
トム・プライス(F1レーサー)の死因は不幸な事故だった?原因は?
1970年代にF1レーサーとして当時ベストドライバーだったトム・プライスさんですがレース中に事故で死亡されたのですがこの事故にはある疑問点が残りました。本記事ではトム・プライスさんの事故、死因は不幸な事故だったのか、またその原因についてまとめました。
目次
[表示]トム・プライスとは?どんな人物?
トム・プライスさんは一体どんな方でF1レーサーとしてどのような活躍をされていたのでしょうか。ここではそれらについてまとめました。
F1で活躍した若きレーサー
- 本名:トーマス・モルドウィン・プライス
- 国籍:イギリス
- 出身地:ウェールズ・クルイド州(現在のレクサム州)ロセット
- 生年月日:1949年6月11日
- 没年月日:1977年3月5日(27歳没)
10歳の時にパン運送用のバンに乗った事をきっかけに車に興味を持ち、両親もトム・プライスさんをレーサーにしようとされていました。
16歳の時学校を中退し、メカニックとして働きながらF3やF2に出場し、トム・プライスさんは優れた才能とマシンコントロールを学び、1974年にはベルギーグランプリでF1デビューを果たしました。
イギリス期待のドライバーだった
F1レーサーとしてデビューしたトムプライスさんは雨と雪に見舞われた母国であるイギリスのレースで強豪を抑え見事優勝され、F1で史上初ウェールズ出身のドライバーで優勝を飾り今もその記録は保たれています。
その後も活躍を見せたトム・プライスさんは気取らない穏やかでフレンドリーな性格で容姿もハンサムでF1レーサーとしても文句ない活動を見せ人気は急上昇しイギリスでは「期待の星」と呼ばれていました。
トム・プライスのレース映像は?
トム・プライスさんのレース映像は現段階では発見できませんでした。
しかしトム・プライスさんのF1としてのセンスはあのジャッキー・スチュワートでさえ「天賦の才能を持っている」と大絶賛をされていました。
このことからトム・プライスさんがどれだけF1において天才で、どれだけ支持を得ていたかが伺えます。
トム・プライスの死因は、不幸な事故だった?
そんな大活躍をみせていたトム・プライスさんはF1レース中に事故にになり亡くなられますが、ただ「不幸な事故」によって亡くなられたのでしょうか。ここではトムプライスさんの死因・事故についてまとめまいした。
事故の経緯は?
1977年のF1レース第3戦アフリカGPでトム・プライスさんはシャドウDN8・フォードで出走していました。
事故の瞬間はトム・プライスさんが22周目の最終コーナーに差し掛かった時でした。
エンジントラブルで、レンツォ・ゾルジがコース脇に停車
F1レース中ではどのレースにも起こりうる可能性があることですが、トム・プライスさんの同僚のレンツォ・ゾルジさんの車がエンジントラブルを起こし、煙とともに丘の頂点にに車(マシン)を停車させました。
この時、車(マシン)の後部からは小さい火が上がり、ステアリングを外すのを忘れたためレンツォ・ゾルジさんは慌てて車に駆け寄りステアリングを外している光景があります。
マーシャルが駆けつける
レンツォ・ゾルジさんが慌てている時、コースの反対側からレンツォ・ゾルジさんの車が燃えているため二人のマーシャルの方達が消火器を持って駆けつけました。
コースを横切ったマーシャルをトム・プライスが巻き込む
レンツォ・ゾルジさんの車(マシン)が停車していた脇は、坂を登ってきたドライバーには死角となり、トム・プライスさんや他のドライバーの方も頂上に到達するまでは停車している車は見えなかったようです。
その為トムプライスさんが頂上に到達したころには突然現れたマーシャルに成す術もなく、横切っていたマーシャルの一人である19歳だったジャンセン・ヴァン・ビューレンを時速300kmで跳ね飛ばし、即死でした。
この時トム・プライスさんの前を走っていたハンス・ヨアヒム・シュトゥックさんは横断するマーシャルが突然目に入り、咄嗟に右へステアリングを切って回避することができたそうです。
マーシャルの消火器がトム・プライスの頭部を直撃
マーシャルを跳ね上げた時トム・プライスさんの車でしたがジャンセン・ヴァン・ビューレンさんが持っていた消火器がトム・プライスさんの頭に直撃しました。
ヘルメットが割れ、顎ひもがトム・プライスの首を切断
トム・プライスさんのヘルメットに重い消火器が直撃し、ヘルメットが割れて飛び散りました。
ヘルメットが飛び散ったことにより、ヘルメットの顎の紐の部分がトム・プライスさんの首を切りつけるような形になり、コックピットの中でめり込むように車(マシン)に乗ったまま即死されました。
このヘルメットには「走行中でも見分けられるように」父親に頼まれ5本の黒いラインと横にウェールズの国旗、グッドイヤーのロゴが入っていてトム・プライスさんは大事にされていたようです。
マシンはそのまま爆走して、コースアウト
即死だったトム・プライスさんですが、アクセルを踏み続けていた状態で、約時速270kmで暴走し続けリジェの通常走行していたジャック・ラフィーさんと側面衝突しました。
側面衝突したトム・プライスさんの車はキャッチネットを破壊し、最終的にはフェンスに激突、車は全壊し、やっとのことで車は停車しました。
その後、救護隊が駆けつけますがコックピットの中は血液と体液が混じり合い、ハンドルを握り、アクセルを踏み込んだまま硬直し、トム・プライスさんは何が起こったのかわからないまま死亡されたと思われます。
事故の原因は?不慣れなマーシャル?
当時トム・プライスさんの事故の原因はマーシャルにあるのでは?という声が多いようです。本当にマーシャルの不慣れさが事故に繋がった原因なのでしょうか。
ゾルジが停車した位置は死角だった
レンツォ・ゾルジさんの車が停車していた脇は各マシンが高速で走り抜けるホームストレートで停車した場所は坂を登ったところでした。
なので、下から登ってくるドライバーの人たちにはレンツォ・ゾルジさんのマシンは全く見えず死角な場所だったためとても危険な場所で停車されていました。
マーシャルが不用意にコースを横切った
レンツォ・ゾルジさんのマシンが停車し、レンツォ・ゾルジさんが降車し、マシンからは煙が出ているのをみたマーシャルの二人は慌てて安全確認をせずにレース中のコースを横切りました。
マーシャルの二人は不慣れだったからか安全確認もせずレースの真っ只中にコースを横切るという失態をし、このことから二人はかなり慌てていたのかもしれません。
事故の原因は不慣れなマーシャルという見方が強い
- 死角に停車していた車がいたこと
- 前の車が避けたためマーシャルを避けれなかったこと
トム・プライスさんのこの事故は様々な不運が重なった大事故となりましたが、そのなかでも不用意にコースを横切った「不慣れなマーシャルが事故の原因ではないか」という意見が多いです。
結果的にこのモータースポーツ史上最悪の事故と呼ばれたこの事故は、トム・プライスさんは不運なもらい事故で帰らぬ人となったことになります。
トム・プライスは検索してはいけない言葉?
「トム・プライス」と検索するとだめだと言われていますが一体なぜなのでしょう。
検索すると、死亡事故の瞬間を映した動画が
https://youtu.be/FWo_D68hgs0
「トム・プライス」と検索するとトムプライスさんの事故の瞬間の映像がでてきます。
グロテクスな部分が含まれているため閲覧には注意してください。
事故の衝撃的な映像から、検索してはいけない言葉に
この動画のように事故の瞬間やトム・プライスさんの事故後の姿があり衝撃的な瞬間の映像のため「トム・プライス」という言葉は検索してはいけないという風になったと考えられます。
トム・プライスの経歴は?
ここでトム・プライスさんの経歴を細かくまとめました。
子供の頃はパイロットに憧れていた
1975年のインタビューでトム・プライスさんは「本当はパイロットになりたかった」と語っておられました。
しかしトム・プライスさんの成績では到底パイロットになることは不可能だったようで諦められたそうです。
10歳の時、車に興味を持ち始める
トム・プライスさんが10歳の時乗ったパン運送用のバンをきっかけに車に興味を持ち始めます。
やはりF1レーサーと馴染みのあるトム・プライスさんの母国、イギリスではご両親もトムプライスさんにレーサーになってもらいたかったようです。
中学を中退後、トラクターの研修を受ける
トム・プライスさんが16歳の時学校を中退し、母親の希望により「もしもレーサーになれなかったら」という保険としてランドリロ・テクニカル・カレッジにてトラクターのメカニックに関する研修を受けられました。
以降は、メカニックとして働く
トム・プライスさんはメカニックとして働きつつも、とても早いスピードで優れたマシンコントロール能力を習得しF3やF2に出場されました。
1974年、F1デビュー
1974年にテールエンダーのTokenF1チームへ念願のデビューを果たされました。
トム・プライスさんのデビュー戦はニヴェルで行われたベルギーGPで結果は20位という成績に終わりました。
しかし、モナコGPでは同郷ウェールズ出身のアラン・リースさんが運営するShadowチームと契約し、ニュルブルクリンクという難しいコースで6位に入賞し「期待の星だ」とイギリス中を盛り上げました。
1975年に結婚する
1975年、トム・プライスさんが25歳の時、聖バーソロミュー教会にて結婚式をあげられました。
そしてトム・プライスさんが亡くなった後は奥さんはアンティークショップを経営されています。
その後は数々のレースに出場、好成績を残す
- オーストラリアグランプリで3位に入賞。
- イギリスグランプリでポールポジションを獲得する。
- トム・プライスさんはデビュー2年目にして1975年のシーズンに見せた才あるパフォーマンスで「未来のチャンピオン候補」としての評価を得ました。
- 母国イギリスで強豪たちを抑えて見事な優勝を勝ち取りました。
- F1史上唯一優勝を飾ったウェールズ出身ドライバーとしてその名を現在も刻み続けている。
トム・プライスさんは数々の好成績を残し、当時イギリスのヒーロー的存在でした。
トム・プライス以外のレーサーの死亡事故は?
ここでトム・プライスさん以外のレイサーの死亡事故について調べました。