グレースケリーの生涯とは?事故死の真相は?ファッションや名言も! エンタメ

グレースケリーの生涯とは?事故死の真相は?ファッションや名言も!

数々の映画に出演し女優として活躍していたグレースケリーさん。モナコ皇太子との盛大な結婚式でのドレスは話題となりました。突然の事故死から数十年が経つ現在でも、ケリーバックや彼女の残した名言は人々の心に生き続けています。その生涯はどのようなものだったのでしょうか?

目次

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グレースケリーの生涯!伝説の結婚式?公妃から死因の事故死まで!

グレースケリーさんとモナコ皇太子との盛大な結婚式は、当時世界レベルで話題となりました。その結婚式はどのようなものだったのでしょうか?王妃となった生活から、事故死するまでの生涯を追いました。

グレースケリーのプロフィール!

本名はグレース・パトリシア・ケリー(Grace Patricia Kelly)(以下、グレースケリーに略)。生年月日は1929年11月12日。出身地はアメリカ合衆国ペンシルヴェニア州フィラデルフィア。

多才なケリー一家

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グレースケリーさんは、父・ジョン・ブレンダン・ケリーと母・マーガレットさんのもとに四人兄妹の三女として生まれます。父親はオリンピックボート競技のメダル保持者、母親は元モデルの大学講師です。

父方の叔父・ジョージ・ケリーさんはピューリッツァー賞を受賞した劇作家、兄・ジョン・ブレンダン・ケリー・ジュニアさんは父親と同じオリンピックボート競技のメダル保持者とと言う多才な一家に生まれました。

優れた運動能力に類稀なる美貌、優れた表現力はケリー一家の血筋と言うことなのでしょうか。

クールビューティーが代名詞の女優

同じ時代に活躍した女優にマリリン・モンローさんがいますが、彼女の明るさとセクシーな美貌とは対照的に、グレースケリーさんは気品に満ちた美しさ(Cool Beauty)の女優として話題となりました。

グレースケリーの生涯を描いた動画

グレースケリーさんの生涯を描いた動画がありましたのでご覧ください。

グレースケリーはモナコ公レーニエ3世と結婚!

グレースケリーさんは、人気絶頂期だった1954年、モナコ公国のレーニエ大公と結婚します。その結婚式は盛大に行われた様です。

2度行われた結婚式

グレースケリーさんは、1954年1月5日にモナコ大公レーニエ3世と婚約を発表。1度目の結婚式は同年4月18日。モナコ大公宮殿にて法的な結婚式(The Civil Wedding)が行われました。

2度目の結婚式は翌年の1955年4月19日。モナコ大聖堂(サン・ニコラ大聖堂)にてカトリック式の大聖堂挙式(The Cathedral Wedding)が行われました。

いずれの結婚式もヨーロッパ諸国でテレビ中継され話題となりました。グレースケリーさんが26歳、レーニエ大公が32歳の時でした。

結婚式前夜も豪華だった

1度目の法的な結婚式の後には、豪華な装飾で彩られたモンテカルロのオペラハウスで結婚式前夜の祝宴が執り行われました。この催しはモナコ国民が企画した物で、オーケストラの演奏とバレエの上演があったのだとか。

2人の馴れ初めは?

グレースケリーさんとモナコ大公レーニエ3世の出会いは、グレースケリーさんが映画「喝采」でアカデミー主演女優賞を獲得しカンヌ国際映画祭授賞式に出席する為にモナコ公国に行った際の宮殿巡りだったそうです。

きっかけはアカデミー賞受賞女優であるオリヴィア・デ・ハヴィランドさんの計らいによるものだったそうです。パリからカンヌに向かう夜行列車の中で「レーニエ大公と会う気はないか」と提案したそうです。

グレースケリーさんと大公は宮殿の敷地内にある動物園を回る間中ずっとグループの先頭に立ち2人だけのおしゃべりを楽しんだそうです。その帰り道、グレースケリーさんは大公が「チャーミング」だと語ったそうです。

アプローチは大公から

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宮殿での出会いからグレースケリーさんに好意をいただいたレーニエ大公は、その後アメリカに向かい、出会いから7ヶ月後のクリスマスにプロポーズします。

結婚と同時に女優からは引退!

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グレースケリーさんは、1956年のミュージカル映画「上流社会」を最後に女優を引退。妻として、王妃として専念します。

結婚式が盛大だった!世紀の結婚式とは?

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グレースケリーさんとレーニエ大公の結婚式はとても盛大に行われたことで話題となります。大公の結婚式であり、新しい王妃を迎えるから話題になるのは当然ではありますが、理由はそれだけではありません。

モナコ公国は皇居の2倍程しかない小国ながら、当時絶大な人気を誇る女優であるグレースケリーさんが王妃になると言うことで、結婚式の前には700名のゲストと1500人を超える報道陣で溢れていたそうです。

注目されたウェディングドレス

後述しますが、更に結婚式が話題になった理由は、グレースケリーさんが纏ったウエディング・ドレスにもあります。当時、世界の一流クリエイターや職人が集まっていたハリウッドで製作された特別な一着だったのです。

新婚旅行は7週間に渡り地中海を巡った!

1955年4月19日の2回目の結婚式直後の当日、カルティエのジュエリーを身に纏ったグレースケリーさんはレーニエ大公と共にロールスロイスに乗り込み新婚旅行に出かけたそうです。

7週間もの長期間の地中海クルーズに旅立ったのです。新婚旅行に旅立つ二人を多くの人々が港から見送ったそうです。

ハネムーン直後に妊娠が発覚

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ハネムーンからモナコ公国に戻ったグレースケリーさんは直ぐに妊娠に気づいたそうです。いわゆるハネムーンベイビーだったのでしょうか。

レーニエ大公は、1955年8月に王妃・グレースケリーさんグルマルディ家の後継者を身ごもっている事を公式発表しました。

グレースケリーは脳梗塞により自動車事故死!

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公私ともに充実した毎日をおくるグレースケリーさんですが、終わりは突然に訪れます。1982年9月13日、グレースケリーさんが運転する車が事故を起こし、病院に搬送されたものの、翌日に亡くなったのです。

ローバー3500を運転していたグレースケリーさんは、南仏のロックアジェルにある別荘からモナコへの帰路で脳梗塞を発症。坂道の急カーブでガードレールに激突。崖下40メートルに転落し、車は大破したそうです。

直ぐに病院に搬送されたそうですが、意識が回復しないまま、事故翌日に帰らぬ人となったそうです。52歳と言う若さでした。

事故車には娘も同乗していた

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グレースケリーさんが運転していた車には、次女のステファニー公女も乗っていました。ステファニー公女は軽傷で命は助かり、2週間ほどで退院したそうです。事故当時17歳でした。

グレースケリーの死因は自殺だった?真相は?

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なんと、グレースケリーさんの死因には自殺説もあります。その真相は未だに解明されていませんが、次女のステファニー公女も同乗していた事を考えると、自殺の可能性は低いと考えられるのではないでしょうか。

家族はこの事故死がトラウマになっていた!

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グレースケリーさんの息子であるアルベール2世はグレースケリーさんの事故当時27歳。当時の事をこのように語っています。

  • とてもショックを受けた。自分が何を考えているのかわからなかったし、状況はよくなると思っていた。それに自分が考えるほどひどい事故ではないと思っていた。その後の何時間かはとても緊張して感情が高ぶった状態だった。
  • 事態が好転しないということがわかるのは、その日の夜になってからだった。

(引用:ハースト婦人画報社より)

アルベール2世によると、夫であるレーニエ大公は非常に痛手を受け、事故後は人が変わってしまったようだったそうです。

また、事故の際に同乗していたステファニー公女は、同乗していたにも関わらず母親を助けられなかった事を後悔し、克服に時間がかかったのだとか。グレースケリーさんの死は、家族全員のトラウマになったそうです。

グレースケリーの華麗なるファッション!ドレスからバッグまで!

当時からファッションアイコンとしても絶大の人気を誇っていたグレースケリーさん。その華麗なるファッションを、ドレスからバックまでご紹介していきましょう。

グレースケリーのウエディングドレスは?

グレースケリーさんが結婚式でに身に纏ったウェディングドレスは、ハリウッドの一流の職人総勢35名が6週間もの時間をかけて作った特注品だったそうです。その繊細で美しいドレス姿は息を飲むほどでした。

ウェディングドレスには、アンティークレースに何千もの美しいパールが縫われていたそうです。写真は大聖堂での結婚式前に撮られた有名な写真で、世界中の女性の理想の花嫁姿となっています。

グレースケリーとホワイトグローブ!

グレースケリーさんは王妃となる前から、毎日の様に白のグローブを身につけていました。その姿は気品に満ち、1955年のニュース雑誌「タイムズ」では「白い手袋をした女性」と言う称号をつけられていたそうです。

妊娠中にお腹を隠したことから「ケリーバッグ」と付いた!

今や知らない人がいない位の「ケリーバック」。元々は高級ブランド・エルメスのサック・ア・クロアと言うバックで、1955年にグレースケリーさんがパパラッチから妊娠中のお腹を隠した事から有名になりました。

あまりにも有名になったため、本家のエルメスはモナコ公国から正式に許可を取り、1956年に「ケリーバック」と言う名前に改名したのだとか。当時の話題性の大きさが伺い知れますね。

あまりの人気ぶりに、今ではエルメスだけではなく、多くのブランドから「ケリーバック」と同型のバックが発売されています。

グレースケリーの家族は?父親や子供は?孫まで話題に?

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女優と王妃、いずれも煌びやかな印象のグレースケリーさんですが、どの様な家庭で育ったのでしょうか?子供や孫はいるのでしょうか?話題になっている孫まで調べてみました。

グレースケリーは父親からの愛情に飢えていた?

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前述していますが、グレースケリーさんの父親はオリンピックボート競技のメダリストであり、生来の体育会系です。そのため、幼少期に体が弱かったグレースケリーさんよりも、他の兄妹の方を可愛がったのだとか。

父親への愛情を求めてか、グレースケリーさんと恋の噂になるのは年上の男性ばかりだったとか。恋多き女性としても知られるグレースケリーさんですが、父親が異性との交際に異常に口煩かったことも背景にある様です。

グレースケリーさんは、もともと父親の反対を押し切って女優の道を目指しています。父親の反感を買うのは全て、父親からの愛情を受けたい一心だったのかもしれませんね。

オスカー賞を受賞した日は、人生で一番寂しい時間

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グレースケリーさんの父親は、グレースケリーさんがアカデミー賞を受賞した時に「姉のペギーの方がもっといい女優になったと思う。グレースが女優なんて信じられない。」とマスコミに語ったそうです。

この事を後にグレースケリーさんは「オスカーを受賞した日、それは私の人生の中で一番寂しい時間でした。」「私は幸せではなかった。」と悲しそうに語ったのだとか。

一度でいいから愛されたかった

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1962年、父親のジャックさんが死去。その知らせを聞いたグレースケリーさんは「一度でいいから父に愛されたかった」と口にしたそうです。

グレースケリーの娘は似ていない?

いつの時代も偉大な親を持つ子供は親と比較されてしまうのが世の常です。グレースケリーさんの長女であるカロリーヌ公女も例外ではありません。

4人の子供の母親となり、現在62歳と言うカロリーヌ公女。2年前の60歳の時にデイリー・メール紙に載った写真が老けて見えることで話題となった様です。

ネット上では「かつては綺麗だったのに、いい歳の取り方をしていない」「アルベール2世大公の妻シャルレーヌ公妃の方が、血がつながってないのにグレース・ケリーに似てる」といった辛口意見が寄せられた様です。

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