三崎千恵子(女優)が死去?死因は?葬儀の様子は?子供はいるの? 女優

三崎千恵子(女優)が死去?死因は?葬儀の様子は?子供はいるの?

三崎千恵子さんの代表出演作品は「男はつらいよ」や「渡る世間は鬼ばかり」です。ムーランルージュを経て、女優となり活躍した三崎千恵子さんはすでに死去されています。死因や葬儀の様子に加え、若い頃は美人だったのか、子供がいるのかなど三崎千恵子さんの情報をまとめました。

目次

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男はつらいよに出演していた三崎千恵子が死去?葬儀の様子は?

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男はつらいよに出演していた事で有名な、女優の三崎千恵子さんが死去されました。死因は何だったのでしょうか、また年齢はいくつだったのでしょうか。

多くの人に愛された三崎千恵子さんの葬儀には、多数の人が参列しました。その存在感からファンも多く、嘆く声も多く上がっています。

三崎千恵子さんのプロフィールと共に、死因や亡くなった年、その時の年齢を説明していきます。また、葬儀の様子も一緒に説明していきます。

三崎千恵子のプロフィール

  • 生年月日:1920年9月5日
  • 出生地 :東京府北豊島郡西巣鴨町(現:東京都豊島区)
  • 活動期間:1939年-2012年
  • 活動内容:女優

三崎千恵子さんは、1920年生まれで、女優活動は1939年から行っています。18歳頃から亡くなるまで、70年以上女優として活動していた大ベテランです。

三崎千恵子は2012年に死去!

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三崎千恵子さんは、2012年の2月13日の午後7時15分に死去されました。元気なおばちゃん役といった感じだった三崎千恵子さんの訃報には、多くの驚きの声や、悲しみの声が上がりました。

三崎千恵子の死因は老衰?年は?

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三崎千恵子さんの死因は老衰で、年齢は91歳でした。長い人生の中で、ずっと女優の仕事を務めてきた三崎千恵子さんの姿勢を見習おうとする人は、多数いました。

三崎千恵子の葬儀の様子は?

三崎千恵子さんの葬儀は、長女が喪主を務めて執り行われ、告別式には「男はつらいよ」や、「渡る世間は鬼ばかり」の共演者や監督などが参列し、しめやかに行われました。

戒名は「浄芸院真誉寿光泉恵大姉」となっています。

三崎千恵子の葬儀には、数多くの著名人が参加

三崎千恵子さんの葬儀に参列した著名人は、「男はつらいよ」でヒロインの諏訪さくらを演じた倍賞千恵子(ばいしょうちえこ)さんや、源公訳を演佐藤蛾次郎(さとう がじろう)さんなどが参列しました。

他にも多くの人が三崎千恵子さんの葬儀に参列しました。

三崎千恵子さんとプライベートでも親しかった倍賞千恵子さんが、弔辞を読み、三崎千恵子さんとの思い出や、寂しさ、感謝を述べていました。

三崎千恵子の逝去を残念に思うファンが多数

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三崎千恵子さんは、女優として活躍されていた期間が長く、三崎千恵子さんの姿に励まされたり、元気を貰ったりしていたファンはとても多くいました。

三崎千恵子さんの活躍を今後見られないと思うと、寂しいといった声も多数上がりました。また、大往生だった事もあり、今までありがとうといったような、感謝の言葉も多く寄せられていました。

晩年の三崎千恵子は?

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三崎千恵子さんの最後に出演した作品は何という作品で、最後の時を過ごした施設はどこだったのでしょうか。

三崎千恵子さんの晩年の画像と共にご紹介していきます。

映画「ムーランルージュの青春」への出演が最後

「ムーランルージュの青春」は、2011年に公開されたドキュメンタリー映画で、ムーランルージュ新宿座の生誕80周年の記念に作られた映画です。

座長夫人だった三崎千恵子さんと旧劇団員との感動的な場面や、劇場に対する思いなどを描かれた作品で、三崎千恵子さん自身も、車椅子姿で出演しています。

最後は神奈川県鎌倉市の高齢者施設に

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晩年は、神奈川県の鎌倉市にある、高齢者施設で過ごしていました。その後、同じ鎌倉市の病院に移り、しばらく入院した後に老衰で、死去されました。

三崎千恵子の晩年の画像は?

車椅子に座っているのが、三崎千恵子さんです。2011年の時の画像になります。この時はインタビューを受けていて、笑顔で対応していました。

三崎千恵子は結婚していた?旦那や子供は?

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三崎千恵子さんは結婚していて、旦那もいました。三崎千恵子さんの最後に出演した映画、「ムーランルージュの青春」のムーランルージュ新宿座が深く関わっています。

三崎千恵子さんとは1997年に死別してしまいましたが、子供もいて、幸せな家庭だったようです。

三崎千恵子の旦那は俳優の宮阪将嘉

三崎千恵子さんの旦那は、俳優である宮阪将嘉(みやさかまさよし)さんです。1912年10月30日生まれで、長野県出身です。三崎千恵子さんと宮阪将嘉さんは、1942年に結婚しました。

その後、1997年に宮阪将嘉さんが亡くなるまで、夫婦として生活を共にしていました。

旦那との出会いはムーランルージュ新宿座だった?

三崎千恵子さんと宮阪将嘉さんは、ムーランルージュ新宿座に入団しており、そこで出会っています。結婚後、宮阪将嘉さんは、人気も出て座長を務めるようになります。

三崎千恵子さんはそれを支え、2人でムーランルージュ新宿座を盛り上げていったのです。ムーランルージュ新宿座は、三崎千恵子さんにとって色々な思い出のある劇場となっています。

三崎千恵子と宮阪将嘉の間に子供は?葬儀で喪主を務めた?

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三崎千恵子さんと宮阪将嘉さんの間には、一人娘がいて、三崎千恵子さんの葬儀では喪主を務めました。三崎千恵子さんが亡くなるまで、病院で付き添っていたのも娘さんだったようです。

長女となる一人娘は、三崎千恵子さんのように女優や芸能人ではなく、一般人として生きています。そのため、他の詳しい情報は公開されていません。

「渡る世間は鬼ばかり」「男はつらいよ」で人気を博した三崎千恵子

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三崎千恵子さんは、数々の映画やドラマ作品に出演しています。その人気を確かなものにしたのは、「男につらいよ」に出演したのがきっかけとされています。

他の有名な出演作品は「渡る世間は鬼ばかり」で、親しみ深いキャラクターから愛される女優となりました。プライベートでも着物が好きで、まさに女将のような、キャラクターでした。

存在感があり、おばちゃん役としてぴったりはまっていると言われていた三崎千恵子さんですが、若い頃は美人だったと言われています。

三崎千恵子は「男はつらいよ」の車つね役がはまり役?

三崎千恵子さんは、「男はつらいよ」では主人公の車寅次郎の叔母である、車つねという役を演じていました。

車つねは、昔ながらの元気いっぱいなおばちゃんで、主人公を理解してくれる優しさも持っているキャラクターでした。さらに料理が得意で、美味しい料理を振舞ってくれる優しく頼りになる叔母さんです。

常に着物姿で、三崎千恵子さんにぴったりすぎる役で、これが大好評となり、三崎千恵子さんの人気も高まっていきました。

愛嬌があるおばちゃん役で親しまれていた

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愛嬌があり、優しいおばちゃんとして三崎千恵子さんは親しまれており、主人公やヒロイン役ではないですが、三崎千恵子さんがいたから作品を最後まで見れた、という人も多くいます。

三崎千恵子は「渡る世間は鬼ばかり」塚田咲枝役も人気

「渡る世間は鬼ばかり」では、塚田咲枝という小料理屋の女将役で出演していました。

これも三崎千恵子さんにぴったりな役で、咲さんという愛称で親しまれていました。

三崎千恵子は着物が大好き?着付け教室も開いていた

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三崎千恵子さんは、代表作品でも着物を着ている事が多かったのですが、プライベートでも着物好きでした。自ら着付け教室を開く程着物が好きだったようです。

三崎千恵子の若い頃は美人?画像はある?

三崎千恵子さんの若い頃は美人だったと言われていますが、戦前生まれの三崎千恵子さんの若い頃の写真は公表されておらず、すでに親しみあるおばちゃんと言われてる時代のものしか見つかりませんでした。

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三崎千恵子の経歴は?

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70年以上女優を務めた三崎千恵子さんの経歴とは、どのようなものになっているのでしょうか。

三崎千恵子さんには、芸能界へデビューするきっかけもあり、そこから個性や存在感を活かし人気を集めていきます。

一般企業に就職した三崎千恵子さんでしたが、その会社の活動がきっかけとなり、芸能界へ入ることになりました。

三崎千恵子の実家は青果問屋だった?

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三崎千恵子さんは、東京で青果問屋を営む一家に生まれました。そのまま、東京の高校に進学し、卒業後は青果問屋を継がず、企業に入社しています。

三崎千恵子の芸能界デビューのきっかけは白木屋のコーラス部?

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三崎千恵子さんが就職したのは、日本を代表する百貨店である、白木屋(現在の東急百貨店)で、白木屋のコーラス部に所属したことが、芸能界への道へ進むきっかけとなりました。

コーラス部に所属した三崎千恵子さんは、そのことをきっかけに映画や演劇作品などを手掛ける松竹の演芸部に、歌手として所属しました。

三崎千恵子はムーランルージュ新宿座等での講演を経て劇団民藝へ

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松竹に所属し、歌手として活動した後は、ムーランルージュ新宿座などで講演をしていき、1954年には劇団民藝へ入団します。

三崎千恵子は「どぶ」で銀幕デビュー

1954年に劇団民藝へ入団した三崎千恵子さんは、同年に映画デビューも果たしました。

新藤兼人監督の「どぶ」という映画で、これが三崎千恵子さんの映画デビュー作になります。その後は、様々な映画やドラマに出演していくことになります。

「男はつらいよ」など、数々のドラマに出演

1969年の「男はつらいよ」に出演した三崎千恵子さんは、親しみや存在感のあるキャラクターで人気を博し、さらにドラマや映画に出演していきます。

ベテランの風格があるのに、親しみやすい人柄の三崎千恵子さんは、お茶の間でも人気な女優で、様々な作品に出演しています。

戦前にデビューし活躍した女優とは?

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三崎千恵子さんは戦前にデビューし、活躍してきた女優の1人です。激動の時代だったからこそ、三崎千恵子さんのような、元気で愛嬌のあるキャラクターは、人に活力を与えるのに役立った筈です。

三崎千恵子さんのように戦前にデビューし、女優として活躍してきた人はどのような人たちなのでしょうか。ここでいう戦前は、1939年に勃発した第二次世界大戦前の事を指しています。

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