常紋トンネルは北海道随一の心霊スポット?人柱の噂やタコ部屋の実態 社会

常紋トンネルは北海道随一の心霊スポット?人柱の噂やタコ部屋の実態

常紋トンネルといえば、北海道で最も有名な心霊スポット。建設にあたり、タコ部屋労働者に多数の犠牲者が出た場所です。十勝沖地震で損傷した壁面から人骨が発見され、人柱が埋められていることも判明しました。今回は常紋トンネルの噂や真相についてまとめました。

目次

[表示]

常紋トンネルとは?北海道で有数の心霊スポット?

常紋トンネルとは100年以上前に、北海道の開拓に伴い作られた鉄道用のトンネルです。北海道はおろか、全国有数の心霊スポットとして有名な場所なのです。

この常紋トンネルはなぜ、どうして心霊スポットになってしまったのでしょうか。ここからは、常紋トンネルの場所や行き方や心霊現象の原因などについてご紹介していきます

常紋トンネルのある場所は?地図はある?

常紋トンネルは北海道北見市留辺蘂(るべしべ)町金華(かねはな)というところにあります。留辺蘂は道内東部に位置し、網走や佐呂間、条呂郡と隣接しています。地図は上記の通りです。

トンネルは遠軽町と北見市の間にある常紋峠を通っています。標高は347メートル。山中のためか全く人気はなく、自然豊かでキツネやヒグマが出没するような場所です。

旧国鉄の湧別線として開発された、列車が通るための鉄道トンネルです。現在のJR北海道石北本線にあたり、現在も運用されています。

常紋トンネルへの行き方は?

常紋トンネルは金華駅(廃止)と生田原駅の間にあります。まずは国道242号線沿いにある「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」を目指して進みましょう。

慰霊碑は金華駅から1㎞程の場所にあります。そこから生田原方面へと国道を進みます。その道沿い右側に「常紋トンネル入り口」と書かれた看板があります。小さく目立たないので、見落としに注意しましょう。

「常紋トンネル入り口」と書かれた青い看板を右折して、林道に入りしばらく道なりに走りましょう。しばらくすると林道下へ降りるゲートが見えてきます。その先に常紋トンネルがあります。

常紋トンネルは全長507メートル

cattalin / Pixabay

常紋トンネルは全長507メートルで、そう長いほうではありません。トンネルには数キロ以上あるものも数多く存在し、日本で一番長いものでは青函トンネルで53キロメートルにもなります。

常紋トンネルの着工から完成まではどのぐらいかかった?

DariuszSankowski / Pixabay

常紋トンネルの完成までには、507メートルという長さからは考えられないほどの時間がかかっています。1912年3月に着工し、完成したのは1914年。ゆうに36ヶ月、3年もの工事期間を要したのです。

長期化した原因は、その立地にあります。標高347メートルという山中の峠にあり、難所として知られた場所なのです。北海道の冬の寒さもかなり厳しく、当時では作業自体が困難だったと思われます。

常紋トンネルは2chでS級心霊スポットとして認定

simonwijers / Pixabay

常紋トンネルは2chでも話題となり、数少ないS級心霊スポットとして認定されています。オカルト住民によるランク付けで、最高ランクはSS級、次がS級、その次がA~E級と7段階に別れています。

常紋トンネルのSランクは上から2番目で「行くのは絶対無理、近づくだけでも相当危険なレベル」なのです。同じS級にはしとどの滝や旧吹上トンネルなど計5カ所。いずれ劣らぬ有名な心霊スポットばかりです。

ちなみに最上級のSS級は「慰霊の森」1ヶ所のみです。つまり常紋トンネルは日本に数ある心霊スポットの中でも、6位以内ということ。相当上位に位置しており、かなり危険な場所だということになります。

常紋トンネルが心霊スポットとして有名な理由は?タコ部屋が関係?

werner22brigitte / Pixabay

常紋トンネルが心霊スポットとして有名になった理由は、犠牲者の多さやその死亡原因にあります。常紋トンネル工事に携わったのは、タコ部屋と称する劣悪な労働状況下にあった作業員たちでした。

彼らは無理やりもしくは騙されて連れてこられた人々。粗末な部屋と食事だけで、過酷な強制労働をさせられました。病気になっても治療は受けられず、指示を聞かなかったり、逃げ出そうとすればリンチ。

見せしめや、病気で働けないという理由で殺害された者も少なくありませんでした。結果として100人以上の死亡者が出たそうです。多くの人が酷く悲しい最期を遂げた場所、それが常紋トンネルなのです。

人の霊も?常紋トンネルにはどんな霊が出るの?

markusspiske / Pixabay

常紋トンネルで目撃される霊の多くは、タコ部屋労働者たちです。血だらけの男が列車の前に突然飛び出してきたり、列車内をうろつく黒い影があらわれたり。うめき声などが聞こえることもあるそうです。

問題が明るみになり慰霊碑が建てられる以前には、列車が原因不明で動かなくなることも日常茶飯事だったそうです。数々の心霊現象について、この後詳しく紹介していきます。

常紋トンネルでの心霊体験談・怪談は?心霊写真が撮れる?

currens / Pixabay

常紋トンネルは、霊感はないという人でも近づくだけで異様な雰囲気を感じるほどで、心霊写真が撮れるという噂もあります。心霊体験談は数多くありますが、今回はそのうちのいくつかをご紹介します。

常紋トンネルでの心霊体験①頭から血を流した男が

onefox / Pixabay

常紋トンネルの心霊現象、1つ目は「頭から血を流した男」です。ある冬の日、冷たい雨の中を常紋トンネルへと向かう列車がありました。薄暗い常紋トンネルへと侵入した瞬間、列車の前に男が現れたのです。

男はケガをしているのか頭から血を流しています。「人がいる!」、慌てた運転士は急ブレーキをかけて降車するも誰もいません。不思議に思いつつ再び列車を走らせると、またあの血だらけの男が現れるのです。

走りだせばまた血だらけの男が現れる。運転士は恐ろしくなり、目を閉じたまま身動きが取れなくなりました。結局、後続の列車の運転士が助けに入り、運転を再開したのでした。

常紋トンネルでの心霊体験②足を掴む骸骨

Jonny_Joka / Pixabay

常紋トンネルでの心霊体験、2つ目は「足を掴む骸骨」です。近所に住む40代の主婦A子さんは、山菜を探して常紋トンネル付近へやってきました。

トンネル付近はいわくつきの場所ということで近づく人も少なく、山菜取りの穴場スポットだったのです。ある程度収穫し終え、A子さんが帰宅しようとした時でした。なぜか右足が動かないのです。

「何かに引っかけた?」と思いふと見ると、骸骨の手がA子さんの足首をがっちり掴んでいたのです。パニック状態のA子さんは必死でその手から逃れます。逃げている最中に多数の骨が落ちているのを発見したそうです。

常紋トンネルでの心霊体験③蠢く黒い影を目撃

Free-Photos / Pixabay

常紋トンネルでの心霊体験3つ目は、蠢く黒い影です。鉄道好きのBさんは、夜行寝台列車で網走から札幌方面へと向かっていました。もうすぐ常紋峠という所で、なんともいえない嫌な空気になってきたのです。

そうして常紋トンネルに差し掛かった時でした。急に生臭い臭いが立ち込めてきたと思ったら「ガシャガシャグシャ」という、割れ物を袋につめたような異常な音がし始めました。通路を通りすぎて行くようでした。

Bさんは怖いもの見たさで廊下を覗き見ました。音がした廊下には水滴のような、薄い赤色の足跡が残され、先のほうには黒い影が見えたのです。「グシャ」異様な音をたてながら黒い影は廊下の隅へ消えたのでした。

常紋トンネルに行ってみた人の動画も

https://www.youtube.com/watch?v=YmxcRJU70QE

実際に常紋トンネルへ行ってみた、という動画もアップされています。映像で見ると雰囲気もわかり易いと思います。こちらは「ガチで行ったら危険な北海道の常紋トンネルの実態」になります。

常紋トンネル近くの金華駅も有名なスポット?

常紋トンネルが恐ろしいスポットである理由の1つに、付近でも恐怖体験の報告があるためです。トンネルの最寄り駅であった金華駅は2016年に廃止されるまで、旅客駅として使用されていました。

昔は駅員も常駐していましたが、その駅員たちに次々と不幸が襲い掛かりました。駅に配属された者の身内が次々と病死や事故死したそうです。ある駅員はノイローゼになり精神病で体調を崩しました。

またある駅員の妻は、突然列車に飛び込み、自殺を図りました。原因は不明ですが、とにかく悪い事が続いたのです。これも常紋トンネルの犠牲者たちの呪いではないかと噂になっています。

常紋トンネルを作ったタコ部屋労働って?

MarkoLovric / Pixabay

常紋トンネルは、現在では考えられないような状況の中完成しました。タコ部屋労働という仕組みです。

地方から出稼ぎにきた貧困層の人々を、言葉巧みに騙して集めます。彼らを工事作業員として北海道に送り込み、奴隷のように扱い過酷な労働を強いたのです。

タコ部屋労働とは?

タコ部屋労働とは、工事などに従事する労働者に対して奴隷のように扱い、強制労働させることです。タコ部屋労働者を「タコ」と呼び、彼らを収容監禁する部屋は「タコ部屋」と呼ばれていました。

粗末な小屋に寝泊まりし、少量の粗食、過重労働という劣悪な環境下で、タコ達は死ぬまで働かされるのです。もちろん現在は労働基準法によって、タコ部屋のような仕組みは禁止されています。

北海道で始まった囚人労働が起源

Ichigo121212 / Pixabay

タコ部屋労働の起源は、北海道開拓で始まった囚人労働です。1887年、明治政府は北海道開拓の為の道路整備を急務としていました。未開の原野を切り開くために、多大な労働力を必要としていたのです。

そこで目をつけたのが囚人の動員でした。道内に収容所を複数作り、囚人たちを道路の開削にあてたのです。寒さやヒグマなど過酷な環境下で、重機もありません。囚人たちは手作業での道路工事を強制させられたのです。

タコ部屋での過酷すぎる労働条件は?

susan-lu4esm / Pixabay

タコ部屋での労働条件は虐待に等しいものでした。早朝3時から深夜まで過酷な重労働を強制されます。それ以外の時間は粗末な小屋に監禁され、わずかな食糧しか与えられません。栄養失調による死亡者も多くいました。

そんな状況ですから、当然脱走者が出てきます。脱走者は捕らえられ、見せしめとして凄絶なリンチや拷問を受けるのです。万一脱走に成功しても、遭難等で死亡するケースが後を絶ちませんでした。

栄養失調や病気、リンチや拷問で死亡者が続出しましたが、遺体は適当に遺棄されました。賃金は支払われるものの、ほとんどを生活費として徴収され、ただ働き同然だったそうです。

常紋トンネルでのタコ部屋労働経験者の手紙

jarmoluk / Pixabay

タコ部屋労働の過酷さを示す、一通の手紙が発見されました。常紋トンネルの作業員(タコ)が、姉へ向けて書いたものです。

・労働は深夜の3時から夜が更けるまで行われる
・耐えられないほど重いものを強制的に担がされ胸骨がベキベキと軋む音が聞こえた
・病気になっても治療は受けさせてもらえず回復の見込みがない者は線路の下に生き埋めにされる
・月に2回巡査が見回りにくるが遺体の存在は金でごまかす
・逃げ出した労働者を業者が銃を持って追いかけていった
・捕まった者は見せしめとして火炙りにされたり、裸に酒を吹きかけられ蚊責めにされた
・熊に襲われた者もいた

(引用:全国心霊マップ)

手紙の主は、家出をした際に公園で声をかけられました。言葉巧みに騙されて、北海道のタコ部屋へと送りこまれたそうです。

働けなくなったら生き埋めに?人柱となっていた?

PDPhotos / Pixabay

常紋トンネルの壁面からは、立ったままの状態の人骨が発見されています。これらは人柱にされた者だと言われています。病気などで働けなくなった者、リンチで弱った者を無理やり生き埋めにしたようです。

常紋トンネルの施工業者は?

StockSnap / Pixabay

常紋トンネルの施工業者は、澤井組が18万円程度(当時)で請負い、実際に工事をしたのは掛田組と言われています。政府の事業の為、大手企業から下請け孫請けと多数の中間業者が絡んでいたそうです。

北海道には常紋トンネル以外にもタコ部屋労働があった!

hpgruesen / Pixabay

北海道開拓においてはタコ部屋労働が日常化していました。1890年の北炭室蘭鉄道工事の囚人労働に始まり、網走や根室にある鉄道やトンネル工事のほとんどは、過酷なタコ部屋労働によるものでした。

常紋トンネルの人柱の噂は本当?

常紋トンネルには人柱が埋められている。トンネル開通当時からそんな噂が流れていました。現代では考えられませんが、本当にそんなことが行われていたのでしょうか。人柱の噂について検証します。

そもそも人柱とは

SwadhinManov / Pixabay

人柱とは、神様に捧げる生贄のことです。主に橋やトンネルなど大規模な物を造る際に、災害が起きないよう神様に祈ります。その時に生贄として人間を捧げ、生きたまま水に沈めたり土や壁に埋めたりするのです。

常紋トンネルの人柱の噂は本当なの?

常紋トンネルには、人柱が埋められているという言い伝えがありました。具体的には「監督の指示に従わない者などを、見せしめとして暴行し生き埋めにした」という噂でした。数十年後に意外な形で真相が判明します。

十勝沖地震をきっかけに人柱の存在が明らかに!人骨が発見される!

elianemey / Pixabay

1968年5月16日、釧路から十勝周辺で十勝沖地震が起きました。マグニチュード8の強い揺れで死者も33人出ました。この地震で常紋トンネルの壁面が損傷し、改修工事が行われることになりました。

すると壁の中から、立った状態のままの人骨が発見されたのです。頭蓋骨に損傷がある遺体もあり、生前無理やり埋められたものと推測されました。常紋トンネルの人柱の噂は本当だったのです。

常紋トンネルはタコ部屋労働で作られたことが発覚!

Broesis / Pixabay

十勝沖地震による人柱の発見をきっかけに、常紋トンネル付近を捜索し多数の人骨が発見されました。その数は50体以上に上り、実際の死者は100名とも400名とも言われています。

人柱に暴行された形跡があること、尋常でない数の作業員が死亡していること。当時の酷い状況が推測されることから、常紋トンネルはタコ部屋労働で作られたことが裏付けられました。

供養のための慰霊碑がある

多数の人骨が発見されたことがきっかけとなり、犠牲者たちの魂を鎮めようと慰霊碑が建立されることになりました。1980年、金華駅そばに「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」が建てられました。

現在でも供養のための追悼法要が営まれている

常紋トンネル工事から100年以上が経過した現在でも、追悼法要が行われています。毎年6月、JR北海道が執り行い、北見駅長らが参加し犠牲者たちの冥福と、列車運行の安全を祈るのです。

NEXT:ポケモンの都市伝説が常紋トンネルの人柱と関係している?
1/2