木村進の現在は?病気?死亡?劇団を設立していた?間寛平との関係は?

若くして吉本新喜劇の座長を務めた「木村進」をご存知ですか?間寛平とコンビを組んでいましたが、1988年に病気で倒れ、重い後遺症が残りました。今回はそんな木村進の有名なギャグや設立した劇団について、さらに家族や現在についてまとめました。

木村進の現在は?病気で倒れた?現在は劇団を設立?

木村進は1950年7月29日、福岡県福岡市に生まれました。はじめは「吉本興業」という芸能プロダクションに所属していましたが、現在は事務所に入らずフリーとして活動しています。

日本を代表するお笑い芸人で、23歳で吉本新喜劇の座長という地位を獲得しました。ですが38歳の時に病に倒れ、惜しまれつつも、表舞台から姿を消してしまいました。

今回は1970年代から長きに渡って吉本新喜劇を支えてきたという、彼のプロフィールや有名なギャグについて、さらに病気の詳細や現在の姿についてご説明していきます。

70年代に吉本新喜劇の座長をつとめた伝説的なスター

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木村進の祖父と父親も代々喜劇役者を務めていて、彼も16歳の時に父親の劇団に入門しました。ですが父親の息子であるという大きなプレッシャーが彼にのしかかります。

木村進はその重圧に耐えきれず、19歳の時に父親が所属していた「松竹芸能」のライバルとされる「吉本興業」に転籍してしまいます。このことで、しばらく絶縁されていたといいます。

以下の記事では、「吉本興業のトップ」と言われているダウンタウンについてご紹介しています。

吉本興業に転籍して大ブレイク

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吉本興業に転籍した彼は、今でこそ有名なお笑い芸人、間寛平とコンビを組みました。吉本新喜劇では目立つ役柄も多く、特に2枚目のイケメンキャラでありながらオカマの役も演じました。

木村進と間寛平はたちまち「名コンビ」と呼ばれるようになり、関西では「テレビで見ない日はない」と言われるほどのブレイクを果たしました。

多い月では60本を超えるほどのテレビ番組に出演したこともあったといいます。木村進の少しあとに大ブレイクした吉本新喜劇の帯谷孝史は彼について、「彼の芸が半分でもいいから欲しかった」と語っています。

1988年に脳内出血で倒れ吉本を退社していた

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1987年には吉本新喜劇のマンネリ化が見られたため、木村進は祖父と父親の跡を継ぎ、「三代目・博多淡海」を襲名することとなりました。

ですが1988年に襲名披露公演として全国を巡回していた際、最終公演地の福岡市にて脳内出血を起こし、病院に運ばれ重体となりました。お酒をよく飲んでいたことと、過酷なスケジュールが原因だと言われています

命こそ助かったものの左半身不随という障害が残ってしまったため、木村進は吉本新喜劇の退団、さらに吉本興業も退社するという選択肢をとりました。そして彼は、表舞台から姿を消しました。

現在の健康状態は?1999年にゲストとしてなんばグランド花月に登場

一時は復帰不可能とまで言われていましたが、コンビでありながら良きライバルでもあった間寛平によって、彼は再び表舞台に立つことが出来ました。

1999年10月10日、大阪市にある「なんばグランド花月」という劇場にて行われた、間寛平の30周年記念公演に彼も出演したのです。歩くことが出来ないため電動車椅子での登場でした。

端役でありながら存在感を見せつけ、さらにその後もドラマや映画などで間寛平と共演することが増えました。いずれも短い出演時間での端役ではありましたが、障害者の役などをして話題となりました。

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