菅貫太郎は事故死だった!バイクに轢かれた?悪役で人気に?子供は? エンタメ

菅貫太郎は事故死だった!バイクに轢かれた?悪役で人気に?子供は?

「悪役のスター」とまで呼ばれた菅貫太郎という俳優をご存知ですか?「水戸黄門」の麿呂役や、「十三人の刺客」で暴虐な悪代官を演じていることで知られています。今回はそんな彼のプロフィールや出演作品、さらに最悪の結果となった交通事故に関してまとめました。

目次

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菅貫太郎の演技が人気!悪役と言えば菅貫太郎!

菅貫太郎とは1960年代から1990年代にかけて活躍した俳優で、そのずば抜けた演技力で一躍人気俳優となりました。特に彼と言えば悪役の印象が強く、「悪役のスター」とまで呼ばれました。

今回はそんな菅貫太郎について、プロフィールや出演作品をご紹介してきます。彼は1994年に交通事故により亡くなっていますが、事故に関しても詳しくみていきます。

菅貫太郎のプロフィール!愛称は?

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菅貫太郎(すがかんたろう)とは1934年12月12日に秋田県湯沢市にて生まれ、色々な方面の人から「お墨付き」と言われるほどの演技力で多くの人々に愛されていた俳優です。

彼は秋田県の湯沢高校を卒業して中央大学に進学しますが、俳優を目指すべく途中で退学という選択肢をとりました。

高い演技力と独特の声、独特のリアクションが見る人に強烈な印象を残し、「スガカン」という愛称で人気を博しました。

菅貫太郎は大学時代から役者の舞台人だった!

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のちに数多くのテレビや映画に出演する菅貫太郎ですが、実は大学時代から役者として活動していたという生粋の舞台人でした。

彼が20代や30代の時には主にアングラ演劇で活躍していたようで、「言葉の錬金術師」とまで呼ばれた寺山修司という劇作家にも認められるほどの実力だったといいます。

アングラ演劇とは1960年代中期から1970年代にかけて日本で活発に起きた舞台表現(主に演劇)の潮流である。「アングラ」とはアンダーグラウンドの略語である。見世物小屋的要素を取り込み、それまでの近代演劇が低俗として退けた土俗的でスぺクタルなものを復権させて独特の世界を作り上げた。

(引用:Wikipedia)

菅貫太郎は麿呂を演じ一躍人気者に!

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そんな菅貫太郎ですが、彼の代表作といったら「この紋所が目に入らぬか!」で有名な「水戸黄門」という時代劇の、2代目麿呂を思い出す人が多いのではないでしょうか。

正式名は「六条公麿三位中納言」といい、数々の悪行を働く公家のことです。悪役ながら、彼の個性的な演技が型にハマり、一躍人気者となりました。

現在でもネット上では、「麿呂」と言ったら「菅貫太郎」と言われるほどイメージが定着しています。

菅貫太郎は悪役から善人まで幅広い演技で魅了した!

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悪役として有名な菅貫太郎ですが善人を演じることもあり、悪役・善人役どちらを演じてもずば抜けた演技力を見せつけていました。

特に善人を演じる際は「菅貫太郎=悪役」というイメージを上手く使い、最初は悪役に見えるけど、「実は善人だった!」という視聴者の予想を裏切る展開をよく作り出していたといいます。

菅貫太郎は悪役の星だった!

時代劇の中だけでも悪役というものは数えきれないほど存在しますが、菅貫太郎こそが悪役を完璧に演じきっており、「悪役のスター」とまで呼ばれているといいます。

ストーリーがまだ理解できない子供でも「こいつは悪い奴だ!」と感じるほどに冷酷で情け容赦なく、だからといって不快になるような悪さでもない、そういった役を演じることは簡単ではありません。

限られた高い演技力を持つ役者にしかできない難しい役柄のため、菅貫太郎は「悪役のスター」として何度も地獄から蘇って悪役を演じることになったという訳です。

twitterでも菅貫太郎の演技力に絶賛の声!

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菅貫太郎が亡くなってから約25年の月日が流れましたが、彼の演技力に感動して絶賛の声を上げる人は、今でも多くいます。

Twitterでは、時代劇ファンなどから「悪役ぶりがたまらない!」「彼の悪役がお気に入り!」という声が次々と投稿されています。

菅貫太郎の名シーン5選!画像や動画も!

ここまで菅貫太郎についてご紹介してきて、そのずば抜けた悪役ぶりが気になってる方も多くいることでしょう。

こちらでは、そんな彼の名シーンを5つの作品から選び出し、画像や動画を交えてご紹介しています。

名シーン①:「水戸黄門」の二代目麿呂!

まずは、何度か名前が出てきた「水戸黄門」の2代目麿呂こと、六条公麿三位中納言の役を演じている菅貫太郎です。「水戸黄門」は1969年8月に放送が開始されたドラマです。

このメイクも有名で、彼の代名詞となっています。上記の動画は彼の表情の豊かさが際立っているシーンであり、シリアスな場面なのに少し微笑んでしまうような表情も見せてくれています。

名シーン②:「十三人の刺客」の馬鹿殿様、松平斉韶

「十三人の刺客」とは1963年12月に公開された日本の時代劇映画であり、片岡千恵蔵や里見浩太朗、丹波哲郎などビッグキャストが採用されています。

明菅貫太郎は明石藩の藩主である松平斉韶(まつだいらなりつぐ)という大名を演じ、暴虐ぶりを見事に演じました。映画を観た人からは「これぞ悪役!」と称賛の嵐だったといいます。

名シーン③:「必殺仕置人」の名悪役ぶり!

「必殺仕置人」とは1973年4月から10月にかけて放送されていたドラマです。菅貫太郎は、1話目の「いのちを売ってさらし首」に悪役として出演しています。

最終的に仕置人に仕置される結果となりますが、彼の悪党ぶりは多くの人々に強い印象を残しました。

名シーン④:「暴れん坊将軍」にも悪役で登場!

「暴れん坊将軍」とは1978年から20年以上に渡って放送が続いた時代劇シリーズです。松平健が徳川吉宗を演じていて、テーマソングにピンとくる人も多いのではないでしょうか。

菅貫太郎はレギュラー出演ではなかったものの、見事な悪代官役を演じて多くの時代劇ファンを喜ばせました。

名シーン⑤:悪役以外も!「田園に死す」の主演も評判

「田園に死す」とは、元々は寺山修司が1965年に刊行した歌集のことです。そして1974年に、同じく寺山修司が監督・脚本を務めて映画化されました。

自伝的要素もある映画作品で、母親と2人暮らしの中学生「私」を菅貫太郎が演じました。菅貫太郎にとっては「田園に死す」が唯一の映画主演作となります。

映画を観た人の中には「最後まで菅貫太郎だと気づかなった」という人もいるくらい、悪役のイメージを払拭させる見事な演技だったといいます。

菅貫太郎の出演作品

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菅貫太郎の名シーン5選についてご紹介してきましたが、彼の活躍はそれらだけではなく、数えきれないほどの映画やドラマに出演しています。

こちらでは彼の出演作品について、ほんの一部になりますがご紹介していきます。

映画「十三人の刺客」

先ほど菅貫太郎の名シーンでもご紹介しましたが、彼が出演した映画と聞いて「十三人の刺客」を真っ先に思い浮かぶ人は多いのではないでしょうか。

工藤栄一監督のこの作品は弘化(こうか)元年の日本を舞台にした物語で、前述したように菅貫太郎は暴虐な明石藩の藩主・松平斉韶を演じました。

この映画は2010年に三池崇史監督によりリメイク版が製作されていて、役所広司や山田孝之、伊勢谷友介など豪華な顔ぶれが出演しました。菅貫太郎の松平斉韶役は、稲垣吾郎が演じています。

映画「田園に死す」

こちらも先ほどの名シーンでご紹介した、寺山修司監督による自伝的映画作品になります。

冒頭で、菅貫太郎は寺山修司に認められた役者であるとご説明しましたが、この映画は寺山修司が「主演はどうしても菅貫太郎を採用したい」という熱い思いから彼が選ばれたといいます。

映画「人生劇場」

「人生劇場」とは、1933年に尾崎士郎により連載が開始された自伝的大河小説のことです。その後1936年から1983年にかけて、13回も映画化されています。

菅貫太郎は深作欣二・中島貞夫・佐藤純彌が共同で監督を務めたという1983年の13回目の「人生劇場」に出演しました。これは大正初期の東京で貧乏生活を送る「瓢吉」という青年の物語です。

菅貫太郎は、のちに瓢吉と再会を果たす「黒馬」という中学校教師を演じました。

映画「ジーンズブルース明日なき無頼派」

「ジーンズブルース 明日なき無頼派(ぶらいは)」とは、1974年に中島貞夫監督により製作された映画です。

殺し屋から逃げる青年とバーの雇われママの周りで起こる青春アクションであり、梶芽衣子や渡瀬恒彦が出演しています。菅貫太郎はマスターの役を演じました。

この作品は、1967年にアメリカで公開された「俺たちに明日はない」の翻案であるという情報もあります。

ドラマ「斬り抜ける!」

「斬り抜ける」とは、1974年から放送が開始された時代劇ドラマです。近藤正臣が主人公の樽井俊平を演じていて、菅貫太郎は松平丹波守役として第1話・第15話・第20話だけの出演となっています。

テレビ局系列の変更などがあり、中盤からドラマの物語が大幅に変更され、さらにタイトルも「斬り抜ける・俊平ひとり旅」に変更されてしまいました。これもあり、視聴率は低迷してしまったといいます。

映画「仮面ライダーブラック」

「仮面ライダーブラック」とは1987年に放送が開始された特撮ドラマであり、菅貫太郎は暗黒結社に拉致された息子たちを守ろうとする秋月総一郎という役を演じました。第1話・第2話の出演となっています。

ドラマ「水戸黄門」

こちらも先ほどの名シーンでご紹介しましたが、実は「水戸黄門」においては、麿呂の役だけではなく他の悪役として何度も出演しているのです。

第2部から第7部、第9部から第22部といったように、幾度となく違う人物の役として登場しています。これも、彼の悪役としての演技力が素晴らしいものであるという証拠ですね。

ドラマ「銭型平次」

「銭形平次」とは、1966年に放送が開始された時代劇ドラマです。元々は野村胡堂が1931年に刊行した「銭形平次 捕物控」という小説であり、長・短編合わせて383編も発表されています。

ドラマ化された「銭形平次」は合わせて888話にも及び、ドラマ史上最長としてギネス記録に認定されています。菅貫太郎は888話のうち13話分だけの出演でしたが、違う人物を見事に演じました。

菅貫太郎は事故死だった!バイクに轢かれた?

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時代劇ファンのみならず、数多くの視聴者を魅了してきた菅貫太郎ですが、1994年に交通事故にあい亡くなっていたことが判明しています。

突然の事故死は人々に大きな悲しみを残し、今もなお彼の死を悼むコメントがネット上には溢れています。では、こちらではそんな事故についてもう少し詳しくみていきましょう。

1994年3月16日事故に遭っていた!

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1994年3月16日、菅貫太郎は神奈川県の某所で、信号機のない交差点を徒歩で横断しようとしていました。そこへ彼の存在に気付いていないオートバイが走ってきて、彼に接触してしまいました。

交通事故から6日後の3月22日に脳挫傷にて死去

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菅貫太郎はすぐに病院に運び込まれて処置を受けましたが、脳挫傷のため6日後の3月22日に亡くなりました。59歳でした。

脳挫傷とは、頭部への直接的な強い打撃による脳の打撲状態を指します。 主な原因は自動車の衝突や頭部の強打です。 症状は軽症または重症の頭部外傷と同じです。

(引用:MSDマニュアル家庭版)

事故の詳しい情報は公開されていない?

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他にも、事故が発生したのは何時頃なのか、どこの交差点だったのか、どの病院に運ばれたのか、オートバイを運転していた人物はどうなったのか、など気になるところではあります。

ですが、菅貫太郎の事故死に関する情報は先ほどご説明したものだけで、それ以上の情報は公開されていないということです。何故公開されていないかは、分かっていません。

菅貫太郎の子供は?その他のエピソードまとめ!

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では、そんな菅貫太郎のプライベートはどのような生活だったのでしょうか?彼の子供や、プライベートなどに関してみていきましょう。

菅貫太郎に子供はいる?孫は?

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菅貫太郎の子供についてですが、時代劇の専門チャンネルの番組に出演した際、娘も出演していたという情報があります。それ以外の情報は、公にされていません。

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