大信田礼子の現在は?舞台で活躍?結婚は?若い頃にヌードや濡れ場? エンタメ

大信田礼子の現在は?舞台で活躍?結婚は?若い頃にヌードや濡れ場?

大信田礼子さんといえば、昭和の流行語となった「同棲時代」で一気にメジャー歌手となり、その後結婚と離婚を経てヌードも披露し、セクシー女優として大活躍しました。最近では舞台中心に活動されているようです。気になる彼女の現在までを、デビューの頃から見てみましょう。

目次

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大信田礼子の現在は?

大志田礼子さんは、現在活動の場を舞台に移しています。、2019年も春から東京日本橋「明治座」の舞台に立っています。

大信田礼子のプロフィール!現在の年齢は?現在の画像は?

本名も大信田礼子、1948年9月15日生れ(乙女座・B型)、2019年3月現在70歳です。出身地は京都市ですが、父親の勤務の関係で、小学校の途中まで青森県三沢市で過ごし、その後京都に戻って来ました。

1966年、米国で開催されたミスティーン・コンテスト世界大会で優勝して、67年東京映画の「青春太郎」でデビューしました。その後は、歌手・女優として、映画・テレビドラマなどに出演しましました。

1973年の歌「同棲時代」の大ヒットで、歌手として広く知られるようになりました。1974年、都倉俊一さんとの結婚、78年の離婚を経て、円熟の演技で女優業をまい進し、現在は舞台を中心に活躍中です。

現在でも活動中!2019年3月には「水森かおり特別公演」に出演!

大信田礼子さんは現在も活躍中で、2019年は3月9日から18日まで東京日本橋の「明治座」で、「水森かおり特別公演」の舞台に参加しています。

東京そば屋人情物語「にぃねえちゃん!」という演目で、東京オリンピックが決まった昭和30年代の東京人形町のそば屋「花や」で、両親亡きあと奮闘する次女を中心にした人情劇です。

現役続行の大信田さん、まさしくベテランの演技が光る舞台となっているでしょう。

大信田礼子の現在は舞台を中心に活動

大信田礼子さんは、これまでも「明治座」や「俳優座劇場」など、そして地方の舞台を中心に活動しています。

明治座の「氷川きよしの特別公演」では、2013年は「銭形平次」、2017年は「ねずみ小僧」に出演しています。また、2015年は「山川豊・水森かおり特別公演」にも参加しています。

母親の介護経験を基に舞台「生きる」も熱演していた!

大信田礼子さんは、2014年「俳優座劇場」で、これからの高齢化社会で避けられない認知症問題に正面から取組んだ舞台「生きる」に、主人公の母親役で出演し、その後も地方公演に参加しています。

国の試算では、2025年には高齢者の5人に1人、700万人がなるという「認知症高齢者」と介護の問題について、「生きる」は厳しい現実をみつめる作品となっています。

自身も母親の介護経験がある大信田さんは、正に舞台の中心となる母親であり、「認知症患者」でもあるサエの役を熱演しています。

大信田礼子は大好きなフクロウの店に通っている!

大信田礼子さんは2014年5月、毎日放送「爆報!THEフライデー」の「あのイケメン&美女の今を大追跡2時間SP」に出演した際、鳥のフクロウが大好きであると明かしています。

以前からフクロウが好きで、月島にあるフクロウと触れ合えるカフェ「フクロウのみせ」に通い、グッズや大好きなフクロウまみれになって喜んでいました。

大信田さんの私生活を見た太田光は、頭にフクロウを乗せた女性を見たのは初めてだと話していました。

大信田礼子は現在結婚していない?まだ独身?

大信田礼子さんは、1974年作曲家の都倉俊一さんと結婚しましたが、結婚生活4年で離婚しました。1978年離婚と同時に芸能界復帰し、その後は再婚せず現在に至っています。

大信田礼子の結婚相手は?子供は?離婚理由は?

ここからは、大信田礼子さんの結婚・離婚にまつわるエピソードを紹介します。

大信田礼子と都倉俊一が結婚!馴れ初めは?

1973年大信田礼子さんは、原作者の上村一夫が作詞、都倉俊一が作曲した「同棲時代」を歌って大ヒットしました。それが縁で、作曲家の都倉さんとのお付合いがはじまりました。

二人の噂が出た時には、宣伝用のロマンスかといわれましたが、見事に恋がみのり、婚約を発表しました。

都倉俊一はモテていたため、当初は結婚を拒んでいた!

都倉俊一さんからプロポーズされた大信田礼子さんですが、最初は結婚を拒否していました。理由は4年前に婚約解消したプロ野球投手、江夏豊さんとのトラウマだけではありませんでした。

音楽界の貴公子と呼ばれていた都倉さんは大変人気があり、いろいろな女性との噂が絶えないモテモテぶりが、すんなりと結婚に踏み切れなかった大きな原因です。

都倉俊一の男気に感激して結婚!

大信田礼子さんが「手帳に女の電話番号がいっぱい書いてあるから嫌だ」といって結婚を断ると、都倉さんはその場で手帳を破って暖炉に投げ入れたそうです。

その大胆な決断力に感激した大信田さんは、思わず結婚を了承したといいます。

大信田礼子が家を飛び出して離婚へ!慰謝料は3000万円?

大信田礼子さんは、結婚後しばらくして、夫の重大な問題に直面しました。お坊ちゃん育ちの都倉さんは人の気持ちがわからず、相手が傷つくことを平気で口にするため亀裂が深まっていったそうです。

結婚して2年が過ぎたころから、都倉さんの自己中心な言動がエスカレートして行きました。1977年9月、大信田さんはついに渋谷の自宅を飛び出し、双方が弁護士を立て、離婚に向けた話し合いが始まりました。

当初は、慰謝料の開きが大きくてごたごたが続きましたが、最終的に3000万円で決着しました。超売れっ子の作曲家が払う慰謝料としては少ない気もしますが、大信田さんは一刻も早く別れたかったようです。

離婚理由は旦那がマザコンだったから?

大信田礼子さんと都倉さんの離婚理由については、二人とも公にしていません。巷のうわさでは、都倉さんが過剰なマザコンだったからではないか、といわれています。

大信田さんにとって、夫のマザコンが許容できる限度を超えていたのかもしれませんね。もちろん都倉さんの言い分もあるでしょうから、本当の理由はもっと複雑なのかもしれません。

大信田礼子に子供はいた?

Takmeomeo / Pixabay

大信田礼子さんと都倉さんの間に子供がいませんでした。結婚しても直ぐに子供ができないケースもありますので、あえて作らなかったのかどうか、それはわかりません。

それとも子供を授かる前から、既に二人の関係は冷めてしまっていたのかもしれません。またどちらかが原因で、子供ができない可能性も考えられます。

いずれにせよ二人は離婚したので、今から思えば子供がいなくて幸いだったかもしれません。

大信田礼子は元祖セクシー女優?ヌードや濡れ場も?

大信田礼子さんは、抜群のプロポーションを生かして、セクシーな歌手・女優として活躍しました。

大信田礼子は若い頃にヌードになっていた!

1978年、大信田礼子さんは離婚後に芸能界に復帰してからは、吹っ切れたように大胆な演技を披露していきます。

1982年の映画「ジェラシー・ゲーム」の濡れ場シーンからのヌード画像が公開された後、83年にはヌード写真集「ラスパルマスの風」、その後「ロドスへの招待状」を発表しています。

大信田礼子は濡れ場も披露していた!

大信田礼子さんは、1982年のにっかつロマンポルノ映画「ジェラシー・ゲーム」で主演し、夏木陽介さんと30代の夫婦を演じています。

映画は、北海道を舞台に旅の途中で20代カップルとパートナーを替えるストーリーで、若い村上弘明さんとの大胆な濡れ場シーンが話題になりました。

映画「ジェラシー・ゲーム」は、にっかつ創立70周年記念として製作されたエロス大作で、東陽一監督の作品です。

大信田礼子のエピソード!江夏豊や沢田研二との関係は?

大信田礼子さんは、都倉俊一さんと結婚する前にも、結婚寸前まで発展した恋がありました。

江夏豊投手と婚約していた?

大信田礼子さんは1969年1月、プロ野球阪神タイガースの江夏豊投手と婚約しました。大信田さんが大好きだった江夏さんが、熱心に口説いた結果でした。

しかしシーズンが始まると、江夏さんは左肩痛が原因で絶不調に陥ります。マスコミはこぞって「大信田との恋愛が悪い」と大々的に書きたてました。また熱心な阪神ファンからも厳しい言葉が飛び出しました。

結局、5月下旬2人は話し合った末に、婚約を解消しました。

沢田研二とは小中高の同級生だった

大信田礼子さんは、小中高校を通して沢田研二さんと同級生だったそうです。

大信田さんと沢田さんが同級生なので、デビュー後には2人を知る生徒さんや学校関係者の人たちは、きっと誇らしい思いをされたことでしょう。

大信田礼子のシングルや出演作品は?

大信田礼子さんが、歌ったヒット曲や、出演した映画やドラマをまとめてみます。

シングル「女はそれをがまんできない」

大信田礼子さんは、1967年映画「青春太郎」で主人公石坂浩二が演じる大文字太郎が暮らす下宿屋の娘、花田紀子役で映画デビューしました。

歌手としては1970年シングル「女の学校」でCBSソニーからデビューしました。翌71年、シングル「ノックは無用」が、続けて「女はそれをがまんできない」もヒットしました。

当時のレコードジャケットは、大信田さんの見事なプロポーションをこれでもかと強調しています。CBSソニーにおける、チャーム&セクシーの代表的アーティストでした。

シングル「同棲時代」

大信田礼子さんがイメージ・チェンジして大ヒットしたのが、1973年のシングル「同棲時代」です。原作は上村一夫の代表作の劇画で、1972年から73年にかけて「漫画アクション」に連載されました。

同年には原作をもとに、2月にTBS系テレビドラマ「同棲時代」が、4月に松竹映画「同棲時代―今日子と次郎―」が公開され一大ブームをまきおこしました。

由美かおる、仲雅美主演による映画版では、大信田さんは主題歌を歌うだけでなく、次郎に好意を寄せるスナックのママ礼子の役を演じています。

映画「ずべ公番長シリーズ」

大信田礼子さんは、1970年から71年にかけて東映映画「ずべ公番長シリーズ」で主演、一本筋の通ったスケ番「ハマぐれおリカ」役で大当たりしました。

ハマぐれとは、横浜のやさぐれの意味で、映画では心意気もスタイルも超一流のリカが、カツアゲ、啖呵、殴り込みと、縦横無尽に大暴れします。

本シリーズは、当時の流行歌を題材にした4作、「夢は夜ひらく」「東京流れ者」「ざんげの値打ちもない」ほか、が作られました。

ドラマ「旅がらすくれないお仙」

1968年から69年までテレビ朝日系のドラマ「旅がらすくれないお仙」に、大信田礼子さんは女スリ・お銀の役で出演しています。主役の女渡世人お仙は、ボンカレーのCMでおなじみの松山容子さんです。

この「かみなりのお銀」役が、大信田さんのテレビデビューになります。時代劇としてはとても大胆な衣装、ミニの着物に男物の海パン、そしてナマ脚というスタイルが大変注目されました。

「かみなりのお銀」は、衣装が現代風だったのでアクションが多く、危険なシーンもかなりあったそうです。視聴率も好調で、続編の「緋剣流れ星お蘭」では、主演は交代しましたが、「かみなりのお銀」は続投しました。

ドラマ「プレイガール」

1970年から東京12チャンネルで、テレビドラマ「プレイガール」が始まりました。沢たまき扮するオネエと、配下の女優陣たちがお色気アクションを演じる人気シリーズで、放映は7年間も続きました。

大信田礼子さんは、1970年3月の第51話で初登場し、太田礼子武芸百般という役で、ジーンズにノーメイクといういでたちが当時話題となりました。

大信田さんのお母さんは大変生真面目な方だったらしく、ミニスカートで下着が見える恐れがあると心配して、ホットパンツを買って来られたので、それを履いて撮影したというエピソードがあります。

ドラマ「相棒Season12」

大信田礼子さんは、2013年12月に、水谷豊さん主演のテレビ朝日のドラマ「相棒season12」第9話「かもめが死んだ日」に、料亭「一の家」の女将、唯井紀代美の役で出演しています。

都内の老舗料亭「一の家」の庭で芸者の他殺体が発見されます。なじみ客の源のトイレのお供に出たまま姿を消していたが、その間に殺害されたらしいのです。

被害者の過去を調べるうちにとんでもない事実が次々と明らかになります。 果たして真相はいかに。大信田さんはなにげない役でしたが、ファンにとっては嬉しいサプライズでした。

一世を風撫した「同棲時代」

「同棲時代」といえば、由美かおる、仲雅美主演による1973年の映画版が、大信田礼子さんのヒット曲も手伝って大変有名ですが、映画に先立って放映されたTBSのテレビドラマも当時話題となりました。

劇画を山田太一脚本でドラマ化し、ソロ歌手になった沢田研二さんと、映画「さそり」がヒットした梶芽衣子さんが演じました。二人の同棲生活を通して、当時の若者のストレートな愛を描いた青春ドラマとなりました。

このドラマですが、TBSにマスターテープが存在せず、1973年の放送以来永らく「幻の作品」となっていましたが、関係者が保管していたことが分かり、2013年TBSチャンネルでの放送が実現しました。

舞台だけでなく更なる活躍を期待しましょう

大信田礼子さんは、2019年9月で71歳になります。今でも舞台で活躍は続けていますが、ファンとしてはもっといろいろな場面で見たいと思います。

テレビや映画の仕事も、機会があれば積極的にお願いしたいですね。今後の更なる活躍に期待しましょう。

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