美鰐淵晴子の現在は?結婚や娘の鰐淵理沙との関係・元貴族や裁判とは

鰐淵晴子さんは、バイオリニストの鰐淵賢舟さんと、ハプスブルク家の子孫でオーストリア人のベルタさんとの間に生まれています。2度目の結婚でもうけた子供は鰐淵理沙さんで、声楽家でタレントです。鰐淵晴子さんは、以前そのグラマラスなヌードを写真集で披露しています。

鰐淵晴子の現在は?美人女優は今何をしている?

女優でありバイオリニストでもある鰐淵晴子さんは、現在何をしているのかを調べてみました。

現在の年齢は?鰐淵晴子のプロフィール

鰐淵晴子さんは、東京都出身で1945年4月22日生まれの73歳です。鰐淵晴子さんの父親はバイオリニストの鰐淵賢舟さんで、母親はハプスブルク家の子孫でオーストリア人のベルタさんです。

鰐淵晴子さんは、バイオリニストの父親に3歳の頃から英才教育を受け、8歳になると全国を巡る演奏旅行をしていました。そして鰐淵さんは「天才少女バイオリニスト」と呼ばれ話題になりました。

1952年には映画「母子鶴」で映子の少女時代を演じ、これが映画初出演となりました。また、1955年の「ノンちゃん雲に乗る」で主演を務め、女優業を本格的に始め松竹を代表するスターとなりました。

2015年のドラマ「新・牡丹と薔薇」以降女優業は引退している?

鰐淵晴子さんは、2015年のドラマ「新・牡丹と薔薇」以降は表舞台にはあまり出ていません。このことから芸能界を引退しているのかとの噂がありますが、引退をしているといった情報はありません。

引退を公表していませんが、現在は露出を控えているのかもしれません。現時点では、アートプロモーションに所属しています。

鰐淵晴子はハプスブルク家の末裔!

鰐淵晴子さんの母親は、オーストリア人でハプスブルク家の末裔だということです。ハプスブルク家といえば、10世紀頃から存在したスイス領内に住んでいたドイツ系の貴族です。

ハプスブルク家の現在は?

ハプスブルク家は、現在でもオーストリア皇帝権を放棄していません。しかしオーストリアは現在共和国で、ハプスブルク家が皇帝権を放棄しないため、共和制とは矛盾しています。

貴族を正式には認めていないオーストリア共和国では、ハプスブルク家はただの一般人だということです。

鰐淵晴子は妹と裁判沙汰になっていた?

Lichtmagnet / Pixabay

週刊新潮は、2010年9月に鰐淵晴子さんの「債務不存在確認訴訟」を起こしたことを報じています。その金額とは6840万円ということです。

支払いが必要な6840万円は、誰が支払わないといけないのかを確認する訴訟だったようです。その結果については、詳細は公表されていませんから分かりません。

現在も元貴族として優雅に暮らしていると思われる

Tama66 / Pixabay

鰐淵晴子さんは、最近では映画やテレビドラマにはほとんど出演しておらず、豊富な財産で優雅に生活しているのではないかとみられています。

現在は孫が出来ておばあちゃんになっている

鰐淵晴子さんのひとり娘の鰐淵理沙さんは、2014年に一般男性と結婚し、一児をもうけています。ですから、鰐淵晴子さんは既におばあちゃんになっていることが分かります。

鰐淵晴子は現在結婚している?子供は?

Bess-Hamiti / Pixabay

鰐淵晴子さんは、これまで2度の結婚と離婚を経験しています。2度目に結婚したタッド若松さんとの間にひとり娘が生まれています。

1968年服部時計店の一般男性と結婚し翌年離婚

StockSnap / Pixabay

鰐淵晴子さんの最初の結婚相手は、1968年に服部時計店の御曹司である服部敲(のぼる)さんでした。また、この服部時計店とは現在のSEIKO社です。

しかし、翌年の1969年に離婚してしまいました。その後は妹が住んでいたアメリカに渡っています。

1972年カメラマンのタッド若松と再婚

pixel2013 / Pixabay

最初の離婚後、アメリカに渡っていたときに知り合ったタッド若松さんと1970年に帰国しています。そして1972年に再婚しました。

タッド若松さんは、本名は若松忠久といい、1936年生まれです。1962年に渡米し一流の写真家のもとで写真技術を学んでいます。山口百恵さんや杉良太郎さんの写真も手掛けています。

20世紀後半の日本の写真界をリードしてきた人物で、1970年に鰐淵晴子さんをモデルにヌード写真集を撮影しています。

現在タレントとして活動している鰐淵理沙を授かる

鰐淵晴子さんは、タッドさんとの間に、タレントの鰐淵理沙さんをもうけています。鰐淵理沙さんは、洗足学園大学を卒業後ドイツに渡り、ケルン音楽大学で声楽を学んでいます。

その後、アーヘン市立歌劇場で歌手として活動したあと日本へ戻って、2014年には一般男性と結婚し、一児をもうけています。

鰐淵理沙さんの経歴

鰐淵理沙さんは、東京都出身のタレントで、カメラマンのタッド若松さんと女優の鰐淵晴子さんとの間に生まれたひとり娘です。鰐淵晴子さんが日本人とオーストリア人のハーフですから、理沙さんはクオーターです。

幼いころから、祖父であるバイオリニストの鰐淵賢舟さんの指導を受け、2007年から2010年にはケルン室内オペラでソリストとして活躍しています。

また、2011年から2014年までアーヘン市立歌劇場にてアンサンブル歌手として活躍しました。2014年以降は、活動の場を日本に移し、現在は歌手・タレントとして活躍しています。

鰐淵晴子さんと「イチオシ!2泊3日の旅」に出演

JanBaby / Pixabay

2016年1月12日に日本テレビ系「イチオシ!2泊3日の旅」に、母親である鰐淵晴子さんと出演していました。また、2016年10月2日に、日本テレビ系「人生が変わる1分間の深イイ話」に出演しています。

1986年に離婚

Neoloky / Pixabay

1972年から続いた、タッド若松さんとの結婚生活は1986年の離婚によって終止符を打ちました。

現在は独身の模様

naturepost / Pixabay

1986年にタッド若松さんと離婚した鰐淵晴子さんは、その後は結婚せず独身生活を送っているようです。

若い頃が伝説の美女?鰐淵晴子の生い立ちと経歴!

鰐淵晴子さんは、バイオリニストの父親とオーストリア人の母親との間に生まれたハーフです。その生い立ちとはどんなものだったのかを調べてみました。

鰐淵晴子はハーフ?両親は誰?

鰐淵晴子さんの父親は、鰐淵賢舟というバイオリニストで、母親はハプスブルク家の子孫でもあるオーストリア人のベルタさんです。

天才少女バイオリニストとして話題になる

鰐淵晴子さんは、バイオリニストの父親により3歳から英才教育を受けていました。8歳になった頃には全国を巡る演奏旅行をし、「天才少女バイオリニスト」と言われるようになっています。

鰐淵晴子の若い頃の画像は?昔から妖艶な姿をしていた

鰐淵晴子さんは、若い頃からその美貌と165cmのグラマラスな肢体で話題とになっていました。

母が厳しく昔はキスシーンも無しだった

鰐淵晴子さんは、もともと子役を経て清純なイメージの女優ですが、鰐淵さんの母親はとても厳しい人で、撮影でのキスシーンも許さないような人でした。

1952年「母子鶴」で映画初出演

1952年の映画「母子鶴」では映子(若尾文子)の少女時代を演じ、この映画が初出演となっています。

1960年代前半の松竹を代表するスターとして原節子の再来と言われた

鰐淵晴子さんは、1960年代前半の松竹を代表する正統派の美人で、「原節子の再来」ともいわれていました。

ヌード写真集「イッピー・ガール・イッピー」を発売

鰐淵晴子さんは、1970年にタッド若松さん撮影によるヌード写真集を発表しています。鰐淵晴子さんは、このヌード写真集でそれまでのイメージを払拭したかったと語っています。

この写真集「イッピー・ガール・イッピー」は、そのアート性を高く評価されています。

「平成無責任一家 東京デラックス」「遙かな時代の階段を」「眠れる美女」で受賞

1995年には「平成無責任一家 東京デラックス」「遙かな時代の階段を」「眠れる美女」の三作品などで、個性的な役柄を演じ、その年の毎日映画コンクール女優助演賞を受賞しています。

鰐淵晴子は整形している?整形の噂の原因は?

鰐淵晴子さんは整形しているのではないかといった疑惑がありますが、本当なのかを調べてみました。そもそも昭和30年代の女優は整形のない時代でしたから、当時に整形していた可能性は少ないでしょう。

その後、鰐淵晴子さんが映画界やドラマの全盛期を過ぎた頃に整形していることは、ありえるでしょう。もともと彼女は美しい人ですから、その必要もない気がします。しかし、本当のところは分かっていません。

鰐淵晴子の主な出演作

鰐淵晴子さんの、これまでの主な出演作品を紹介します。

初主演を務めた「ノンちゃん雲に乗る」

鰐淵晴子さんの初主演は映画「ノンちゃん雲に乗る」でした。主役の田代信子役を演じていますが、この時鰐淵晴子さんは10歳でした。

堪能な英語とドイツ語で「銀嶺の王者」でトニー・ライザーの相手役に抜擢

鰐淵晴子さんは、英語とドイツ語も堪能で、1960年に放映された「銀嶺の王者」では、トリー・ライザーの相手役に抜擢されました。

NEXT 6度も映画化された「伊豆の踊子」