めるようになります。

「寺内貫太郎一家」「だいこんの花」などに出演!日本のお母さん女優に

https://youtu.be/FAw-izdTzWI

1974年からTBS系列で放送された「寺内貫太郎一家」は、東京下町を舞台にそこに暮らす石屋一家とその家族を取り巻く人々をコメディータッチに描いたホームドラマで、高視聴率となった人気作品です。

「だいこんの花」は、1970年からテレビ朝日系列で放送された元艦長の親子を中心として描かれたホームドラマです。加藤治子さんは「寺内貫太郎一家」、「だいこんの花」共に母親役を演じています。

向田邦子と久世光彦に信頼された演技力

テレビドラマ脚本家・小説家の向田邦子氏と、テレビプロデューサー・演出家の久世光彦とは、公私共に親しくしており、向田邦子氏・久世光彦氏が手掛ける作品に、多数出演しています。

「阿修羅のごとく」では長女役を演じ凄みのある演技が話題に

1979年からNHK総合テレビで放送された脚本・向田邦子の「阿修羅のごとく」で長女役を演じました。4姉妹と父母のそれぞれの問題が絡み合って織りなす物語を描いています。加藤治子さんは長女役を演じました。

この作品の長女・綱子の役柄は、夫に先立たれ生け花の師匠として生計を立てつつ、仕事場に出入りしている既婚男性と不倫しているという色気のある女性を演じています。

「浅見光彦シリーズ」では母役のイメージを定着させる

1994年からTBS系列で放送されている原作・内田康夫氏の推理小説「浅見光彦シリーズ」をテレビドラマ化した作品です。主人公・浅見光彦の母親役として加藤治子さんが演じています。

父は大蔵省官僚、兄は警察庁刑事局長の浅見陽一郎警視監という家庭で、ルポライターという職で放蕩している浅見光彦に対して、快く思っておらず柔らかく叱咤する場面も見られます。

「古畑任三郎」では犯人役が名演技と言われた

https://youtu.be/r3FsRsEedVA

1996年にフジテレビ系列で放送された「古畑任三郎2nd season」の第18回「偽善の報酬」の犯人役で出演されました。加藤治子さんは私欲・物欲が強い脚本家役です。

チャーリティーや慈善事業に傾倒している妹と同居しており、何かと正反対の性格で気の合わない姉妹で、ある日我慢の緒が切れた姉(加藤治子さん)が、ついに殺してしまうという内容になっています。

古畑任三郎は曲本・三谷幸喜の刑事推理ドラマで、コメディーの要素も含んだ人気シリーズとなります。古畑任三郎役の田村正和氏と加藤治子さんとの掛け合いも見どころです。

70歳を過ぎても舞台「こんにちは、母さん」で活躍

383961 / Pixabay

劇作家・永井愛が手掛ける舞台劇を、NHK総合テレビで2007年にテレビドラマ化した作品です。平成の東京下町を舞台に、足袋職人の夫に先立たれた母さん(演:加藤治子さん)を中心に描かれる人間ドラマです。

みんな生きている。みんな苦しんでいる。みんな泣いている。
みんな念いを抱いている。老人の恋愛がある。リストラ問題がある。
夫婦の断絶がある。親子の断絶がある。インターナショナルな連帯がある。
地域コミュニティの再生がある。戦争の傷痕がある。そのすべてが、
ホームドラマ。等身大の家庭劇として、滑稽かつ痛切に描かれる。(引用:BLOG BLUES)

その他数多くの映画やドラマ・舞台に出演している

加藤治子さんの出演作品は、映画、ドラマ、舞台、CMと多岐に渡っています。優しい見た目で、辛口なセリフを吐くような役柄も嫌味なくこなしてしまう魅力があります。

土曜ワイド劇場、松本清張シリーズ、テレビプロデューサー・久世光彦氏に見込まれて向田邦子の作品には常連のように出演されています。清楚、色気、優しさ、たまに見せる棘のある役柄も味があります。

加藤治子はジブリ映画にも声優として出演していた

加藤治子さんは、ジブリアニメの声優としてもご活躍されています。多数ある名作の内、どのキャラクターの声を演じられていたのでしょうか?

魔女の宅急便ではキキにパイを届けるよう依頼した老婦人役

1989年に公開された「魔女の宅急便」でキキに孫の誕生日に”ニシンのカボチャパイ”を届けて欲しいと依頼する老婦人役の声優として出演されています。とても上品な老婦人のイメージに合っていました。

ハウルの動く城ではハウルの師匠サリマン役

2004年に公開された「ハウルの動く城」で、悪魔と取引をする前に師匠だったサリマン校長役を加藤治子さんが演じています。物静かな優しい婦人の雰囲気が出ている役柄です。

上品なお母さんの加藤治子の最期は?死因は何だったのか

加藤治子さんの訃報を聞いたのは最近のような気もしますが、亡くなられたのはいつ頃だったのか、死因は何だったのか、最期のご様子など調べてみました。

2015年11月2日92歳で亡くなる

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2015年11月2日AM7時07分に、惜しまれながらお亡くなりになりました。突然の訃報に驚かれた方も多かったと思います。東京都世田谷区のご自宅で亡くなったそうです。

死因は心不全だった?

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加藤治子さんの死因は、心不全だったそうです。遺志に従い葬儀・告別式は家族葬とし、お別れの会などは開きませんでした。自宅で1人暮らしをされていたのでマネージャーや知人女性が交代で面倒をみていたそうです。

87歳のときにはがんが見つかり余命5ヶ月と宣告されていた

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87歳でガンが見つかり、医師から余命5ヵ月と宣告を受けていたそうです。その後、放射線治療を行い完治したそうです。2012年頃、高齢により体調を崩し、2013年頃からは自宅療養を続けていたそうです。

亡くなる少し前に容態が悪化して、2日午前に亡くなられたようです。

映画の遺作「おとうと」では既に足が弱っていた

監督・山田洋次氏が2010年に公開された「おとうと」の撮影エピソードを語った中で、加藤治子さんは80代半ばで足が弱っていたと話しています。この「おとうと」が映画での遺作となりました。

主演の吉永小百合さんやスタッフも気遣っておりましたが、年寄り扱いしないでほしいと迷惑がっていましたね。知的で冷めた視点を持っておられました。(引用:芸能人の子供名前障害特集)

ドラマの遺作は「浅見光彦シリーズ 第28作」

https://youtu.be/OvH7hdIgMe4

2009年にTBS系列で放送された「浅見光彦シリーズ第28作(高千穂伝説殺人事件〜歌わない笛〜)」に母親・雪江役を演じたのがテレビドラマでの遺作となりました。

魔術はささやく

2011年9月9日にフジテレビ系列で放送されたスペシャルドラマ。加藤治子さんのドラマとしての遺作はこちらだとする意見もあります。日本推理サスペンス大賞受賞作。

3つの無関係に見える事件が不思議に絡み合っていく、といった内容になります。加藤治子さんは痴呆気味で介護が必要な母親役を演じています。

訃報に西城秀樹や沢村和樹など多くの芸能人から悲しみの声が寄せられた

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訃報が報じられた際には、多くの芸能関係者からのお悔やみの言葉や、訃報を惜しむ声が届けられました。西城秀樹氏(60)からは「東京のお母さんのような方」と惜しむ声が挙がっていた。

  • 「ご一緒させていただけたのは、本当にラッキーで、宝以外の何物でもありません」「とにかくチャーミングで、誰よりもお芝居が好きで、おしゃれで、身体も心も柔軟で、笑顔がすてきな方でした。感謝の気持ちを込めてご冥福をお祈り申し上げます」(沢村一樹氏)
  • 「役に生き、仕事に徹する、まさにプロの女優でした」(小林亜星氏)
  • 「信じられない思いです。いいところの物静かな奥さまの役といえば加藤治子さんの顔が思い浮かんだものでした。せりふ覚えも完璧で、いつも優しくきちんとしていた方。その印象は初めて会ったときから変わらなかった。最近どんどんいい役者さんがお亡くなりになり、日本の演劇界の厚みが薄くなっている気がして寂しいです」(演出家・石井ふく子氏)

(引用:NAVERまとめ)

若い頃から活躍!女優の加藤治子は結婚していた?息子は?

女優・加藤治子さんはどのようにして育まれてきたのか、ここで歩んで来られた経歴を見ていきましょう。

1946年劇作家の加藤道夫と結婚

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加藤治子さんは、1946年、24歳の時に劇作家・加藤道夫氏とご結婚されています。加藤道夫氏はあの有名な三島由紀夫氏の友人であった人物で、1944年に通訳として戦地へ行き、太平洋戦争も経験されています。

劇作家・加藤道夫

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1944年、加藤道夫氏は陸軍省通訳官として南方へ出征します。ソロンとうい部落で終戦まで過ごしますが、ジャングル野戦病院の掘立建物で熱病に侵され、憔悴しきった経験をします。

1945年の終戦と共に、終戦事務・戦犯通訳に従事します。体力も徐々に回復していきました。1946年に帰国し、再び演劇の世界に戻ります。演劇にのめりこむと同時に、この頃加藤治子さんと結婚します。

1947年にマラリアを再発。それでも演劇にのめり込みます。1948年に肋膜炎と肺浸潤になり入院。1949年に退院後も演劇の道を歩む。1952年に「襤褸と宝石」の初演が仲間内で評判が悪かったそうです。

カトリック教へ傾倒

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1952年に加藤道夫は、「襤褸と宝石」の不評をかなり気にしていたようで、この頃からカトリック教会の神父の元へ通っています。その後も戯曲やラジオ放送の作品を手掛けます。

しかし、1953年に突然自室の書斎で、木棚の上段のパイプに寝巻の紐をくくりつけ、床から腰が少し浮かした状態で縊死自殺へと踏み切ってしまいます。

1953年夫の加藤道夫が自殺!りく夫が妻へ残した手紙とは

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加藤道夫氏は、1953年12月にミュッセの翻訳「マリアンヌの気紛れ」を仕上げて清書する為に、16日頃までは静岡県の嵯峨沢温泉に宿泊します。その期間、9日に妻・加藤治子さん宛に手紙を出しています。

こんな贅沢な宿屋にいると毎日苦労している治坊のことを考えて心苦しい。でも、若林の家ではどうしても落着いて仕事も手につかないので、勘弁して下さい。岩波のミュッセだけはどうしても今月中に渡してしまわねばならないので。

来年は必ず小さな家をみつけて引越すから、もうすこし我慢して下さい。来年は必ずいいことがあるように努力します。身体の調子はいいです。十六日の夜には帰ります。風邪をひかないように頑張って下さい。

(引用:加藤道夫「加藤治子への書簡」Wikipedia)

この後、自宅に戻った加藤道夫氏は22日夜に、自室書斎で縊死自殺を図りました。

1958年俳優の高橋昌也と再婚するも1973年に離婚

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加藤治子さんは、加藤道夫氏の死から5年後の1958年、38歳の時に俳優・高橋昌也氏と再婚します。しかし15年後の1973年、加藤治子さんが51歳の時に離婚をしてしまいます。

離婚の理由は?元夫の高橋昌也は2014年に呼吸不全で亡くなっている

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高橋昌也氏との離婚については、お互いの忙しさからすれ違いが生じた事が理由だと言われています。高橋昌也氏は1974年に再婚し子供を授かりますが、1999年に離婚。同年に38歳下の女性と再々婚しました。

その後、2014年に83歳で呼吸不全により亡くなられました。

加藤治子に子供はいた?

加藤治子さんは、1973年に高橋昌也氏と離婚した後は亡くなるまで独身を貫きました。2度の結婚をされましたが、お子さんはいらっしゃらないようです。

加藤治子の交友関係は?

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穏やかな雰囲気の加藤治子さんの交流関係は、どのようなものだったのでしょうか?

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