メアリーセレスト号事件とは?概要は?嘘も?乗組員失踪の真相は? 社会

メアリーセレスト号事件とは?概要は?嘘も?乗組員失踪の真相は?

航海史上最大の謎「メアリーセレスト号」事件。1872年にポルトガル沖で発見されてから140年以上経った今も都市伝説化して語り継がれています。発見された当時船員はおらず、食べかけの朝食が残されていたと言われています。そんなメアリーセレスト号事件の真相に迫ります。

目次

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メアリーセレスト号とは?幽霊船?事件の概要は?

発見時の様子から、実在した「幽霊船」とも呼ばれているメアリーセレスト号。この不可解な事件については諸説あります。まずは発見当時の記録から探ってみましょう。

メアリーセレスト号とは?

1861年スペインで建造された「アマゾン号」は所有者が数回変わり、1869年に「メアリーセレスト号」と改称されました。全長は約31メートル(103フィート)、282tの帆船です。

メアリーセレスト号事件の概要は?無人で漂流していた?

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1872年12月5日(4日とも言われている)、デイ・グラッツィア号のモアハウス船長によりポルトガル沖で漂流しているところを発見されました。

モアハウス船長はメアリーセレスト号のブリッグズ船長と友人だったこともあり、詐欺の嫌疑で海難裁判にかけられました。裁判ではデイ・グラッツィア号の一等航海士デボー氏が発見時の様子を証言しています。

  • 甲板の浸水がひどく、船倉には3フィート(約1.1m)に渡って海水が侵入
  • ポンプは1基を除く全てが操作不能
  • 六分儀、クロノメーター、救命ボートが見当たらない
  • 全体の損傷は見られず、船を放棄するほどの被害はない
  • 暴力や破壊の形跡はなし
  • 食料や衣服などは十分にある状態
  • 積荷の工業用アルコール1700樽のうち、破損した9樽だから中身が流出
  • 航海日誌の最後の日付は11月24日、「アゾレス諸島の西方160航行中」と書かれていた

(引用:スピリチュアルコネクト)

メアリーセレスト号の積荷や目的地は?乗組員は?

メアリーセレスト号には工業用アルコール1700樽が積まれており、ニューヨークからイタリアのジェノヴァへ向けて出航しました。乗組員は船長含め10人、船長の妻と2歳の娘も乗船していたのです。

発見当時船荷はアルコール1700樽のうち9樽のみ空っぽで、その他の樽や船荷(食料や衣類など)は無傷のまま残されていました。

メアリーセレスト号にはいろいろな噂が?

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発見当時の状況など不可思議なことが語り継がれているメアリーセレスト号については、嘘か誠か様々な噂があります。謎が謎を呼び、オカルト的に言い伝えられていることも多いようです。

メアリーセレスト号は元々いわくつきの船だった?

先に説明したようにもとは「アマゾン号」として建造された船でしたが、建造当初から事故が多発していたと言われています。詳細は不明で実際に何が起きていたのか今となっては調べる余地もありません。

船舶にまつわる迷信は昔から多くあり、時代背景も相まって「いわくつき」となったのかもしれません。

メアリーセレスト号事件には不可解な噂もあった?血痕に温かいコーヒー?

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発見当時、船長室のテーブルには食べかけの朝食と温かいコーヒーが残されていたと言われています。また調理室には火にかけたままの鍋、船員の部屋にはシチューやチキンが食べかけのまま残されていたと噂されました。

そして船内の3つの手すりには血痕があり、一つの手すりには説明しがたい引っ掻き傷が残され、船長の寝台の下には血の付いたナイフが残されていたとも言われています。

メアリーセレスト号事件にはその他にも噂が!

船長の妻と娘が航海中に事故で亡くなったことにより船内でトラブルが起きて船長が自殺した、実は発見当時乗組員はいたが事件の発覚を恐れて誰もいなかったと発表した、などという噂もあります。

しかしどれも噂でしかなく、事実と異なる脚色された物語として広まったようです。

メアリーセレスト号事件の真相は?どうして無人だったの?

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都市伝説的な噂も多いメアリーセレスト号ですが、最大の謎は無人で発見されたということです。事件か事故か、いったい船の中で何が起きていたのでしょう。いくつかの仮説を検証して真相に迫ってみましょう。

メアリーセレスト号事件の真相は?①:船長達の共謀説

メアリーセレスト号のブリッグズ船長とデイ・グラッツィア号のモアハウス船長は友人でした。それゆえ海難救助料を手に入れるための詐欺(保険詐欺のようなもの)ではないかと共謀説が出てきました。

しかし、ブリッグズ船長の高潔な人柄やメアリーセレスト号の売却益が海難救助料よりも高いことなどから共謀説は否定されることとなりました。

メアリーセレスト号事件の真相は?②:樽のアルコールが爆発?

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一部の樽からアルコールが漏れ、船倉内にアルコール臭と霧が立ちこめたため、それまでアルコールを運んだ経験のなかったブリッグズ船長が慌てて全員に救命ボートに乗るように命じ、結果遭難したということです。

後に船倉の縮小模型を用いて行われた実験の結果が発見時に近い状況、「燃焼温度が低く焦げた跡などが残っていない」「船荷が無事だった」ことなどから、諸説ある中でこれが最も有力な説とされています。

メアリーセレスト号事件の真相は?③:海賊が襲撃?

海賊またはメアリーセレスト号を発見したデイ・グラッツィア号の船員による襲撃との説もあります。それならばなぜ船荷は無傷で残されていたのでしょうか?誘拐につきものの身代金の要求もありませんでした。

また船内に争った形跡が無かったという反証も存在していることなどから、海賊襲撃説には疑問が残ります。

メアリーセレスト号事件の真相は?④:自然災害?

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発見当時船体がびしょ濡れだったとの証言から水上竜巻に遭遇した、嵐により遭難したなどとも言われていますが、メアリーセレスト号には損傷がほとんど無く、船を放棄するほどの状態ではなかったとされています。

仮に強大な竜巻が起きたとすれば船は甚大な被害を受けることになります。漂流していたメアリーセレスト号をジブラルタルまで航行できたということからも船が航行不可能になるほどの災害があったとは考えにくいです。

メアリーセレスト号事件の真相は?⑤:麦角菌?

食料として持ち込まれたパンに麦角菌が付着していて、それを食べた船員たちが中毒を起こしパニックになり、幻覚症状などから海に飛び込んだという説もあります。しかし全員が同時に発狂し海に飛び込むでしょうか?

そしてデイ・グラッツィア号の船員も残されていたパンを食べたそうですが異常はなかったということからも、麦角菌による集団パニック説は信憑性が低いと言われています。

メアリーセレスト号事件の真相は?⑥:乗組員の暴動?

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船員の間で暴動が起き殺人事件へと発展し、海に投げ出されたり救命ボートで逃げ出したが遭難したといった説もあります。昔の船では船員同士で殺し合い船長の座を奪うといったこともよくあったそうです。

しかしブリッグズ船長は信心深く高潔な人物として知られており、他の船員たちもとても評判が良かったことから乗組員による暴動が発端とは考えづらいです。

メアリーセレスト号事件の真相は?⑦:超常現象?

メアリーセレスト号が都市伝説化するにつれ唱えられるようになったのが、「巨大なタコにより海に引きずり込まれた」「UFOに誘拐された」「バミューダトライアングルにのまれた」などという超常現象説です。

このような超常現象説は未解決怪事件にはつきもので、時間の経過とともに脚色された話でしかないと考えられています。

メアリーセレスト号事件の真相は?⑧:何らかの陰謀?陰謀論

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何らかの陰謀とでも言わなければ説明のつかないようなメアリーセレスト号事件。しかし陰謀論を裏付ける有力な情報は無く現在に至ります。

この手の未解決事件には必ずと言っていほど陰謀論が出てきます。謎に対する明確な答えが無いためにそれを補うかのように陰謀論がささやかれ始めるようです。

メアリーセレスト号事件のその後は?

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たくさんの謎を残し姿を消した船員たち。一人残らず海へと沈んでしまったのでしょうか。生き残った船員の証言や事件後に漂着した救命ボートと遺体など、後日談を頼りに真相へと迫ります。

メアリーセレスト号事件には生き残りが?

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メアリーセレスト号が発見されてから40年後、アベル・フォスダイクという人物が自分はメアリーセレスト号の生き残りだという文書を発表しました。

フォスダイクは教養のある人物であり、ブリッグズ船長とは友人関係にあったそうです。何らかの理由で密乗者だったために乗客名簿には名前が無く、事件当時にその存在は知られていませんでした。

生き残りが発表した「フォスダイクの文書」とは?本当なの?

フォスダイクの文書は彼の死後、友人のハワード・リンフォードが発見し1913年にストランド・マガジンに掲載され脚光を浴びます。日記形式の文書には事故と不運が重なった奇妙な出来事が綴られていました。

  • 出航前にデッキに特設高台が設けられた(船長が妻と娘のために大工に作らせた)
  • ブリッグズ船長が「服のまま泳げるか」という悪ふざけを船員たち数人としていた
  • フォスダイクや船長の妻と娘、残りの船員たちは高台でそれを見物していた
  • 泳いでいた船員たちがサメに襲われ、見物していた船員たちも高台が壊れて海に投げ出された
  • フォスダイクは偶然デッキの破片の上に落下したが、他のものは皆サメに襲われてしまった
  • その後フォスダイクは数日間漂流し、アフリカの海岸に漂着した

文書の中で船の大きさや船員たちの国籍など事実と異なる点が多く記されており、また彼自身の乗船記録がないことの理由が都合よすぎるなどという批判もあります。

ただフォスダイクは生前誰にもメアリーセレスト号について語ることはなかったそうです。文書の発表は名声や富のためとは考えづらく、真意については不明のままです。

「四次元の科学」という本にも生き残った船員の話が!

イギリスの海洋小説家ローレンス・J・キーチングという人物がメアリーセレスト号の生存者から聞いた話というのが斎藤守弘という人の「四次元の科学」という本で紹介されています。

  • メアリー・セレスト号は経済的に困窮しており、積荷を積んだ後、数人の水夫に逃げられてしまった。
  • そこで近くにいたデイ・グラシア号の水夫を3人借りて出港した。
  • ところが航海途中、船長夫人が横揺れしたピアノに押し潰されて死亡。船長も悲嘆のあまり海に身を投げてしまう。
  • 残された船員達は自分達が船長夫妻を殺したと思われることを恐れ、アゾレス諸島のサンタ・マリア港に入港し姿を消す。
  • メアリー・セレスト号に残ったのは料理番のペンバートン青年と、デイ・グラシア号から来た3人のみ。4人はデイ・グラシア号の後を追い、4日目の朝追いつく。その時、メアリー・セレスト号の中では朝食ができあがっていた。
  • デイ・グラシア号の船長は経緯を聞くと、無人船を救援したことにして賞金を得ようと画策。ジブラルタル入港後、メアリー・セレスト号の4人の乗組員の存在を秘して、その他はありのまま報告する。できあがっていた朝食の事も……。

(引用:NAVERまとめ)

一見筋が通っているようにも思えますが、よくよく検証してみるといくつも矛盾点が浮かび上がってきます。

メアリーセレスト号を発見したデイ・グラッツィア号の船員は「朝食はなかった」と法廷で証言しています。名簿にも料理人はエドワード・W・ヘッドという名の人物で、ペンバートンの名はどこにもありませんでした。

メアリーセレスト号事件のその後?スペインに救命ボートが漂流?

1873年スペイン沿岸に2隻の救命ボートが漂着したと報じられました。1隻にはアメリカ国旗と1人の遺体、もう1隻には5人の遺体がありました。

ただ残念なことに2隻のボートも遺体や残留物も全く調査されることがなかったと言われています。この時に詳しく調査が行われていたら、もしかしたら真相解明できていたのかもしれません。

メアリーセレスト号を発見したデイ・グラツィア号乗組員のその後は?

デイ・グラッツィア号の船長と船員たちはメアリーセレスト号をジブラルタルまで航行しました。海難救助料をもらえると思っていた彼らを待ち受けていたのは法廷でした。

その後の調査で海難救助料詐欺の疑惑は払拭されたものの、今度は海賊行為などの不正行為を疑われてしまいました。裁判の末報酬を手に入れますが、相場よりも相当低い額だったということです。

メアリーセレスト号の事件のその後の行方は?

メアリーセレスト号は事件の後売却され、所有者が何度も変わりました。最後の所有者が保険金目当てで船をハイチ沖に沈めようとしましたが失敗し遺棄されたということです。

そして2001年にメアリーセレスト号の一部が海底に沈んでいるのが発見されました。数々の謎を残したまま沈みゆく船はどこかロマンチックなところもあり、都市伝説化に花を添えているような感じすらします。

メアリーセレスト号の事件は脚色されて広まった?

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アメリカとイギリス両国を巻き込み論争が繰り広げられましたが、メアリーセレスト号の乗組員は誰一人として見つかることはありませんでした。そして時間の経過とともに忘れ去られてしまうのです。

しかし、事件から時間が経つにつれ真相とは程遠い嘘を含む脚色された内容で広まっていきます。

事件の噂、謎の血痕や温かいコーヒーは嘘?

「船荷の水や食料が残されていた」という証言が、この事件のミステリアスさゆえいつの間にか「温かいコーヒーや食べかけの朝食が残されていた」と伝えられるようになったようです。

また船長室の寝台の下のナイフは血痕ではなく、錆びて赤茶色だったために血痕に見えたということで、手すりの血痕についても信憑性は低くなります。

コナン・ドイルの小説の影響だった?

1884年事件が忘れ去られた頃、デビュー前のコナン・ドイルがこの事件を題材とする小説を発表しました。「J・ハバカク・ジェフスンの遺言」というタイトルでコーンヒル・マガジンに匿名で投稿し掲載されました。

物語はかなりの部分で創作を含んでいましたが、いくつかの新聞では事実として取り上げられてしまいました。そのことによりメアリーセレスト号事件が再度脚光を浴びることになったのです。

NEXT:メアリーセレスト号事件を元にした映画「メアリー・セレストのミステリー」
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