高橋靖子(吉本新喜劇)のマドンナがグラビアに挑戦!結婚はしている? エンタメ

高橋靖子(吉本新喜劇)のマドンナがグラビアに挑戦!結婚はしている?

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最近は更新されていないがTwitterもある

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最近は更新が止まっていますがTwitterアカウントも存在します。「吉本新喜劇 高橋靖子」または「yasuko526」で検索してみてください。

ブログはしている?

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インスタグラム、Twitterのアカウントはある高橋靖子さんですが、ブログはされていないようです。

美人なお笑い芸人高橋靖子の経歴

吉本新喜劇のなかでも群を抜いて美人な芸人の高橋靖子さんのこれまでの経歴を見ていきましょう。

1987年第3期東映の第3期ミス映画村グランプリを受賞

デビューのきっかけになったのは、1987年に第3期東映のミス映画村グランプリに輝いたことでした。当時、高橋靖子さんは短大の2年生で就職を考える時期でした。

一般企業以外の道を求めて

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周りは銀行や証券会社に就職が決まるなか、高橋靖子さんはそういった仕事に一切興味を抱けませんでした。その状況のなか、新聞でミス映画村コンテストを目にしたそうです。

そのコンテストに合格したら2年間は契約社員扱いになるという文章に魅かれて、受かれば就職が決まる!と思ったといいます。

締め切りの3、4日前だったため急遽写真を撮って応募しました。そして書類で地区予選、全国予選を通過し、あっという間にグランプリに輝いたのです。

軽い気持ちではじめた仕事

優勝した際は「就職が決まった!」と思ったそうです。自身でも安易な気持ちだったと振り返っています。学生の時もとくに演劇をしていたわけではありませんでした。

倍率も2700人ほどとそれほど高くはなく、その中から3人が選ばれたのだそうです。

武田京子としてデビュー

ミス映画村グランプリを受賞後、東映京都専属女優となり武田京子という芸名でデビューしました。

1988年時代劇「暴れん坊将軍」で女優デビュー

女優としてのデビュー作は、暴れん坊将軍シリーズで1988年放送の第44話「母の情けの舞扇」です。お篠役として出演しました。

数多くの時代劇に出演

そこから武田京子名義で約10年間にわたって数多くの時代劇に出演し、大活躍しました。

ちなみに撮影のないときも映画村で着物にかつらをつけた姿でお客さんと触れ合ったり、JAC(ジャパンアクションクラブ)の方々と忍者ショーなどで立ち回りをしていたそうです。

美人過ぎる!高橋靖子の若い頃の画像は?

ミス映画村グランプリの栄光に輝いたのも納得の美しさですね。まだあどけなさも残る可愛らしい、若い頃の高橋靖子さんです。

松方秀樹さんもまだお若いですが、高橋靖子さんは現在も変わらず美しいことがよく分かります。

1997年30歳を機に東映を退社し一度芸能界を引退

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武田京子として大活躍するなか1997年に30歳を機に、東映を退社して、芸能界も引退しました。

引退理由として、30歳という年齢を節目に一度故郷の岐阜に帰ろうと思われたのだそうです。

1999年吉本興業に入り10月より新喜劇へ入団

しかし引退から2年後の1999年に吉本新喜劇の女優として芸能界へと復帰されました。

きっかけとなったオーディションは京都シアター1200で行われる宮川大助・花子さんの1か月間の公演で、大助さんの奥さん役として見事に合格を手にしたのでした。

新喜劇での初仕事

吉本興業入りしてから、同年の10月には新喜劇へ入団します。武田京子時代からのファンを歓喜させたことは間違いありません。

吉本新喜劇の初舞台は吉田ヒロさんが座長の舞台でした。高橋靖子さんはオープニングのお客さんという役でした。

吉本新喜劇のマドンナとなる

吉本新喜劇のマドンナ役では未知やすえさんが有名ですが、高橋靖子さんも華々しい経歴とその美しさを活かして活躍しています。

役どころとしては地味ではありますが、舞台の引き締め役として、新喜劇にとって必要不可欠な存在なのでしょう。

新喜劇では人気役者の登場は大きな拍手と歓声で迎えられます。高橋靖子さんも最初は拍手がなく、お客さんから認識されて拍手がもらえるようになった時はとても嬉しかったそうです。

最近ではマドンナの匂いを残したお笑い芸人へと進化しつつある

また最近ではヤクザ役に「二度と来んなボケー!」と罵倒して追い払うなどの「マドンナの匂いを残した芸人」に進化してきています。

吉本新喜劇に入ってから20年ほど経ち、若く美形の後輩たちも入ってきているのでだんだんと立ち位置が変わってきているのでしょう。また新しい高橋靖子さんを見られそうです。

美人な母親役として活躍している動画

最近では母親役としても欠かせない存在の高橋靖子さんですが、いまだに美人という立ち位置であることには変わりありません。

笑いをとりにいく役割ではありませんが、舞台上でもよく通る美声で自身の役をきちんとこなせるのは、さすが女優歴も長い高橋靖子さんの魅力ですね。

若い頃の美人な姿が満載!高橋靖子の主な出演作

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若い頃の時代劇女優時代の美人な姿は数々の出演作に残されています。

ドラマ「大岡越前」

加藤剛主演、1970年~1999年にTBSで放送されていたドラマ「大岡越前」の第10〜13部に出演していました。

全く演技経験がなかった東映入社当時、このドラマ「大岡越前」の撮影時にものすごく怒られたため、それが自身を強くしたそうです。

居酒屋「たぬき」の女中という小さい役ながらもレギュラーで4年登場しました。2年の契約が終了した後も高橋靖子さんの演技が気に入られ、1年ごとに契約を更新できたそうです。

ドラマ「暴れん坊将軍」

松平健主演、1978年~2002年にテレビ朝日で放送された時代劇シリーズ「暴れん坊将軍」でも、暴れん坊将軍VIIIまでたびたび出演していました。

ドラマ「名奉行 遠山の金さんシリーズ」

松方弘樹主演、1988年~1998年にテレビ朝日系列で放送されたテレビ時代劇シリーズ「名奉行 遠山の金さんシリーズ」の第3シリーズから第7シリーズまで出演しています。

「遠山の金さんVS女ねずみ」と改題後の第8話にも出演しました。

ドラマ「銭形平次」

北大路欣也主演、1991年~1998年までフジテレビで放送された時代劇シリーズ「銭形平次」の第2シリーズから第4シリーズまで出演しました。

ドラマ「水戸黄門」

2000年には高橋靖子名義で、TBSテレビとその系列局にて放送された「水戸黄門」 第28部の第25話にも出演しています。

その他多くの時代劇に出演していた

高橋靖子さんは非常に多くの時代劇に出演し活躍されました。

1989年元旦の新春大型時代劇スペシャル で放送された「織田信長」、1989年に」TBSで「翔んでる!平賀源内」、1989年から日本テレビ系で放送の「八百八町夢日記」などもあげられます。

仕事に対する心情の移り変わり

女優の道を選択したのは、銀行などの仕事には就きたくなかったからという高橋靖子さん。最初は軽い気持ちだったそうですが長い芸能人生で心情が変わってきているようです。

演技をするうちに目標が生まれる

演技は未経験からはじめたものの、3年目くらいになると少しずつ掴めるようになってきたといいます。目標もでき、画面に1人でクレジットされるために頑張ったそうです。

はじめは役名すらない小さい役から、だんだんと画面に2人で名前が出るようになっていきます。ついに1人で名前が載る役をもらえて目標達成しました。

明かされる引退中の胸中

そうやって10年走り続け、ちょうど30歳前という女性にとって様々な決断を迫られる年齢になり、このままでいいのかなと考えたのだそうです。

また会社側もこれ以上の契約延長はなしということだったため、一度辞めて地元の岐阜に戻るため、30歳で時代劇女優の世界を引退しました。

引退後、どんな生活をしていた?

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大学卒業後すぐに芸能界入りした高橋靖子さんは、引退後は普通の事をしたかったそうで運転免許を取ったりパソコン教室に通ったりして1年を過ごしました。

その後はとりあえず働いてみようということで、名古屋市美術館にて開催された2か月間の「ピカソ展」でアルバイトとして働きました。

やはり芸能界が自分の場所だと悟る

しかし毎日電車に乗って通勤し、9時から5時まで働くという生活に耐えられなくなってしまいます。今までの芸能界での仕事スタイルとあまりに違いストレスが溜まったといいます。

そんなとき見かけたオーディション雑誌に、宮川大助・花子さんの公演の募集を見つけます。その公演の内容は現代ではなく古風なお話だったので、ピンときたそうです。

書類選考を通過し、大阪にオーディションを受けに行きました。しかしその時、風邪で熱もあり絶対受からないだろうなという思いから緊張しなかったといいます。

新しいキャリア、そして新喜劇役者へ

それが功を奏して、見事合格したのです。当時32歳のことでした。

東映の演技は台本どおりにきっちりと、監督に従うのが当たり前でしたが、今回は違います。自由で、セリフも勝手に変えたりできて、毎回全く違って、面白いなと思ったそうです。

新喜劇にスカウトされるも最初はその気ナシ

京都公演の打ち上げで吉本興業の営業の人から新喜劇にスカウトされました。しかし全くその気がなかったそうです。

しかし2か月後にまた声がかかって大阪に行って話を聞き、とりあえずということで写真を撮り、最終的には最初のスカウトから3か月ほどで新喜劇に入ることになりました。

同じ役者でも舞台はまた違った難しさ

テレビではマイクがセリフを拾うので、あまり声を張る必要がありません。最初は声を張るのにも苦労されたそうです。

また新喜劇ならではのお客さんの「笑い待ちしろ」と舞台袖で怒られたりもしたといいます。舞台で役者の目の前に立ってしまったこともあったと振り返っています。

セリフに間(ま)を作っていると、セリフを忘れたと思われてほかの役者にセリフを取られたりもしたそうです。そうやって、普通にやりすぎてもダメだと学んだりしてきました。

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