【北斗晶】テルって誰?関係はもともと何?健介と共に親友の死を乗り越えて現在は!?

2018年の3月3日に突然ブログの休止を宣言した、元プロレスラーの北斗晶さん。ようやく闘病から復活した彼女に、一体何があったのでしょうか?ブログ休止の真相から、現在の北斗さんを取り巻く環境まで、多方面からリサーチしてみました。

突然のブログ休止、親友のテルとは誰なの!?北斗との関係は!?

突然の休止宣言で「まさかがんが再発したのでは…」という声が高まりましたが、女性誌の取材に対し、北斗さんの知人から「大切な親友の死」が原因であったと語られました。北斗さんとは10年来の親友の”テルさん”という方だそうです。45歳という若さで亡くなられてたそうで、北斗さんは憔悴しきっていたそうです。
北斗さんのブログにも以前から度々登場していて、「妹のような存在」「親友の~」と北斗さんもテルさんのことを本当にリスペクトしていたようです。テルさんはアメリカはラスベガス在住の方らしく、北斗さんに会いに日本に帰国するほど仲が良かったようです。

海外ロケがきっかけ!?

テルさんとは北斗さんがタレント活動を始めて間もないころからの付き合いのようで、北斗さんの海外ロケがきっかけで知り合ったようです。テルさんは旦那さんと共に「IZAKAYA COCOKALA」という日本料理の居酒屋を経営しているそうで、家族ぐるみでの付き合いだったそうです。
以降は、北斗さんの海外ロケの際にはいつもテルさんが駆けつけてくれていたようで、北斗さんもそれが凄く楽しみに思っていることなどをブログに綴っていました。テルさんが日本に帰国する際にも北斗さんはいつも大喜びで迎えていたそうで、まさに「親友」という間柄だったそうです。

《北斗晶とテル》正に「親友関係」

テルさんは東京駅近くで「旬の鮮魚と京野菜・魚魚ーととー」というお店も出されていて、北斗さんのブログでも何度か女子会で訪れている様子が紹介されています。画像にも登場していますが、年齢以上に若い女性でとてもきれいな方です。
ブログ内で北斗さんが家族でアメリカ旅行に行った際に、前述の「IZAKAYA COCOKALA」のオープニングパーティーに向かったら、なんとテルさんやお店のスタッフをはじめ、北斗さんの友人の旅行会社の方々で健介さんのサプライズバースデーをしてくれたそうなのです。優しいですよね!

北斗さんの闘病生活を家族と共に支えたテルさん

自分の闘病生活を支えてくれた「親友」が自分よりも若くしてこの世を去ってしまうのは、筆舌に尽くしがたい悲しみであることは察して余りあります。北斗さんにとっては”家族”ともいえる間柄だったのではないでしょうか?
テルさんにとっても、念願だったラスベガスのお店がようやくオープンした矢先でしたので、夢半ば、無念でならないでしょう。残されたご家族の方々も悲しみに暮れていると思うと可哀そうでなりません。

《北斗晶とテル》自分が”がん”を克服した途端に…

ご存知とは思いますが、北斗さん自身も2015年9月に右乳房全摘出手術を受け、腋窩リンパ節(腋の下のリンパ節)まで転移したがんを取り除き、腋窩神経も取りました。苦しい闘病生活を一緒に戦ってくれたテルさんの存在は大きかったはずです。
テルさんの詳しい死因はわかりませんが、雰囲気からすると突然死だった可能性が高いので、心の準備もなく、唐突に別れがやってきたのだと思います。人間だれしも自分が人にしてもらったことは、それ以上の気持ちで返してあげたいと思いますよね。何もしてあげれなかった北斗さんの無念さが痛いほど伝わってきます。

テルさんの分まで長生きすることが最大の恩返し

現在も放射線治療や抗がん剤治療を継続していると思われる北斗さんですが、北斗さんの、テルさんへの思いはきっと天国まで届いているので、北斗さんが今後も元気な姿で頑張ることがテルさんへの恩返しになるのではないでしょうか。

《北斗晶とテル》現在はブログも再開!!

休止を宣言してから10日後の3月13日にブログを再開した北斗さん。「今日も一日、無理せず自分の出来る範囲でいいから元気に行くべー」「今後とも宜しくお願いします」と明るい声を届けてくれました。もちろんすぐに元の元気を取り戻すのは難しいと思いますが、ひとまず安心しました。
こうしてみると、北斗さんのブログを心の拠り所としている方々が大勢いるのがわかります。休止中も沢山の方が励ましのメッセージを送っていたようで、北斗さんもそのことが凄くうれしかった、と綴っています。

現在闘病中の方達の希望のブログ

北斗さんと同じ乳がんの方達や違う病気で闘病中の方達まで、みんなが北斗さんの闘病生活の中で見せた強さや家族の絆に自分を投影して、希望の力に変えて頑張っているのだと思います。そうした人たちのためにも、そして、テルさんのためにも今後もエネルギーを届けてほしいですね。

《北斗晶とテル》5年後の生存率は50%!?

北斗さんが術後に医師から宣告された言葉です。2018年現在、3年が経過した今でも北斗さんは元気に過ごしています。もちろん今後もしっかりと経過観察を続けて、その都度適切な治療を行っていくことが前提だと思いますが、テレビで見るかぎりでは以前の北斗さんと何ら変わりはありません。
余命を宣告する医師も相当苦しい思いをしているはずですが、正直、余命なんてあって無いようなものですよね。実際に宣告された期間よりも大幅に長く生きた方も大勢いますし、そのまま生き続けているケースだって沢山あります。全ては気の持ちようで変わることだと思います。

テルさんをはじめ、ファンや家族が一番の薬

北斗さんのように「想いに応えたい」と強く願えば身体は答えてくれるものなのではないでしょうか?もちろん全てがそうとは言えないですが、現実に奇跡は起きているので、自分も他の誰もあきらめる必要はない、というのが北斗さんの思いなのではないでしょうか?
北斗さんも「これがきっかけで誰かが頑張ろうって思ってくれたら、それだけで胸を取った甲斐があったと思えます」と話していました。現在闘病中の方々も北斗さんの思いを励みに頑張ってほしいです。

《北斗晶&健介夫妻》この人なしでは語れない!?

毎回思いっきり尻に敷かれた夫を惜しげもなく披露してくれる夫の佐々木健介さん。昔は物凄く怖かったそうですが、今ではいつもニコニコしていて北斗さんにもすごく優しく接していますよね。北斗さんの闘病生活にも健介さんの献身的な介護がとても励みになったはずです。
健介さんはどんな場面でも常に北斗さんを一番に考えています。それはテレビのドッキリであったり、密着取材などでも伝わってきます。もちろんテレビでのことなので、台本通りに演じているだけなのかもしれませんが、きっと普段からあの調子で北斗さんを大切にしていると思います。

ただ優しいだけじゃない!?

ただ北斗さんの言いなりになっているだけじゃなく、しっかり健介さんの大きな器で北斗さんの全部を受け入れているといった感じで、北斗さんを心から支えているのが伝わってきますよね。二人とも元プロレスラーで、同じ苦楽を共にしているからこそ、あそこまで深い絆が生まれたのではないでしょうか?
ここからは健介さんと北斗さんの馴れ初めやプロレスラー時代の出来事、二人のプロフィールをご紹介します。もっと佐々木夫妻が好きになること間違いなしです。昔の試合の映像なども是非観てもらいたいです!

《北斗晶&健介夫妻》二人のプロフィール

《北斗晶》本名:佐々木久子(旧姓・宇野久子) 生年月日;1967年7月13日(50歳) 血液型:O型 出身地:埼玉県吉川市 現役時代は「デンジャラス・クイーン」として恐れられた、ヒールの女神でした。現在は健介オフィスの代表取締役に就任しています。
《佐々木健介》本名:同じ 生年月日:1966年8月4日(51歳) 出身地:福岡県福岡市南区 身長:180㎝ IWGPヘビー級王座、三冠ヘビー級王座、GHCヘビー級王座と合わせて、至上初のメジャー3大シングル・タイトルを戴冠したスーパースター。2014年2月13日、現役引退しています。

北斗晶は怪我が絶えない!?

1985年6月12日、札幌中島体育センターでの岩本久美子戦で全日本女子プロレスよりデビューします。入門当時は当時の本名・宇野久子をそのままリングネームにしていました。当時、デビュー時代から連戦連勝でありデビューからの連勝記録を保持していました。
同年の新人王決定トーナメントは準優勝、年末の女子プロレス大賞では(最優秀)新人賞となりました。1986年3月、大阪城ホール大会で先輩のコンドル斉藤が保持する全日本ジュニア王座を奪取。同期では最も早い戴冠でした。

《北斗晶&健介夫妻》北斗晶の戦績と結婚まで

1987年、当時保有していたWWWA世界タッグ王座(パートナーは堀田祐美子)の初防衛戦で、首の骨を折り、長期欠場を余儀なくされます。骨折した部分は頚椎の回りの部分であり回復までの数ヶ月間ベッドに寝たまま首を動せない状態だったそうです。
医者からは引退することを進められますが、本人のプロレスを続けたいと言う強い意思とファンからの後押しで復活(ただし、医者から「復帰したら30歳過ぎには後遺症で体が動かなくなる可能性もある」と忠告されていました)。

首の骨を折っても復活!そして歌手デビュー!?

1988年には同期の鈴木美香(みなみ鈴香)と海狼組(マリン・ウルフ)を結成し、リングネームを北斗晶に変更しました。1989年3月1日に『颱風前夜(The Eve of Fight)』で歌手デビューしています。
1993年から1997年にかけての団体対抗戦時代には神取忍さんと血みどろの抗争を繰り広げ、デンジャラス・クイーンと呼ばれるようになります。また、国内の活動と並行して覆面レスラー「レイナ・フブキ」のリングネームでメキシコのEMLLでも活躍しました。

結婚!その後、現役引退

アントニオ猪木さんの主導により北朝鮮で行われたスポーツと平和の祭典で健介さんと出会い婚約。結婚した後にフリーとなりますが、親友であり自身と同じく幼い子を持つ女性が亡くなったことがきっかけで引退を決意しました。2002年4月7日、横浜文化体育館の長与千種・浜田文子組戦にて現役を引退しました。

《北斗晶&健介夫妻》佐々木健介の戦績

長州力に憧れ1985年6月にジャパンプロレスに入門、1986年2月16日に笹崎伸司戦でデビューしました。長州が新日本プロレスに出戻るとそれに付き従い、1987年6月に移籍。1991年秋、遠征出発直前の試合で足を骨折(全治6か月と診断)、そのまま長期欠場を余儀なくされてしまいます。
1992年に復帰。11月からは別キャラクター『パワーウォリアー』に変身。ホーク・ウォリアーとヘルレイザーズを結成しタッグ戦線で活躍します。12月からは再び素顔の佐々木健介としての活動がメインとなり、1997年には第30代IWGPタッグ王座を奪取(パートナーは長州力)しました。

史上初の3冠達成!!

8月にはG1クライマックス初優勝、第32代IWGPタッグ王座奪取(パートナーは山崎一夫)、さらに橋本真也を倒して第20代IWGPヘビー級王座に就き、史上初の新日本プロレスタイトル3冠制覇を達成しました。
その後も長州政権下で本隊のエースとして君臨、闘魂三銃士と肩を並べる存在として絶頂にあった健介さんでしたが、長州が実権を失いつつあった2000年後半頃より数年間、欠場や失踪など迷走期に突入します。

《北斗晶&健介夫妻》どん底から這い上がる!そして引退へ

2002年11月、会社への不信感を理由に新日プロを退団します。移籍先は長州力を中心に設立されたプロレス団体WJプロレスでしたが、給料未払いや有力選手の移籍などの問題が相次ぎ、2003年12月に退団しました。長州力に貸した500万円の借金を踏み倒され、師弟関係も終焉を迎えます。
フリーになった2004年、健介オフィスを設立。新日本や全日本などのメジャーからDDTプロレスリングのようなインディーまで幅広い団体に出場しました。2004年度にはプロレス大賞MVPを受賞。藤田和之からIWGPヘビー級王座を奪取したのが決め手となりました。

プロレス史上初!国内3大メジャー獲得!そして引退…

2005年12月14日に健介オフィスの株式会社化を発表。2007年8月には三冠王座初戴冠、2008年9月6日、NOAHで森嶋猛からGHCヘビー級王座を奪取し、プロレス史上初めて日本国内3大メジャー団体(新日本・全日本・NOAH)のヘビー級シングルタイトルを奪取しました。
2014年2月11日、東京・後楽園ホールでの愛弟子・中嶋勝彦とのシングルマッチで敗れた後に「もう思い残すことはない」と発言した後、2月13日に記者会見を開いて正式に現役引退を表明しました。

北斗晶、佐々木健介夫婦の現在:まとめ

闘病からの生還、そして親友の死、健介さんの引退など、ここ数年で人生が大きく動いた北斗さん。ブログも再開されて元気な姿を見せてくれましたね。これまで沢山の修羅場をくぐったお二人ですから、これからも夫婦二人三脚で色々な困難を乗り越えてくれますよね!今後も引き続き注目しましょう!