角盈男(元プロ野球選手)の現在は?がん治療?スナック?妻や息子は?

元プロ野球選手である角盈男さんは、前立腺がんを患いましたが、現在の経過は良好ということです。角さんは離婚する時に慰謝料や養育費で、1憶円の借金をかかえましたが、今の妻の支えや協力もあって完済できたそうです。そんな角盈男さんについて調べました。

角盈男の現在は?がんで闘病?スナックを経営?

角盈男さんは、現在がんで闘病中ということですが、どんな状態なのか、また経営しているスナックについても調べてみました。

角盈男のプロフィール!

角盈男さんは、鳥取県米子市出身、1956年6月26日生まれの元プロ野球選手です。現在は62歳で野球解説者であり、タレントでもあります。パシフィックボイスに所属しています。

プロ野球球団の巨人時代の登録名は角三男で、長男は元野球選手の角一晃さん、次男がプロ野球ベースボール・チャレンジ・リーグ埼玉武蔵ヒートベアーズの監督、角晃多さんです。

角盈男は元プロ野球選手だった!

角盈男さんは、米子工業高校から三菱重工三原に入社後、1976年のドラフト3位で読売ジャイアンツから指名され、翌年に入団しました。

2009年に東京の恵比寿でスナック「m-129」を夫婦で経営!

角盈男さんは、現在東京の恵比寿で、スナック「m-129」を夫婦で経営しています。その店は2009年にオープンし、それ以来ずっと夫婦で切り盛りしてきました。

自身がオーナーを務めているこのスナックでは、角盈男さん自身、仕事がない日はよく顔を出しているといいます。年齢層は比較的高めらしく、客足が減っていくかもしれないと心配だそうです。

「m-129」という店の名前は、次男がかつて所属していた千葉ロッテマリーンの「m」と、入団時の背番号「129」に由来するそうです。子供を大事に思っている角盈男さんをよく表しています。

2014年6月のテレビ番組で前立腺がんを告白!

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角盈男さんは、2014年6月のテレビ番組に出演し、前立腺がんを告白しています。前立腺がんは、食生活の欧米化や高齢化などによって、年々増加傾向にあるそうです。

角盈男さんは、「自分自身の体験を公表することで、同じ病気で悩む人の役に立てればと思った」と話しています。

角盈男の治療経過は良好!

角盈男さんは、自身にがんが発見されたとき、治療の選択肢は2つありました。手術をするか、重粒子線による放射線治療かでした。

角さんは手術には入院が伴うため、仕事に支障をきたすのが嫌で、重粒子線による放射線治療を選択しています。ただ、この治療法にはホルモン療法が不可欠で、毎月の注射と毎日の薬を服用しなければなりませんでした。

角盈男さんは、その後知人から「トモセラピー」の情報を知り、トモセラピーは先進的な放射線治療法で、すぐにホルモン療法からトモセラピーの治療に切り替えて、後遺症もなくその後の経過も良好だそうです。

角盈男は現在では講演活動も行っている!

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角盈男さんは、スナックの経営のかたわら、講演活動にも忙しいそうです。一般企業向けの講演では「野球における組織論」「上司と部下の関係」などのテーマで講演しています。

また、一般人や学生たちには、「野球人としての人生哲学」「野球界ウラ話」、その他「子育て論」など、角盈男さんの講演は多彩なテーマとなっています。

角盈男さん自身、保険に入っていましたから、がん治療も医療費を心配することなく高額な治療を受けることができ、保険会社からの依頼も多いそうです。

角盈男は現在はブログやtwitterを更新している!

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角盈男さんは、ブログやTwitterをやっています。ブログは「盈男の三つ星ブログ」とうタイトルです。

この「盈男の三つ星ブログ」は2007年4月から頻繁に更新していて、最近では、3月27日にシャンパンを頂いたそうで、写真をUPしています。基本的に画像主体のようですが、たまに四字熟語を載せています。

Twitterのほうは、2015年7月に登録していて、内容的にはブログと同じで、日々のプライベートの事などを書いています。四字熟語が好きなようで、こちらは解説付きでUPされていてためになります。

角盈男の現在の画像は?

角盈男さんの現在の画像がこれですが、たいへん元気そうです。

角盈男の家族構成は?結婚した妻や子供は?現在は再婚?

角盈男さんの家族構成や、これまでの結婚歴、子供のことなどを調べてみました。

角盈男は社会人野球時代に最初の結婚も離婚!

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角盈男さんは、社会人野球をしている時に、最初の結婚をしています。その妻との間に子供も生まれていますが、最初の妻とは離婚しています。

離婚の原因などは明らかにされてなく、気持ちのすれ違いがあったようです。その後、大学教授の秘書をしていた現在の妻と出会って、30歳の時に再婚しています。

角盈男は前妻に慰謝料と養育費で1億円も?

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最初の妻と別れた時に、慰謝料や養育費などで、1憶円ほどの借金を抱えてしまったそうです。当時は本業の野球も不調で、酒浸りだったといいます。

その時は、生活も荒れていて「実は死のうと思っていた」と語るほど、深刻な精神状態だったそうです。

角盈男は30歳の時に大学教授の秘書の昌恵と再婚!

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角盈男さんは、30歳の時に大学教授の秘書の昌恵さんと再婚しています。昌恵さんは、借金返済のために、上京してやっと手に入れたマンションを売却するなどして、角さんに献身的に尽くしました。

また、角盈男さんの精神面でもサポートし、妻の協力もあってついに膨大な借金を全て返済することができたそうです。角さんは「もしこの人がいなかったら、現在の自分はない」と心から語っています。

角盈男は現在の妻との間に息子が2人いる!

角盈男さんは、再婚した妻との間に2人の息子をもうけています。長男は、独立リーグに所属していましたが、現在は会社員として働いています。

次男のほうは、プロ野球千葉ロッテの選手でしたが、現在はBCリーグの武蔵ヒートベアーズの監督をしています。

長男の一晃は選抜高等学校野球大会に出場!

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角盈男さんの長男の一晃は、1987年10月20日生まれの31歳です。元プロ野球選手です。

また一晃さんは、東海大相模高校に進学すると、内野手としてレギュラーになり、1年生で4番を務め、3年生の春には主将として、選抜高等学校野球大会に出場しています。

1年生で4番を務めたのは、原監督以来でした。

一晃は現在では野球を引退し、現場監督をしている?

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一晃さんは、その後白鴎大学へ進学しましたが中退しています。2007年にドミニカ共和国へ渡り、サマーリーグに参加していますが、そこでロサンゼルス・エンゼルスのスカウトの目に留まり入団しています。

その後2011年6月には、四国のアイランドリーグPLUSの香川オリーブガイナーズに入団が内定していましたが、不振だったため退団を告げられました。そして、2012年10月に引退を発表しています。

現在は、福島県の住宅建設会社・株式会社ウエルズホーム福島に勤務し、現場監督などをしているそうです。

次男の晃多は2008年に千葉ロッテに入団!

次男の晃多さんは、長男の一晃さん同様、父のもとで幼い頃から野球をしていましたから、角盈男さんのようにプロ野球選手として活躍するのが夢でした。

そんな晃多さんは、東海大相模高校時代から4番打者として活躍していました。2008年のドラフト会議では千葉ロッテマリーンズから育成選手3位で指名されて入団をしています。

2012年に支配下登録選手に昇格をしましたが、バッティングが売りだった晃多さんは、そのバッティングに苦しむようになります。成績不振により、2014年には千葉ロッテから戦力外通告を受けてしまいました。

晃多は現在は武蔵ヒートベアーズの監督をしている?

晃多さんは、その後も野球を諦めずにいましたが、2015年に埼玉県のプロ野球球団「武蔵ヒートベアーズ」への入団が決まりました。晃多さんは、シーズン途中からキャプテンに就任しています。

その後、2017年に現役を引退し、2018年シーズンからは、リーグ初の20代監督として抜擢されました。

角盈男の前立腺がんの治療法とは?300万円?がん保険?

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角盈男さんは、前立腺がんを患っていましたが、その治療法とはどんなものなのか、また費用やがん保険に関することを調べてみました。

角盈男のがん治療の重粒子線治療とは?

角盈男さんが、がん治療したときの重粒子線治療とは、どんなものなのかを調べてみました。

1回に300万円もかかる?

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角盈男さんは、2014年10月から千葉の重粒子医学センターで重粒子線治療をしていました。その重粒子線治療とは、最先端の治療法と呼ばれていて、1回の治療に300万円かかるそうです。

この重粒子線治療は、がん細胞を破壊するビームが、がん細胞にぶつかった場所で最大エネルギーとなり、がん病巣をピンポイントで攻撃できます。

重粒子線治療は、従来の放射線治療のように、がん病巣の周りの正常な細胞に障害を与えることがなく、がん病巣にピンポイントで照射できるため、身体への負担が少ない治療法です。

角盈男はがん保険の加入により負担がなかった!

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1回の治療で300万円もする重粒子線治療ですが、角さんは保険に加入していたこともあり、経済的な負担はあまりなく、この治療を受けることができたそうです。

この保険とは、がん保険や医療保険のオプションとして付けることができる「先進医療特約」というものです。

角盈男は保険会社から講演依頼も受けている?

現在、角盈男さんはスナックの経営と共に、講演活動も盛んに行っています。企業だけでなく、一般の人や学生に向けてテーマを分け、野球に関することだけではなく、子育てや組織論などについても講演しています。

また、角盈男さんの場合、がん保険に入っていたために医療費の心配することなく、高額の治療も受けることができています。そのため、保険会社からの講演依頼も多いそうです。

角盈男のプロ野球選手時代の活躍は?

角盈男さんは、1976年のドラフト3位で、読売ジャイアンツから指名を受けて入団しています。その後の角盈男さんのプロ野球選手としての活躍をみていきます。

1976年にドラフト3位にて読売ジャイアンツに入団!

角盈男さんは、プロ野球球団に入る前は社会人野球をしていましたが、1976年のドラフトでは、巨人軍から3位で指名を受け、1977年に正式に入団しています。

1978年には5勝7セーブにて新人賞を獲得!

入団して1年目の1978年に、5勝7セーブで新人賞を獲得しています。しかし、その翌年は、制球力の悪さなどが顕在化してしまい不調となりました。

しかし、その年のオフにサイドスローに転向したことで才能が開花し、球速は落ちたものの、課題だったコントロールがよくなったことから、頭角を現すようになります。

1981年に8勝20セーブにて最優秀救援投手を獲得!

フォームをサイドスローに転向したことで、制球力などの課題ができ、完投が期待できず先発投手としては活躍できませんでした。

しかし、変則的なフォームはバッターにとってタイミングが取りづらいため、抑えのエースとして早くから活躍するようになりました。

そして、1981年に8勝20セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得し、チームのリーグ優勝にも貢献しています。

1989年に日本ハムへ移籍も、1992年にはヤクルトに移籍!

角盈男さんは、1989年のシーズン途中で、左投手不足に悩んでいた日本ハムファイターズに無償トレードで移籍しました。

移籍後は、先発投手を務めたせいで、423試合連続リリーフのNPB記録が途絶えていますが、通算では43試合に先発し、3完投の成績を残しています。

その後、1992年に小川淳司選手との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍しています。ヤクルトスワローズでは、再びリリーフとしてチーム14年ぶりのリーグ優勝に貢献しています。

1992年に通算99Sにて引退!

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ヤクルトスワローズに入団して、14年ぶりのリーグ優勝に貢献した角盈男さんでしたが、通算99勝で同年に引退しています。

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