比丘尼とは?尼のこと?有名な八百比丘尼伝説とは?実在したの? 占い・スピリチュアル

比丘尼とは?尼のこと?有名な八百比丘尼伝説とは?実在したの?

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比丘尼という地名がある?比丘尼の名前がついた公園や橋、交差点、坂も!

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比丘尼という名がついた地名がいくつかあります。ここでは公園や橋、交差点などについてご紹介します。

有楽町には比丘尼橋が!

東京有楽町には比丘尼橋跡が存在しています。現在は橋はありませんが、京橋川にかかっていました。かの有名な浮世絵師歌川広重の江戸百景「びくにはし雪中」にも描かれています。

比丘尼橋の名前の由来は、この近くの寺に尼が住んでいたが失恋したショックで、橋から身投げをしたからと言われています。他にも「比丘尼」という売春宿があったからともいわれていますが正確には分かりません。

練馬区に比丘尼というところがある?びくに公園

比丘尼公園は大泉インター近くの練馬区三原台にあります。テニスコートもあり、スポーツを目的とした公園です。名前の由来は分かっていませんが、比丘尼橋の近くであることから、なのかもしれません。

比丘尼交差点も存在?

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比丘尼交差点も橋や交差点に近く、練馬区にあります。比丘尼橋に近いためにこの名前がつけられたのだろうと考えられています。

比丘尼坂もあった

比丘尼坂は新宿区元塩町にあります。全長85mの緩やかな坂です。名前の由来は、この近くにあった尾張家の屋敷に、尼と思しき剃髪姿の老女が住んでいたから、と言われています。

比丘尼は小説にも登場?元になった二人比丘尼とは?

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比丘尼は尾崎紅葉作の小説にも登場しています。タイトルは「二人比丘尼色懺悔」です。今回は元になった仮名草子と共にご紹介します。

二人比丘尼という仮名草子も知られている?

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小説二人比丘尼色懺悔の元になっているのが、1600年代ごろ書かれた仮名草子「二人比丘尼」です。夫が戦死した未亡人が、同じような境遇の美人女性と出会いますが、その彼女もすぐに死んでしまいました。

その遺体が引き取り手もなく放置され腐っていくのを見た未亡人は、世の無常をさとり出家するのでした。2人の女性を通して仏教の心理を描いた作品です。

比丘尼が登場する小説:二人比丘尼色懺悔

1945年11月に発表された小説「二人比丘尼色懺悔」。ひょんなことから出会った2人の未亡人が、過去の悲しい懺悔を始めます。さらなる偶然か、2人は同じ武士に恋をしていたことも判明します。

尾崎紅葉の出世作とも呼べる作品です。政治小説が多い時代に、女性の情緒や純粋さを描き上々の評価を得ました。

不老長寿の秘薬は富士山に?竹取物語と始皇帝

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地位も名誉も手に入れた成功者たちが最後に欲しいものと言えば「不老不死、不老長寿」でしょう。中国・秦の始皇帝も全てを手に入れ残るは「不老長寿の秘薬」だけでした。その秘薬が富士山にあるというのです。

竹取物語の中に不老不死のヒントが

竹取物語の舞台は駿河であり、現在の富士市にあたります。物語ではかぐや姫が月に帰る前、帝に不老不死の秘薬を授けます。しかし生きる気力の失せた帝は富士山へ入り、その秘薬を焼いてしまいます。

この時から富士山は不老不死の山となり、不死山と呼ばれるようになりました。現在は漢字だけが変えられています

秦の始皇帝は不老長寿を求めた

ところ変わって秦の始皇帝のお話です。彼は中国統一を果たすと不老長寿の秘薬を探し始めました。そんな中部下の徐福から「日本の富士山に不老長寿の秘薬がある」と聞かされます。

徐福はすぐに日本に渡り、日本各地をまわって富士山にたどり着いたという伝説が残っています。結局徐福が中国に帰らず日本にいついたため、始皇帝が富士山の秘薬を手にいれることはありませんでした。

不老長寿は万能なのか

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八百比丘尼は人の為に善行していましたが、大きな仕事を成し遂げた訳ではありません。人間は不老長寿を願うものですが、時間があればいいというわけではなく、限られた時間で精一杯生きることが大切なのでしょう。

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