比丘尼とは?尼のこと?有名な八百比丘尼伝説とは?実在したの? 芸能人

比丘尼とは?尼のこと?有名な八百比丘尼伝説とは?実在したの?

伝説として語り継がれる八百比丘尼。彼女は、ある出来事をきっかけに800年も生き続けた比丘尼です。そんな八百比丘尼の生涯とはどんなものだったのでしょうか?日本各地に残る八百比丘尼の伝説や逸話、墓の存在や子孫についてもまとめました。

目次

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比丘尼とは?有名な八百比丘尼はどんな人物?

比丘尼をご存知でしょうか。仏教用語であり尼僧の呼び名の1つです。その比丘尼の中でも伝説に残るのが「八百比丘尼」という女性です。ここからは比丘尼の詳細や、八百比丘尼のあらましについてご紹介していきます。

比丘尼とは?尼のこと?出家した女性?

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比丘尼は仏教用語で、びくにと読み尼の呼び名の1つです。尼の条件は、20歳以上の未婚女性で出家していること。結婚経験がある女性でも沙弥尼という初心者修業を経れば尼になることは可能です。

その尼の中でも、348戒の具足戒を受けた尼だけが比丘尼と呼ばれます。尼は奈良平安時代から存在していましたが、比丘尼の地位が確立したのは鎌倉時代です。

比丘尼の中でも有名な「八百比丘尼」とは?読み方は?800歳まで生きた?

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比丘尼の中で、伝説に残る女性がいます。それが「八百比丘尼」です。800歳まで生き、日本各地を旅したと言われています。彼女の呼び名は地方で異なり、「はっぴゃくびくに」や「やおびくに」と呼ばれています。

八百比丘尼は800歳という不老長寿でしたが、その姿は15~6歳の少女のままだったそうです。美しく色の白い女性だったと言われていて、その白い肌から「白比丘尼(しらびくに)」とも呼ばれています。

120歳で剃髪して尼僧になった八百比丘尼は、日本各地を旅しながら様々な活動をしていました。仏閣を建立したり、井戸を掘ったり、植樹などをして人々の手助けをしたという逸話が各地に残っています。

八百比丘尼の伝説の詳細は?実在した?墓や子孫も?

800歳まで生きたという八百比丘尼は、本当に実在したのでしょうか。八百比丘尼の伝説は不思議なくらい全国各地に点在し、数多く存在しています。その長い生涯のうち、日本各地を旅していたという八百比丘尼。

それを裏付けるかのように様々な場所に「八百比丘尼伝説」が残されていることは理解できます。しかし1つ謎があり、彼女の生まれ育った故郷が複数存在しているのです。福井、滋賀、三重と見事にバラバラなのです。

どの伝説でも、八百比丘尼は少女時代と晩年を同じ地域、生まれ故郷で過ごしたとされています。しかし伝説の地が多すぎて、はっきりとした場所は確定できていません。ここから詳しくご紹介します。

八百比丘尼の伝説は日本各地に存在!

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八百比丘尼の伝説は日本各地に残っています。若狭小浜、現在の福井県小浜市付近を中心として、中部や山陰、北陸や南奥羽まで120ヵ所以上の地域に及びます。それにまつわる伝説も166件ととても多いのです。

その伝説の多くは、八百比丘尼の生まれ育ちや尼になり800歳で死亡したというもの。他には彼女がその長い生涯で行ったこと、植樹活動や人助けなどの善行が多いようです。中には書物に残されている物もあります。

記録に残っているものは、八百比丘尼が京都に現れたというものです。1449年5月、八百比丘尼が地元である若狭から上京したと書物に記されています。他に新潟県佐渡島にもこんな記録があります。

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八百比丘尼の寿命は1000年だったが、200歳分を国主に分け与えたため800歳で死亡したというものです。彼女の伝説は、室町時代に書かれた「臥雲日件録」や「康富記」に残されています。

八百比丘尼が送った一生とは?伝説の内容は?

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八百比丘尼は654年に若狭で生まれました。父親は高橋長者という金持ちで、おさとと名付けられました。おさとが13歳のある日。父親が、いつの間にか村へ住み着いていた謎の男の自宅に招待されます。

父親が他の村人たちと謎の男の家へ行くと、見たこともない立派な屋敷が建っていました。屋敷を見物するうち、調理場で奇妙なものを目にします。上半身は子供で下半身は魚という奇妙な物がまな板上にあったのです。

やがて食事会が始まりましたが、先ほどの奇妙な物が食材だと思うと気持ちが悪く、誰も手をつけません。しかし謎の男は奇妙な物の肉をお土産としても用意しており、仕方なく自宅へ持ち帰りました。

自宅で待っていたおさとは土産を喜び、その肉を全て平らげました。すると娘は全く老いることがなくなり、不老長寿の体になってしまいました。

年がたつに連れ、周囲の人々は老化していくのに八百比丘尼だけは若く美しいまま。村人たちも「化け物ではないか」と噂するようになります。当然のことながら、人間はみな八百比丘尼より先に死んでいきます。

彼女は大切な人々が死んで一人残されることや、村人たちに避けられることが辛くなっていきました。そうして出家して村を出て行き、日本各地を旅するようになっていきました。

八百比丘尼はなぜそんなに長生きできたの?人魚の肉を食べたから?

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八百比丘尼が口にして不老長寿になった食材とは何だったのでしょう。その見た目どおりの人魚だったのでしょうか。実は古来より人魚の肉を食すると、不老長寿の効用があると言われているのです。

他にもジュゴンやオットセイの肉である可能性も考えられます。オットセイの肉にも若返りや不老の効用があるそうです。戦国時代には盛んに食され、かの徳川家康も長寿の薬として口にしていたそうです。

八百比丘尼の伝説①:八百比丘尼を象徴する花は椿?

八百比丘尼を象徴する花は椿と言われています。彼女は椿の花が大好きで、手にはいつも椿の花を握っていたそうです。特に白い椿と白地に赤い斑点のある椿は、八百比丘尼を象徴する花として伝えられています。

八百比丘尼は旅で訪れた各地にも、椿の苗を植樹していました。彼女の功績か北陸や東北の沿岸では、椿の群生林を見ることができます。現在では八百比丘尼の聖地ともよばれています。

八百比丘尼の伝説②:八百比丘尼は「空印寺」にある洞窟に入定した?

数々の伝説を残した八百比丘尼も、ついに人生の終わりが訪れます。800歳ごろ地元若狭に戻り、若狭にある後瀬山の庵で暮らしていました。しばらくすると、近くにある空印寺の洞穴で入定します。

入定とは、尼僧が瞑想しながら静かに死を待つことです。この洞穴は、この地が海に沈んでいたころに波の浸食によってできたもの。現在の奥行きは数mですが、以前は山の向こうへ通り抜けられたと言われています。

八百比丘尼は洞穴入り口に椿を植えて、「この椿の花が枯れた時には、私の命も消えています」と宣言して入定したと言われています。そこには今でも、不老長寿祈願に訪れた人々によって椿が飾られています。

八百比丘尼の伝説③:八百比丘尼は「粟嶋神社」の近くの岩屋に入った?

八百比丘尼が晩年を過ごしたという伝説が、他の地域にも残っています。鳥取県米子市にある粟島神社です。この地の伝説では、八百比丘尼は若狭ではなく米子で生まれ育ったことになっています。

地元の漁師の娘が、それと知らずに人魚の肉を食べてしまい、不老不死になってしまった。娘は出家して、粟嶋の西側にある洞窟「静の岩屋」で隠遁生活を送り、一切のものを口にしなかった。娘は800歳を迎えて死に、「八百比丘尼」と呼ばれた(引用:Wikipedia)

粟島神社の八百比丘尼は、全く老いないことで「化け物」と陰口を言われていました。村人の白い目や、親しい人が皆自分より先に亡くなるのを辛く思い、洞窟の「静の岩屋」に隠れるように籠ってしまいました。

そして800歳になったころ、静かに息を引き取りました。彼女の孤独な死を、化け物と蔑んでいた村人たちも哀れに思います。八百比丘尼を「八百姫」と名付け延命長寿の神様として祀ることにしたのです。

八百比丘尼の墓は?今もあるの?

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八百比丘尼の墓の伝説が残っているのは、草生という地域で、現在の三重県津市安濃町です。ここに残る伝説では、八百比丘尼はこの草生で生まれ育ち、全国行脚の旅に出て善行を重ねたとされています。

やがて八百比丘尼は故郷である草生の神子谷に戻ってきて、村内にある常明寺で亡くなったそうです。彼女の墓はその神子谷に作られ、「八百姫明神の塚」と呼ばれていました。

ただ残念なことに、墓は所在不明になっていいます。晩年を過ごした常明寺も今はなく、跡が残るのみです。草生には墓以外にも「おびが谷」「ひやけ塚」といった、八百比丘尼にまつわる場所が多く残されています。

八百比丘尼の子孫はいるの?

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八百比丘尼は、800年という生涯の中で7回結婚したと伝説に残されています。最初の結婚は17~18歳の頃、相手は隣村の長者の息子でした。夫婦は仲睦まじく暮らしていましたが、子宝には恵まれませんでした。

月日は流れ、最初の夫は老化して死亡しました。若く美しいままの八百比丘尼は、その後数回再婚しますが、子供が生まれることはありませんでした。伝説上は、八百比丘尼に子孫はいないとされています。

八百比丘尼は多くの作品に登場!アニメやゲームにも

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八百比丘尼は不老長寿の尼として、数多くの作品に登場しています。ここからは八百比丘尼が登場するアニメやゲームなどについてご紹介します。

八百比丘尼は「火の鳥」にも登場していた

八百比丘尼は漫画「火の鳥」に登場しています。火の鳥は、日本を代表する漫画家である手塚治虫がライフワークとして作った作品です。不老不死の血を持つという火の鳥を巡り、様々な人間が巻き込まれていきます。

その人間たちが自身の運命にもがき苦しみ戦う姿を描くことで、命の尊さや世界と関わりを考えさせられます。八百比丘尼はある30年間を無限に繰り返し、永遠に生き続け苦しみ続ける尼僧として登場しています。

ゲーム「陰陽師」に登場する八百比丘尼はコスプレも人気

八百比丘尼はゲームにも登場しています。中国の大手ゲーム会社が配信している「陰陽師」という作品です。各地を旅する高名な占い師で、蘇生や回復が得意というキャラクター設定になっています。

人魚の肉を食べ不老不死となった八百比丘尼が、運命に翻弄されるストーリーが展開されます。このゲームキャラのコスプレも人気で、中国のオンラインショップでも購入することができます。

八百比丘尼は「妖怪ウォッチぷにぷに」「対魔忍RPG」にも

八百比丘尼は妖怪ウォッチのスマホ用パズルゲームにも登場しています。設定は妖怪プニの1キャラです。必殺技は「海神の大波」ですが、あまり強いキャラではありません。

八百比丘尼は対魔忍RPGにも登場しています。五車学園に通う対魔忍たちが魔と闘う物語です。500年以上生きている上忍で、邪眼を持ち、敵のエネルギーを吸い取る能力をもっているというキャラ設定です。

実はルパンにも登場していた八百比丘尼

ルパン三世にも八百比丘尼は登場しています。2011年12月に金曜特別ロードショーで放送された、「ルパン三世地の刻印~永遠のマーメイド~」です。

世紀の大泥棒である祖父、ルパン一世が唯一持ち帰らなかったという「八百比丘尼の財宝」をめぐる物語です。作中には不老不死と思われる少女が登場、お宝の名も人魚の鱗など八百比丘尼に絡めた内容になっています。

八百比丘尼はぬ~べ~のキャラの設定にも取り入れられた?

人気ホラー漫画、「地獄先生ぬ~べ~」のゲームに八百比丘尼と似た設定のキャラクターが登場します。「速魚(はやめ)」という人魚で、かなりの美少女です。

ミイラ化していた自分を蘇らせたぬ~べ~に、恩返しをしたい速魚。ぬ~べ~に自分の肉を食べさせ不老不死にしようとする、というストーリーになっています。

八百比丘尼の登場する漫画「このはな綺譚」とは?

異世界ファンタジーの「このはな奇譚」にも、八百比丘尼は登場します。主人公は野狐の少女で社会勉強のために、このはな亭の仲居として働きはじめます。そこにあらゆる神様の摩訶不思議なできごとが起きるのです。

八百比丘尼はサブキャラクターとして登場し、雪の日に主人公を拾って育てます。このはな亭の女将と仲良しで、数百年生きているという設定です。

八百比丘尼という曲も!歌っているのは陰陽座?

2014年リリースの「八百比丘尼 」という曲があり、陰陽座が歌っています。先ほど紹介した八百比丘尼も登場する「火の鳥」異形編をテーマとした楽曲で、物語の世界観を忠実に音楽化したものとなっています。

様々な役割を担っていた比丘尼

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比丘尼は当初、巫女のような存在でした。しかし日本に仏教が広まり、時が経つにつれて様々な役割を持つようになりました。

それぞれの役割にそった呼び名がつけられ、歌比丘尼や熊野比丘尼、科負い比丘尼などと呼ばれるようになりました。

比丘尼になる為の条件は?

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比丘尼になるためには、いくつかの条件がありました。まず20歳以上の未婚女性であること。式叉摩那という2年の修行期間を終えていること。これはスタート時の年齢が20歳でも100歳でも変わらないのです。

これには特例があり、20才以下でも比丘尼になることができます。既婚者や未亡人であり、最低12歳以上で式叉摩那期間を2年すごしていることが条件です。

比丘尼は比丘に比べて戒律が多かった?八敬法とは?

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比丘尼になるには年齢以外にも条件があるのです。348条もある律、具足戒(五百戒や大戒)の儀式を受けていること。具足戒とは、僧が守らなければならない戒律、決まり事です。

男性僧侶の戒律が250なのに対し、女性僧侶は348もあったのです。さらに八敬法も生涯守らなければなりません。八敬法とは、比丘(男性僧侶)を目上の者として扱い、指導を受けなければならないというものです。

つまり比丘尼が、比丘の下の地位であるということを示しているのです。具体的には、比丘に常に礼拝することや、比丘の悪口を言ってはいけない、比丘が悪い行いをしても告げ口してはならないなどという内容でした。

八百比丘尼の伝説を有名にした歌比丘尼とは?「絵解き比丘尼」とも?

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歌比丘尼とは、地獄や極楽の描かれた絵画や仏画の物語を、念仏や歌にのせて説明する尼僧のことです。別名、絵解き比丘尼や勧進比丘尼とも呼ばれていました。

紀州にある熊野山の尼僧たち、熊野比丘尼と呼ばれる尼たちが始まりでした。彼女たちは牛王宝印を売りつつ、地方で布教活動をしていました。そのうちに歌うものが現れたと言われています。

比丘尼の意味はだんだん変化?「科負い比丘尼」とは?

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比丘尼とは特に具足戒を受けた仏教の女性修行者の事を指しています。しかしその意味合いは時代ごとに変化していきました。江戸時代には尼僧の新しい職業である「科負い比丘尼」というものが登場します。

「科負い比丘尼」とは別名「屁ぇ負い比丘尼」とも言います。その名の通り、放屁など過失の身代わりをする尼僧での事で、職業として確立していました。高貴な女性に恥をかかせないために必要な仕事だったのです。

普段は大名の娘や奥方など高貴な女性に付き従い、身の回りの世話をします。その女主人が放屁して恥をかきそうな時、尼僧が「自分がおならをした」と嘘をつきます。主人の身代わにりなり、その場を収めるのです。

比丘尼は最終的には売春婦を指す言葉に?

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修行者だった比丘尼ですが、最終的には売春婦の代名詞として使用されるようになりました。その原因となったのは「売り比丘尼」の存在でした。尼僧の姿形をした女性が、売春をしていたのです。

はじまりは、歌比丘尼や熊野比丘尼でした。彼女たちは各地に赴き勧進を行っていました。しかしその裏で、宴会で接客をしたり売春行為をして金を稼いでいたのです。

売り比丘尼の商売形態は、夜鷹と同じです。夜鷹とは夜の街角に現れる売春婦のこと。店舗を持たず、野外や小屋で売春を行っていました。吉原の遊郭などと比較すると、最下層の売春婦という位置づけでした。

比丘尼の現在は上座部仏教側の僧伽(サンガ)がいなくなった?

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僧伽(サンガ)とは出家信者の集合体です。比丘尼は比丘の下の地位の組織と考えられており、比丘僧伽に従属しているのです。つまり比丘僧伽が消えれば、比丘尼僧伽は存在できないのです。

現在では比丘僧伽は消滅しているため、比丘尼僧伽も存在していません。比丘尼を指導する組織がないので、現在の日本には比丘尼も存在していないのです。

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