徳川埋蔵金って何!?すでに発見されているものも?秘められた謎とは 社会

徳川埋蔵金って何!?すでに発見されているものも?秘められた謎とは

目次

[表示]

明治23年に初代智義が黄金の徳川家康像を発見!

発掘作業を進めていた明治23年、初代水野智義は黄金の徳川家康像を発見します。

この発見によって徳川埋蔵金の発掘に近づいたと、初代水野智義は喜んでいたそうです。

黄金の家康像は詐欺に遭い水野の手元からなくなっていた?

しかしこの時に見つかった黄金の徳川家康像は詐欺の被害に遭い、初代水野智義の手元からなくなってしまいました。

手元に戻ってきたのは真鍮の徳川家康像でした。

埋蔵金の在りかが記された銅板の地図も発見?

黄金の徳川家康像発見後は徳川埋蔵金発見のヒントとなる銅板を、初代水野智義は近所にある寺から発見しました。

その銅板には地図のようなものが描かれていましたが、どういった内容が描かれているかまでは読み取ることができなかったそうです。

大正15年初代水野智義が死去

自身がこれまでに商売で稼いだ私財を投じて徳川埋蔵金発掘をおこなっていた初代水野智義は徳川埋蔵金が発見されるところを見ることなく、大正15年に亡くなりました。

事業は継承され息子たちの世代へ

徳川埋蔵金発掘事業は初代水野智義の長男・義治、そして三男・愛三郎へと引き継がれていきました。

水野家2代目の義治氏も発掘を行う

水野家2代目となる水野義治も初代水野智義と同じように発掘作業をおこない、昭和7年には直径20メートルにもおよぶ巨大な石灰でできた亀を赤城山の山中で発掘しました。

水野家の本も!『赤城 黄金追跡―水野家3代、執念の埋蔵金発掘110年』

水野一族の徳川埋蔵金発掘は本にもなっています。

現在は初代水野智義の三男・愛三郎の息子である水野智之が徳川埋蔵金発掘作業を引き継いでいます。

徳川埋蔵金に関するテレビは昔から大人気!映画も?

徳川埋蔵金はテレビで取り上げられる以外にも、徳川埋蔵金を題材とした映画も制作されるほどの人気でした。

1990~95年にかけてブームとなった徳川埋蔵金発掘とテレビ番組

1990から1995年にかけて徳川埋蔵金発掘を扱ったテレビ番組がブームとなり、毎回高視聴率を叩き出していました。

その番組がTBSで放送されていたテレビ番組「ギミア・ぶれいく」です。

水野家とも手を組んだ番組!糸井重里出演のTBS「ギミア・ぶれいく」

「ギミア・ぶれいく」ではコピーライターの糸井重里がリーダーとなって徳川埋蔵金を探す番組です。

「ギミア・ぶれいく」には水野家も協力しており、水野智之も番組内の徳川埋蔵金発掘に参加していました。

石坂浩二や作家・井沢元彦も参加?赤城山での発掘

赤城山での発掘には石坂浩二や作家・井沢元彦も参加しており、90名ものスタッフに7台もの重機を投入する他、超能力者まで招いてかなり大規模な徳川埋蔵金の発掘作業をおこないました。

赤城山には何者かが掘り進んだ形跡も?

赤城山の徳川埋蔵金が埋まっていると思われていた場所には、すでに何者かが掘り進んだ跡がありました。しかしそれ以外はなにも見つけることができないまま、番組は終わってしまいました。

『やりすぎコージ』でも埋蔵金について取り上げられていた!

『やりすぎコージー都市伝説2012冬』でも徳川埋蔵金について取り上げられていました。「Mr.都市伝説」こと関暁夫によると、唯一徳川埋蔵金のありかについて知っていた人物がいると言うのです。

その人物とは徳川家康に仕えていた忍び・服部半蔵です。服部半蔵は徳川に貢献した見返りとして全国行脚を申し出ますが、この時に使っていた偽名がなんと松尾芭蕉だったというのです。

この全国行脚には俳諧作りなど以外にも目的があり、その目的とは徳川埋蔵金のありかを示している歌「かごめかごめ」を広めることでした。なぜ広めたのか理由は謎ですが、何らかの理由があったものと考えられます。

赤城山に埋められていた歴史的資料発見?林修先生の番組で初公開!

https://www.youtube.com/watch?v=idEzdaKI_jg

2017年5月に放送されたテレビ番組『林修の歴史ミステリー 徳川家260年最大の謎 3000億円埋蔵金大発掘 最終決戦スペシャル』の中で、大掛かりな徳川埋蔵金発掘に挑みました。

発掘中に人工的な横穴を発見?

徳川埋蔵金発掘中に人工的に掘られたと思われる謎の横穴を5つ発見しました。

しかし、その横穴が一体何の目的のために掘られたのかまではわかりませんでした。

さらにその横穴からは金属反応がありましたが、木の根っこなどに邪魔されて、それ以上穴を掘り進めることはできませんでした。

井戸とみられる竪穴も?

謎の横穴の他にも人工的な竪穴も発見されましたが、その形などからして井戸ではないかと考えられました。

発掘結果は?

番組内で徳川埋蔵金が発見されることはありませんでしたが、発掘の結果は「徳川埋蔵金はあるとしか言えない」というあやふやなものでした。

徳川埋蔵金に関する映画も制作されていた

映画『徳川埋蔵金伝説 大発掘プロジェクト2014 将軍家の暗号』は徳川埋蔵金発掘を題材としたドキュメンタリー映画です。

映画では様々な資料からあらためて徳川埋蔵金について考え、さらには伊賀忍者の末裔だという人物に会って話を聞くなど、あらゆる視点から徳川埋蔵金のゆくえに迫っていきます。

徳川埋蔵金以外でこれまでに発見されている埋蔵金は?

徳川埋蔵金以外にも日本にはいくつも埋蔵金があり、中には発見されているものもあります。

銀座で発見された小松ストアー埋蔵金

1956年に東京都中央区銀座で発見されたのが、小松ストアー埋蔵金です。

ここで発見されたのは金の純度が高く希少な慶長・正徳・享保の3種類の小判で、合計208枚も発見されました。

またこれらの小判とは別に一部金が60枚も発見されました。見つかった小判や一分金は東京国立博物館に収蔵されています。

山形県の川の底で発見された最上川の小判

1961年に山形県の最上川で魚を取っていた小学生が川の底で見つけたのは金色に輝く小判でした。

その後、川の底からは半月ほどの間に文政小判が23枚、文政二分金が9枚、文政南鐐二朱銀が358枚も発見されました。

その昔、最上川近くにあった船置き場で溺れて死んでしまった飛脚がいたらしく、見つかった小判や金銀はその飛脚のものではないかと言われています。

東京中央区の工事現場で鹿島清兵衛の埋蔵金

1963年に東京都中央区の工事現場から天保小判が1900枚、天保二朱金が約78000枚も見つかりました。これは現在の価値では10億ほどになります。

調べてみると、江戸時代に大きな酒問屋を営んでいた9代目鹿島清兵衛が埋めたものであるとわかり、工事現場から出てきた小判や金は鹿島清兵衛の子孫に返されました。

勝沼町ブドウ園の甲州金

1971年に山梨県勝沼町にあるブドウ園で甲州金や中国から輸入したと思われる渡米銭が見つかりました。

ブドウ園の近くには中世に武田氏の一族である勝沼氏の館があるため、見つかった甲州金や渡米銭は勝沼氏の軍資金の一部ではないかと言われていますが、実際のところはどうなのかはわかっていません。

この時、見つかった甲州金は2011年に山梨の県立博物館が約1億円で買いとりました。

埼玉のお寺から小判が出土

2002年に埼玉県の光明寺の境内で小判38枚が発見されました。

排水管の埋設工事中に発見されたこの小判は種類が発表されていないため、どれくらいの価値になるのかなど、詳細についてはわかりません。

日光埋蔵金弁当が話題になっているって本当?

日光埋蔵金弁当という名前の弁当が話題になっていますが、一体どのような弁当なのでしょうか。

日光鱒鮨本舗で販売されている日光埋蔵金弁当は何と18万円!

日光埋蔵金弁当は日光鱒鮨本舗で販売されている弁当です。

日光彫りという伝統的な彫刻が施された漆塗りの弁当箱には日光名物の日光姫寿司や日光刺身湯葉などが詰め込まれています。

そして驚くのが日光埋蔵金弁当の値段です。その値段、なんと18万円です。

日光埋蔵金弁当種類は様々?1350円で買える『SL大樹 日光埋蔵金弁当』も

日光埋蔵金弁当は様々な種類が販売されており「1万円」「3万円」「5万円」「10万円」のものもあります。こちらの弁当箱や箸にも日光彫りが施されており、中には日光名物が詰められています。

もっと気軽に日光埋蔵金弁当を食べたい人におすすめの、1550円の『日光埋蔵金弁当』や1350円の『SL大樹 日光埋蔵金弁当』もあります。

『SL大樹 日光埋蔵金弁当』には小さなシャベルがついており、弁当の中身も「日光高原牛のしぐれ煮」や「漬物けっこうづくめ」といった日光の名産が盛り込まれています。

購入した人の感想は?

リーズナブルな値段の日光埋蔵金弁当を購入している人がほとんどですが、中には18万円の日光埋蔵金弁当を購入した人もいました。

Twitter上では日光埋蔵金弁当と一緒に徳川の家紋が入った「徳川ボトルコーラ」を購入している人も多く見かけました。

「ゆばもゆずチューハイも、チーズケーキも埋蔵金弁当(+徳川ボトルコーラ)も、全て美味しかった〜♪」

「今日の夕飯は徳川埋蔵金弁当~ヽ(・∀・)ノ
かなりごりっぱな大樹の石炭スコップ型スプーン付き☆
スプーンもっと集めたいなぁ(*´ω`*)これでチョコケーキとかホールで直喰いしたい(笑)」

「駅弁発祥の地、栃木県
そんな栃木県の東武日光駅一つ15万の徳川埋蔵金弁当なる駅弁があるのです」

(引用:Twitter)

フィリピンに今も眠る旧日本軍の財宝・山下財宝とは?

フィリピンには旧日本軍の財宝、通称・山下財宝と呼ばれるものが眠っているとされています。

山下財宝とは?

山下財宝は山下奉文大将が率いていた旧日本軍によって、終戦時にフィリピンに埋められたとされている埋蔵金のことです。

山下財宝は「都市伝説」だとも言われていますが、フィリピンでは山下財宝に関する伝説が語られています。

フィリピンに伝わる山下財宝の伝説とは?

旧日本軍は東南アジアやビルマから取り立てて集めた金塊をシンガポールからフィリピンを経由し、日本に海上輸送で運ぼうと考えていました。

しかし戦況が変わり、予定していた海上輸送への攻撃が激しくなり、輸送が難しくなってしまったため、フィリピンに金塊を隠しておいて日本の敗戦直後に金塊を引き上げようと考えます。

しかし関係者が戦犯として連合軍によって処刑されてしまったため、金塊をどこに埋めたのかわからなくなってしまいました。

埋蔵金を隠した?山下奉文とは?

山下奉文は旧日本軍の陸軍に所属していた軍人です。太平洋戦争の際には第25軍の司令官として活躍し、その活躍から「マレーの虎」と呼ばれていました。

フィリピン防衛戦後に日本は敗戦し、その後山下奉文は軍事裁判にかけられ、絞首刑となりました。

また山下奉文は日本の統治下であったフィリピンを統治した最後の将軍であり、そのためフィリピンではもっとも有名な日本人と言われています。

山下財宝の実態とは?

山下財宝の実態について堀栄三は自身の著書の中で、アメリカ軍が偽装通貨を使って経済攪乱に対抗するために用意した特製の「マル福」という金貨だと話し、金塊ではないと否定しています。

山下財宝は本当に存在しているのか?

都市伝説とも言われている山下財宝ですが、旧日本軍が金塊を隠したことはアメリカ政府も知っており、中国で情報収集をしていた元CIA要員のジョン・シングローブも山下財宝の存在についてを認めています。

にも関わらずフィリピンに残されている公文書の中には山下財宝に関する記述は一切なく、またアメリカの公文書ではあきらかに途中で文章が抜かれたような痕跡があり、山下財宝の存在については謎となっています。

NEXT:フィリピンで山下財宝が見つかった?
2/3