「求めよさらば与えられん」とは?誰の言葉?正しい意味は? 芸能人

「求めよさらば与えられん」とは?誰の言葉?正しい意味は?

「求めよさらば与えられん」、この言葉は聖書中に登場するキリストの言葉なのですが、正しい意味をご存知でしょうか。この記事では、この言葉の正しい意味や原文、英語での表記をご紹介します。実は仏教などの他の宗教にも、この言葉と同じような教えがあるのです。

目次

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名言?ことわざ?「求めよさらば与えられん」とは?本当なの?

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「求めよさらば与えられん」とは、どのような意味を持つ言葉なのでしょうか。

「求めよさらば与えられん」とは?新約聖書、マタイ福音書七章にある?

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「求めよさらば与えられん」という言葉は、多くの人が耳にしたことがあるのではないでしょうか。

この言葉は、新約聖書のマタイ福音書七章とルカ福音書11章に記述される、キリストの言葉です。

「求めよさらば与えられん」は誰に求めるの?

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この言葉において、「誰に求めるのか」というのが一番の問題なのですが、ここで求める相手となるのは「神」のみです。マタイ福音書、ルカ福音書共に、それを示す記述があります。

「求めよさらば与えられん」の意味は?誤解されがち?

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「求めよさらば与えられん」という言葉は、「神を求めれば、信仰が与えられる」というのが正しい解釈です。

これはすなわち、「物事が成就するためには、何かを与えられるのを待つのではなく、自ら積極的に求める姿勢が大切である」ということを説いているのです。

にも関わらず、「神様に祈れば、神様が何でも叶えてくださる」と間違えた解釈をしている人が多いのです。

「求めよさらば与えられん」で求めたものは与えられない?

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「求めよさらば与えられん」という言葉は、「求めたものが必ず与えられる」という意味ではありません。聖書にもそのような記述は一切ないのです。

「求めたものが与えられる」というよりも、「その人に最も適切なものが与えられる」という解釈が正しいでしょう。

また、後に詳述しますが、聖書には「求めたことが実現しない理由」についても記述があります。

「与えよ、さらば与えられん」の解釈は?

「与えよ、さらば与えられん」という言葉も、耳にしたことがある人が多いのではないでしょうか。

こちらの言葉は、「他人を救うことで自分も救われる」という意味での解釈が最も適切なようです。

あくまで、「何か見返りを求めて他人に手を貸す」のではなく、「自分の心が満たされる感覚」を大切にしましょう。

「求めよさらば与えられん」は本当?

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キリストは「どんなに悪い人間だとしても、自分の子供には良いものを与えたがるのだから、人間の父である神も求める者たちに良いものを下さるのは当然である」と説いています。

つまり神様は、自分の子である私たち人間に最善のものを与えてくださるのです。神様は、私たちにとって有害なものや不必要なものは与えません。

「求めよさらば与えられん」は、「何か特定のものを求める」というのではなく、正しい信仰をすれば「神様が必要だと思ったもの、最善のものを私たちに与えてくださる」ということなのです。

「求めよさらば与えられん」が実現しない?理由は?

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「求めたのに与えられない」ということはしばしばあるのです。その理由は、聖書に答えが隠されているのです。

求めているものが自分に合ったものではないから

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マタイ福音書には、以下の記述があります。

神聖なものを犬に与えるな。

また、真珠を豚に投げてやるな。

おそらく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたに噛みついてくるであろう。

(引用:『マタイ福音書』七章六節)

これはつまり、「貴重なものを価値のわからない者に与えても無意味である」ということを示しています。「豚に真珠」とはよく言いますが、その出典はまさにこのマタイ福音書なのです。

求めているのに与えられないという場合は、求めているものが自分には不相応である可能性があります。

求める相手が違うから

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先にも書きましたが、ここで求める相手は「神」のみです。神に何かを求め、それが結果的に他者を通じて願いが叶えられるということはあり得ますが、神を抜きにして、その願いが叶えられることはないのです。

求める動機が不純だから

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新約聖書のヤコブの手紙の中に、これに通ずる記述があります。

求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。

(引用:『ヤコブの手紙』)

自分の快楽のためだけに神に何かを求めるのでは、願いは叶わなくて当然なのです。

神と人間では価値観が違うから

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神と人間とでは価値観が違うというのも、「求めたものが与えられない」理由のひとつなのです。

というよりも、人間からすると「求めたものが与えられていない」ように見えてしまうという解釈が正しいでしょう。

願いに執着しすぎているから

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願いに執着するのは良くないこととされています。

先にも書いた通り、そもそも求めるものが自分に見合ったものでなかったり、動機が不純等の理由から与えられないこともあるのです。

求めたものが与えられない、願いが叶わないからと言って、人間の力で無理に願いを叶えようとすることは、良くない結果をもたらすでしょう。

まだ時期ではないから

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求めるものが自分の身の丈に合っていて、動機が不純ではなくても与えられないのは、「時期尚早」だからです。

先に「神と人間では価値観が違う」と書きましたが、それはこの理由にも繋がります。

つまり、「人間が求める」タイミングと、「神が人間に与えるべきであると思う」タイミングが異なるのです。神は、神が思う「ベストタイミング」で人間に与えてくださるのです。

妨害されているから

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「時期尚早」の場合と同じく、求める内容も動機も正しいものであるにも関わらず求めたものが与えられないのがこのパターンです。

つまり、神様もあなたに与えたいと思っているにも関わらず、サタン(悪魔)に邪魔をされることがあるのです。

このような場合には、あくまで神に求め続けることが大切です。神様もあなたに与えたいと思っているわけですから、いずれ神様がサタンの妨害を排除してくれることでしょう。

「求めよさらば与えられん」で与えられるためには?

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では実際に、「求めよさらば与えられん」で与えられるためには、どのようなことをすれば良いのでしょうか。

強く願う

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神様は、自分の子供である私たちが、「神様に対して必要なものを求める」ことを望んでいます。なぜならそれは、私たちに最善のものを与え、喜ばせたいからです。

また、神様は私たちに無理に押し付けるようなことはしないのです。「求めた者には最善のものを与える」というのが神様のスタンスなので、強く願うことは大切なのです。

正しく願う

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これは先にご紹介した通りです。求めるものが自分に見合うものか、また動機が不純ではないかというのは非常に大切なことです。

正しく願うことが出来なければ、当然与えられることはありません。

祈り続ける

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先にご紹介したように、サタンやその他のものが、神様と人間との間で障害となっている場合もあります。

もしサタンによる妨害に屈して求めることをやめてしまえば、神様も与えようと思っていたものを与えられなくなってしまいます。

時期に神様が障害となっているものを排除して与えるべきものを与えてくださいますから、その時までひたすら祈り続けましょう。

全てを捨てる

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「全てを捨てる」ことは、後に詳述する「何も求めない」ということと繋がります。

でも、「全てを捨てる」ことは難しいものです。そこで、このように考えてみましょう。「1番諦めたくないもの、すなわち命を諦める(捧げる)」のです。命を捧げることは、他のもの全てを捧げたことになるのです。

「命を捧げる」というのは、具体的に言うと「食を節する」ことです。過度な断食や絶食は必要ありませんが、10日間など、一定期間の断食は、「全てを捨てる」ということに繋がるのです。

何も求めない

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「求めよさらば与えられん」の正しい解釈は、「神を求めれば、信仰が与えられる」というものです。ここで言う「神を求める」とは、すなわち「何も求めないこと」を指すのです。

私たち人間には理解しがたいことかもしれませんが、神を求めるというのはそういうことなのです。

潜在意識にお願いする?

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「求めよさらば与えられん」という言葉は、すなわち潜在意識にお願いすれば実現するということを指しているとも言えます。

潜在意識というものには、「現在と未来との区別がつかない」という性質があり、つまり、夢が実現したことをイメージしていれば、潜在意識がそれを現実だと勘違いして、本当に実現に繋がることがあるのです。

潜在意識を活用するためにも、先に挙げたように強く願うことや祈り続けることは大切なのです。

「求めよさらば与えられん」の続きは?

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「求めよさらば与えられん」という言葉は多くの人が耳にしたことがあるでしょうが、これは聖書に記されたキリストの言葉であり、当然続きがあります。では、この言葉の続きはどのようなものなのでしょうか。

「求めよさらば与えられん」の続きは?

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「求めよさらば与えられん」は聖書に記されているキリストの言葉なので、当然その続きも存在します。ここではマタイ福音書七章七節から十二節をご紹介します。

マタイ福音書七章七節~八節

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求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。

誰であれ、求める者は与えられ、捜す者は見つけ、たたく者には開かれます。

(引用:『マタイ福音書』七章七節~八節)

求めることと同じく、「捜すこと」「(門を)たたくこと」を例に挙げて、「自ら積極的に求めること」の重要性を説いています。

マタイ福音書七章九節~十一節

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あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、誰が石を与えるでしょう。

また、子が魚を下さいと言うのに、誰が蛇を与えるでしょう。

してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良いものを与えることを知っているのです。とすればなおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

(引用:『マタイ福音書』七章九節~十一節)

「どんなに悪い人間であっても、自分の子どもには良いものを与えたがるのだから、父である神が子である私たちに、最善のものを与えないはずがない」ということを説いています。

マタイ福音書七章十二節

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それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。

(引用:『マタイ福音書』七章十二節)

ここでの「律法と預言者」という言葉は、旧約聖書全体を指すのに使われるものです。

すなわちキリストは、「自分がしてもらいたいことを、他の人にもしなさい」という教えが、数多くある聖書全体の教えを要約した、極めて重要な教えであると語ったのです。

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