
カスパー・ハウザーとは?ドイツの孤児?謎が多い?真相を検証!
19世紀にドイツのニュンベルクに突然現れた青年、カスパー・ハウザー。全てが謎のまま暗殺された彼の数奇な人生には、様々な憶測が飛び交いました。ただの孤児だったのか、それとも彼には何か能力があったのか?カスパー・ハウザーの謎の真相に迫ります。
目次
[表示]カスパー・ハウザーとは?どんな人物?
1828年5月26日、聖霊降誕祭が終わって人もまばらな、近世ドイツ最大の都市ニュンベルクに、野良着姿の青年が忽然と姿を見せました。
姿は16~18歳ほどに見えるものの、歩くこともままならず、満足に話すこともできないという彼の姿は、今まで世間から隔離された場所で育った野生児のような印象を人々に与えたと言います。
青年は警察署に身柄を預けられ、取り調べを受けましたが、自分の身元についてさえ満足な受け答えができなかったそうです。唯一筆談で答えることができたのが、自分の名前が『カスパー・ハウザー』であることでした。
カスパー・ハウザーはドイツの孤児?謎が多い人物?
身元が分からないことから、ニュンベルクの警察はカスパー・ハウザーを孤児として保護することにしました。しかし、ただの孤児、と片付けるには彼はあまりにも奇妙でした。
その生い立ちには謎が多いと言うよりもすべてが謎で、どこでどうやって育ってきたのか、ニュンベルクで発見されるまでについてのことが、何一つわからないのです。
孤児であったとしても、普通は養親がいます。しかし、彼はこれまで人とかかわるといったことがなかったようで、保護されるまでの年月のすべてが空白だっだのです。
カスパー・ハウザーは発見当時、言語も話せなかった
カスパー・ハウザーは発見当時、言葉も満足に話せませんでした。口がきけなかったというわけではなく「ノイトールシュトラーセ」「レーゲンブルク」といった地名を、片言で話していたと言います。
しかし、相手と会話を成立させるということが全くできず、聞かれていることも理解できない様子だったそうです。
カスパー・ハウザーの画像は?
上の少年が、現在にも残っているカスパー・ハウザーの肖像画です。
彼の身長は150cm程度で、ずんぐりとした小太りの体型をしていました。
カスパー・ハウザーの謎は?
生い立ちが分からないだけではなく、カスパー・ハウザーには、特殊な能力や不思議な所持品があり、このことも彼を一層謎めいた存在にしました。
ここからは、カスパー・ハウザーの残した謎について紹介していきます。
カスパー・ハウザーの謎①:カスパー・ハウザーが持っていた手紙
ニュンベルクの町で発見された当初、カスパー・ハウザーは一通の手紙を所持していました。
滅茶苦茶な文法で書かれたその手紙は、ニュルンベルク駐屯第6軽騎隊の第4中隊に勤務するフリードリヒ・フォン・ヴェッセニヒ大尉宛で、カスパー・ハウザーを入隊させて欲しいという内容のものでした。
手紙に中には、引き取らないのなら殺すなり煙突の中に吊るしてほしいとまで書いてあり、ヴェッセニヒ大尉は心当たりのない手紙に困惑し、当然彼を入隊させませんでした。
カスパー・ハウザーの謎②:肉や牛乳は食べられなかった
保護された当初、カスパー・ハウザーは肉や牛乳を食べることができず、口に入れると吐き出していました。彼が口にできたのは水とパンだけで、この様子からも普通の生活をしてこなかったことが分かります。
しかも、彼は食事は自然にどこかから発生するものと思っていたそうで、誰かが用意してくれるという概念がなかったと言います。
カスパー・ハウザーの謎③:鏡の自分を掴もうとした
カスパー・ハウザーは普通の人間なら知っていて当然のことすら理解できていない様子で、鏡に映った自分に手を伸ばし、掴もうとしたというエピソードも持ちます。
また、他者と自分の境界があいまいな様子も見られたそうです。
カスパー・ハウザーの謎④:地下牢のような暗く小さな部屋にいた
あまりにも世間の常識を知らないカスパー・ハウザーの奇妙な言動は、彼の保護と観察を担当した法学者アンゼルム・フォイエルバッハにある疑惑を感じさせます。
フォイエルバッハは、カスパー・ハウザーが長い間、世間とのかかわりを絶たれて、地下牢のような場所で孤独に暮らしていたのではないかと考えたのです。
カスパー・ハウザーの言動は、伝記の中に残る世間から断絶されて生きてきた人々のそれと、非常によく似ていたと言います。そして、後にこの推測は正しかったことが判明します、
カスパー・ハウザーの謎⑤:感覚が鋭く異常
できて当然のことができなかったカスパー・ハウザーですが、彼には普通の人とは違った特殊な能力がありました。
彼の感覚は非常に鋭く、暗闇の中でも色の判別ができ、金属に触れただけでそれが真鍮なのか鉄なのかを言い当てることまでできました。また背後から知人が近づくと、気配だけで誰が来たのか言い当てられたそうです。
これらの能力は、人体実験による成果だったのではないかとの憶測も生みましたが、普通の生活に順応していくにつれて消えて行ったと言います。
カスパー・ハウザーの謎⑥:突如暗殺された!犯人は不明
1833年12月14日、カスパー・ハウザーは何者かに襲われて左胸をナイフで刺されます。そして、この時の怪我が致命傷となって、3日後の17日に死亡しました。
この事件はカスパー・ハウザーが自身のことを話し始めた矢先の出来事であったため、口封じのために殺されたのではないか?という憶測が飛び交うようになります。また、彼を殺害した犯人はいまだ不明です。
カスパー・ハウザーの謎⑦:フォイエルバッハも死亡!中毒死?
カスパー・ハウザーの謎をさらに深めたのは、彼の世話をしていたフォイエルバッハも1833年の5月に亡くなっており、彼の死も仕組まれたものの可能性があることです。
フォイエルバッハの死因は公式の記録では病死となっているものの、実際は毒物による中毒死で命を落としており、誰かの手にかけられたのではないかと推測されています。
カスパー・ハウザーが誰の子供なのかわかっていない
結局、命を落とすまでにカスパー・ハウザー自身の口から聞くことのできた自分の生い立ちに関することは、2つだけでした。
1つ目は彼が何年も暗い小さな部屋に閉じ込められていたということ。2つ目は、おもちゃの馬だけを与えられていたということです。
つまり、自分の家族や親については一切語っておらず、カスパー・ハウザーが誰の子だったのかは不明のままなのです。
カスパー・ハウザーは誰の子供なの?出生の真相は?考察
普通の暮らしに適応し、カスパー・ハウザーが群集の前に姿を見せる機会が増えるようになると、彼の姿を見た人からはとある王族に顔が似ているのではないか?という声が上がるようになりました。
また、カスパー・ハウザーの馬術の腕が天才的であったことや、彼の腕には当時は貴族しか受けられなかった天然痘の予防接種の痕があったことも、高貴な出なのではないかという憶測を呼びました。
カスパー・ハウザーは本当に高貴な生まれの王子だったのでしょうか?彼の出生の真相を検証していきます。
カスパー・ハウザーの肩書は?
孤児であることが明白であったカスパー・ハウザーですが、後に彼は研究者たちの間で様々な肩書を得ることになります。
その中には、高貴な貴族の御落胤、地位にある兵士が女中に産ませた隠し子といったものから、実は人々の注目を集め、名士たちからの庇護を受けることに成功した詐欺師というものまで見られます。
バーデン大公家の世継?DNA鑑定も?
カスパー・ハウザーの出生に関して早くから噂されていたのが、ドイツのバーデン大公との血縁関係でした。この説は彼の保護者のフォイエルバッハも有力視しており、その後3度にわたってDNA鑑定もされています。
DNA鑑定は、カスパー・ハウザーが履いていたものとされるズボンについた血痕、髪の毛、指紋の3つで行われました。
しかし、血痕ではバーデン大公家とは無関係という結果が出たり、指紋ではバーデン大公の末裔とかなりの部分で一致が見られたりと結果はバラバラで、未だに否定も肯定もされていません。
ステファニー・ド・ボアルネの隠し子?
カスパー・ハウザーは、ナポレオンの妻の姪であり、バーデン大公に嫁いだステファニー・ド・ボアルネの隠し子であったのではないか、という説も存在します。
彼女はナポレオン2世と不倫関係にあり、2人の間にはカスパー・ハウザーとよく似た子供が生まれたとされます。
その子供はカスパー・ハウザーが生まれる寸前に死亡した言われていますが、彼が生きていて、王族の醜聞を隠すために幽閉されていた…それが、カスパー・ハウザーの正体だったのではないかと考えられているのです。
カスパー・ハウザーはピルザッハ城で過ごしていた?
ニュンベルクの町から35kmほど離れた小さな水城である、ピルザッハ城。カスパー・ハウザーはここに幽閉されていたのではないかとも考えられています。
1924年にこの城に地下牢があることが偶然判明し、カスパー・ハウザーが生前に証言していた彼が暮らしていた場所の特徴に非常によく似ていることが分かったのです。
この地下牢からはカビの生えかけた衣服も発見されており、何者かがそこで暮らしていたことが明らかになっています。
ボトルメールが発見された?
1816年9月、ライン川で謎のボトルレターが発見されました。
差出人は不明ですが、その中には自分は王位を奪われ、ラウフェンブルクの近くのある地下牢に閉じ込められていると書かれており、これはカスパー・ハウザーの書いたものではないか、という憶測を呼んでいます。
謎の多いカスパー・ハウザーは、様々な作品の題材に
カスパー・ハウザーと彼の残した謎は、多くの科学者や文学作品に影響を残しました。ここでは、彼を扱った書籍を3冊紹介していきます。
フォイエルバッハ著「カスパー・ハウザー」
この本は、カスパー・ハウザーの保護者であった法学者のフォイエルバッハが記したという、貴重な資料です。
カスパー・ハウザーが実際にどのような人間であったかを記録しており、普通の暮らしに順応していく様子が書き留められています。
憶測ではなく事実に基づいて記されたノンフィクション作品ですので、カスパー・ハウザーについて知りたいという方は、目を通してみてはいかがでしょうか。
フランスのドラマ「カスパー・ハウザー」
カスパー・ハウザーの物語は、フランスでドラマ化されたこともあります。
アドルフ・フィリッペ・デネリーが監督し、タイトルも『カスパー・ハウザー』とされたそのドラマは、1838年に放映されていました。
ヤコブ・ヴァッサーマン著「カスパー・ハウザー 心の悲劇」
文学作品としては、他にもドイツのユダヤ系作家、ヤーコプ・ヴァッサーマンもカスパー・ハウザーを題材にした小説を執筆しています。
他にも、カスパー・ハウザーはドイツ語のシャンソンの表題にされるなど、多様な分野に影響を及ぼしました。
カスパー・ハウザーは映画化もしていた!
カスパー・ハウザーの物語は映画化されていたこともあり、これは彼を題材にしたフィクション作品の中でもっとも有名なものでもあります。
ここでは、カスパー・ハウザーを題材にした映画『カスパー・ハウザーの謎』について紹介していきます。
カスパー・ハウザーの映画「カスパー・ハウザーの謎」
映画「カスパー・ハウザーの謎」は、1974年に公開された作品で、ジャーマン・ニューシネマの巨匠、ヴェルナー・ヘルツォークが監督です。
1975年にはカンヌ映画祭に出品され、審査員特別賞と国際批評家賞を受賞するなど高い評価を得ています。
また、この作品ではカスパー・ハウザーを演じたブルーノ・Sが実際に孤児であったことや、彼の真に迫った演技も、注目を浴びました。
「カスパー・ハウザーの謎」のあらすじは?
「カスパー・ハウザーの謎」は、ニュンベルクの町でカスパー・ハウザーが発見されてから、彼が口封じのために襲われ、命を落とすまでの物語を丁寧に追って行った作品です。
作中では、ニュンベルクで保護されてからも数奇な運命に振り回され続けたカスパー・ハウザーの抱える孤独や、彼の人生が描写されています。
「カスパー・ハウザーの謎」を見た人の感想は?
本作品はニュンベルクにたどり着いてからのカスパー・ハウザーの暮らしをモデルにしているため、結末も事実に沿ったものであり、劇中で彼にまつわる謎が解明されることはありません。
また、カスパー・ハウザーについての予備知識がある人が見ると結末が分かってしまうストーリーですが、それでも細やかな描写を高く評価する声が見られます。
冒頭に流れるカノンのもの悲しさなど、優れた演出にカスパー・ハウザーの感じた孤独の本質が感じられる、といった感想が寄せられています。
「カスパー・ハウザーの謎」の予告は?
映画『カスパー・ハウザーの謎』の予告編は、Youtubeで観ることができます。
現在もDVDはレンタルされていたり、アマゾンなどで購入することも可能ですので、気になった方は調べてみてはいかがでしょうか。
カスパー・ハウザー症候群とは?医学、心理学で使われる言葉?
カスパー・ハウザーのように、乳幼児期に必要な愛情を得ることができず、他者との交流を断絶されて育った人間に見られる発達の遅れや異常を、医学や心理学の分野では『カスパー・ハウザー症候群』と呼びます。
また、生後間もない動物を親から引き離して、隔離した状態で飼育することでどのような成長をたどるのかを調査した『カスパー・ハウザー実験』という研究もあります。
カスパー・ハウザーの存在は、フィクション作品だけではなく、発達心理学などの自然科学の分野にも影響を与えているのです。