
フーディーニは奇術師?死に隠された謎とは?名を取ったブランドも?
ハリー・フーディーニは「脱出王」や「サイキックハンター」など様々な異名を持つ奇術師(マジシャン)です。最も有名な奇術師と呼ばれ、コナン・ドイルとも親交があったことでも有名です。今回はそんなフーディーニの生涯や、死後に残された暗号についてまとめました。
目次
[表示]ハリー・フーディーニって誰?
ハリー・フーディーニは1874年3月24日にハンガリーで生まれ、アメリカを中心に絶大の人気を誇った奇術師のことです。奇術師とは「奇術を演じる人」という意味で、今でいうマジシャンのことです。
彼は1926年10月31日に52歳でその人生に幕を閉じましたが、没後も奇術師として名を残し続けています。
今回はそんな奇術師ハリー・フーディーニの生い立ちや得意としたマジック、さらに「不幸すぎる死に方」と言われた死因の謎についてご紹介していきます。
フーディーニは『脱出王』の異名があるマジシャン
フーディーニはアメリカを中心に名声を馳せた奇術師であり、難しい脱出マジックを幾度となく成功させていたことから、「世紀の脱出王」と呼ばれるようになりました。
ハリー・フーディーニは本名ではなく芸名であり、「ハリー」はアメリカの有名な奇術師ハリー・ケラーが由来であるとされています。
そして「フーディーニ」は、フランスの奇術師ロベール・ウーダンが由来であり、「ウーダン(HOUDIN)」に「I」を付け足して「フーディーニ(HOUDINI)」にしたといいます。
現在でも人気・知名度はアメリカでNO.1!
2019年で、フーディーニが亡くなってから92年もの年月が経過したわけですが、それでも彼の名声は堕ちることなく、現在でも世界各国で奇術師の代名詞だと言われています。
特に彼が活躍していたアメリカでの人気・知名度は凄まじく、「奇術師と言えば誰?」という質問に対してほとんどの人がフーディーニの名前を挙げるという情報もあります。
サイキックハンターとしても有名
基本的に奇術は仕掛けやトリックがあることを前提としていますが、逆にタネも仕掛けもないという超能力や心霊術も流行っていました。
フーディーニはそんなサイキックを毛嫌いしていたため、超能力者たちのイカサマやトリックを暴いていく「サイキックハンター」としても有名になっていきます。
フーディーニは数多くの作品に登場
フーディーニがどれだけ有名で人気だったかというのは、彼を題材にした映画や小説が多く作られているということからも分かります。作品については後半で詳しくご紹介します。
ちなみに、かの有名な「ポケットモンスター」に登場するエスパータイプのポケモン「フーディン」は、彼の名前が由来だったとされています。
フーディーニが死後に残した暗号とは?
フーディーニが没後も名を語られ続けていた要因のひとつに、彼が残した「暗号」があります。それはフーディーニが死後の世界の存在を証明するために作られたものでした。
そしてある有名な霊媒師の登場により死後の世界が証明されるかと思いきや、まさかのどんでん返しが待ち受けていました。
では、フーディーニが残した秘密の暗号について、みていきましょう。
フーディーニは死後の世界を証明しようとした?
フーディーニはサイキックを毛嫌いしていましたが、死後の世界があることは信じていました。
その証拠に、亡くなる直前には妻のベスに「死後の世界があったら連絡する」という言葉を残しています。
死後、妻との間に暗号を残していた!その暗号は〇〇
そして死後の世界からの連絡手段として、フーディーニは妻ベスとの間にある秘密の暗号を決めていました。もちろん、2人だけしか知らない暗号です。
心霊術などでその暗号を正しく伝えてくれた霊媒師がいたなら、その霊媒師が本物であり、死後の世界が存在するということも証明されるはずだとフーディーニは考えていました。
その秘密の暗号の答えとは「Rosabelle believe(ロザベル、信じなさい)」です。ロザベルとは、フーディーニとベスの思い出の曲で、結婚指輪の内側にも刻印してある単語だといいます。
暗号を霊媒師アーサー・フォードが解読?
フーディーニの死後、暗号の話を聞きつけて何人もの霊媒師が解読に挑戦しましたが、正しく解読できた霊媒師はいませんでした。そんな中、1928年にアメリカの霊媒師が暗号の解読に成功します。
それはアーサー・フォードという霊媒師で、サイキックに関する著書も出版している有名な人物でした。
暗号の内容とは?
彼は1928年11月のある夜、フーディーニとの交霊を行いました。そして彼は、ひとつ目のメッセージとして「Rosabelleという単語がカギになってくる」と伝えました。
さらに、フォード氏は続きを伝える。それは妻に伝えるべきメッセージを暗号にした9つの言葉だ。
「ANSWER・TELL・PRAY・ANSWER・LOOK・TELL・ANSWER・ANSWER・TELL」
(引用:RANPO)
この9つだけだとただの単語の羅列ですが、フォードは「Rosabelle」というヒントを頼りにこの暗号を解き、そこから「Believe(ビリーブ)」という答えに辿り着きました。
その2つの単語を合わせて「Rosabelle believe」となったのです。
アーサー・フォードは母との合言葉も解読していた!
妻ベスとの間に暗号を残していたフーディーニですが、実は自分の母親が亡くなる際、母親との間にもある合言葉を残していました。
なんとフォードは、「Rosabelle believe」という暗号を解読する半年以上前に、フーディーニと母親との合言葉までも言い当ていたといいます。
その合言葉は「Forgive(許す)」です。この合言葉は妻ベスも知っていたため、フォードの交霊は間違いのないものだと新聞に署名入りの文章を掲載し、宣誓供述書にも署名をしました。
暗号解読の真相は?
ここまで見ると、アーサー・フォードが本物の霊媒師であると思いますよね。ですがこれは、妻ベスの言動を細かく調べていれば誰にでも解読できるものでした。
まずフーディーニと母親との合言葉「Forgive」ですが、これは妻ベスが1927年3月のインタビューの中で、「フーディーニの母親の最後の言葉だった」と発言しています。
次にフーディーニと妻ベスとの暗号「Rosabelle believe」ですが、これはフーディーニの伝記をよく読めば解読法が分かり、さらに妻のベスはよく結婚指輪の刻印を自慢していたといいます。
様々な憶測とベスのその後
暗号は誰にでも解読可能だったという情報以外にも、妻ベスとフォードが恋愛関係にあって情報を漏らしていたという説や、フーディーニに愛人がいてその女性がリークしたという説まで浮上しました。
その後、フォードの交霊術が真実ではなかったことが広まり、妻ベスは宣誓供述書を取り下げました。どの説が正しいのか分からないまま、1943年に妻のベスも亡くなっています。
その後、ベスは生涯に亘ってフーディーニの暗号についての真実を公言しなかった。フォード氏は霊媒師として名を上げたが、死後に相手の情報を事前に調べている証拠が発見されている。(引用:RANPO)
フーディーニはどんなマジックパフォーマンスをしていたの?
アメリカ史上最も有名な奇術師と言われたフーディーニは、具体的にどんなパフォーマンスをしていたのでしょうか。
警察の留置場や刑務所からの脱出
フーディーニは、脱出のマジックを得意としていました。世界各国で、脱出は不可能と言われている留置所や刑務所の独房などに手錠付きで入れられ、そこからなんなく脱出してみせました。
手錠足枷逆さ吊りの状態で水いっぱいの箱に!
フーディーニのマジックの中で最も衝撃を与えたのは、このマジックではないでしょうか。マジックが終わると、観客は立ち上がって拍手喝采したといいます。
彼は多くの観客が見ている前で手錠足枷を付けられ、水がいっぱい入った箱に逆さ吊りに沈められるところから始まります。箱はガラスでできているため、苦しむフーディーニの姿もはっきり見えます。
箱にも厳重な鍵がかけられ、観客数人にも触ってもらい確認してもらいます。そして箱に幕がかけられて彼の様子が見えなくなった数分後、フーディーニはびしょ濡れ姿で姿を現しました。
フィーディーの伝記映画『魔術の恋』で再現も?
このパフォーマンスは、彼の生涯を描いた伝記映画「魔術の恋」でも再現されています。映画では最後だけフィクションとなっており、フーディーニがこのマジックに失敗して溺死してしまうという終わり方をします。
マジシャンと助手が入れ替わるマジック
脱出のマジックは前例がたくさんありましたが、フーディーニはそれを進化させて助手と入れ替わるというマジックを加えました。
助手は主に妻のベスだったようで、その鮮やかさとスピードは圧巻だったと言われています。この入れ替わりマジックは「メタモルフォーゼ」と呼ばれていました。ドイツ語で「変身」という意味です。
凍った運河からの脱出
寒さで凍り付いた運河からの脱出パフォーマンスも行いました。ですが、このマジックに関しては詳しい情報がなく、どのような状態で行われていたのかは不明です。
ミルク缶からの脱出
ミルク缶からの脱出についても、あまり詳しい情報がありません。ミルク缶とは、搾りたての牛乳を運ぶ為に作られたホーローの缶のことです。
人間が入るには窮屈な大きさとなっています。
フーディーニの死因には謎がある?
世界中のファンに惜しまれながら52歳で病死したフーディーニですが、実はいくつかの謎が残されていたり、物騒な噂まで浮上しています。
こちらでは、そんな彼の死に関する情報や噂をご紹介します。
フーディーニの死因は?腹部を殴られ死亡?
ではまず、公に発表されている死因をみていきましょう。1926年10月22日、フーディーニはカナダの都市・モントリオールの劇場にていつものようにショーをする予定でした。
すると楽屋に、マギル大学に通うホワイトヘッドという若者がやって来ました。どういういきさつがあったのかは不明ですが、フーディーニは彼に「腹部を殴打されても耐えられる」という技を見せようとします。
奇術は失敗
ホワイトヘッドはフーディーニの腹部を、強い力で5回ほど殴打したとされています。ですが、フーディーニが奇術を成功させるための準備を整える前に殴打したとして、のちに腹痛などの体調不良を訴えました。
医者によるとフーディーニは急性虫垂炎を発症していたようで、9日後の10月31日にびまん性腹膜炎により亡くなりました。彼はニューヨークに埋葬されました。
ちなみに「びまん性」とは、症状が起こる範囲が狭く限られているわけではなく、広い範囲に渡って症状が起こることをいいます。
保険金は倍額支払われている
ホワイトヘッドに強く殴打されたことにより虫垂が(盲腸の下にある小突起)破裂したとのことでしたが、本人も同意のうえであり、奇術中の事故死として保険金は倍額支払われたと言われています。
ですが後々になって、虫垂炎や腹膜炎を発症した原因はこの時の殴打によるものではない、という意見も主張され始めました。
フーディーニの死には謎がある?医学的に不自然な死だった?
公表された死因は事故による腹膜炎でしたが、フーディーニの子孫をはじめ、彼の事故死説に否定的な考えを持っている人々は今でも多くいるとされています。
さらに、フーディーニの子孫の弁護士を担当していたイタリア出身のジョー・タコピーナは、現代医学においてこの死因は非常に不自然であると主張しました。
毒殺説があるって本当?
さらに事故死説を否定するだけでなく、毒殺説まで浮上しています。フーディーニがサイキックハンターであったことからも、多くの人の恨みを買っていたことは想像に容易いですよね。
つまり、彼に面子を潰された人物が殺害したのでは、とも言われているのです。弁護士のタコピーナも、以下のように発言しました。
「ハリー・フーディーニの死については、謎に包まれた死から80年が経た後、毒殺された可能性を示唆する証拠が見つかっている」と、Tacopina氏は続ける。(引用:AFP BB NEWS)
死因解明のため墓を掘り起こすことに
そして2007年3月24日のアメリカ発信のニュース記事では、その死因を解明するべく彼の墓を掘り起こす計画を立てていると、タコピーナが語っています。
タコピーナはさらに、来週には死体調査許可の書類をニューヨークの裁判所に提出する予定だ、とも発言しました。
ですが死体調査に関するその後の情報は特になく、本当に掘り起されたのか、掘り起こされたとしたら死因は何だったのか、については不明のままとなっています。