大室寅之祐とは?明治天皇にすり替わったって本当?真偽は?嘘なの? エンタメ

大室寅之祐とは?明治天皇にすり替わったって本当?真偽は?嘘なの?

倒幕の象徴であった明治天皇。明治天皇は睦仁親王ではなく、大室寅之祐という人物と入れ替わっていたという説があります。南朝出身という大室寅之祐と明治天皇偽物説は嘘やデマなのか、田布施システムというトンデモ説や子孫の話も紹介します。

目次

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明治天皇は大室寅之祐という人物と入れ替わっていた?真偽は?

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明治天皇が大室寅之祐と陰謀の為に入れ替わったということは、明治天皇は皇族の子孫ではない、偽物だったということでしょうか。

トンデモ説にも感じられる明治天皇なり変わり説について見ていきましょう。

大室寅之祐とは?読み方は?

大室寅之祐は”おおむろとらのすけ”と読みます。

大室寅之祐は明治天皇になる予定だった睦仁親王とすり替えられ、明治天皇になったという説がある人物です。

大室寅之祐Wiki!長州の力士隊?田布施町に住んでいた?朝鮮の血筋?

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大室寅之祐は、伊藤博文率いる力士隊に以前所属していたとされる人物です。

長州藩、現在の山口県熊毛郡田布施町に住んでいたといい、布施町はもともと朝鮮半島からきた人が住んでいる集落だったので、大室寅之祐も朝鮮人なのではないかという説もあります。

この田布施町という町は当時、田畑や作物などしかなく現在でもコンビニが一軒あるぐらいだそうです。

大室寅之祐は孝明天皇の息子・睦仁親王とすり替わっていた?

江戸時代最後の天皇である孝明天皇の息子にあたる睦仁親王と、大室寅之祐がすり替えられたという説があります。

本来なら孝明天皇の息子にあたる睦仁親王が明治天皇になはずでしたが、この睦仁親王は女官たちに囲まれて育ったため気弱なところがあったといいます。

そのため武人であった別の人物が明治天皇を務めたのではないかとの説があり、大室寅之祐なる人物が明治天皇の正体だという話が出たのです。

大室寅之祐の子孫、中丸薫の「天皇生前退位と神国・日本の秘密」で明らかに?

明治天皇と側室の千種任子(ちくさことこ)という女性との間に生まれた息子、堀川辰吉郎さんの娘が中丸薫さんで、中丸薫さんは自身の著書である「天皇生前退位と神国・日本の秘密」内であることを打ち明けます。

「天皇生前退位と神国・日本の秘密」には、大室寅之祐が孝明天皇の息子にあたる睦仁親王に入れ替わって、明治天皇に即位した経緯が詳しく書かれていました。

明治天皇の子孫である中丸薫さんが大室寅之祐さんと睦仁親王が入れ替わり明治天皇になったことを主張したため、明治天皇入れ替わり説は信憑性を帯びたのです。

明治天皇が大室寅之祐と入れ替わった理由は?

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なぜ大室寅之祐さんは、明治天皇に入れ替わったのでしょうか?ここではその理由をまとめました。

大室寅之祐はなぜすり替えられた?経緯は?

明治天皇の子孫である中丸薫さんは、自身の著書「天皇生前退位と神国・日本の秘密」にて大室寅之祐がすり替えられた経緯を下記のように書いています。

  • 以降、京都に残った天皇(北朝)との対立が続く南北朝時代に入るが、その後、北朝側では足利義満が、自分の娘を皇室に嫁がせたり、さらには自分が北朝の女性との間に子を作り天皇にしてしまったため、その時点で、神武天皇以来続いて来た男系の皇統が途切れてしまった。
  • 家の末裔幕末になり、長州藩にいた後北条の志士や吉田松陰が、やはり天皇家は本来の神武天皇の系統に戻すべきだと藩に進言し、長州藩により、天皇家の南朝への回帰作戦が開始された
  • 大室寅之裕の家系、大室家毛利家に保護され長州に住み着いた。伊藤博文、岩倉具視らが、大室寅之祐に帝王学を徹底的に教え込み、最終的に孝明天皇の息子とすり替えて大室寅之祐を明治天皇として担ぎ上げた。

(引用:黒板五郎の徒然草|【歴史】明治天皇は、やはり大室寅之祐だった。北朝から南朝に戻った。)

大室寅之祐は南朝の末裔だった?

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もともと大室家は南朝光良親王の末裔でなんと500年以上も続いた名家で、大室寅之祐は大室家の24代目だったといいます。

また明治天皇の子孫と言われている中丸薫さんは「大室寅之祐は、南朝(後醍醐天皇)の末裔であるが、大室家は毛利家に保護されて長州に住み着いていた」と自身の著書で書いています。

大室寅之祐が明治天皇というトンデモ説は嘘?デマだった?

本物の明治天皇を暗殺し、大室寅之祐を天皇に仕立てあげたという説。これらを山口県の田布施に関わる「トンデモ説」と呼ぶ声もあります。このトンデモ説には様々な意見がります。

大室寅之祐が明治天皇とすり替えられたというトンデモ説は嘘?

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大室寅之祐は奇兵隊に入隊し、伊藤博文が隊長を務める力士隊に参加したとされています。

しかし、奇兵隊は大洲鉄然が作ったもので伊藤博文とは全く関係がなく、長府から赤間関に存在しそれ以外の場所では存在しません。

皇室と公家は京都でコミュニティのある社会を作っており、密な人間関係を持っている人が多いことから、もし入れ替わったなどということがあればすぐに気づき、すぐに噂が立つはずです。

しかし、入れ替わりの噂が立ったというような当時の記録はありません。また、「単純に顔が違いすぎる」など、上記これらのことから「トンデモ説」はデマなのではないかという意見もあります。

大室寅之祐が南朝の末裔というのは嘘?田布施町長も語っている?

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平家の残党が被差別民になったケースでは子孫や末裔は漁業を営んでいることが多いのですが、田布施部落にも、大室家にもその痕跡はないとされます。

  • 田布施に戸籍のある安倍晋三さんの父親が亡くなり火葬にしたあと、残った骨の骨格が朝鮮人特有のものだったという噂がある。
  • 岸信介さん、佐藤兄弟は、西洋人とアジア人のハーフっぽい顔だったと言われている。
  • 昭和天皇は明治天皇の子で計画出産。明治天皇の権力で作られた。

こられの理由から田布施町はもともとの朝鮮部落に、朝鮮妓生と西洋人の混血が合流したのだと考えられ、大室寅之祐も「南朝の末裔ではなくそもそも日本人ではないのでは?」という説があります。

また田布施町長の祖父は奇兵隊に出入りしていたようで、「明治天皇の話は小さい頃に良く聞かされていたが、大室寅之祐が南朝の末裔という噂は嘘だ」と証言しています。

そもそも大室寅之祐は実在しなかった?名前がおかしい?

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そもそも大室寅之祐なる人物自体が実在したのか?という点について疑問を感じる人も少なくありません。後世に作られた架空の人物なのではないか、とする根拠は大室寅之祐という名前そのものにあります。

江戸時代に生まれた人物で苗字があるのは、武士の家系の子孫のみです。奇兵隊に入っていたということで大室寅之祐は武家の生まれと考えられ、武士の名前は苗字と通称、本名から構成されています。

例えば新選組の沖田総司の正式名称は、沖田(苗字)、総司(通称)、房良(本名)なのですが、この本名は主君と父親以外は呼んではいけないとされており、手紙以外では本人が名乗ることもありません。

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そのため後世で知られているのも苗字と通称のみになることが多いのですが、通称に使える漢字というのは限られており、僧侶が使う「祐」の文字を武家の家の子孫が使う可能性は低いと指摘されているのです。

江戸時代に武家や町民の子孫に〜すけ、という名前を付ける場合には「助」の字を使うことが一般的であり、大室寅之祐という名前が近代的すぎると考えられます。

明治天皇は酒好き?大酒飲みだった?刺身は食べなかった?

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明治天皇の生まれ故郷は京都で普段の話言葉も京都弁をやめず、さらには食べ物まで京都から取り寄せたものを食べるほど地元、京都を愛されていました。

好きな食べ物は、嫁菜、蒲公英、独活などで魚類では、鮎、鯉、鱧、若狭湾で取れた小鯛や鰈を好み、鳥類では、鶉をよく食べ、鮎、鱒、鮭の「魚の子」は茶碗一杯分をいっぺんに食べたともあるそうです。

しかし明治天皇は刺身は絶対に食べず、酢の物や漬物、果物などはほとんど食べられなかったようです。

大室寅之祐の写真はある?実在した証拠?

大室寅之祐は長州出身とされています。本当に明治天皇とすり替えられていたのなら、それまでの経歴は抹消されているはずですが、大室寅之祐は写真が残っていたり出身地が公開されていたりしています。

つまり大室寅之祐の経歴は極秘ではなく、むしろ意図的に経歴を広め、実在した人物だと印象操作を行っているように感じられるのです。

経歴が明確で、明治天皇にすり替わった経緯に関しても具体的な話が伝わりすぎているため、大室寅之祐は実在しなかったとも考えられるでしょう。

大室寅之祐は明治天皇と似てる?

大室寅之祐(明治天皇)と睦仁親王は正反対の性格と体格で誰でも一目でその違いがわかった。
寅之祐は勇壮で体が大きく、乗馬、相撲が得意だった。
睦仁親王は女のように華奢で病気がちで、乗馬ができなかった。
寅之祐は達筆だったが、睦仁親王は字が下手だった。
睦仁親王は幼時、種痘をしたはずなのに、寅之祐の口の周りには5,6個の痘痕があった

(引用:愚民党|大室寅之祐が明治天皇になったといえる勇気を持とう! 【明治維新真実情報公開法案の早期法案提出を】 )

このような意見から、病弱で小柄な睦仁親王と大柄な大室寅之祐は性格も見た目も全くと言っていいほど、正反対で似ていなかったと考えられます。

大室寅之祐の写真は嘘?

大室寅之祐が実在した証拠と言われているフルベッキ群像写真は、歴史の専門家によると、「一度にここまでの人数があつまることが考えにくい」と信憑性を否定されています。

また撮影当時には留学中であったはずの岩倉具定と具経がいたり、差明治元年には他界していた坂本竜馬や高杉晋作が写っていることからも、フルベッキ群像写真には合成疑惑が出ているのです。

写真が撮影されたのは明治元年10月8日。もし本当に大室寅之祐さんが明治天皇と入れ替わっているなら、この時すでに入れ替わっていたと考えられるため、この写真には参加できないのではないかと考察できます。

証拠というモノが証拠になっていないことを考えると、大室寅之祐さんが実在したかについてはあまり信憑性があるとは言えないでしょう。

大室寅之祐は実在した!?田布施の人が語る「大室家」

明治天皇にすり替わったという説が嘘なのは元より、大室寅之祐自体もいなかったのではないか?との説もありますが、田布施の古老から大室寅之祐の子孫についての証言が得られています。

ここでは近隣住民から見た大室家と、大室寅之祐の子孫について見ていきましょう。

大室寅之祐の弟の孫は自分を「天皇の末裔」と言っていた

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田布施には実際に大室寅之祐の子孫が住んでいたといい、長年町に住んでいる古老によると「大室寅之祐の弟の孫である大室近佑さんは、自分を天皇の末裔と信じ、吹聴していた」とのことです。

「変わった人じゃった」。町の古老はそう述懐した。

「長いあごひげが特徴の、仙人みたいな風貌でしたな。町の中に出てきては『わしゃ、天皇じゃ!』と叫んでいたこともあった」

そう、「天皇の末裔」であることを町内で訴えていたばかりか、自らが天皇であるのだと叫んでいた。

(引用:現代新書)

ノンフィクションライターの安田浩一さんは田布施にて取材を行った際に、住民から上のような証言を得ており、大室近佑さんは近隣住民から「大室天皇」と呼ばれていたといいます。

大室近佑さんは1992年に亡くなったとのことですが、天皇を騙って詐欺を働こうとしていたということはなく、本心から自分が天皇の末裔だと信じていた様子だったそうです。

現在の大室家の子孫は?大室寅之祐をどう思っている?

現在も大室家の子孫は田布施で暮らしているといいますが、天皇すり替わり説が有名になってからは様々な人が家を訪ねてくるようになり、対応に辟易しているそうです。

大室近佑さんは天皇すり替え説を信じていた様子ですが、その子孫たちは「肯定する根拠も否定する根拠もない。知りません、わかりませんとしか答えられない」と胸の内を語っています。

子孫たちは子供の頃は同級生から「天皇!」と呼ばれていじめられたこともあったうえ、大人になっても職場で揶揄されるなど、大室家に生まれたことで理不尽な経験をさせられたことも数多くあったのだといいます。

「もう私の代でこの話は終わりに」大室家の子孫の本心

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大室近佑さんの甥に当たる男性は、石井浩一氏の取材にて、天皇すり替え説のせいで自分を含め、家族が好奇の目にさらされ続けていたことを明かしています。

天皇すり替え説が事実でも虚偽でも、現在を生きる自分たちにとっては暮らしにくさしか与えないと告白し、自分たちの代でこの話は終わりにしたいという決意も語っていました。

すり替え説に関係する「田布施システム」とは?

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「田布施システム」とは日本の権力構造を表すキーワードとして、現在ネットを中心に流布されている言葉ですが、ここではすり替え説に関係するこの「田布施システム」とは何かについてまとめました。

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