飛龍革命とは?藤波辰爾の滑舌の悪さが話題になっている? おもしろ

飛龍革命とは?藤波辰爾の滑舌の悪さが話題になっている?

飛龍革命とは、かつて新日本プロレスで藤波辰爾がアントニオ猪木に対し訴えた革命を意味します。その際のビンタの応酬やセリフ、藤波が前髪を切る場面が話題になり、その後ものまねで取り上げられたりしました。飛龍革命とはどういうものだったのでしょうか。その真相に迫ります。

目次

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飛龍革命とは?藤波辰爾の滑舌の悪さが話題に?

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最近ではものまねや、お笑い番組で取り上げられることも多い飛龍革命ですが、飛龍革命とは、どういったことを意味するのでしょうか。

藤波辰爾の滑舌が悪いことといったい何の関係があるのでしょうか?

飛龍革命の意味は?

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飛龍革命とは、プロレスラー藤波辰爾が、師であるアントニオ猪木に対して、トップの座を譲るよう訴えたことに端を発した一連のムーブメントを意味します。

ことの発端は1988年4月22日、沖縄県の奥武山公園体育館で起こります。試合後の控え室で藤波辰爾がアントニオ猪木に対して、現状の問題を批判し、トップの座を後進に譲るよう迫ったのです。

藤波が師である猪木に激しく訴えかけ、ビンタの応酬、藤波が自らの前髪を切り始めるなど非常に緊迫した雰囲気の中にありました。

藤波辰爾がアントニオ猪木に訴えた内容とは?

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藤波は猪木に対し自らが抱く危機感をぶつけることで、本来の闘いからどんどんずれていく団体の方向性や、在り方を問いました。自分の気持ちをぶつけると同時に、ファンの気持ちも代弁したと言っても良いでしょう。

藤波にとって、猪木は絶対的な存在であり、常に背中を見続けていた人でした。藤波は初めてその猪木に対し、批判という形で思いの丈をぶつけました。猪木の抱える問題を突き付け、自分に任せろと言い放ったのです。

絶対的なトップに猪木が君臨し続けることで団体としては頭打ちの状態にあり、藤波は自分たちが居ながら何も出来ない歯痒さを感じていたのです。それが飛龍革命という形で表われたのでしょう。

藤波辰爾の活舌が悪くて聞き取れない?

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確かに、あらためて聞いてみると聞き取れないことの方が多いようです。しかし、藤波が猪木に対して募らせた危機感を爆発させる姿は、当時のプロレスファンの胸には迫り来るものがあったはずです。

同じ思いを持った者同士は、言葉を超えたところで理解し合い、気持ちを共有出来るのです。それは猪木も同じだったのではないでしょうか。

飛龍革命の実際の様子は?

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普段は温厚な性格と言われる藤波が師匠である猪木に対し、気持ちをぶつけています。さすがの猪木も藤波のただならぬ気迫に気押されているのがわかります。

試合後の控え室というのが妙に生々しく、何とも言えない緊迫感がありました。画面越しに伝わる不安感は、当時の新日本プロレスの置かれた状況を物語っていたのでしょう。

ユリオカ超特Qによる飛龍革命のものまねが話題に!

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ユリオカ超特Qが飛龍革命のものまねをしているという噂をよく耳にします。同時に「モイスチャーミルク配合」というワードを聞きますが、いったい何のことなのか、とても気になります。

藤波は「モイスチャーミルク配合」と言っていた?

飛龍革命の際、猪木にビンタされた藤波が、さらに猪木にビンタを返した時に何らかの言葉を発しています。何と言っているのか解読出来る人は稀だと思われますが、ユリオカ超特Qはある説を唱えています。

ユリオカ超特Qによれば、藤波はこの時「モイスチャーミルク配合」と発しているそうです。確かに、そう言われるとそのようにしか聞こえなくなってきます。さすが「日本一飛龍革命をリピートしている」だけあります。

アメトーーク!でのユリオカ超特Qと有田のやり取りが話題に

アメトーーク!では、ユリオカ超特Qは猪木に扮した有田哲平とともに、飛龍革命のモイスチャーミルク配合のセリフの部分を再現しています。

さらに有田は猪木のタイガー・ジェット・シンへの腕折りの話を持ち出し、腕を折っても「これがプロレスだ」と言っていた男が「待て、待て、待て」と唯一突っ込んだのが藤波が前髪を切ったところだったと応戦します。

ユリオカ超特Qの藤波のものまねは?

ユリオカ超特Qによる藤波辰爾のものまねは、藤波の独特の鼻声と、何を言っているのかわからないところまで忠実に再現されており、藤波が憑依しているのではと思うほどです。非常に完成度は高いと言えましょう。

ユリオカ超特Qと言えば、プロレス好きとしてよく知られる芸人でもあります。藤波のものまねは、こだわりと愛情の結晶とも言えるのではないでしょうか。

しかし、さすがの飛龍革命のものまねの第一人者と言えども、見れば見るほどわからなくなる謎多きセリフもあるようです。

飛龍革命のものまねは「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」にも登場

https://www.youtube.com/watch?v=xlngsg5EIAU

ユリオカ超特Qは「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」にも出場し、飛龍革命のものまねを披露しています。アントニオ猪木役の直井たかしとともに飛龍革命を忠実に再現しており、完成度はかなりのクオリティです。

飛龍革命のものまねは21:18頃からになります。

藤波辰爾のセリフ全文!ビンタするシーンも?

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さて、気になる飛龍革命の内容についてですが、セリフを書き起こしたものから流れを要約してお送りします。

問題の場面は、猪木・藤波VSマサ斎藤・ベイダーの試合後の控え室で起こります。この日の試合は良いところがなかった猪木を庇った藤波がフォール負けを喫していることから、藤波の鬱憤が爆発したものと思われます。

ベイダーとの2連戦を控える猪木に対し、藤波はベイダーとのシングルマッチを自分にやらせるよう要求しています。

飛龍革命のセリフ書き起こし

藤波は、自分をベイダーと対戦させるよう切り出します。ベイダーとの2連戦を控えていた猪木に対していい加減自分に任せろと言い、俺らは何なんだと詰め寄ったのです。そして自分のやりたいようにやると宣言します。

しばしの沈黙の後、猪木は藤波に対し、本気なのか、命を懸けることが出来るのかと問います。さらに、もちろん本気だと、これが何年続くのかと思わず漏らす藤波に、だったらぶち破れと応戦します。

さらに猪木は、自分は前から遠慮するなと言っている、リングでは闘いなんだから先輩後輩もない、遠慮されても困ると続けますが、藤波は遠慮していたのではなく、これが新日本プロレスの流れだったと反発します。

藤波が髪を切った理由は?アントニオ猪木が「待て待て待て」

猪木はじゃあ力でやれ、本当にやれるのかと何度も念を押しますが、藤波は一歩も引かず、ここで一発ずつビンタを張り合います。

そして、決意の変わらない様子の藤波はおもむろに救急箱からハサミを取り出し、猪木が止めるのも振り切り前髪を切り始めます。こんな状態では客は喜ばない、自分が思うようにやれるのならば負けても本望と言います。

猪木もついに根負けした様子で言います。ならば遠慮するな、何にも言わない、やるのならばやれと。藤波も大阪で進退を賭けてやる、だったら良いだろうと呼応します。これが一連の飛龍革命の流れです。

音声字幕付き動画も

飛龍革命の様子を収めた動画の中には、字幕付きのものも存在します。何を言っているかセリフを確認しながら見てみると、藤波が前髪まで切って猪木に直談判した意味がわかるかも知れません。

飛龍革命が起こった背景とは?どうして飛龍革命が起こったの?

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飛龍革命として、藤波が猪木に対して思いをぶつけるに至るまでには、いったいどのような経緯があったのでしょうか。その流れを追ってみたいと思います。

飛龍革命が起こった背景は?当時の新日本プロレスの状況は?

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飛龍革命が起こった背景として、この時の新日本プロレスの状況を抜きにしては語れません。その当時の新日本プロレスは、長年続いたゴールデンタイムのTV放送から撤退したばかりで低迷ムードが漂っていました。

さらに、海賊男やたけしプロレス軍団による乱入など、良い試合が見たいという観客のニーズを無視した流れがひんしゅくを買うことになり、団体としては空回りを続けていたのです。

そんな中で、猪木は次第に求心力を失っていくことになりますが、それでも団体のトップに君臨し続けるという、一種不自然な状況にあったとされています。

飛龍革命が起こるまでの経緯①:天龍革命

時を同じくして、新日本プロレスと並ぶ老舗団体の全日本プロレスでは、天龍源一郎率いる天龍同盟が活躍していました。盟友・阿修羅原らとともに、激しい闘いを繰り広げていたのです。

天龍革命は、長州力が新日本プロレスに復帰したことに端を発し、危機感を募らせた天龍が全日本プロレスの活性化を図るために決起した革命です。地方でも決して手を抜かず、容赦ない攻めを見せていました。

天龍革命は全日本プロレス内のみならず、プロレス界全体にまで影響を及ぼしたとされています。この天龍革命に対し、藤波の起こした革命は飛龍革命と呼ばれます。

飛龍革命が起こるまでの経緯②:前田日明顔面蹴撃事件

1987年11月19日、前田日明率いるUWF軍と長州力率いる維新軍の6人タッグマッチの中での出来事です。木戸修にサソリ固めをかける長州に対し、前田が行ったカットの蹴りが顔面に入ったことで起こりました。

あくまで事故であり、全日本プロレスでの天龍の輪島への攻撃に対抗するため行ったと前田は主張しましたが、長州の怪我が大変深刻であり「プロレス道にもとる」とした猪木が前田に解雇処分を下してしまいます。

これにより前田は新日本プロレスを去り、その後第二次UWF旗揚げに至ります。長州らジャパンプロレス勢の復帰などさまざまな状況が重なって起きた出来事でしたが、団体の人気に影を落とす要因にもなりました。

飛龍革命の時、アントニオ猪木は様々な問題を抱えていた?

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当時、アントニオ猪木は、リング上だけにとどまらず、さまざまな問題を抱えていました。

倍賞美津子との離婚や、さらにはブラジルで展開していたアントンハイセルの事業の破たんと巨額の借金の問題があり、この事業の失敗は新日本プロレスの経営にも影を落としていたとも言われています。

その後、借金問題がもとでクーデターが起こり、多くのレスラーの離脱に繋がったとされます。藤波は、ボロボロの状態にあった猪木に対して危機感を募らせました。そのやりきれない思いが飛龍革命の原因だったのです。

飛龍革命は世界三大革命?

年長者が居座ることで下の若い世代のポストに空きがなく、頭打ちになる状態というのは良くあることです。一般社会ではもちろん、封建的な学者のような世界では特にその傾向が強いようです。

その年長者に対し、若い者を信頼して後進に道を譲るよう促す声も聞かれます。そんな他力本願な人を例に取り、もっと気概を持ち、藤波のように自ら勝ち取って欲しいと苦言を呈する人もあります。

年長者たちも自ら身を削りながら地位を掴み取って来ました。いつの世もどんな業界でも同様、藤波のような気概で勝ち取るべきなのです。フランス革命、産業革命と飛龍革命が世界三大革命に並ぶ日も近いことでしょう。

飛龍革命のその後は?藤波辰爾はアントニオ猪木と師弟対決に?

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沖縄での一件の後、猪木は左足甲骨折というアクシデントに見舞われたために新設したIWGPの初代王座の返上を余儀なくされます。

このまま猪木の時代は終焉を迎えてしまうのでしょうか。IWGP王座の行方は?飛龍革命はその後、どのような顛末をたどるのでしょうか。

飛龍革命のその後は?藤波辰爾はIWGPチャンピオンに?

藤波は5月8日の有明コロシアム大会のIWGP王座決定戦に臨み、ビッグバンベイダーから反則勝ちという形で辛いながらも勝利を奪い、IWGPの王座に就きました。

その後、長州と防衛戦を行うも負傷し王座を返上することとなりますが、再度長州と戦い、ベルトの奪取を図ります。こうしてIWGPは、再び藤波の元に返ったのでした。

藤波辰爾とアントニオ猪木は師弟対決へ?

一方、猪木は負傷から復帰後、5人によるリーグ戦を勝ち抜いて、藤波への挑戦権を勝ち取ります。そして1988年8月8日、横浜文化体育館で王者・藤波に挑戦者・猪木という今までにない図式での対決となりました。

猪木が負けたら引退、誰が言い出した訳でもありませんが、完全にそのような空気に包まれていました。両者は一歩も引かずに持てる技、力の全てを出し切ります。そこには一瞬も目を離せない光景がありました。

試合はストロングスタイルの真髄とも言える内容で、両者ともに60分フルタイムを闘い抜きました。勝敗はドロー、決着こそ付かなかったものの、事実上藤波が猪木を越えたことに値するものでした。

猪木はその後引退した?

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猪木は愛弟子を認め、猪木の手によってベルトが藤波の腰に巻かれました。リングを後にした猪木は「もう悔いはない」と言い切ったと言われます。

猪木が引退するのはこの時から10年経過した後ですが、事実上、猪木はこの試合から一線を退いてはいます。

飛龍革命について、後から藤波辰爾が語った内容とは?

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さまざまな問題を抱えていた猪木を見兼ね、自分の活躍で活路を見出したかった藤波ですが、うまくいかずにイライラを募らせます。一連の行動は、猪木の負担を減らしたいという思いから突発的に出たのだと言います。

そこには、UWFに行った前田や全日本に行った長州に対する焦りや、もどかしさもあったのでしょう。そして藤波は、何かを変えたいという思いから、たまたま目に入ったハサミを衝動的に手に取ったのです。

なぜ前髪を切るという行動に出たのかもわからないと藤波は言います。自分の奥底から湧き上がる思いに突き動かされた末の行動、まさに革命だったのです。

飛龍革命はアングルだったのか?

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関係者の誰かが正式に語ったという訳ではないので、アングルが存在したかどうかは定かではありません。しかし、おおまかな流れがあったというのが大筋の見方ではないでしょうか。

あるとすれば猪木が第一線から退く、藤波の天下取りあたりのアングルではないかと見られています。

ただその中で、藤波による猪木への必要以上に強烈なビンタと、前髪を切る行為は予測出来なかったものであり、激高して言葉にならない感じも心から思わず溢れ出たように見受けられます。

藤波辰爾の新日本プロレスでのその後は?

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飛龍革命以降、藤波は新日本プロレスにおいて名実ともにエースの座に就くことになります。

10月にはザ・グラップラーを破りNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座、12月にはケリー・フォン・エリックを破りWCWA世界ヘビー級王座を奪取することで、三冠王者となります。

その後、アメリカなどでもIWGPヘビー級の防衛を行うなど順調に見えたものの、翌1989年6月22日、ビッグバン・ベイダーとのシングル戦で腰を負傷、1年3か月に渡る長期欠場を強いられることとなります。

藤波辰爾とは?経歴は?アントニオ猪木に憧れてプロレスへ?

藤波辰爾は1953年12月28日、大分県の国東郡に生まれ、中学生の時にアントニオ猪木に憧れてプロレスラーを目指します。一旦は地元で就職しますが、夢を捨てきれず日本プロレスに入門を果たします。

その後、猪木とともに新日本プロレスの旗揚げに参加し、現在の地位の礎を築いていきます。ジュニアヘビーブームを経て、ヘビー級に転向後も数々の名勝負を繰り広げ、プロレスを語る上で欠かせない存在になります。

一時は腰痛のために長期の欠場を強いられたこともありましたが、60歳を過ぎた今でも現役で、未だその闘志は衰えることを知りません。

鑑これの藤波とは?右前髪が短いのは飛龍革命と関係ある?

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「艦隊これくしょん」は、艦これの愛称で知られる人気ゲームです。艦これは、艦むすと呼ばれる軍艦を擬人化したキャラクターを集めて戦いますが、この艦むすの中に藤波というキャラクターが登場します。

しかしこの藤波、名前が同じだけでなく、前髪が右側だけ短くなっているのです。どうやら飛龍革命の際に藤波が前髪を切ったことのオマージュのようで、藤波辰爾への愛情が感じられるキャラクターになっています。

ちなみに、艦むすの中には天龍というキャラクターも存在するようです。

藤波の性格はプロレス人生においてどのように影響したのか?

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藤波の性格は天然で温厚と言われています。そのエピソードは枚挙にいとまがありませんが、それも全て許されて来た印象があります。

その性格が藤波のプロレス人生でどのように影響したのでしょうか。紐解いて行きたいと思います。

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